初音ミク Project DIVA Future Tone


2016年6月23日にPS4ダウンロード専用で発売された本作。
3ヵ月で80時間くらい遊んでいるのに、
いやそれだけしか遊んでないのかよといわれるとそうですけれど
このゲームだけ遊んでいるわけでないので許していただきたいのですが、
まだまださっぱり遊び終えた感が湧かないほど大容量。
もう次回作が出てしまっているけれどそちらに手を出す暇もない。




シリーズ中でこの作品の位置付けを説明すると次の通り。
なお曲数重複数とかは今てきとうに数えたのでだいたいそんな感じで。


まず2009年、2010年、2011年と1年置きにPSP向けに3作が出ている。
1作目は36曲(ボーカル違いの同曲をひとつとすると34)、
2作目は47曲(チュートリアルを含む 1作目と1重複は14)、
3作目が37曲(チュートリアルを含む 1、2作目と重複は9)。
これらはそれぞれ1年後後にPS3向けダウンロード専売で移植されている。
なおPS3版の「2」は「1」の収録曲が全て含まれている。


次にPSVitaPS3向けに2012年から2014年にかけて2作。
1作目は38曲(PSPでの3作とチュートリアル曲を除き重複なし)、
2作目は40曲(1作目との重複はないがPSP版とは20曲)。
同時期に3DS向けに3バージョン発売されている。
バージョンというのは、2番目のに1番目の曲が全て入っており、
最後の「でらっくす」に2番目+1曲の全48曲が全て入っているという
ゲームシステムや演出の試行錯誤過程を楽しむ仕様だからして。
ベータ版販売商法ともいう。
試行錯誤は良い意味でも使うけれど「錯誤」って良い意味ではないなあ。
そして今年VitaとPS4向けに最新版が発売済み。まだ遊んでいないけど。


さて、このように作成途中版発売を3回もやらかしているのに
定期的に続編が出ており、
いわゆる「音ゲー」のなかで
専用入力機器を要しないうちではもっとも定番と言えるシリーズである。
まわりが酷いからね許されちゃうんだよね遊べちまえるからね。
実際のところ制作するセガの良い所を上手く出すことに成功しており、
PV(プロモーションビデオ)と称する曲の演出が
凝っているものは実に凝っていて感心させられる。
好きな曲に、この力の入りまっくた演出のついたものがひとつあるだけで
全てが許せる出来ばえ、と言って良い。
凝っていないのは汎用使いまわし演出なんだけどまあともかく。
ゲームとしても、以前も書いたけれど、ちゃんと新しいものを出すたびに
細かいところで改善が見られて
遊びやすく、ゲームを楽しむのに集中できるよう洗練を続けているのは
セガらしくなく評価に値する。
もっとも3DSの最初ののようにやらかすこともあるのだが。セガだし。
新しいものに挑戦することは必要だしそれこそでこそセガだけど、
ベータ版で金を取るのは止めよう。


話を戻して今回のPS4版『Future Tone』。
2010年、PSPの2作目と同じころから稼働しているArcade版の移植である。
6年に渡って稼働し続けているが、当然常にバージョンアップが続けられて
収録曲も最初の40曲から現在は220曲超に達している。
それがほぼそのままPS4で遊べるようになったもの。
最初は別に数えていたボーカル違いを同じ曲に数え
演出違いを同じと数えると221曲。
それでいて値段はこれまでとほぼ同じ\7800。
また今月追加ダウンロード曲が4曲(内2曲はボーカル演出違いだが)追加。
今後もとりあえずあと2回、同値段程度の追加が決定しており、
ほぼArcadeに追随しての追加が当面は見込まれる。


つまり今回は同じお値段でほぼ6作分の曲があるのである。
これまで(PSP:3+PS3/Vita:2+3DS:1として)6作しか出ていないのに。
実際3DS版の48曲中20曲が含まれていないのだが、
PSPPS3/Vita版は1曲を除き全て含まれている。
難度もPSPの最初のは3段階しかなかったが
現在は5段階(ただし低難度や高難度版がない曲もある)、
全曲を全難度、順に遊ぶだけでもものすごい時間がかかる。
なお小声でいうとクリアできるとは言っていない。
端から端まで遊んでいるうちに最初の方の印象がうすれ、
さらに200回も遊んでいれば自然に操作に慣れて上手になるので
なお新鮮に遊べてしまう。
果てしなくいつまでもエンドレス。
3ヵ月たってもまったく遊び代の終端が見えない。


ゲームの中身はPSP、Vita路線とほぼ同じ。
曲の演出はそうなのだが操作体系をArcadeに準拠させているのが特徴。
Arcade版はボタンが4つしかなく、その分ボタンが大きく連打しやすい。
そのため、これまでのように左手と右手での
同方向への同時押しがなくなった変わりに、別方向への同時押しが加わり、
また連打が必要な場面も増えているため
右手と左手の交互押しは必須と言える譜面になっている。
譜面という言葉が適当が難しいが。
このように実際的なことを書くと難しそうだが、まったく難しくはない。
いや、操作の難しさを感じる程度は
個々人毎千差万別なので一口には言えないが、
少なくともピアノを弾くのよりは確実に簡単である。指2本動かすだけだし。
何の説明にもなってないか。
楽器をひとつもまともに弾けない自分に説明は難しいが
人間の身体は10本の指と1本の足でピアノを弾けるようにできているのだから
指2本だけのこのゲームの操作が出来ないことはない。ということで。




このごろ私のなかでのゲーム需要は、
頭をつかう程度によって区分されている。
すごく使うのが対人対戦。まったく使わないのがこういう操作だけのゲーム。
その中間の例はだらりと遊ぶひとが多いだろうRPGである。
RPGは操作にまったく容量を使わないし、
効率のために工夫はしても、あたまをつかうというほど使うか、
疑問に思われるだろうけれど、
お話を掛けた時間相応に楽しむには
提供されている舞台設定や登場人物演出とみためや劇伴がつくる「世界観」へ
こちらから積極的についていこうとしなければならない。
でなければただの作業である。お使いである。
入りこめず楽しめなければ唯々苦痛。
言ってみれば、マンガと同じ程度に入りやすいが
映画より能動的に、小説のように主体的に意識を持たなければならない。
そんなのお仕事でつかれたあたまではついてけないんである。


よってこういう操作だけのゲームばかり毎日遊ぶようになり、
頭を本当に使うゲームは充分に余裕がないとめろめろになるし、
ある程度に暇を感じている状態でないと
ひとのつくった物語に入っていくのは難しいのである。
以前はCAVE弾幕を浴びたり
ミスタードリラー』がこの枠を担当していたが
ご存じのようにかのものたちは無くなった。ナムコはもはや存在しない。
どんなに優れて好きな作品だろうが同じもので楽しみ続けるのは困難。
もちろんこういうゲーム、良作アクションゲームが
他にまったくないわけではない。
しかし、頭を使わない、
短時間、おおむね長くても1時間程度である程度の達成感が得られ、
操作入力に対して的確な対応があり、対人競争要素が希薄で、
余計なお話とか謎ときとかパターン化とか積み重ね要素とかがないもの、
というのはなかなかないのである。
特に最後。積み重ね要素とかパターン化である。
弾幕STG落ち物パズルゲームにだって
解法や積み重ねて上手くなる要素はある。
しかしそれはゲームを離れて資料と記憶と図上演習で上達するものでなく、
ボタンをポチポチやっているうちに血肉となって身に付くもの。
弾は見て、避けようと思って避けるのではない。
ぷよの重ね方もドリラーの落ちルートも頭で判断するものじゃない。
勝手に指が動くようでなければ間に合わないのだ。
その方が効率良いのだ。
そういう意味で頭が要らないゲームが良いのである。


音ゲー」はまさにそれである。
音に合わせてボタンを押す。画面の表示に合わせてボタンを押す。
それだけで面白いのか、文章では伝わらないが、
音楽に合わせて指揮棒を振っているだけで
人間は楽しめるように出来ている。
自分で自在に楽器を奏でて名曲を産み出せたらさぞや快感だろうが、
それは無理でも、既存の曲に合わせているだけで、それでも楽しい。
画面の表示は、慣れていないひとには滝のように嵐のように降ってきて
滅茶苦茶な高難度に見える。
音に合わせていないのならそうだが、
曲が押すべきときは教えてくれるのだ。あとはどのボタンをそこで押すか。
目で見て、頭が判断するまえに、指が動く。
それがだんだんできるようになり、
身体能力に問題がなければ誰もが歩き、走り、
運動能力に無関係に自転車に乗り
頭の出来に関わらず母国後で会話できるようになるように、
そう、頭を使わずども人間の身体は反応だけで
入力に的確な出力を返すそれが次第に自然にできるようになり、
それを的確にできたと頭が追認評価するだけで
気持ち良くなれるように出来ているのである。
良くできたアクションゲームには、そういう身体的快感を得られる。
単純にゲームを遊び上手くいったとき、なにか操作が良く嵌ったときの、
頭でなく身体で感ずる快感。それだ。




もう一つ、音楽に感じるのは、これらに対する好き嫌いの印象だ。
200曲のそれぞれに、何度聞いても心地良く感じるもの、
聞いていてあんまり良い出来ではないな、と感じる差がある。
音楽に関してはまったくわからない。
そこに出来の良し悪しがあるか、あるのだろうが、
どこにあるかはわからない。
好みが発生させているのであろう印象差を
出来良し悪しに投影させているのが、おそらく正しいのだろう。
というのは、この印象はときに変わるからである。
同じ曲でも演出が変わると変わる。
ボーカル、声がちがうのに変わると変わる。
曲を歌っているキャラクタのみためや作詞作曲者の名前や曲名すら
影響を与えているのがはっきり判断できる。
つまり曲の良し悪しとはまったく別のところで印象は上下している。


違うひとが歌うと良く聞こえる。
これは歌い手の技術とかその人の声がその曲に合っていたから、
そのように判断する。そうなのだろうか。
なんとなく、そのほうが自分にとって合っていたから、
良い印象を受ける何らかの要素を刺激したから、
悪い印象を与える要素が減じたからではないのか。
良く知っていると思える範囲、
例えばマンガの良し悪しとかゲームの良し悪しなら
わかった気になれている。それについて議論を戦わせられ、
あれはこういう理由で優れているのだ、と
自身と周囲に意見を貼りつけることができる。
確かに良し悪しはあるのだろう。
それについて知っているほど見えるものもあるだろう。
しかしそれが正しいと、いつから誰から見ても共通の物差しと、
いつの誰が正しく判断できるのか。それを正しいと何が認めるのか。
個々人の印象である。時に容易に上下するそれに依る。
個々人の印象を比べ合わせて同意を見出すことが
良し悪しをつけることであるとすればそうなのだろうけれど。
長きにわたり多くのひとに評価されることが
良いという理由ではない。
良いという評価を多くのひとに長い世代に
受けやすいものではあったろうというだけ。


的確にかくあるべしと評価されるように指が動いてくれると気持ち良い。
その時々でその曲は何度聴いても心をさまざまに揺り動かす。
これらは、絶対というものなど反証自在故絶対になさそうな、
真実という言葉に対して、少なくともその時に対して真実である。
あたまで判断したことでなく、身体が反射して対応した快楽。
そこに既にあった実感に、後から嘘を想像することはできても
その時は確かだった。
そういうことが簡単に、確実に得て、
一定に達し成し終えられるゲームというものは、まったく素晴らしい。


 

ドラゴンクエストビルダーズ アレフガルドを復活せよ


ドラゴンクエストビルダーズ アレフガルドを復活せよ - PS4 


『マインクラフト』は非常に成功した作品だけれども
なぜなのか理屈ではわかっても
実際にわかるかというと想像である。
トロフィーを全開放し
フリービルドモードで超げきとつマシンを作りバトル島も更地にして
することが無くなるようなひとにとっては。
ランダム表示されるネットの向こうの作品を目の当たりにして唯々感嘆するが
自分には鑑賞中にお腹が空かないようレストランを作る以上のことはできない。




『マインクラフト』は以前書いたように「レゴブロック」のテレビゲーム版である。
ブロックをリアルマネーで買わなくても良いが集める手間はあり
その集める手間をアクションゲーム風にして組み立てるのも同じ操作でするもの。
アクションゲームとして敵を倒すというような目的はなく
ブロック積み重ねていろいろなものを作るという目的に対するゲームが手段である。
『テラリア』はその2D版で、本『ドラゴンクエストビルダーズ』はその日本風RPG版。


操作とかみためを長年培った「ドラクエ風」に置き換えただけでなく
集めたブロックをどうやって加工していくか、
「おつかい」という小目標を繰り返し設定して導入する日本式RPG調で
丹念に置き換えている。
その出来栄えは「ドラクエ」の名を冠するに相応しく高く、
『アトリエ』シリーズとか『牧場物語』シリーズとかの
同じような「ものづくり」を「敵を倒して強くなる」の他に据えたRPGとして
お話にならないほど隔絶している。
もちろん『マインクラフト』のゲーム造形があってこそのものだけれども。


題材は30年前の1986年に発売された最初の『ドラゴンクエスト』。
1993年にスーパーファミコン用にリメイクされ、以降も様々な機種で遊べることで
未だに素材としての価値を保っている。
岩山の洞窟の構造は覚えていてもさすがにメルキドガーデンは覚えていなかったけど。


4作目のように段階を章立てで区切り
それぞれのお話でひとつの滅びかけた街を再建していくという目標が与えられて
そのためにはとりあえずどうすれば良いか、
再建していく過程で徐々に増えていく街のひとびとからの頼まれごとを
達成していくことで実現していく。
作った食堂で料理をして満腹度を回復するアイテムを作ってくれ、
敵が襲って来れば共に戦い、夜は再建した宿で共に眠る。
彼らが街中でちょこまか動き回っているのは
それが自分が建て直した舞台だからこそ楽しく嬉しい。


お話はいろいろあって、きちんとひとつの区切りを迎える。
章立てされているので気軽に何度も楽しめて、きちんと終わりがあって達成でき、
愛着あるみんなに称賛され感謝されながら
いつものファンファーレでエンディングを迎えるのはまことに気持ちが良い。
さすがドラクエだ。しみじみ良いなあ。
ドラクエ1」はファミコン版以来遊んでないけど
もう一度そちらでも、ひめをちゃんと救ってあげたくなるなあ。




一通り操作を覚えたところで後は自由に好きなものを作ることができる。
限られた広さの枠内だがネットに公開することができ
他のひとが造ったものを自分の作っているところの隣りに呼び出して
その中を眺めてみて回ることができる。
多くの力作、大作、工夫をこらした秀逸な作品に溢れていてただただ感心する。
すごい。えらい。よくぞ思いつくものだ。
眺めているだけでいくらでも時間を費やせるここち。


敵を倒して強くなるだけのゲームでも
そういうひとの作ったものに感心することはできる。
低レベルでクリアしたり、実時間短時間でクリアするよう工夫を凝らす。
実際それがどれだけ困難であるか知っているから感心すること、
そんな発想であればこれを達成できるのかと驚くこと。
限りあるゲームの奥行を隅々底まで浚って、
新しいものを作り磨き上げて完成されたものは、同じ素材からの別する作品である。


このゲームや『マインクラフト』も同じ。
建物。あとは看板に書かれた簡単な紹介。解説。
出来上がったそれを眺めるだけで、単純に時間を掛けるだけでは、
もととなって出来ているものを隅々まで知ってなぞるだけでは
つくれないものがそこにある。
敵を倒して強くなるゲームや、対人対戦ゲームや、
できなりのお話を楽しむだけのゲームを一通り遊んでわかった気になって
良かったのだろうかという気にさせる。やむ。良かったも何もないけれども。


それぞれのゲームは、それで様々に遊んでいくことができる。
このゲームはそれが特に目に見えてわかりやすい。
だから優れているということでなく、
欠けなくこちらの解釈を許さず完成されていて揺るがない作品だって良いのである。
この作品の音楽やパッケージイラストが想像させる舞台のようすや
キャラクターたちのちょっとした台詞のひとつに手を加える必要はない。
いつまでも漂っていたい、眺めていたい、遊んでいたいと思わせる舞台づくりは
ゲームパッケージとして必要だし、
ロード時間だって舞台の広さだって作れるものの幅広さだって操作のしくみだって
いずれもみな大切である。


その作品を懐かしく好意をもって思い出すとき
それはその遊んだゲームが最初から最後までもっていた出来ばえが全てでなく
結局遊ぶ自分がそれでどのように遊んだかでしかない。
ゲームに限ったことではないけれど。
コントローラーを握って、手でブロックを積みいろんな方から眺めるだけでなく、
ブロックを作って、小人になって加工して積んで作って中からも上からも眺める。
これはゲームだからで、これこそテレビゲーム、ビデオゲーム
とにかくゲームとよく呼んでいるいわゆるゲームのゲームらしいゲームだ。



 

2015年も反省する


悲報。2015年は2回しか更新しなかった。


理由はどのゲームも中途半端に投げだしたからである。
ひとつのゲームにある程度期間、時間割き続けられなかったからである。
つまりゲームが面白くなかったのが悪いのでなく私が悪いのだ。
いや仕事がもっと余裕あったらなあとかは思いますけどね給料そのままで。
自分の能力を反映しているだけだから文句のつけようもないけれど。


以下だらだら言い訳。


まず去年の続きで『信長の野望 創造』と『A列車3DS』と
360で古典的STG、つまり『斑鳩』とか『ケツイ』とか遊びつつ
次の題材を探していったのである。
ケイブSTGというか2DSTG自体が完全に旧態を為しているこのごろですね。
残念ながら当然。
でもスマホゲームを見ていれば一周して2DSTGの時代もまたくるよたぶん。
そういえば『A列車3DS』は感想書いてないな。忘れてた。
DS版とあまり変わらないからな。出来は良いのでDS版共々お勧めです。
『創造』は新機軸で良いけどゲームとしてはすらすら遊べなくてあんまり。
でも『戦国立志伝』には期待。


インファマスセカンドサン』。
これはまあ良かった。
街中で会話をして回らなければならないことがないのが良かったし
銃を撃ったり車を運転したりがなくて良かった。
ライオットアクト』の現在版みたいな。
ただできることがちょっと少なかったかも。
スピードタイプとか剛力型とか設置型とか変異型とか
そういう能力割り振りで良かったのでは。
あと市民のみなさんも『クレイジータクシー』ばりの体術を纏って欲しい。
そういうゲームじゃないのかもしれないが、ユーモアが少なかったかも。
登場人物はアメリカンジャスティスでとても良い感じ。素直に良作。


レジェンドオブレガシー』。
2周目途中で挫折。
ロマサガ3』もこうでしたし、といえばそうなのかもしれないが
サガシリーズはあえてツボを外してくるねわざとだろうけど。
『真女神4』共々、悪くわないけれどこれじゃない感。
『アンリミテッド』で好きなだけやったんだから少しは媚びいいのにとも思うけど
そうすると熱心なファンが怒るのか。あえて好きなように作る方が偉いか。
正直サガシリーズのファン心理が良く分からないですが
FFT』も発売されたときは叩いていたのに手のひらクルーしてたので
たぶんそんな感じなんじゃなかろうか、何出しても駄目出しする気がする。
逆に「だがそれが良い」のですねたぶん。


『イブニクル』と『ランス03』と3DS闘神都市』。
アリスソフトの普通のRPG。どれもふつうに良くできた佳作。
昨年『ランス9』の暗惨たるさまからは救われた心地だけれど
狭い範囲の感想で、ほかに書くことが思いつかない。
特に目新しくここが偉いところがない。
もっとも今あえてこういう20年くらい前の普通なRPG
丁寧に料理して商売になるのが独自なのかもしれないけれど。
3DS版『闘神都市』を作った会社は潰れたからなってないか。うん。
『ランス10』は『9』をすっぱり断ち切って
まともな作品になることを期待しています。


世界樹と不思議のダンジョン』。
出し過ぎたからか不調なので目先を変えたい世界樹シリーズ新機軸。
こんどは不思議のダンジョン風。上手く組み合わせてはあるのだが
不思議のダンジョンじゃないので不思議のダンジョンを遊びたいならお勧めできない。
世界樹の迷宮がランダム作成ダンジョンになっただけ。
世界樹的には目先が変わって良いし、ちゃんとそれなりにできているが
ウィザードリィ』と『ローグ』を上手く繋ぎ合わせただけで
新しい面白さが生まれたというものではない。
ぷよぷよテトリス』と同じく悪くないけど別々で良くないですか。
普通の『世界樹』と『不思議のダンジョン』シリーズを遊びたくさせる作品なので
『新世界樹のダンジョン』とPC版『外伝アスカ』を遊んでいるのだった。
昔のシレン2以前のチュンソフトはもういないんだね。


『ローグレガシー』と『Downwell』。
前者は自動地形生成が売りの2Dアクション。
『キャッスルエクセレント』を思い出すね。
細かく言うと自動生成でなくシレン風に言うとシャッフルダンジョン。
これも『世界樹と不思議のダンジョン』と同じに
強いて「ローグ」部分必要と思われない。普通に2Dアクションで良かったんでない。
そこが他と差別化する独自性なのかもしれないし
現在商品として成り立つに必要な要点なのはわかるけれどしかし。
去年の『ストライダー飛龍』でも思ったけど、
レジェンドオブレガシー』もそうだけど
20年前ならそれでよくとも今は20年前ではないわけで。
最近こういう感想を抱かせる作品が多い印象。
単に遊んでいるこちら側の都合かもしれないけれども。
後者『Downwell』はより小規模な落ち物アクションゲーム。
右へ進んでいくのでなく下に落ちながら進んでいくアイデア賞。
でも『ミスタードリラー』の不遇さに涙する方が先。
ナムコとついでにコナミは一刻も早くゲームから手を引いて欲しい。


『ウィッチャー3 ワイルドハント』。
ポーランド製。ポーランド語『Wiedźmin 3: Dziki Gon』、英語『The Witcher 3: Wild Hunt』。
「ウォッチャー」でなく「ウッチャー」。
ポーランドファンタジー小説が原作らしい。
ひとくくりにするのは失礼かもしれないが、日本人としてはすっかり洋ゲーもなじんだ感じ。
PS4やXBOXONEを熱心に買うような層においてはだけど。
バイオショック』と同じく、海の向こうの異文化を
本当に日本文化人がわかって楽しめているのか不安だけれど
アメリカンジャスティスと同じく、面白ろがれれば良いのかもしれない。
ゲームとしては昨年の『キングダムズオブアマラーレコニング』と同じ。
これが現在最高のRPGだというひとがいるのはわかる。
けれど『グランドセフトオート』や『ドラクエ』や『FF』や『テイルズ』や『世界樹』や
TRPGを遊んでいるひとも同じようにそれぞれを思ってるのだろうけれど。
隅々まで手を込んで作って有り、日本語化ローカライズもしっかりしていてワールドワイドな感慨。




以上、かのような感じで今年遊んだゲームをだいたいまとめてみたのですが
実際は『戦国大戦』か
360で『ミスタードリラー』か『ケツイ』『斑鳩』を、で、遊んでいる時間の方が長いのが実態。
『罪罰』は64をつなげるのがめんどい。


戦国大戦』は、ゲームセンターに行って
社会人でも総額指折りたくなくなる金額掛けないと遊べないので、
対戦動画みたり攻略Wikiを見たり書いたりすることで遊ぶ時間の方が長い。
ゲームの紹介動画をみただけで、そのゲームを消化した気になれるのが
最近のゲーム遊びの良いばかりではないけれど良い所だけれど、
対人対戦は別なのは『マリオメーカー』『スプラトゥーン』のおかげで
良くわかるところ。
ちまちま「RPG風」あるいは「シミュレーションゲーム風」に
日々堅実に積み重ねて形に残る「遊び」の一方で、
オンライン越しに平等規則下競技で誰かと「関わりあう」のは
ひとり用アクションゲームにない楽しさが確かにある。
一方で『戦国大戦』はシェアードワールド
史実に対する二次創作を膨大に有する人気分野「日本の戦国時代」を題材としていて
カードで再現された武将独ひとりごとに軍艦の擬人化同様背景が豊富にあって、
RPG風」に眺めてと遊ぶことができる。
もっともここにはメーカー管理下の公平なルールないのが玉に瑕。


『艦これ』では、遊び手同士の緩やかな情報共有、二次創作の帰還増幅の周期が
長期に渡り対人対戦のない一人用ゲームを多数へ咀嚼させ続けている。
マリオメーカー』で典型に、
仕組みは30年前からあった「マップコンストラクション」を共有させ、それだけでなく
誰もが大勢へ供給できる仕組みを整えることで「枯れた作品」を再利用している。
将棋にせよ囲碁にせよ、棋譜で名勝負を再現することは
何百年前からでもできたことだが、
ようやく現在になってこれを個々人手元で、専用道具を要さず、
手軽に再現できるようになった。ゲームも同じである。将棋も囲碁もゲームだけど。
TRPGにおいてもオンラインセッションや動画通信が手軽になったことは
遊ぶ場所だけでなく時間の面でも非常に大きい。
ゲームセンターに行かないと遊べないアーケードゲームはパチンコごときと同レベル。
戦国大戦』は複数カード位置をリアルタイムに読み取るリーダーが専用で必要だから
仕方ないんだい、とか言っても日本全国で納得してくれるのは数万人もいない。


こういったことろがこのごろのゲームの成果でありましょう。
あとは『マインクラフト』が堅実に評価されているのは、
あの画面でありながらという驚きがあるところ。
二番手以下の多くがなぜ成功例の良い所を真っ当に範とすることができないのかは
ゲーム制作も企業活動であるから仕方ないのかもしれませんが
そのなかでなんだかんだと着実に成功を積み上げている任天堂は毎年流石。
前社長伝説がさらに積み上げられてますが、今後も隙なく頑張っていただきたい。



さて、このようなことをこれまで10年以上、
言葉は穏便に低姿勢で上から目線を繰り返してきたわけですが
ゲームもなかなか大変だね。
常に新しいものを生み出していかないと
悪くはないけど変える必要なかったんじゃない、とか
素人したり顔で専門家の何年何百人何億円作品へ泥掛けてくるからね。
自分は優秀でも周りは認めてくれないし、それが作品として結実しないし、
だから評価もされ難いしね。
もっとも遊ぶほうにしたら、作ってるひとがどうだろうがしったことでないのである。
その遊ぶひと、つまり私が面白いと思うかどうか。
その個人の好みや経験や触れた経緯や環境で容易に触れる幅ないのどこに落ちるか、
そんなこと作るほうだってしったことではないだろうけれど、
だいたいそれなりのひとに良かったと思いこませないことには商売にならないのだ。


でもゲームはそういうものだから。ゲームに限らず共同制作の娯楽作品はそうだから。
そこに何十年語られる作品も産まれるけれど殆どは翌週には皆へ存在忘れられて終わる。
果たして2016年以降はどうなるか。
2015年現在くらいになってゲームは昔ほど面白くなくなったとは思っていない。
それは多くの人が面白いゲームを作ろうとしてい続けているからだし
そういう場がちゃんと持続し続けているからでもある。
来年以降もその一端の端々の隅でゲームにお金を出して遊んでいきたいと思います。


このサイトの更新も、そう、まあそうねえ、それなりに頑張ります。





 

inFAMOUS Second Son

inFAMOUS Second Son 【CEROレーティング「Z」】 - PS4


題名は「セカンドサン」だけれど「インファマス」シリーズ3作目。
前2作と主人公が異なるかららしい。
「FAMOUS」は「有名」、「inFAMOUS」で「悪名高い」。
「悪名高い」と「悪い意味で有名」の少しの違い、
有名の無名ではないほうの反対語とは、ほんのり違うこのかんじ。


作ったのはSucker Punch Productions。
「Sucker Punch」で「いきなり殴る」というスラングらしいのですが
こんどはスラング(slang)がどういう意味だったかとなる。
日本語で「俗語」。「大衆」みたいにあいまい概念。
もとい、最近名前売っているNaughty Dogノーティドッグ)と同じく
アメリSony Computer Entertainment子会社で、
ロード時間や舞台を構成する細部造形からも、高い実力が感じられます。
日本と違ってアメリカのソニーのゲーム担当部門は優秀。
主人公の年齢とかを見るに
日本のゲームをするひと達が相手に値しないからかもしれないけれど。
ちなみにNaughtyは「腕白な」。腕白という形容の古くも新しさよ。




なかみは一人用アクションゲーム。
現代アメリカのシアトルを舞台に、超能力を身につけた主人公が、
政府組織で超能力者を保護研究する機関の強権に反抗するお話。
銃でなく超能力で戦い、超能力で移動する。
能力はいろいろ種類あって、作中背景では「自然元素を操る」と説明されるけれど、
「煙」「電撃」「紙」「コンクリート」など、とっても人間主観概念ふう。
それぞれ、煙で眩ませたり電撃で拘束したり足元コンクリで固めたりで戦い、
移動にも使えて、
「煙」だと草叢や金網のような隙間ある障害物をダッシュですり抜けられたり、
エアダクトを通って建物内を高速移動したりできる。
ライオットアクト』とか『グラビティデイズ』のように
能力を使って都市の立体地形を自在に跳びまわり
直上強襲して敵蹴り飛ばしたり、高いところから一方的に狙撃して仕留めるゲーム。
能力のおかげでとっても強い主人公が、自由を制限する体制に勝利するアメリカ製。




アメリカはワシントン州にあるゲーム会社が造った作品。
地元はシアトルの街が、それっぽく再現されているのだとは思いますが、
ワシントン州とワシントンのどちらが北か、シアトルとシカゴのどちらが西か、
鳥取と島根のどちらが左かアメリカの方々が知らない程度に知らない日本人なので、
それっぽさの苦労が作る感激が伝わらないのは残念である。
シアトルがワシントン州にあること、
ワシントンがワシントン州にないことも知らないし、
そこが西海岸か東海岸か、そもそも海岸にあるのかもを知らないひとが遊んでもな。
ちなみにシアトルにはAmazon本社と
マイクロソフト本社とアメリ任天堂本社があるがソニーはカリフォルニア。
E3はロスアンゼルス開催だし……(震え声)。


このゲームで印象に残るのは、
高いところへの移動には建物を足掛かりにしなければならない、という点。
どんなに高いところから落ちてもダメージはないけれど
多くの能力で跳躍できる高さは常人とさして変わらない。
高いところへ登るには、エアダクトを利用したり壁面を駆けのぼったり、
いずれにせよ高い建物がなければならない。


なぜこうしなけれなならないのか。
単純に超人的ジャンプ力では駄目なのだろうか。
そういうように見てみると、
立体的な演出には、高いところと低いところだけでなく、
建物の壁面、立体の側面も大切なことがわかる。


すごく古いゲームだけれどPS1 の初期作品『ジャンピングフラッシュ』では
見下ろし視点で高さを表現していました。横視点でもなく、斜めでもなかった。
PS2 の『Shinobi』では、空中連続ダッシュ斬りだけでなく、
ニンジャの壁走り、壁から壁への跳躍に、舞台の立体活劇感がありました。
平面の画面内にある立体をどう映せば、奥行きと同時に高さが表現できるか。
Wiiの『マリオギャラクシー』では重力中心がその内側に多数存在することで、
「壁」と「地面」の区別ではなく、カメラ視点でそれを表現した。
手のひらに収まるゲーム機の操作自体で、
その重力を自在に操ることができる『FF13』、
でなくてVitaの『グラビティデイズ』は、
奥に向かっての自由落下をカメラ方向に固定してそれを表現した。
横視点、真上視点、斜め、斜め後方、主観、カメラ視点操作。
そうして平面の中の立体を表現してきたわけです。


シアトルという都市を構成するよく見慣れた街並み。
どこにでもあるその建物ひとつひとつが足場となり、
縦横に加えて高さの箱庭を作っている。
高いところに登るためには高い建物の、
それを形作る壁があることで、初めて叶い得る。
下から見上げても、上から見下ろしても、視点をどこにおいても、
揺るがなく動かず同じところに同じくある地形。街並み。都市。
どこからも現実味のある風景であるからこそ、立体にできていることに、
そこを操作して、重力の不自在さが動き回ることにあるからこそ、
重力に気づくことができる。
オープンワールド」とかいわれても
「ゲーム性」とか「世界観」と同じくなんだかわかりませんが
百家言より一景色。
現代都市シアトルを現実的につくることのほうがわからせてくれます。




建物はビルからビルへ跳びまわり、地上を高速駆け回る用の大きさで出来ており
車に乗って走り回ると窮屈すぎるだろう広さ。
複数の能力で様々な視点から眺められるようにした工夫はありますが
いささかもの足りない。
能力それぞれの差別化も充分とは言い難い。
お話の進行で上位の力が解放されていきますが、いかにも中途半端。
このあたり海外ゲーム共通に、主軸から外れた全体構成への気の使えなさがあります。
多数同士の対人対戦は作れても、
様々な能力で構成された一対一の対人対戦は作れないその感じ。


敵は市民が周囲にいようがお構いなしにがんがん銃撃してくる戦意の高さですが、
機関銃は一部しか配置されていないし広範囲攻撃手段も持たないし
チームとしての連携もなく、対超能力者組織としてまことお粗末。
上の都市設計と同じく、序盤の無双感は良くとも次第に新しみなくなってきますが
日本製アクションゲームのように、
操作で可能なあらゆる手段を駆使させようとする場を用意しなければならない、
という決まりの必要なのかといえば、疑問ではある。
一人用アクションなのだから、あるべきではあるが必須ではないべきなのか。
在る時点で埋めつくせていない部分ができてしまうことを許せるかどうか。


敵との戦いは極力止めをささない善属性と
一般市民が巻き込まれようが躊躇しない悪属性でお話展開分かれています。
敵組織を打倒すると称号は「Justice」。
良いねアメリカはこうでなくっちゃね。
Light-DarkよりLow-Chaosの方がしっくりくる日本製設定に毒された身にも
光と影の濃淡強い一神教調、見てる分にはおもむきぶかい。
対して、敵のみなさまは前述通りあまり賢くないですが
巻き込まれる一般市民のかたがも、なにもせず逃げ惑うだけなのはやや興ざめ。
市中でガンガン銃を乱射する組織がのさばっているのに気力なさすぎ。
クレイジータクシー』のように頑張ってほしいものである。
でもこれは日本のみた向こうでしかないのだろうか。


主となるお話は、流石に容姿完備の十代後半男女しか主人公になれない日本と違って
至極まとも。
相棒との連帯感や適役の狭い憎らしさなどの娯楽活劇定型を描かせれば
見事な安定感。
最初に書いたように、構成する個々の素材の質高さ、
お子様向けでない開かれた視座彼の景色は素直に羨ましい。
けれどゲームとしての、主筋からそれた舞台の広がりとなると途端に色褪せる。
これだけの都市に様々な人々が動き回っているのに、もったいない。
でもこれもやっぱり、あれもこれもと余計をもとめて本筋おろそかにしがちな、
日本製の悪いらしさであるかもしれません。




超能力で重力から解き放たれ、地形施設を無視して自在に跳びまわるゲームとしては、
大変素晴らしい一級品。
グラビティデイズ』のような革新性はないけれど、
幅広く超能力の表現を取って、
単に身体能力拡張にとどまらない全能性が表現できています。
スモークのエアダクトを探す感じと、
ネオンの飛び降りるときの不自由感、
高さ方向横奥行移動の程よい不自在さが良い感じ。
ただ、重力の表現はかなりおおざっぱ。
落ちていってしまう感じがあってよかったし、
舞台端の表現などももっと工夫できたはずだし、
敵拠点の攻略だってもっと幅を持たせられたはず。
敵との戦闘は、突っ込んで一人相手に適当連打、
倒したら離れて回復してまた別のに突っ込む、という安易さでなく、
ちゃんと能力の違いと地形を活かして立ち回れるようにはなっていますが、
操作の共通化で煩雑さを減らす意図はあるにせよ、
ここでは能力属性の切り替えの違いが充分でない。


全体に、高い技術と素材品質によって作られ、
現代都市という舞台風景が魅力のアクションゲームではありますが、
それを活かしきるには、もうひとつ核となる売りに欠ける感じ。
能力の成長とか、多彩のアクションとかではなく、
ひとつごとの敵との戦いの工夫必要さに、
もう少しアクションゲームとして掘り込みがあれば良くなっただろうもったいなさ。


ライオットアクト』より圧倒的に高品質だし
グラビティデイズ』より細部造形の確かさによる面白さの総量は上。
日本人なのでアメリカ地元風味がわかれない残念を除いても、
入口とても良くできているけれど、遊び終えてみるとやや物足りない。
主観視点で銃撃で、広い街を車で走り回る、といった型に嵌った停止状態より
見どころ合ってよい作品でしたが、あと一歩欲しい贅沢感。




『信長の野望 創造』


1983年に第一作が発売されたシリーズ14作目。
30周年記念作品。つまり2年に1回。驚きの事実。


前作『天道』の感想で書いたように
信長の野望』シリーズは一人用ゲーム。
対人対戦の駆け引きを楽しみたいひと向けはでなく
戦国大名に成りきって天下統一したり、
思わぬ侵攻受けたら即ロードしてなかったことにして楽しむもの。
自分の中で自在に最強戦国国家をつくってみる。
そういう遊び方をするように作られています。


さて、今作もっとも大きな特徴は
歴史イベントを充実させて、
目標を天下統一以外にも用意したところ。


国取りゲームというだけでなく、日本の戦国時代が素材であることも大切。
有名武将がたくさん部下になって強くなるのが楽しいのだけれど
名前や顔や能力値だけでなく、
それぞれにさまざまな背景があることを知っているからこそ、
自分の中で有名であることの、価値が増すのです。
有能戦国大名気分を味わえるのです。


同様に、ただ一直線に最強国家となって全てを踏み潰すとは別に
史実を参照して、出来事を自分で選び起こせて操ること、
歴史イベントを見ることは、
戦国時代という素材だからこその、国取りゲームだけではない楽しさがある。


イベントはおおむね実際の歴史通り勢力拡大していくと発生するので
強くなるための効率よりも、損でもあえて曲げて沿って進める必要がある。
過去シリーズ作全てで、他勢力に攻め勝つだけが達成条件であったのに対し、
今回は歴史イベントをみて一覧表チェックマークを埋めるという
一回の全国制覇では完結しない目標が用意されている。
クリアしてエンディングを見ることだけが目的ではない。
歴史シミュレーションゲーム」なのだから今更、当たり前のことなのですが、
遊ぶ方が想像して済ますのでなくゲームの方で用意して
遊ぶひと誰にも共通に達成条件として示されていることが、
ごくごく単純で手間もかからない小さなことだけれど、大きな違いです。
自己満足の世界も繊細複雑なのです。




2年に一度の割合で出ているシリーズですが、
ゲーム中身もいつもの常と変わらず、いろいろさまざま変わっています。
400年くらい前、実際あったことをゲームにして遊べるものとするに
さまざまな事柄のどの部分を操作できる、知ることができるようにするか。
初期の陣取りゲームから
あちらを複雑にしては戻し、こちらを追加してまた手を加えと、
作品ごとその時々で出来ることをいろいろ盛り込み整理改善して
どこまでも尽きることない。
その出来上がりを眺めているだけで面白く
仮想実験、ゲームとしてシミュレーションして
ゲームとしても面白く遊べるよう出来ているこのシリーズは偉大です。



今回の変更点は、兵士が拠点に所属するようになったこと。
従来、収穫した兵糧や税金として集めたお金やそれで買った軍馬や鉄砲は
国から国へ、城から城へ、拠点から拠点へと輸送するものでした。
そして兵士も同じ扱いだった。


自軍の後方、敵と隣接していない場所で集めた兵士は、
敵と戦う最前線にそっくり送る。
複数の敵と接している場合は、
ある国へ攻め込んでいる間に別の国に攻め込まれないよう、
守備の兵を残しておく必要がある。
どこにどれだけの兵を置いて、どこを攻めるか。


別におかしなところはないようですが、
ゲーム後半、弱小勢力淘汰され各陣営巨大化してくると
後方が完全に生産専門国になります。空気です。畑です。
お金やお米や兵士が生産されたら前線に送るだけ。
そして集結した最前線で決戦。その唯一度で勝負が決まります。
一度負けたら後ろにいくら国があろうと、中身からっぽなのだから。


一度の戦いで決まること、それはそれで戦国風だし悪くないのだけれど、
問題はこれが一人用ゲームだということです。
敵勢力は全て自動計算機担当なのです。
計算機は一度の決戦に全てを注ぎこんだりしないのです。
だって一度で終わるかどうかなんて判断できないし。
頭は良いけれど思いつけないことはできない。そして思いつけない。
人間も頭が良くないことを除けばたいしてかわりありませんが、
幾度も繰り返せば失敗から学ぶこともあるので、
効率良くやれば必ず勝てることにいつか気付くこともあるはず、と違いがある。


そしてまた、きちんと運ぶことで必ず勝てるゲームである、こと自体は悪くない。
運で決まるより納得しやすい。
けれどそのあとがめんどい。
勝負は決まっているのにまだ敵勢力はたくさん残っていて
工夫せずとも勝つことみえている作業を延々繰り返さないとゴールに着けない。
極端に言えば、このゲームは最初の一度をきちんと勝てば、
残りは同じことの繰り返しなのです。
序盤が一番楽しい。後半はどこの国で始めようとすること同じでつまらない。
従来の「兵士を輸送できる」仕組みには、こういう欠陥があるわけです。


とうぜん改善しようと過去作品もいろいろ工夫しています。
計算機の対応をもっと融通効くようにしてみる。
戦いが兵士の数だけで決まらないようにしてみる。
全ての国を取らなくてもクリアしたことになるようにしてみる。
対戦相手を計算機でなくしてみる、というのが
もっとも真因からの改善なのですが、
そうすると一人用戦国RPG信長の野望』ではないのです。
『国盗り頭脳バトル 信長の野望』の方が遥か雲の上に楽しめます。
将棋でいいじゃん。



そういうわけで今回は、後半だれるのを、
「兵士を輸送できる」ことを変えることでなんとかできないか、という例。
輸送できなくする。そうするとどうなるか。


兵士は各拠点、城が治める城下町ごとに所属する。
兵士の頭数を増やすには、お金払って募集するのではなく
内政、例えば街拡張とか周囲田畑開墾とか商業市投資とか、をすることで
城下町を開発拡大、人口増やすことで、集められる数が増えていく。


戦の際は各拠点ごと、その成長させた上限、最大人数までだけ出陣できる。
戦闘すれば傷ついて兵士の数は減るが、拠点ごとの最大人数は減らない。
最大数は人口増加で徐々にしか増えないが、
傷ついた兵士の最大値までの回復は、それよりはずっと早く上昇。
もちろん無事帰ってきた兵士はその人数分ちゃんと加えられて回復する。


実際の戦国時代でも後半になると、
はるばる遠いところまで出かけていく兵士もたくさんいました。
しかし前半では、兵士の多くは専業でなかった。戦のときだけ雇われた。
農繁期は出陣てきなかったし、
冬になって雪が降り帰れなくなるまでに、戦を終わらせなければならなかった。
兵士たちを返さないと、そこからの税金で動いている戦国大名も困るのだから。
専業兵士をたくさん用意すればいつでも都合良い時に戦争できるけれど、
彼らをずっと雇い続けるには、臨時雇いよりお金がかかる。
兵士は兼業なのです。副業なのです。負けそうなら即逃げるのです。
仕事で出かけた先に住み着いたりしないし、何年も戦い続けたりしないのです。


ゲーム的に、兵士を拠点所属、輸送できなくしてどう変わったかというと、
序盤からこれまでのゲーム中盤のように
守備に攻撃に複数の拠点をやりくりすることができる。
主力が進軍する一方、敵後方拠点を別働隊が狙うフリだけすることで
相手戦力分断したりできる。戦向きでない武将もこういう囮なら働けたりする。
また、攻められたとき、後方拠点から援軍にいくのに
それぞれを率いる武将が無能だと困るので
各拠点に軍事向き武将を配しておくのも大切になる。
兵士が拠点から拠点へ移動していくのに時間が経過するから
拠点ごとの位置、互いの距離にも意味が出てくる。
次はどの拠点を攻めるのか、先々見通して計画だてておくと上手くまわる。
別勢力からの援軍もこれまでのように単純でなく、辺り這い回ります。
そういった、兵士を敵より多く集め優秀な武将に率いさせ突撃、だけではない、
いろいろができるようになる。


全軍を一か所に集めての戦力集中運用各個撃破。セオリーです。
少数を大勢で囲んでボコにするほうが安定に決まっているのです。
ファイアーエムブレム』のあほ軍師とは違うのです。
けれど、全軍を集結できないからこそ、工夫の余地ができる。
兵士や武将をやりくりすることに、上手下手の差が出てきて、
成功したときに自分が偉い気分になれるのです。
いろいろできるからこそ、そうすることでより上手くいって評価されることが、
ゲームが作業でなくなることなのです。



兵士を拠点所属にして、序盤から軍事面でいろいろできるようになりました。
一方で、各城下町単位で兵士最大数を育てる必要がある分、
内政で命令しなければならない項目が増えるので、
その点かなり単純化されています。
かなり適当でも差がつかない。
どの拠点からどこをいつ攻めるのか、だけに集中できる。
工夫の余地が少なく、国力の育て甲斐はあまりありませんが、
弱小勢力を担当する場合はやっぱりわずかな差も大切。
運に頼る部分を極力排すのに、厳密に数字1の違いを詰める意味はあります。



序盤からいろいろできる、というのは、
従来の中盤をやや先取りしている、という面もある。
各拠点の意味を重くしたぶん、最初からどの勢力も複数の拠点を持ち、
日本地図が広くなって、敵対する拠点も多様になっている。
次第に所属拠点数が増える中盤以降の管理が大変になってきます。
また、序盤としていることが同じにならないよう変化を持たせる必要がある。
自勢力が拡大した価値を感じさせなければならない。
そういう観点から「兵士の拠点所属」に次いで
「軍団への強制委任」も重要な変更点といえます。


従来も「委任」の仕組みはありました。
中盤を過ぎ、他を圧する全国最大勢力となって後は作業と決したら、
大名は最後方に引きこもり、
他全拠点を「委任」にして残敵勢力征服をお任せするのがいつもの定型。
完全に惰性作業。


今回はその「委任」を、
序盤過ぎから強制で使用しなければならないように変更されています。
直接指示が出せる範囲が六十余州中の5〜6ヶ国あたりまでに限定されていて
それより遠くにある拠点には指示だせない。


なぜ強制にしたのか。
今までのように全ての指示ができ、
お任せすることもできるようにもしなかったのか。


既に上に書いたように、
今回は序盤からこれまでの中盤以降の複数の国を持っている状態以上に、
いろいろな進軍方法で敵と対することができる。
最前線の最強部隊がひとつずつ敵拠点を確実に潰していく繰り返しではなく
複数の拠点からの部隊が、敵の複数拠点のあちこちに張り付いたり離れたり、
複数勢力で戦ったり共闘したりできる。
その分、内政はごく簡略になっているけれど
最初からこれまでの最大に忙しかった状態が続くのは大変である。
複数拠点の兵力を充分に活用しないと確実に勝てないのは、
何も運でなく理屈も通っているけれど、
これまでの戦力集中運用でぷちぷち潰していくのとはまた違う、作業感がある。


なぜ委任の仕組みができたのか。
ゲームなのに操作しないで見ているだけの仕組みを、
なぜ遊ぶ方も作る側も必要と認めているのか。
些事は自動処理に任せ、美味しいところだけ楽しむことは、
多少の効率落ちることより優先されることもあるからである。
単純にいって時間がかかり過ぎるからでもある。


信長の野望』が一人用で、敵勢力全てが計算機担当だからでもある。
部下も計算機であっても、主力部隊は指揮でき総合指示ができるならば、
それでもゲームになるのではないだろうか。
全部指示しなければならないより、その方が楽だし楽しいのではないだろうか。


FC版『ドラクエ4』に「めいれいさせろ」はありませんでした。
戦闘に出るのは『ドラクエ3』と同じ4人なのだから、
全員に指示することができなかったはずがない。
信長の野望』の今回の場合がそれとまったく一緒であるとは言えませんが
ゲームの規模が拡大して、細かい指示を膨大に入力していかなければ進行しなくなった場合、
大枠だけ指示して、実況に合わせて適宜修正する、という形式でも
ゲームになることは多くのゲームが示しています。
いや、操作するということ、ゲームというもののほとんどがそういうものである。


今回の「軍団への強制委任」はこれまでと違い、
どこに攻め込め、という指示はいつでも出せる。
直轄軍や他の軍団が出撃したらそれを補佐して動け、というように指示してもおける。
まだまだ改善の余地はあって、
戦国後半戦、豊臣秀吉九州征伐したりするような場面で
大勢力を働かせるのにこの仕組みがうまくまわっているだろうか、
というとまだまだであるのですが
これまでの終盤での「全権委任あとはお任せ」とは違う、委任の活用意義は、
感じさせるものになっています。




今回変わったところも、まるきり新しいことでなく、
過去にも要素としてあったことです。
歴史イベントの「桶狭間」や「本能寺」はごく最初からあったし
人口の要素も『三国志3』などで既にありました。
できあがったものをみてみれば、なぜいままでそうしなかったのか、
不思議な事柄ではあるのですが
何事も新しいことはそういうものでもあるのでしょう。。
いかさま人は、物事を見たいようにしか見ない。見ることができない。


新要素により大きく変わったことがらは、
30周年記念とかにはめずらしく相応しいと大きく評価できますが、
大きく変わったからか、荒削りなところも多数みられます。


戦闘では会戦という形が提案されていますが、いかにも中途半端。
地図の広がりと武将数の釣り合いが不適当で武将それぞれの活躍が寂しい。
顔グラフィックを参照する機会が少ないなど演出も不足だし、
城主や奉行の任命といった情報参照指示にも整理が足りない。
内政の発展速度や朝廷を含めた敵勢力の外交は根本的に変化が必要だし
文化の価値もパッケージ絵で期待できるものが中にない。


歴史イベントで各武将のキャラクタに色づけしたのは
反発もあるかもしれませんが
信長の野望』らしさがあって今後楽しみなところ。
ただ成功条件や発生条件などの提示や誘導は不足している。
関ヶ原の戦いを大会戦という形で盛り込んだのも
今後さまざまな戦いへの発展可能性を感じさせますが
大勢力の運営という意味では、軍団制も含めてなお工夫が必要。


完成度、という曖昧なことばは排し、
遊んでいてゲームの仕組みからくる納得できなさ感じさせる面では
前作『天道』のほうが良く出来ていた。
今回の新しい取組みは充分に成功しているので
これを磨き、さらにより良いものが期待できるのは嬉しいところ。
それでもまだまだ戦国時代SLG戦国大名RPGとして良くしていくべき、
できるだろう要素は尽きぬほどあります。
次の30年も期待します。

2014年大反省会

本年は4回しかゲームについて書かないという
過去最高の実績を残してしまったので
まずは率直にそのことについて反省するであります。
実に7月以来、半年も書いておらず書きかたをすっかりさっぱりわすれたので
もはや取り繕わずに思いつくままキーボードをカタカタ。
うん前と何も変わってないな。



まず最初の蹉跌。
5月くらいに『ランス9』の感想を書こうと思ったのである。
『5D』『6』『7』こと戦国ランス、『8』ことクエスト+マグナム、
いずれも趣き違う素晴らしい作品群なので大いに期待していたのですが
しかし面白くなかった。
困った。何書いたら良いかわからない。
一通り最後まで遊んだのだから、どうしようもなく駄目だったわけでなく
世評もそんなに悪くないので、製品自体はそういう出来なのだろうけれど
とても好みに合わなかった。様々な点で気に入らなかった。
どうしてこうなった。


そういう意味で言えばここ数年来、
どんな作品にもある気に入らない点を、好み合う長所が十二分に補い得るものが
実は片手で数えるほどもなかったりする。
例えば7月、つまり前回なのですが、感想書いた『グラビティデイズ』は
なるほどみために違わぬ操作が適う新機軸だし
イデアだけでなくアクションゲームとしてきちんと楽しめるつくりで
美点は燦然輝いているのですが
3DSの『パルテナの鏡』と同じく、携帯ゲーム機で遊ばさせられるのが意味不明。
そのゲーム機を売りたい事情とかより、内容が主で場が従であって欲しい。
とても素材がもったいないと思うのです。
背景説明もアクションゲームとしては過剰。
こちらは遊ぶ側の多くが求めているのかもしれず必要かもわからないけれど。


しかしながらこのようにです。
個々の作品について出来栄え良し悪しでなく
主観にもとづく好き嫌い(※個人の感想です)があって、
それを文章でひとになっとくしてもらうよう説明するのが
自分にとっても読んでもらおうとする相手にとっても無駄に感じるのです。
ながなが説明言い表そうとはしても、結局は理屈ではない好みなのだし。
日本刀で斬るのは良くて銃で撃つのが駄目で、
オープンワールドを見て回るのが駄目で
一時間以内にエンディング見てさっぱり終われるゲームの「ほうが良い」、
というのは「ビアンカかフローラか」と同じく、好みでしかない。
DS版『DQ5』は遊んでいないので。


オープンワールドはめんどい。
ゼルダ」の新作についてもすごくめんどうそうとしか思わない。
でも広大な世界を歩き回る、車で走り回る、飛行機で飛び回るだけで楽しい、
というのもゲームだからこその楽しみであるのはわかる。
けれどめんどいのだ。
ゲームにせよ嗜好趣味娯楽は何であるにせよ、
興味関心がなければ「その作業のどこが楽しいのか」わからない。
ゲーム範囲内にあってもお互いにそう感じ合うことあって当然である。


グラビティデイズ』は携帯機だからこそという好みもあるだろうし
『ランス9』だってこれまでより好きだというひとも当然ある。
でもそこを自分はこうだといっても興味ないひとには意味がない。
でもあるひとにはあるのだから共感求めて
自分を慰めれば良いのではといえば、まあそうなのですけれども。




一方で暑さも過ぎて、9月ごろに遊んで感想書こうとした
『魔女と百鬼兵』のつまらなさは好みではなかった。
未だに何が自分に合っているのかは
遊んでみるまでわかることできないので
やっぱり世間の評判に依って何が面白そうかを探すのですが
やっぱりみなさまのおっしゃることには
同意できることもあれば、
そうでないものもたくさんあるのでございます。


この『魔女と百鬼兵』、一見『聖剣伝説』のような
見下ろし視点の武器振り回す系アクションゲーム。
しかしながら実はアクション要素なく、敵の攻撃はわかっていても避けられない。
装備の工夫とアイテム収集にマップ埋めが主な楽しみの、
あえていうならアクションゲーム風のストーリー付き育てゲームなのだった。
一般にはRPGというのかもしれませんが。
みかけと違って操作次第の難しさがまったくないのはまあよいでしょう。
でもこれって何が楽しいのだろう。


上で書いているような好みの問題ではないのです。
中身に欠陥がある。
例えば操作対象。
魔女でなく等身低いキャラクタを操るのはなぜなのか。
イラストのような等身高く手足長い魔女が
無双シリーズより遠い俯瞰から魔法弾撃ち合ったり肉体言語謂わせたり、のほうが
ゲームの中身は同じでも魅力的であるはず。
遊ぶ方はどちらを好むか選ぶかなら
どちらかといえばでもはっきりわかれる。


なぜそういうようにしなかったのか。
そういうのが期待されることもわからないとも思えない。
作っている方々にそういうアクションゲームを作った経験がなく
つまり能力が低いからなのでは、などと邪推してしまう。
見栄えしないがアクション描写は誤魔化せるちょこまかした主人公が
似たような画面下でちまちま繰り返していくことの、どこが面白いのだろう。
例えばSFC時代の『聖剣伝説2』に対し
この作品がどこか優っているところ僅かでもあるのだろうか。


「ゲームの中身」だけで勝負しろ、などと曖昧なことはいわないです。
イラスト、音楽、お話、演出含めたみため関係の包装だって
ゲームの主たる部分であり、
みな含めてひとつの娯楽作品。
だけど本当にこれで良かったのか、これが最善だったのか、
こうしたかったのでそうしたのか、力足らずでこうなってしまったのか。



こんな感じに書いていても楽しくないようなことしか書けなかったので
遊び終えてもほったらかしになったのですが
他にもぐったり要因なのは
この作品がそれなりに評判悪くないこと。
周囲も駄目だったから相対的に良かったのかしら。
けれどこの作品が十年後に存在をおぼえていられるものだろうか。



話が変わります。
例えばです。今年1月に感想書いた『ソリティ馬』。
イデアは面白い。
けれど所詮数百円程度、数時間遊べば満足ぐらいなつくり。
これが大々的に褒められるのはすこし違うのでなかろうか。
スマートフォン版は触っていないのでどうだか存じませんけれども。


Windows付属の「ソリティア」や「マインスイーパー」、
あるいは「ナンバークロスワード」などのみが遊ぶゲーム、というひともいる。
そういうひとにとってあるいは『ソリティ馬』が優れているというのはわかる。
けれど多くのゲーム好きにとって
ソリティア」から『ソリティ馬』は
ブロック崩し」が『アルカノイド』になったのと同じことなのではないか。
例が古いなあ、いつものことだけど。


ソリティア」と『ソリティ馬』をみて
どちらも優れたゲームである、ということには誰もが同意するはず。
囲碁、将棋、チェス、麻雀、ポーカーなどの
「ゲーム性」に文句をつけられるものなどいないように
ソリティア」も「マインスイーパー」も大変良くできたゲームである。
だけど『アルカノイド』だけを遊んで満足、というのはふつうあまり無い。
テトリス』も『ぷよぷよ』も『ミスタードリラー』だって遊びたい。
なぜなら
ソリティア」と『ソリティ馬』の違いとは違う方向にも
良くできて異なる楽しさを味わえるゲームがあることを知っていて
それを楽しく遊ぶことに関心興味があり、面白がることができるから。



オープンワールドの労力に見合う価値に納得は感じないからといって
なんでも狭く浅くて良いとも思わない。
対人対戦は長くて一勝負10分で終わっても
何十度も何百何千時間でも遊び続けられるような、狭くとも深さが必要である。
一人用でも、オンライン追加要素などなくとも
箱庭シミュレーションゲームで長々長く遊べる仕組みのものはいくらでもある。
それがあるのが「ゲーム性」高い、優れた良いゲームなのだ。


ゲームの出来良し悪しとは、好き嫌いでなく、
親しいひとと楽しく遊べた思い入れも排除して、
その場から引いた視点で他のあらゆる比較対象と違いをみて、
どういうように出来上がって動かすことでき見聞きし験すことできるかどうか。
ゲームには好き嫌いを越えて良し悪しがある。
複雑重厚長大が良いではなく単純簡潔明瞭が良いでもない。
それぞれで周囲他のこれまで近似同種と比較してより優れているかどうか。
そして、皆が皆違うように優れていても、もちろん良いのだ。



ところでいま、
ゲームとは自転車をこぎながら片手で遊ぶものなのである。
そんな程度のが含まれるのである。
それに比較され売上負けたりするのである。
誰もがゲームに関心あるのではないから当然なのだ。


ソリティ馬』『アルカノイド』だけひたすら遊ぶことが間違いなのではない。
『魔女と百鬼兵』だけしかないなら楽しく遊べるかもしれない。
だけどそうではない。
ゲーム好きには家電量販店にもスマートフォンにもニコニコ動画にもSteamにも
あの続編で面白そうな、
あるいは聴くところには定評ある、
もしくは得体しれないすごく面白いかもしれないゲームがいくらでもあるのだ。


残念なゲームをつかまされてしまったとき、
ゲーム全体が成り立っていくことまでには関係ないけれど
遊ぶこちら側としては
知っているだけのゲームを集めて
その範囲内では良いものへは良いとお金を出さなければいけないのではないかと
変な心配させられてしまう。
そうしてまたここにあるこれは
過去既に出来上がっている名作と比べ
優劣でなく差別が、違うものになっているといえるのだろうか。
お金出して支持するに値するものだろうか。
唯物史観進歩史観ではないのだし
常に新しきを更にしてこちらを面白がらさしめる義務などないけれど
一方で、遊ぶ方の忘れっぽさと見る目なさと踊らされぶり自覚なさにも
責任の一端はある気がしてしまうのだ。


そうして遊ぶほうどうしが互いの無知蒙昧を罵りあうのと同じくして
作る方の愚かしさをばかにするのもまた、ゲームを好むものの義務である。
それを積み重ねてしまった過去の劣った自分を知るからこそ
期待していなかった作品に良く裏切られての
熱い手のひら返しクルーするのが嬉しいのだ。


作る方をみていると
購入者を馬鹿にする態度をとったり
外注開発会社を馬鹿にして続編が出せなくなったり
目先の利益だけを追い求めて会社自体がなくなったりを
わかっていてもしてしまっている。
関わる規模が大きくなっても大人が絡んでも残念なものが出来てしまう。
求められているものを受けたつもりでまったく見誤ることが起こってしまう。


こういうことは作品を愛する立場においては無念だが
そのゲームだけがすべてでなく、面白ければそれで良いのであることに気づけば
作っている会社がなくなろうが働くひとが苦しもうと関係ない。
誰がどんな思惑と態度で作ろうと、結果良ければ他は無意味。
結果だけからいくらでも面白さは作れるものである。
結果が駄目なら何がどうだろうがそこですべてが終わりである。


だからといって
千差万別百人百通りのこちら購入者意見を拝聴して頂いても役立つわけがないし
信じる道を進んで成功したり失敗したりして
面白がらせてくれればよいのだけれど、見ているだけだからやきもきする。
思い通りにいくのもつまらないのでそれはそれで良いのではないか。でもないか。
こちらとしても良いものは良いと頑張って支持することにして
それですこしでも良い方へ向かっていって欲しいのは間違いないのだけれども。






そういうわけで、世を憂いつつを今書きながら思いついた理由に
更新さぼって
結局その間、何を遊んでいたのか挙げてみると
『A列車3D』『信長の野望 創造』『艦これ』『戦国大戦』。
ちょっとこれは何か偉そうなこと言える並びではありませんぞ、
過去の自分が見たら停滞引きこもりぶりに目剥いて怒りそうだ。



A列車で行こう3D』
A列車で行こう3D [特典なし] - 3DS
今年2月に3DSで発売。5年前にDSで発売された前作のまっとう進化。
前作からあまり変わっていないし、
発展してからの処理速度重さは気になるものの、充分に良作。
攻略シナリオ増えただけで文句なし。猛烈に時間が潰せます。
昔日のアートディンク迷走はどこへいったのやらな
細かいところをこうあるべきに丁寧きちんと積み上げたつくり。
導入も3シナリオに段階分かれ用意され
このシリーズや『シムシティ』など
都市経営育成シミュレーションを遊んだことのないひとへの
最初のひとつとしてもお勧めです。
たぶん誰も手放さず中古価格はいつまでも下がらないので新品をさっさと買おう。
あとは大画面で遊ばせてくれれば文句なし。
車窓モード削って良いので処理速度優先で移植を希望いたします。


ところでなぜ感想を書かなかったかというと
時期を失したとか忙しくて面倒だからとかあまり変わっていないからとか。
たいした理由がなくて困るけれど、本当だからなお困る。



信長の野望 創造』
信長の野望・創造 with パワーアップキット - PS4
2013年12月発売。
1年後のこの12月に恒例コーエー商法ことパワーアップキットが出たばかりで
単なる武将データ追加とかでなくいろいろ変わっており褒め時見失い中。
こちらも過去を踏まえてきちんと進歩しておりたいへん素晴らしい。
みためが良くなって、けれどそれが外見きれいになっただけでなく
きれいになったことがシミュレーションゲームとしてきちんと活かされ
中身が伴っているという、単純なことができているのが偉い。
きれいで広大な舞台を用意しさえすれば
あとは従来通りで良いという多くのゲームの範たる存在。


無双シリーズばかりだしているけど、経営として優秀と言わざるを得ない。
この調子で他シリーズも頑張ってくれれば、とまで求めるは贅沢か。
素材使いまわしで良いので『太閤立志伝』を出すとかどうですか。
PS3版でなくPS4本体を買って一から遊ぶか迷わせるくらいの出来栄えです。
パワーアップキット版はまだまだ触れていないので
あと半年くらい遊んでトロフィー全部集めてから感想を書きたいかも。



艦隊これくしょん
一年前に感想を書いたもののその後もずるずる遊んでいたりする。

進行度合いはこれくらい。LV80以上は36人。
なぜ延々続けてしまうのか、その魅力はどこにあるのかと自問すると
スマートフォンでわずかな暇をつぶすゲームと同様のことが言える。
新しい艦の建造、資源を増やしたり、経験値稼ぎに演習したりするのに
ゲーム外の実際時間が関わっていて
そこが「作業」な感じを上手いこと変換している。
効率良い戦力向上が、ゲームに向き合う時間の総量と比例しないところが面白い。


またメーカー運営側も充分認識していることなのですが
ファン向けの情報サイトや攻略Wikiを見ていることが
ゲーム画面を見ているより楽しい。
ゲーム自体はこれらを共有、共に遊ぶための作業なのである。
遊ぶ側に嫌われないよう広報活動には
どのメーカーもより関心持つべきなのはまちがいないのではなかろうかなのです。
この作品が成功したというより他が自爆しているだけにも見えますが。



戦国大戦
これも既に何度も感想を書いているので省略されました。残念。
三国志大戦』が稼働開始から10年10ヵ月、ついに来月でサービス停止とあいなり
身近からすべて撤去されてしまったので仕方なく移住。
こちらは稼働開始から今月で4年。
気に入らないところも多いのだけれど
バージョンアップによる追加要素には感心させられるところも多々あります。
特に今年の9月から追加されて拠点システムは
なるほどなぜ最初からこうしなかったかというほど良い感じ。
素直に褒めたい。『悠久の車輪』とか霞みます。


『艦これ』と同じくこまめにオンラインアップデートで機能や手段が拡充されて
一定の盛況を継続できています。
またカードをお金払わせて引かせるゲームであるのに
公式サイト(http://www.sengoku-taisen.com/)に
最新まで全カードのイラストがPDFデータ付で表示されていたり
トッププレイヤーの対戦が一日二戦、YouTubeに公式から登録されているなどの
当たり前な広報活動がきちんとなされているのも結構なこと。
私自身も『艦これ』と同じく
こうした動画をみたり攻略Wikiをいじっている時間の方が
ゲームセンターで遊んでいる時間より長かったりします。
そういうことも含めて、そのゲームで遊ぶ時間であるということは
より多くの「ゲーム運営」にわかってほしいところ。
また、来年3月決勝大会が予定される全国大会では優勝賞金が200万円とか。
身近なゲームもついにこうなったか。自己満足の広報に使うより余程良いこと。
10年前から遊んでいる身にはいろいろ感慨深い。


ゲーム全体としては10年前からあまり変わっていないので書くことないのですが
10年遊ばれていても、遊ばないひとにはいつまでも知られることがないというのは
そういうものなのだろうけれども寂しいお話。
対人対戦ゲームですので新規参入の方々は大歓迎。
いつでもお待ちしております。
ゲーム内の蓄積が勝敗を決めるわけではないので
いまからでも賞金200万円は夢ではありません。
2時間で1200円くらい掛かりますけれど
3分100円と言われる昔のゲーセン価格よりは安いと思うですよ。
比べる対象が違うか。いや違わないのか。
冷静にみるとすごく高いような気が、いやいやいやそんなことないはず。


ところでこの3分100円って根拠あるのだろうか。
『インベーダー』が平均3分位だったのだろうか。
(ここで『それは「ポン」から始まった』を読みだす
 2時間後にひとことでは結論でないことに気づいて諦める)




さて今回は長々反省から入ったわけですが、いや愚痴か、まあいいか、
今年のゲームに関する話題といいますと
PS4の国内発売と3DSの新型発売です。
……わかってますともXbox Oneね。まあそれは…そう、まあ…そうねぇ。
2代に渡り大敗したのにまた辺境言語化してくれるとは頭が上がりません。
どのみちスマートフォン向けはまったく見下して遊ぼうとせず
新型ゲーム機にも発売日に飛びつくこと皆無のこのサイトにはあまり関係ない。
何が遊べるかが大切なのだ。
ゲームは遊んでみないと面白さがわからないので困るのだけれど。


ゲームソフトの売上げのほうは如何か。
ゲームコンパス ゲームソフト年間売上 http://gcompass.sp.land.to/rank/
ゲームデータ博物館 年間TOP20 (1996〜)http://gamedatamuseum.web.fc2.com/history.htm


ううむ、2014年のランキングを見て
すがすがしいほど自分が買いそうなもの皆無。
これを見て思い出しましたが
初音ミク -Project DIVA- F 2nd』も買って遊んでいました。
ゲームとして出来上がっているので上の4つ以上に書くことない。
前に書いたと同じく、
このゲームの仕組みだけをクラシックからなんでもかんでも
いろいろな楽曲につけて売って欲しい。
むしろCDが売れないとかいうならなぜそういう工夫をしないのか不思議です。


話がそれましたが
ランキングに載っているので買ったのはこのひとつだけだったので仕方がない。
世間からの置いてけぼりぶりがいつものことですが凄い。
買っていないでなく、興味のあるものが殆どないというのがすごい。
上に長々書いてあることまったく説得力ありません。
おかしい結構ゲームを遊んでいる方なはずなのに。更新はしていないけど。


一応興味のあるところでは
『Dragon Age: Inquisition』『inFAMOUS Second Son』『Watch Dogs』あたり。
みなPS4だ。 全部横文字だ。
とりあえず『信長の野望 創造』の続きでもしよう。
いや思い切ってPS4版に乗り換えてしまうべきなのかどうなのか。




そんな感じで2014年も終わりです。
片手で収まる回数しか書かなくてもともとない面目がまったくないですが
来年以降も、ついていける範囲でよのなか追いていきたい。
ここに何か書こうにも書くことがないので間が空いてしまっていますが
ひとつひとつが小規模では許されず
アップデートを繰り返して、追加要素にお金を出し続けてもらって
成り立っていくのがこのごろゲームの主流であるからには、なかなか難しい。
攻略Wikiを更新する暇あるならここに書くべきなのか。そんなことないか。
移り変わりの一端ごくごく一面を、定点から眺めるにわずか意義を感じるべきか。


2015年の目標は6回はゲームについて書く、ということで。
今年より1回増し。それに値するゲームに出会えることを願いまして。


以上終了。
ご覧の皆様には良いお年をお迎えくださいませ。
世の中が今年よりすこしでも良くなりますよう
できる範囲で努めてまいりましょう。





 
 

グラビティデイズ

GRAVITY DAZE 重力的眩暈:上層への帰還において、彼女の内宇宙に生じた摂動 - PSVita

正式名称は
GRAVITY DAZE 重力的眩暈:上層への帰還において、彼女の内宇宙に生じた摂動』。
「眩暈」と書いて「めまい」と読むのって面白いなあ。
「眩」は「くらむ、くるめく」、くらっとする感じで
「暈」は「halo」。FPSで光背。ぼやっとした感じも言うらしい。


横文字「GRAVITY DAZE」のグラビティは
FFシリーズはグラビデ系のおかげでか重力な感じなそれとわかるのですが
「DAZE」が問題。ぐらびてぃダゼ。グラビティなんとか。


今調べたら「DAZE」は眩暈のことらしい。
うん、さよか。
なるほど。せやね最初から横に書いてあったのね。
ちなみに摂動は律動に衝動を加えて生じるゆらぎみたいな感じのことなんである。
感じというのは便利なことばだ。




さてゲームの内容。
題名通り、主人公は重力を自在に操る存在。
女性だが高貴でも騎士でもないが、操るのはライトニング(自称)さんと違い本当。
重力を操って、空中都市の空から地下から飛びかつ跳び回り、
重力加速度叩きつけるイナヅマキックで敵粉砕するアクションゲーム。
これまで遊んだゲームのみたいなでいうと
飛び回れる立体『ライオットアクト』みたいな感じ。
街を普通行けない場所から眺めるのが楽しく、敵を一直線に蹴り飛ばすのが楽しい。


そしてとにかく、「重力を操って飛び回る」ことが
簡潔な操作で、明快なアクションゲームとして表現されているのが素晴らしい。
セガがたまに生み出してその存在意義を思い出させる傑作のひとつ。
出来上がったものだけをみれば他でも作れただろうけれど
思いついたものを最初にゲームの形に完成させ
そしてきちんと楽しく遊べるものに出来上がらせたところが偉い。
Vitaは本作以外に遊びたいものがなく、ながらく後回しになっていたのですが
このゲームのためだけでもゲーム機ごと買って良かったと思わせるに足ります。




あらためて、この作品の価値は「これまでに無かった」ところ。
具体的には「重力を操ることで」街中を自在に飛び、かつ跳びまわれるところ。
飛ぶことができ、また、壁やロープ上を駆けることができるものは多数ある。
けれど、主人公周囲の重力を操るという操作で、
飛び回ることもできてかつ、上下逆転、壁や天井を駆け回ったりもを
区別なく両方同時に表現しているゲームは無かった。


具体的には、主人公は自身の視点方向、
画面中心カメラが向いている照準無限遠へ向かって自身周囲に重力を発生させ、
周囲の街や自身と人々を律する通常重力を無視して
そこへ向かい落ちていくことで移動できる。
空を見上げ、上に向かって落ちていけば、
通常の地面から見上げて空へ昇っていくよう動く。
空中を落ちて移動している状態から、また別のあらゆる方向、左右上下斜め上斜め下、
見渡せる方向すなわちどこへでも、そちらを向き落ちていくことで、
地面から見ても自身の視点からでも、自由に飛ぶことができる。


また、建物の壁面に向かって落ちると、壁面を地面として、そこへ降り立てる。
そのまま歩き走り回りジャンプしても、
自身の主観視点が強制する地平面を維持したまま障害を越え建物の間を跳び渡れる。
地面と垂直の平面だけでなく
斜め屋根でも円柱の側面も地面として降り立て、地面として移動の足場にできる。
つまり作品舞台に存在する建造物のほとんどは、
着地平面があえて多様多方向へ用意されている。
空中都市の底面を天井に向かって落ちて貼り付き、世界の底を天に眺められる。
例えばメビウスの輪が浮いていれば、そこをゆっくり歩いて、周囲を望める。




同じ重力を題材にした3D舞台のアクションゲームとして
スーパーマリオギャラクシー』が良い対照となりましょう。
こちらは重力を自身に対して操ることができるのでなく
ジャンプしてダッシュしての動きを多彩に展開し表現するためのもの。
比べてみると、どちらも優劣なく同じ程度に
アクションゲームとしての正しさを感じます。
マリオギャラクシー』は、『グラビティデイズ』のように
重力を自在に操って跳び回ることはできない。
飛行機で、あるいは舞空術とかの超能力で空を飛んだり、
慣性を有意に敷衍して壁面を走ったり、
謎空間の謎天井に謎ワイヤーとか蜘蛛の糸を支点支持してターザンしたり、
空中ジャンプと空中ダッシュと空中連続ダッシュ切りという
だからこそ許される楽しい論理で重力をあるいは裏切ることができたとしても、
自在に操ることはできない。
2Dアクションゲームが3Dになって『マリオ64』になってから
マリオギャラクシー』へ進むのと、分かれて『グラビティデイズ』もある。


先の「舞空術」例のように
キャラクタが地面から離れ空を飛べるゲームは意外に多数あります。
わかりやすいのが『グラディウス』系の横スクロールSTG
ソルディバイド』も『ガンスタ』もこの系列。
通常飛べない昔のマリオであっても、水中ステージをみれば
バルーンファイト』が飛んでいるのだからやはり演出次第で飛べるのである。
これが3D、立体舞台を動き回るとなると誤魔かし効きづらい。
ある一時期、映る画面が所詮平面であること活かし
自機は見えないレール上強制スクロールして、視点カメラを誘導することで
立体で出来ていなくとも、上諸群と同様、見做しで奥行を表現する形式がありました。
自在に動き回れると操作が煩雑になって楽しみづらくなるし
またゲーム機の性能が追いついていないゆえ、というのも嘘ではなかった。
作る手間も膨大。
ゲームの場合、景色として立体に見栄え良ければ良いというものではない。
操作してそこへ向かって、あたり判定が見た目通りになければ、
上で言っている2Dの似非立体と何も変わらない。
現在の3Dアクションゲームでも、良く巨大な敵が出てきて
多彩な当たり判定を持ってはいるが
その敵の上に操作している対象が登ってみたりすることができることの稀さが
3D、立体舞台で遊べるということの無駄な大変さの一面を表しておりましょう。


グラビティデイズ』の舞台は、オープンワールドとかではない。
見えない壁はあるし、ステージ切り替えの読み込みは長い。
マリオギャラクシー』に比べて舞台仕掛けの豊富さを競えば勝負は明らか。
それでも、現在のゲーム機が表現できるようになった立体造形の程度へ、
昔からある、画面内を自在に動き回る要素に、
「重力操作」という古くて新しい糸で織り込んだ様式が見事である。
充分無駄がなく、必要十分美しい。
重力操作の切り替え時に、空中で必ず静止しなければならない不自由さも、
本来重力方向への自然落下によるカメラ位置リセット操作も、
あらゆる方向へ視点が向けれらることによるアナログのぐにゃぐにゃ感を
バンゲリングベイ』『エクセリオン』『ボンジャック』、
あるいは『ガングリフォン』のようなデジタル操作が整理してくれる。




重力操りゲーとしての発想だけでなく、アクションゲームとしても楽しい出来栄え。
攻撃はキックなのですが、もちろん敵の対面真向構えてだけでなく
空中浮かび上がってからの重力加速慣性を効かせた蹴りが主兵装。
どんな高さから落下してもリンクの前転受け身ばりに無傷な主人公ですが
いや重力操れるのだからリンクさんと違って当然ではあるのですが
イナヅマキックは反作用が来るはず。敵に攻撃打として機能するのだから
高い建物から地面に飛び降りたのと同じ衝撃あるはずですが
まあこまけえこたあいいんだよノリよそもそも重力操れるわけないだろ。
とにかく、空中キックを決めたあとは再び適度な高さに滞空するので
また視点中心に敵を捕らえて連続蹴りを繰り出すのである。
次々湧く敵をひとたびたりとも地に足つくことなくばきばき粉砕。楽しい。


もうひとつ独自の挙動がスライドダッシュ
重力を適度に効かせ、地面上からわずかに浮き上がっての高速移動。
F-ZERO』のあれな。こちとら重力操作やからね無敵やね。
操作はVitaのタッチパネルを利用。画面左右を同時タッチするとダッシュ開始。
レール形状地形とかループ形状コースもアイテムを誘導状配置して完備。
左右移動は傾きセンサーで感知。つまりWiiのリモコンコントローラのあれ。
スライドダッシュ中に片手側外すとドリフトで急カーブできる。
Vitaの機能をこれでもかと駆使である。おかげでVitaTVには非対応。
正直傾きセンサーもタッチパネルでなくとも良いような気がするというか
画面内の動きを操作することにそれでなければならない感がないのですが
XBOX360コントローラに対して自身の陳腐を認めない頑迷さだからねしょうがないね。


先のように遊びの広さでは『マリオギャラクシー』に敵いませんが
高くジャンプできる、高速で走れる、遠距離に攻撃できる、などでは表現できない
自身の特性を活かした動きはきちんと楽しめます。
上の2つの他にも、
周囲の物を浮かび上がらせ落として対空砲撃といったことも可能。
同一操作体系でアクションSTGにも展開できる。
物でなく街の住人を重力巻き込めば『クレイジータクシー』にもなり
続編があるなら、これの面でさらに大きな広がりも期待できるでしょう。




舞台は空中に浮かぶ都市。街の端からジャンプしてあっさりと奈落に飛び降りて
でもいつでも落ちることを無視して、見渡す限りのどこへも向かうことができる。
実際は機能の限界、見えない壁に囲まれていて見た目ほど自由はないのですが
端に行き過ぎて弾かれることはあっても
着地をしくじって落下ミスすることはない。


STGでいってみれば画面端から向こうには行けないが
地上地形に重なってもミスにはならないようなものでしょうか。
あたりまえのようにみえます。けれど『レイディアントシルバーガン』や『斑鳩』で
地形にぶつかって初めてそこにぶつかることに驚くひとと
同じ転回がそこにはある。


地上地形には当たり判定あってもなくてもそれぞれである。
巨大敵の上に這い登って振り回されずにへばりついて
急所をちくちくつついて倒すアクションゲームもあって良いのだ。
水中は見掛軽重力状態であり、横スクロールSTGは縦にも後ろにも移動できて良くて
重力を操ることができるのは地形仕掛けの専売特許でなくとも
主人公が自在に操って光速の異名を自称してもしなくても良いのである。
いろいろあって良い。今まで無かったもしくは作れなかった。
けれど新しく新しいものができた。知った。
知って広く利用し大きく拡がって、そこにまた新しいゲームが期待できるのである。