『突撃!!ファミコンウォーズ』からみる理想

kodamatsukimi2006-07-10



・ここ数ヶ月、このサイトが主観的にみて停滞しているのは
 ゲームへの時間と興味関心、その多くが『三国志大戦』に割かれているから。
 ひとつ断然面白く、その分他が色あせる。

・複数並列して楽しむになれていない、
 というのはこのゲームの欠点としてお金のかかることともうひとつ、
 いつでも好きなときに遊べないというアーケード流儀に慣れていないこととさらに
 ver.2可動開始以来日夜長蛇の列にもあります。皆様早く飽きてください。

・その点、前回書いた『カルチョビット』など優れております。
 遊ばなくても良い。「やらなくても良いゲーム」です。
 違うことをするついでに遊べるゲーム。試合中何も出来ないのがいやならば
 ゲームセンターで『ウイニングイレブン』を遊べば良いのだ。選択肢多様。

・慣れていないのに中々慣れない現状に対する打開策は
 『三国志大戦』に飽きるか、他に面白いゲームを見つけること。
 飽きようにも遊べないので、同じ様に面白いそれ以上に楽しい代替作を探さねば。
 それで今回のお題は『突撃!ファミコンウォーズ』。
 アクション要素ある戦争シミュレーションゲームであります。
 

 公式 http://www.nintendo.co.jp/ngc/g8wj/index.html ASIN:B000BAE1WW


・何しろ『ファミコンウォーズ』。
 『ゲームボーイウォーズアドバンス1+2』(http://d.hatena.ne.jp/kodamatsukimi/20050424)は
 素晴らしい出来であり、DS版も充分な出来らしい。
 しかしでGCで発売の本作ジャンルはアクションゲーム。
 でありながら『ファミコンウォーズ』でもある。その折衷。製作もいつもと別。


・公式の画面を見てもどういうゲームであるか見て取るが難しいですが、端的に
 戦争シミュレーションゲームの駒単体を、戦場に立って自分で操作できるゲーム。
 いつでも自由に切り替えて全ての自軍ユニットが操作可能。
 兵種ごと、個々ユニットごとにも、目標への移動か攻撃、あるいは現状地守備、
 さらには自操作ユニットの援護、3種の指示が出せる。

・わかりやすく言うと、コーエーの『無双』シリーズを
 現代戦風味にし、自軍の将軍どれでもいつでも操作を切り替えられるゲーム。
 仲間に指示も出せるアクションゲーム。


・『ファミコンウォーズ』であるところは、兵種間の得意不得意がはっきりしている点。
 自分で操作せずコンピューターにまかせておいても
 有利な相手との戦いならしっかり殲滅してくれるし
 不利な相手にぶつければあっさり全滅してくれる。
 『無双』のようにただ自分ひとりが戦端を切り開いていくだけでは
 それだけでも大方クリアできるのですけれども、
 仲間を効率よく使ったほうが、より良くクリア出来るところが違い。



・相手を見、戦場に駒を自在に配置して、自分はそのどこからにも一瞬にあらわれ
 またそのどの部隊へも瞬時に指示が出せる戦争シミュレーションゲーム
 そしてアクション要素。頭を使うの苦手なら力押しも良し。
 たったひとりで敵軍全てを壊滅せしめよ。
 と、そういうゲームであると、まだ面白かったかも知れない。



・遊んで気付くのは、当初の看板へ公共広告機構に文句つけてもらいたくなるような
 らしからぬロード時間の長さとかではなく、操作が自由にいかないところ。
 移動指示が不自由であるところ。
 ま、それとは関係ないのですがZボタンを何とかして下さい任天堂


・攻撃守備援護動作は自動かつ満足良く行ってくれるけれども
 ユニット移動は全て自身で指示しなければならない。
 全ての駒に、あそこへ進めここへ行けと指示できるのだけれど
 その対象が見える範囲でロックオン注目できるものでなければならず使いづらいので
 基本的に全軍自分について来い方式でなければ部隊移動が出来ない。

・戦場地図を上空から俯瞰して個々ユニットに次はどこへいけ、と指示する従来方式では
 そのつど時間が止まらざるを得ず、つまりアクションにならずターン制となる。
 アクションゲーム、3Dで再現された戦場で臨場感を味わう、つまり
 自分自身でユニット自体を自在に操作できることこそが
 このゲームのシリーズ従来にない第一の価値なのだからそれでは本末転倒。
 アクション要素は主体となるゲーム、例えばレースゲームやSTG
 勝負の途中に一時停止を繰り返すのが論外の行動であるのと同じ理由で
 できるだけ時間をとめるという行動をなくユニットに移動指示をだせなければならない。


・このゲームは名前に恥じず、しっかり作られています。
 兵種ごとでなく個々ユニットごとに指示が出せるため
 この兵種から何人、あちらから何人と部隊を自由に振り分けて
 一方はここで待ち伏せ、一方は後方襲撃して包囲殲滅、というようなことが可能。
 であるけれどもその指示をリアルタイムで出すには
 ゲームの中でアクション要素を成り立たせる範囲でリアルと感じられる時間の流れは
 あまりに早すぎる。

・これがアクション要素を持たせようとする、
 囲碁将棋型の従来『ファミコンウォーズ』からさらに次へ立ち上げようとするときの
 戦争シミュレーションゲームにおける現下の大きな問題点であります。




・うむ。ここまで書いて『三国志大戦』を遊んだことがある方ならわかるように
 以上はあてつけがましい。
 そう、カード操作こそ現下最上のアクション要素ある戦争シミュレーションである、
 ので、最初の一文があるわけですけれど
 それは一端置きましょう。

・そうでないとする。
 と、AB3で取り上げていたXBOXキングダムアンダーファイア 〜ザ・クルセイダーズ〜』に
 どう違うのだろう。
 AB3: KINGDOM UNDER FIRE :THE CRUSADERS http://ab-3.net/2006/06/kingdom_under_fire_the_crusade.html
                           http://ab-3.net/2006/06/kufc_2.html



・理想の戦争シミュレーションゲームとはどんなであろうか。
 そのひとつの形が、例えば囲碁将棋であったり『ファミコンウォーズ』であり
 『三国志大戦』である。

・戦場は千差万別様々でなければならない。
 『孫子』があんまり原理原則論すぎて退屈であるのは
 軍事理論を突き詰め無駄を削いで精度上げれば、
 あらゆる物事と同じくそれは単純化するのでなく当然化するという例証である。
 現実は想像できるものの組み合わせであるけれど
 時間は無限でないから世界は無数に存在できるのだ。

・相手と差があってはいけない。
 なぜならこれはシミュレーションでなく、シミュレーションゲームだからである。
 はじめに想定できる範囲で思い通りにならなければならない。
 ゲームである以上、双方に対しルールはあらかじめ明示されていなければならない。


囲碁将棋は前者を切り落としている。
 『ファミコンウォーズ』はシナリオモードとマップコンストラクションの両者がある。
 三国志大戦は前者をトレーディングカードゲームとしている。

・『突撃!!ファミコンウォーズ』で欠けるのが前者。
 従来のように生産要素はなく与えられたユニットを活用するだけ、というだけでなく
 これも『無双』のように連続イベントを順にこなしていく一本道に沿わなければ
 クリアできないステージ構成。戦争シミュレーションでなく、
 部隊指揮要素を主体とした戦場アクションゲームがこのゲームの姿である。
 マップコンストラクションモードを付けて、自分で戦場を作りだし
 戦場全面を使って相手と戦争ゲームを楽しむことは出来ない1人用アクション。

・なぜか。
 それは上の両者を並立させることがマップコンストラクションではできないからだ。
 そしてそれができない理由は、見える範囲でしか移動できない部隊移動指示方法にある。



・戦争シミュレーションゲームを作るとき
 いや、シミュレーションゲームを作ろうとするとき
 現実を原理原則化単純化しなければならない。

・例えば戦闘。殴り合い。対戦格闘ゲーム。実にもどかしい。
 実際はレバーとボタンでなく全身を使ってこうしてこうしてこうしてやりたいけれども
 それを仮想現実空間に落とし込むのは困難。指先をガチャガチャさせるだけで
 あとは頭の中で成り切るしかない。そこに想像できる限り限界はないけれど
 やはりそれはほんとうにシミュレートしている、とは違うもの。

・実際の戦争を本当にシミュレートしたとしても、それだけではゲームにならない。
 そしてゲームにすることは、さらに卑近してテレビゲームの枠に収めるには
 あまりに入力装置が単純すぎる。


・けれど逆にも言える。
 相手を見、戦場に駒を自在に配置して、自分はそのどこからにも一瞬にあらわれ
 またそのどの部隊へも瞬時に指示が出せる戦争シミュレーションゲーム
 その面白さは囲碁将棋でできることだ。
 テレビゲームにはさらに、アクション要素と呼ぶ種の
 操作する楽しさが加えて存在できるのだ、とも言える。

・レバーとボタンを組み合わせて押しているだけにも、数値のやり取りだけにはない、
 競争比較の新しい面白さがあるのだし
 それはフラットカードリーダーで部隊を縦横無尽に駆け巡らせているときに
 これは間違いなく将棋の先にあるものと確信できる。飛天でも悲哀にも。


・戦争シミュレーションゲームの理想は未だ遥か遠くにあるけれども
 それは20年経ても未だテレビゲームに追い求めるべき新しさがあることであり
 ゲームはテレビとは違う、素晴らしいと言える点であるのでしょう。