『九龍妖魔学園紀』にみえる表現様式

kodamatsukimi2006-10-28


 公式サイト http://www.atlus.co.jp/cs/game/pstation2/recharge/index.html 

・'04年9月に発売されて高い評価を受けた『九龍妖魔学園紀』(ASIN:B0002ONEN4)の
 少しお安い追加要素付与版『再装填』(ASIN:B000GQGVI8)が今回のお題。
 とはいえ元は遊んでいないので比較できないですが
 同じものを入れなおしただけとタイトルが語っているくらいには変わっていない模様。


・発売元は違うものの、シャウトデザインワークスによる『東京魔人学園』最新作。
 シリーズの基調、「ジュヴナイル伝奇」という看板は
 ライトノベルとは違うのだよライトノベルとは、という種の独自求心力。
 丁寧な作りもあって熱心なファンを持つ作品連となっております。
 寡作なのが悩ましいところ。それすらも製作者の個性。でも次を早く、と。

・本作は、発売がアトラスに移ったからなのかどうかわかりませんが
 従来のSRPG、キャラクターとの会話から物語を楽しむアドベンチャー部分と
 戦闘の成長要素あるシミュレーション部分との組み合わせからなる仕組みから
 少し変わって、戦闘部分がダンジョン探索RPGとなっております。

・全体的に手抜かりはないが、特に目新しいところはない仕組みである、
 というと2年前に出たゲームにいまさら何を言っているのか、というところですが
 製作者の表現したいものをゲームという枠内でどのように表現するかの手法として
 「ジュブナイル伝奇」、現代嗜好の少年少女成長物語に適しているのは
 前作と比べて本作はどうだろう、というと一長一短ながら
 同じものを再生産するのでなく新しい枠組みへと移り行くことを評価すること、
 とは関係なく、なぜならその結果はありきたりなので、
 こういう仕組み、この表現手段も、間違いではないと見て取れるゲームです。






・『サクラ大戦』というと、セガが出したらしくないゲームで
 一時期目立ったものの最近低調でありますが、あのゲームはなんでしょうか。
 同じ様に話題になった『ときめきメモリアル』に比べてどうであったか。
 と過去形にするのは問題あるのかどうか。どうだかどうだか。

・それを結果として言うなれば、キャラクターゲームです。
 『ときメモ』が学生生活シミュレーションゲーム
 かつ恋愛シミュレーション風味であるゲームシステムを提示したのは
 主にミステリーとして用いられてきたアドベンチャーゲーム
 そこにおける経路分岐判定基準を生活シミュレーションゲームに仕立て上げた点
 画期的なことであったのでありますが
 『サクラ大戦』は同じ様に恋愛シミュレーション風生活シミュレーションに
 RPGで良く採られる題材の戦闘による成長という舞台を持ってきたゲームです。
 友情、異性間なら恋愛、努力、中盤での敗北そして成長、勝利。何に勝ったのか、
 とかは問題でない美しい方法。定番。お約束。ありきたり。だからこその価値。

・このゲームがそのジャンルにおける先駆者ではなく
 戦闘シミュレーションゲームとしても成長シミュレーションとしても
 恋愛シミュレーションとしても一番ではなく、話題となったのは
 表現したいもの、キャラクター個々の魅力というそれを
 ゲームという枠で描くのに、その仕組みが適当であったから。
 その中でもっとも良くできていたから。偶然。セガらしい、のでありましょうか。


・現実の何かをゲームにしようとする。現実にない何かをゲームにしようとする。
 ゲームというものはわりと何でもありです。
 画面がなくても良い。操作できなくても良い。何がゲームなのか、定義は色々ですが
 ボタン押して読み進めるテレビ画面に映る紙芝居でも、ことによればゲームであるなら
 おおよそ何でもそうであると強弁できる。

・ところがしかし、その採りえる手段はわりと少ない。
 いくつかのジャンル名で大方は分類できてしまいます。
 さらにけれど、例えばRPGすなわち「役割を演じるゲーム」という字義に照らせば
 右から左まで隅々幅広く、おおよそゲームと呼べるもの殆どに当てはまり得るように
 ゲームジャンル分類は曖昧であって
 そうすると少しでも他と異なれば新ジャンルゲームといえなくもありません。
 「君と響きあうRPG」とか「生まれた意味を知るRPG」とか。
 ゲームはだからわりと何でもありだ、というのが実情を映して妙なるか。


・『ドラクエ』みたいなゲームを作ろうとして作られるゲームもあり
 今までにないゲームを作ろうとして『ドラクエ』のようなRPGになることもある一方、
 ゲームでなくても良いのだけれども商業的要請から作られるゲームもあります。
 キャラクターゲーム。何かの版権を活かしてゲームという、
 アニメとか実写ドラマとかマンガとかその版権に関わることが価値となる商品、
 としてひと商売打とうとする目的のもとに作られるゲーム。

・キャラクターゲームは、そのもとになったもので既に
 ゲームに置いても大事なものと目される様々な要素が既に出来上がっています。
 それを、曖昧で可能性は沢山ありそうだが以外に狭い方法しかないゲームで
 どのように表現するかが、このゲームの命題。
 そして商品価値。市場価値。キャラクター原作版権の価値。
 当たり前なのに実情上手く回らない現実であることよとファンを嘆かせるところです。


アドベンチャーゲームやアクションゲームが
 そういう原作つきキャラクターを表現するのに、昔まず採られたのは
 昔はそういう方法しか技術的に難しかったあるいは、思いつかなかったからですが
 20年もゲームが作られてることとはあまり関係なく、最近は大分ましに原作の魅力、
 価値を損なわずに表現できるようになりつつあると見えるであります。
 その代表的な方法が、ジャンル名でいうならSRPG
 訳して役割を演じるゲーム、模擬実験ゲーム。

・キャラクターものの原作は、こういう教訓を啓蒙したい、とかいうのでなく
 多くのひとが楽しめるもの、つまり、多くのひとが理想とする需要に答えるお話。
 友情とか努力の結果とか勝利で得られる快感など。
 そこへ行ってみたい魅力的な舞台。そうなりたい魅力的な登場人物。
 そうであってほしい魅力的な筋書き。心動かすその見た目や飾り立て見せ方。
 そういうお話は、ゲームでいうとRPG、なかでもSRPGが合っているのであります。

・それがなぜかをゲームとしていうならば
 その答えが『サクラ大戦』であるといえましょう。
 RPGでなくSRPGとも違う、
 仲間との会話によるアドベンチャー部分と戦闘SLGの組み合わせという仕組みは
 話の都合上で成長するというキャラクターものの筋書きに
 RPGよりさらに、SRPGよりさらに好適であるからです。


・良くみられるRPG、『ウィザードリィ』のようなRPGでは
 戦闘によってキャラクターは成長します。
 ハック&スラッシュと言われる原典では、ただそれだけであることこそが
 今に続く独自価値であるのですが
 キャラクター乗せたり背景置いたり、筋書きに沿って見せるゲームとしようとすると
 敵を倒す行動でのみ成長するという仕組みは
 アクションやSTGのようにステージに分けて構成する見せ方と変わらない、と言えて
 強くなること、敵を倒す能力に長けることだけが成長することではない、
 と言おうとすると、これは若干齟齬を感じる仕組みではあるわけであります。

・お使い形式というアドベンチャーゲームの目標達成ゲームを
 戦闘による成長と並列に用意して、目的への過程にある繰返し行動に幅を持たせる、
 という方法が元祖『ウィザードリィからして用意されているのは
 そのまた上流にテーブルトークRPGを持つからこその必然であるのですが
 その齟齬、ステージ構成で要所で進行の壁となるボス敵が出てきて
 話が後ろへ行くほど強い敵が出てくる構成の不思議をそれで埋め合わせるのが
 RPGにおける常道となったのは、20数年前にただ1作を持って完成された原点回帰、
 ああ『ウィズ』はだから『ローグ』より偉大なり伝説。

・そしてその下流、アトラスの『女神転生』、
 『ウィザードリィ』の名前を使った『BUSIN』、
 RPG枠組みにおける成長要素の表現、表現したいお話の描き方に見られる
 その工夫過程を伸ばした先に置けるのが、本題である『九龍妖魔学園紀』です。




・本作は「ジュヴナイル伝奇」をゲームで表現したいとして作られたゲームに見えます。
 大人でも青年でもない、少年少女が怪奇幻想なるお話の中で成長していく物語。


・表現するのは、ゲームを操作しようとしているプレイヤーが操る主人公と
 仲間とか敵対する方々などそれに関わる方々の面々。
 操作する対象は主人公と仲間たちでも良いのですが、この場合は
 個々のキャラクターがかかわり合いの中で間違いに気付き正しく成長すること、が
 表現したいことであるので
 成長すべき対象に関係を持とうと主体的に働くべきは
 ゲーム一般の様式に照らしてプレイヤー操作キャラクターではないのが正しい。
 製作者によって用意されたお話をなぞっているだけと感じさせないために。

・成長物語の舞台をどこにおくか、この舞台設定はかなり好みに関わりますが
 成長させたい対象をよりひき付けるため同じ感性、嗜好を持っていることは押さえる。
 さらに日常に隣接する非日常への落差が大切な個性であるところが「ジュヴナイル伝奇」。
 ということから定まってくるキャラクター設定と達成目的から
 伝奇要素の表現にも好適であるのが、悪とは言い切れない敵との戦い。

・繰り返される戦い、であるというのは
 商品的に求められる作成費用との兼ね合いによる分量からの要請ですけれども
 単純同じことの繰返しでなければならない構成を全体に求める。
 ここがアクションやSTGとアドベンチャーRPGを分ける境。
 また、キャラクター相互の関わりを言葉だけで表現するか、
 その分量はお話全体を見てどれくらいが適当か、からも判断される。

・絵と音楽と文章で表現することも確立されているようでいて
 さらに日進月歩にその方法手段が推し進められている分野で、個性と価値を持てる。
 「ジュブナイル伝奇」という切り口にも合っている。
 一方で、役割を演じると名づけられたゲームであるこちらも
 対象を自在に操作できることこそ他が持ち難い価値であるゲームに合ったもので
 やはりまた戦闘と成長による物語にも相性良い。


・ノベルゲーム「東京魔人学園」シリーズも全然有りであるけれど話を絞ると
 これまで使用されてきたSRPG様式に対し、構造の上等下等でなく複雑さの高低で
 アドベンチャーは単純でありRPGは、一般的に言って複雑である。
 慣例からのジャンル分けから要素をそれぞれ抜き出せば
 「会話」「会話と戦闘」「会話と戦闘と探索」という順の複雑化構成。
 RPGであるということは、慣例的に一般的に、未知なる物を探索する要素を持つ。
 探索すべき対象とはダンジョン、謎の迷宮でなくとも未知の舞台であれば良いが
 それを背景として置くだけでなく、歩き回る舞台として置かねばらない分複雑。


・そして本作『九龍妖魔学園紀』が従来の「魔人学園」と違うのはここ。
 未知のものを探索する要素が
 仲間との会話、戦いの結果による成長、それに続く要素として加えられている。
 RPGとして研鑽されてきた戦闘成長収集サイクルの定式をなぞって
 『九龍』での探索要素と、そのため変更された戦闘成長要素も作られていて
 良くできている。
 しかしAVGでなくSLGでなくRPGであることで本来の表現するもの、
 「ジュブナイル伝奇」という構成の描写に問題はないか、といえばある。


RPGとは戦闘による成長とお使い要素、探索要素を組み合わせることで
 ゲームとして形作られているものだけれど
 お使い要素でも、繰り返される戦闘でも語り難いお話には合わないといえる。
 お使いと揶揄されるイベントの仕組みでは
 プレイヤー操作キャラクターが主体的に走り間わらなければならない。
 繰り返される日常の積み重ねでしか語れないものがあるならば、その逆もまたある。

・そのため用意されているのがステージ区切りとボス戦闘。日常の隣に非日常。
 ボス戦闘だけを取り出したのがSRPGという見方もできるならば
 これは探索要素がなくても良いという意味で単純化であるけれど、つまり
 探索要素を内包するRPGとよばれるジャンルでは、探索することが
 そのステージ構成舞台に矛盾しているとも言える。
 矛盾は言いすぎであるけれど。多くは気にならない分配で両立させているのだし。


・『九龍』では、探索する過程、ステージ区切りのボス戦闘以外が日常である構成。
 こうなる。
 しかしこれは「ジュヴナイル伝奇」として合っているのか。
 合っていない。
 


・その表現したいものは何か。それをゲームの枠内で表現するにはどうするか。
 『九龍妖魔学園紀』は既にして表現したいものが決まっている、
 キャラクターゲームのように珍しい仕組みのもの、と見えます。
 その採った手段はどうだったか。

・それは既存のものの組み合わせではあるけれど上質のものである。
 従来のシリーズと変えてきた本作でも上質であるけれど
 新しい要素を加えて従来あったものの良さを潰している面もある。一長一短。
 強くてニューゲームの2週目で探索を省いてお話を進めていくと
 このゲームが表現したいものが、探索と繰り返される戦闘に
 阻害されて、支えられてもいたことがわかる。だから良くも悪くもある。
 良いところはRPGの良いところ。悪いところはSRPGの良いところ。
 そこから出ていない、既にして出来上がっているものでしかない。
 けれど変化は間違いではない。


・ゲームで採り得る表現様式。その幅は意外に狭いものであるけれど
 文字だけ、絵だけ、絵と音だけ、その上位にゲームはあるとも言い得る。
 次のゲームは、その表現したいものをどう表現しているのか。
 新しい様式をそこに見ることができるならば
 それこそゲームの面白さなのであります。