『世界樹の迷宮』

kodamatsukimi2007-02-18



 公式 http://sekaiju.atlus.co.jp/ http://sekaiju.atlus.co.jp/old/ ASIN:B000MQ958A


・『世界樹』は『ウィザードリィ』『女神転生』ときて続くアトラス製RPG
 DSでの新規タイトルですが、これまでの蓄積感じられる手応えであり
 変えなくて良い、このままで良いから同じのが欲しい。と早くも言いたくなるような
 充分枯れた完成度の仕上がりであります。


・携帯ゲーム機のRPGは、携帯とは思えぬ大作感。あるいは
 昔テレビで遊んだものとそっくり同じを手の上に。というのが売りであり。
 RPGは大作でなければならんわけではないけれど
 携帯機だからといって必ず軽いわけではない。皆が『ポケモン』と同じではない。
 という売り方の趣旨が、例えば『マザー3』や『FF5』『FF6』などで
 GBAからこの方続いていたのですが
 しかしDSの性能は昔の大作RPGと呼ばれていたものを再現する以上にできる。
 けれども携帯機だから画面は小さく、もちろん家庭用最新ハードには劣る。
 だからしPSPに限らず、そしてRPGに限らず、
 PS2辺りで見たようなの持ってくる「縮小再生産」、であるのが携帯ゲームなのですが
 しかしそのまま小さいままに、見た目昔の印象ながら古くさくなくないよう注意して
 昔の大作RPG、今であればそうとは言えないそれらと
 同じ様な作りかたをしたものであるのが本作。


・ただ新作。今まで作られてきた方法を、充分な性能でそのまま使って
 しかし再現するのではない。より良く工夫されています。

・このゲームは外見、『ウィザードリィ』のような頃を
 とても良かったあのころの思い出、と印象付けているようですが中身は違います。
 例えば強くなり方が違う。
 時間をかけて地味に強くなっていく、それがあのころのそれですが
 時間をかけなくとも工夫することで先に進めて、先に進むほどより効率よく強くなれる、
 努力すれば認められる結果平等と、努力しないでゆっくり進んでも着実たるようにある、
 十年二十年かけて積み上げられてきた、今のRPGとしてのそれになっている。

・しかしながら無駄に広くはしておらず、取り得る手段の幅はできるだけ狭めて
 破綻しないよう、掌の上からこぼれないように整理されている。
 職業やスキルやアイテムを増やして、固定敵を倒すための手段を増やすことで
 長く遊ぶことができるようにしたものは、けれど飽きる。
 それは正解が見つかるとそれを達成するための作業となるからで
 敵の強さに合わせてこちらを強くするよう工夫するのではなく
 遊び手ができることを制限して、相手を変えて配置して飽きさせないのが
 こういう種の、つまり「今様の」SRPGではなく「『ウィズ』のような」RPGとして
 必要な条件であり、それができている。

・『ウィズ』というより『女神転生』を作ってきたアトラスらしい技。
 申し分ない骨組みと、それをわかって作られた全体の余計なことをしていなさが
 昔からも今にも今に良い感じに映るこのごろであります。満足。



・同時に『ウィズ』らしさ、あのころあれを、求めている部分にも
 本作は答えているようであり。そういう系統後継者の資格は充分か。
 それは具体的に文章でいうならば
 『和風Wizardry純情派』『風よ。龍に届いているか』のようになるそれ。

・ゲームから立ち上がる世界観。
 そこに用意されていて描かれたキャラクターが生きている世界観ではなく
 オンラインゲームの、向こうに実在の人間が操作している保障からくるそれでもなく
 英雄がいても主人公はそれではなく自分であり
 その物語はまだ書き始められていないというようなそれ。

・といって『アラビアの夜の種族』までいくと
 さらに想像力の枠が一回り大きく必要である。
 ゲームだからこそできてできないことがあるのである。


・そうでない種の『ウィズ』にある面白さは何か、
 コンピューター相手だからこその、ロールプレイングゲームの面白さは何か。
 『和風』を読み直して要素を引き、『世界樹』から汲み上げた辺りを連ねてみると
 迂遠に言うなれば 
 基本の枠組みが数値を上げること、育てる過程にあるもので
 競争と勝利がないことにあるのではないか、というように言えます。
 SRPGにも同じことが言えます。


・誰かに勝利することが嬉しいことが、ゲームの面白さである。
 アクションにおいて、上手くなることは楽しい。
 より良く操作して課題をこなせるようになるのが楽しい。
 それで勝利できるかとは結果であって成果の確認である。

RPGSLGは、数字の上げ下げするのを見ているだけでも楽しい、というように
 面白さの要素として言い表せますが
 その要素は、どうであればより良くなる、より楽しく感じられるようになる、
 つまり「より面白くなる」といえるだろうか。
 例えば対戦ゲームにおいてそれは、過程はどうあろうと勝つという結果そのものである。
 例えば対戦しないアクションやパズルゲームでは、結果ではなく上達する過程である。
 それではSLGRPGではどうか。

・前者に共通するのは、ゲームが自分の思う通りに操作されることの正しさであります。
 SLGでは、思うどおりにならなくても楽しい、といえるのか。
 運の要素。ランダム要素。神の見えざる手。
 同じ手段で必ず同じ結果になることが、アクションやパズルでは決定されている。
 けれどSLGにあっては、そうでないほうが喜ばれるのではないか、
 つまりその方が楽しいのか。


・強くなる楽しさとして、例えばRPGのレベル上げという作業は
 アクションゲームの操作を上手くなることと同じ様に見えます。
 対戦ゲームで強くなる楽しさとは
 勝つこと、勝てるように強くなること、
 勝てず結果明確に強くなったことが確認できずともその過程を楽しむこと、の3つ。
 これらを、楽しさを感じるための優先順位をつけて並べることで
 優れたゲームは、敗者にも楽しませるものである、というように見ることができます。

・つまりこう言えます。
 対戦ゲームの楽しさは、相手との読み合い、その過程にある。
 例えばトランプのポーカーのように、上手くなっていくこと上達することがない、
 運だけのものであっても、それで楽しめる。
 良く出来たゲームとは、その過程において勝ち負けに関係なく楽しめる。
 勝とうと工夫するほど、なおより良く楽しめるものである、と。


・宝くじは運のみ。攻略要素のないゲーム。だからこそ良い。
 勝つために上手くなる必要がないから。
 機会の平等が保障されているので、努力せずに勝てても後ろめたくない。

・人生ゲームにおいて、勝つ結果は誰にとっても共通の目標であるとする。
 そこにあるのは勝てるように上達する過程。上達して、努力して結果がでる喜び。
 たとえ結果がでなくてもそのことに自身は満足できる。
 そして勝てず、上手くなれず努力はしなくとも、その過程を楽しめる。
 良くできている、結果ではなく機会均等である平和な幸せを
 努力せずにゲームを遊んでいるひとはかみ締めるのである。


・宝くじのような運だけのゲーム、でありながら
 ある程度自身意思の操作介入の余地がある、
 しなくとも、勝つために努力しなくとも、良いゲームがSLGRPGなのだ。

・時間をかけず工夫もしなくとも楽しめる、見ているだけで良いゲーム。
 より効率良くクリアするための工夫をしないことは
 対戦ゲームでは、エンディングを見ることでなくそのゲームに勝利すること、
 製作者の用意された筋を辿るのでなくそれを理解し利用し勝つこと。
 アクションゲームやパズルゲームでは
 時間をかけることが強くなることにつながらないことである。

・ゲームであっても良いこと、だからこそ良いこととは
 自分以外の未来を決定させる手段。運が悪かったことの責にできる要素である、
 と穿って言える。
 良いゲーム、このゲームは良くできたゲームであると感じて、
 しかし自分が楽しめたのは、本当にそれが良かったからなのだろうか。
 たまたま偶然そういう結果になったのであって
 世間が楽しめているゲームを自分が楽しめなかったのは
 運の要素がゆえではないか、と。
 

・ゲームの良し悪しはあるようであるのに絶対的な価値順列は明瞭でない。
 それは嗜好品であるからだけれども
 より良いと感じられるものが評価される方が気持ち良い、将来的にも良いという
 ゲームの中身に関係ないことが、中身を書くではない
 こういうところに書くところなのである。ということである。



・アクションもSTGも大好きだがSLGSRPGも、そしてRPGも大好きである。
 ちまちま地味に、すこしづつこつこつ淡々と積み上げていく繰返し作業。
 毎日毎日時間の隙間をそういうことで埋めていき
 それがある課程を達成すること、つまりクリアした喜び、問題が解けた喜びでなく
 その過程、積み上げて強くなっていく過程こそが楽しい。
 アクションもSTGSLGも同じ。何かなし終えることが楽しいのではなく
 それをすることが楽しい。

・ゲームを立ち上げてタイトルから先に進む時。
 迷宮から生還して無事セーブを終えて電源を切る時。
 その間、感じているそれ。それがゲームの面白さなのであります。