夏で暑いから値崩れ作品消化期間


ゲームの感想は料理の感想と似ているかもしれない。
「美味しい」と「まずい」、「良く出来ている」と「出来悪い」。
おおよそ多くが共感できる一定の基準ある一方で、
個人の好みとかその日の気分とか思い入れによって
印象が左右されたりもする。


読込待ち時間は短い方が良く、画面みやすくきれいな方が良いけれど、
操作上手さが結果に反映される程度とか
評価高めるため頭をどれくらいひねれば良いかの程度には、
共通する度合いは無いのです。
仲良くみんなで和気藹々とった食事や
暑い日渇いた喉へと落ちる冷たい飲み物がおいしさのように
初めて遊ぶ種類のゲームは、心に割り増しされて残るし
途中どんなに素晴らしくとも最後で味噌つくと、作品全体色褪せる。
人生というゲームもわりとそう。
亡くなる間際に幸せだったと思えれば良い人生というのなら
それまで幸せでも最後絶望するなら駄目な人生だったのか。



話がそれました。
ええと、けれど料理と違うところもあると思うのです。
例えば、過去の作品と同列に比べられるところ、
比べることが出来るところです。


ひとの記憶は曖昧で、深くとも浅くとも磨り減りぼやけて
輪郭あやふやになるけれど
作品自体は料理と違って完全いつも元のまま在り遊ぶことができる。
現在最新作は常に、これまで過去名作全てと比較されうる。


けれどとはいえ大抵は、思い出の中にだけある美しさに
対するだけですまされます。
例えばファミコンの「マリオ」とWii3DSの「マリオ」が
実際のところどんなふうに違うか、検討はしないものである。
マリオギャラクシー」みたいに大きく違うほうが
むしろそうされるものである。
そうしようとしても当時持った思い入れが
そうさせないところありますけれども。


ゲームは遊び道具であって、食べたら消えて無くなる料理とは違う。
購入するとき、どれがより美味しいか、楽しめそうかと比較する際、
材料と調理法が同じような感じでだいたいこのようなであるかと、
過去の名品と実際参照可能であるかないかは大きな違い。
特に、新しいほうを買ってもらわないと
作っているほうが商売していられない仕組みにおいては
なおのことなのである。
むしろその仕組み自体をどうにかしたほうが良いような気もしますが
パチンコとかメダルゲームとか携帯アプリをみると
残念どころかみたくない未来と思われるのでなかったことに。
ひとの記憶力や同時に複数の別物を比較するのが難しい能力は
時にありがたく残念でもある、変えよう無い現実です。




おおやけには『ドラゴンズクラウン』待ちと表する今回今月は、
特にこれといって遊びたいものがなかった、
というわけでなく暑いのであまり気力湧きあがらないので
ワゴン販売商品、つまり普通に売ってははけない作品のみなさんを
いろいろあれこれつまんでいてみたのでありました。


それにしても「ドラゴン」に「クラウン」とか
よくその組合せ先例商品がなかったものです。
またどうでも良いことに
なぜ待っていたそれを遊ばずこの記事を書いているかというと
仕事でいまだに遊び向き合う時間がないので。
一度出遅れたこの際多少はもう気にしない。




ゲームには出来良し悪し関係なく、売れた数というものがあります。
買ってくれるだろうと作った方が予想したより売れないと余る。
自分にとってその商品が値段分満足できるかは
ゲームの場合は実際遊んでみないとわからないのだから
その累積である売れる数とは
何十年売る商売しているひとにも時にわからないものとなるらしい。
中古だとまた話は違って
処分してしまっても再び遊びたくなるかもしれない割合に対して
惜しくなかろうな、という判断の集積結果。
曖昧で不明瞭に厳正な世間の審判を
きちんと受けた結果であるといえなくもないかもしれなくもない。



実際、ワゴン追いやられているもの中にも
「良く出来ているもの」は珍しくなくあるのです。
そして、これはなるほど処分されるもわかるものもあるのが
面白いところでもあります。


例えば『バットマン アーカムシティ』。
WARNER THE BEST バットマン:アーカム・シティ - PS3 バットマン アーカムシティ - Xbox360
バットマンになってアーカムシティに巣くう怪人と戦うアクション。
みためもロード時間も結構。
アーカムシティを例の格好でうろつきまわり
高いところから街見下ろした時の
建物の中からみる大きさと、そこからの景色との調律の妙が素晴らしい
質高い作品ですが
残念ながらここは日本なのでありました。


日本に住んでゲーム周辺を愛する皆さんの
日本ゲームメーカー製に幻滅するゆえに
隣の田圃の海の向こうの良く見える気持ちもわかるのですが、
文化の違い、すなわち
普段読んでいる週刊誌の種類、見ているテレビの番組、流行の話題、
学校で習い交わされる言葉が違う場所で、
そこむけにそこで作られた作品が
ここですんなり胸に落ちるばかりでないのもまた当然なのである。
その違いやよく知られていないと思われるところが
新しい価値と感じられるところもあるのでしょうけれども。



別の種類としては「出来ばえが不安定な作品」というのがあります。
ロード時間とかみためでなく
いったい誰に向けて作っているのか謎な作品。
ある限定された層にしか面白がられないのではなかろうかと
自分はその層でないと思っている大多数に感じられるようなもの。


そういうものにだって、だからでなくとも興味を持つひとも
確かにまったくいないわけではないのかもしれないが、
唯でさえ過去の名作に伍して一定品質達成せねばならないのに
そんなところへ開発配分割いて大丈夫なのかと
余計な心配する次第なのである。
私自身が遊んでみたわけではないので
端から見て思っているだけで本当のところわからないのですが、
商売として難しいのでなかろうか。
結果現在いるところがワゴンの中だからではなくて
そう思わせるものがある種類のゲームも
確かに未だに、多分これからいつまでも存在するのも現実であります。
マーケティングとかいう言葉自体が
多くのひとにはうさんくさい宗教の手管のように見えるのです。



さらに別の区分は、意欲あってもいろいろ残念に終わった作品。
駄目な出来は論外だけれど、一歩引いて全体みて
満遍なく良いとも言い難い微妙な案配に出来上がってしまうことは
日常の支配下に稀でなく良く存在する。
これぞ現実という名前の実態なのである。


名作として評価を得るのに、これらの作品で何が足りなかったのか。
少人数で作るのなら実力、ときっぱり斬って捨て構わないと思いますが
大勢のひとが何ヶ月何年もかかってつつきあげているのを見聞きするに
そう言ってあげるのは酷にも感ずるのであります。
つまり個々人がその能力にかかわらず努力したかどうかもともかく、
出来上がりが名作たりえなかったのは
結局結果から過程を推定しているだけなのであって、
過程がそれを成しているのは、
幾分の一かの運による選択としかいいようないのかもしれません。
いつ誰が遊んでも明確な出来ばえの差は、
原因を思えば不思議になぜかやはりあるのだから。


もっとも同じゲーム製作会社が
続けてそういう残念な感じの作品ばかりだしていると
不思議でなく固定の、どこかまずいところあるのでないか、
組織全体として欠陥があるのでないかと
世評が定まるのもむべなるかなではありましょうが。




微妙ゲームとして挙げられてしまう今回遊んだものに
アスラズラース』というのがありました。
アスラズ ラース - PS3 アスラズ ラース - Xbox360
出しているのはカプコンですが
主に作ったのは、Wiiとかでマンガ『NARUTO』のゲーム版など作っている
サイバーコネクトツーという会社。
インドの神話とかを題材にした
ゴッドオブウォー』とか『ベヨネッタ』とかの
群がる敵を圧倒的な実力で粉砕する1人用アクションゲーム。


敵をたくさん倒して強さを堪能する1人用アクションゲームというと
なんといっても三国と戦国の「無双」シリーズ。
定番作品として多くのひとに受け入れられています。
そして日本の他のゲームはこれに対して
どう違いを出していくかと、いろいろ試してみるわけです。
シャイニングフォースネオ』とか『大神』とか『Shinobi』とか
どれもその違い比較が味わい深い。


本作はお話の演出、テレビ番組風な構成が特徴付け。
カプコンの『ロストプラネット』を広い年代向けに売りたいふうな
エクストルーパーズ』もそんな感じでした。
わかりやすく少年マンガのバトルものなキャラクタ配置、
やや懐かしの「笑える熱血」な作風。
作っているひとたちが、何をつくりたいのか、
どういう層に対して訴えかけたいか伝わってくるような作りです。
場面を細かく区切って、強敵との戦いは演出も派手に用意されて、
マンガ原作作品を作ってきた会社製だからか、
キャラクタのみため配色塗りなど印象的です。


けれどワゴンにおいてある作品。
いつまでも手元においておきたい名作、
折に触れて遊び返したいと思う作品でなく
処分してまあいいかと思われる出来ばえである。
また「ある限定された層にしか面白がられないのではなかろうか」と
多くのひとに思われる、という分類にも
おそらく製作者の意図と違って含まれるような後味。


みためなどの質の部分も、アクションのゲーム部分も
頑張っているけれど
やわやかく言ってお話は微妙に外しているし、
素手で殴ることに新鮮味ない。アクションゲームの意味感じない。
ライバルとか悪の親玉とかは良いキャラクタだと思うのですが、
主人公はほぼ全編白目剥き過ぎ。中身無い。
悪人をぶっとばすのは爽快だけれど、
弱いものいじめみたいのではない。じめっとしたようす。


銃でも武器でもなく拳を武器にすること自体は良くも悪くもないけれど
結果はあまり幅あるものでもない。
過去作品が、間合い自在の刃物付きヨーヨー使ったり
ガンカタしているのは、アクションゲームとしてなぜなのか
間合いのわかりづらい武器で格好良くかつわかりやすく戦うには
どうすれば良いか、そういう段階ですら無いように見える。



というようにしごく残念な出来ばえ。
いろいろぼろぼろけなすところが出てくるのですが
箸にも棒にもかからないというほどでもなく、良いところもある。
それだけに苦しい。無念。残念。


良い出来だけれど売れないのもわかるものとか
なぜこんなものが成り立っているのかよくわからないものに比べて
こういう残念な作品は困る。もったいないのである。
ちゃんと有能な技術だか技能だか知らないけれど
例えば任天堂の偉いひとが作ってくれれば良いゲームになったろうに、
とか思えてしまう罪である。
良く出来ていて面白いものは遊び終えて満たしてくれるのだから
こういう困った作品が一番やっかいなのだ。


ええいもうどうしてくれようか、自分がゲーム製作者だったら
わかっている悪いところを直し良いものを作るのに、と思うのである。
良く出来ているんだから上物だけ載せ変えれば良いのに、と
印象に残るものもある。
けれど良くきれいに作り直されていたら、
悪いところがないからわからなくて困らないし
印象に残らないのでもなかろうか。


こちとらゲームを作る側に回る予定は今後一切なく
良いゲームは面白いと書いて、困ったゲームには愚痴るのみなである。
ゲームの楽しさは確かに個々人のその時々気分次第なのだが
安心して良いことに、比較して明らかに不満点あるこういうゲームも
なくならないと思われるので
常に現状その分野作品へと駄目な作例を提示してくれ
競争と向上を促してくれる。
みているだけのほうにはまことわかりやすくありがたい。
どうしようもなく駄目なゲームはなくて良いが
いろいろ課題を示唆してくれる作品は
ワゴンにならあっても良いのではないか。
新品で買ってしまった時のわずかばかりの救済にも
作る側に現実みてもらうためにも。


ただし私の手元に用意されるのは
面白いと思えるものだけで一向に構いませんのでお構いなくお願いいたしますです。