『信長の野望 創造』


1983年に第一作が発売されたシリーズ14作目。
30周年記念作品。つまり2年に1回。驚きの事実。


前作『天道』の感想で書いたように
信長の野望』シリーズは一人用ゲーム。
対人対戦の駆け引きを楽しみたいひと向けはでなく
戦国大名に成りきって天下統一したり、
思わぬ侵攻受けたら即ロードしてなかったことにして楽しむもの。
自分の中で自在に最強戦国国家をつくってみる。
そういう遊び方をするように作られています。


さて、今作もっとも大きな特徴は
歴史イベントを充実させて、
目標を天下統一以外にも用意したところ。


国取りゲームというだけでなく、日本の戦国時代が素材であることも大切。
有名武将がたくさん部下になって強くなるのが楽しいのだけれど
名前や顔や能力値だけでなく、
それぞれにさまざまな背景があることを知っているからこそ、
自分の中で有名であることの、価値が増すのです。
有能戦国大名気分を味わえるのです。


同様に、ただ一直線に最強国家となって全てを踏み潰すとは別に
史実を参照して、出来事を自分で選び起こせて操ること、
歴史イベントを見ることは、
戦国時代という素材だからこその、国取りゲームだけではない楽しさがある。


イベントはおおむね実際の歴史通り勢力拡大していくと発生するので
強くなるための効率よりも、損でもあえて曲げて沿って進める必要がある。
過去シリーズ作全てで、他勢力に攻め勝つだけが達成条件であったのに対し、
今回は歴史イベントをみて一覧表チェックマークを埋めるという
一回の全国制覇では完結しない目標が用意されている。
クリアしてエンディングを見ることだけが目的ではない。
歴史シミュレーションゲーム」なのだから今更、当たり前のことなのですが、
遊ぶ方が想像して済ますのでなくゲームの方で用意して
遊ぶひと誰にも共通に達成条件として示されていることが、
ごくごく単純で手間もかからない小さなことだけれど、大きな違いです。
自己満足の世界も繊細複雑なのです。




2年に一度の割合で出ているシリーズですが、
ゲーム中身もいつもの常と変わらず、いろいろさまざま変わっています。
400年くらい前、実際あったことをゲームにして遊べるものとするに
さまざまな事柄のどの部分を操作できる、知ることができるようにするか。
初期の陣取りゲームから
あちらを複雑にしては戻し、こちらを追加してまた手を加えと、
作品ごとその時々で出来ることをいろいろ盛り込み整理改善して
どこまでも尽きることない。
その出来上がりを眺めているだけで面白く
仮想実験、ゲームとしてシミュレーションして
ゲームとしても面白く遊べるよう出来ているこのシリーズは偉大です。



今回の変更点は、兵士が拠点に所属するようになったこと。
従来、収穫した兵糧や税金として集めたお金やそれで買った軍馬や鉄砲は
国から国へ、城から城へ、拠点から拠点へと輸送するものでした。
そして兵士も同じ扱いだった。


自軍の後方、敵と隣接していない場所で集めた兵士は、
敵と戦う最前線にそっくり送る。
複数の敵と接している場合は、
ある国へ攻め込んでいる間に別の国に攻め込まれないよう、
守備の兵を残しておく必要がある。
どこにどれだけの兵を置いて、どこを攻めるか。


別におかしなところはないようですが、
ゲーム後半、弱小勢力淘汰され各陣営巨大化してくると
後方が完全に生産専門国になります。空気です。畑です。
お金やお米や兵士が生産されたら前線に送るだけ。
そして集結した最前線で決戦。その唯一度で勝負が決まります。
一度負けたら後ろにいくら国があろうと、中身からっぽなのだから。


一度の戦いで決まること、それはそれで戦国風だし悪くないのだけれど、
問題はこれが一人用ゲームだということです。
敵勢力は全て自動計算機担当なのです。
計算機は一度の決戦に全てを注ぎこんだりしないのです。
だって一度で終わるかどうかなんて判断できないし。
頭は良いけれど思いつけないことはできない。そして思いつけない。
人間も頭が良くないことを除けばたいしてかわりありませんが、
幾度も繰り返せば失敗から学ぶこともあるので、
効率良くやれば必ず勝てることにいつか気付くこともあるはず、と違いがある。


そしてまた、きちんと運ぶことで必ず勝てるゲームである、こと自体は悪くない。
運で決まるより納得しやすい。
けれどそのあとがめんどい。
勝負は決まっているのにまだ敵勢力はたくさん残っていて
工夫せずとも勝つことみえている作業を延々繰り返さないとゴールに着けない。
極端に言えば、このゲームは最初の一度をきちんと勝てば、
残りは同じことの繰り返しなのです。
序盤が一番楽しい。後半はどこの国で始めようとすること同じでつまらない。
従来の「兵士を輸送できる」仕組みには、こういう欠陥があるわけです。


とうぜん改善しようと過去作品もいろいろ工夫しています。
計算機の対応をもっと融通効くようにしてみる。
戦いが兵士の数だけで決まらないようにしてみる。
全ての国を取らなくてもクリアしたことになるようにしてみる。
対戦相手を計算機でなくしてみる、というのが
もっとも真因からの改善なのですが、
そうすると一人用戦国RPG信長の野望』ではないのです。
『国盗り頭脳バトル 信長の野望』の方が遥か雲の上に楽しめます。
将棋でいいじゃん。



そういうわけで今回は、後半だれるのを、
「兵士を輸送できる」ことを変えることでなんとかできないか、という例。
輸送できなくする。そうするとどうなるか。


兵士は各拠点、城が治める城下町ごとに所属する。
兵士の頭数を増やすには、お金払って募集するのではなく
内政、例えば街拡張とか周囲田畑開墾とか商業市投資とか、をすることで
城下町を開発拡大、人口増やすことで、集められる数が増えていく。


戦の際は各拠点ごと、その成長させた上限、最大人数までだけ出陣できる。
戦闘すれば傷ついて兵士の数は減るが、拠点ごとの最大人数は減らない。
最大数は人口増加で徐々にしか増えないが、
傷ついた兵士の最大値までの回復は、それよりはずっと早く上昇。
もちろん無事帰ってきた兵士はその人数分ちゃんと加えられて回復する。


実際の戦国時代でも後半になると、
はるばる遠いところまで出かけていく兵士もたくさんいました。
しかし前半では、兵士の多くは専業でなかった。戦のときだけ雇われた。
農繁期は出陣てきなかったし、
冬になって雪が降り帰れなくなるまでに、戦を終わらせなければならなかった。
兵士たちを返さないと、そこからの税金で動いている戦国大名も困るのだから。
専業兵士をたくさん用意すればいつでも都合良い時に戦争できるけれど、
彼らをずっと雇い続けるには、臨時雇いよりお金がかかる。
兵士は兼業なのです。副業なのです。負けそうなら即逃げるのです。
仕事で出かけた先に住み着いたりしないし、何年も戦い続けたりしないのです。


ゲーム的に、兵士を拠点所属、輸送できなくしてどう変わったかというと、
序盤からこれまでのゲーム中盤のように
守備に攻撃に複数の拠点をやりくりすることができる。
主力が進軍する一方、敵後方拠点を別働隊が狙うフリだけすることで
相手戦力分断したりできる。戦向きでない武将もこういう囮なら働けたりする。
また、攻められたとき、後方拠点から援軍にいくのに
それぞれを率いる武将が無能だと困るので
各拠点に軍事向き武将を配しておくのも大切になる。
兵士が拠点から拠点へ移動していくのに時間が経過するから
拠点ごとの位置、互いの距離にも意味が出てくる。
次はどの拠点を攻めるのか、先々見通して計画だてておくと上手くまわる。
別勢力からの援軍もこれまでのように単純でなく、辺り這い回ります。
そういった、兵士を敵より多く集め優秀な武将に率いさせ突撃、だけではない、
いろいろができるようになる。


全軍を一か所に集めての戦力集中運用各個撃破。セオリーです。
少数を大勢で囲んでボコにするほうが安定に決まっているのです。
ファイアーエムブレム』のあほ軍師とは違うのです。
けれど、全軍を集結できないからこそ、工夫の余地ができる。
兵士や武将をやりくりすることに、上手下手の差が出てきて、
成功したときに自分が偉い気分になれるのです。
いろいろできるからこそ、そうすることでより上手くいって評価されることが、
ゲームが作業でなくなることなのです。



兵士を拠点所属にして、序盤から軍事面でいろいろできるようになりました。
一方で、各城下町単位で兵士最大数を育てる必要がある分、
内政で命令しなければならない項目が増えるので、
その点かなり単純化されています。
かなり適当でも差がつかない。
どの拠点からどこをいつ攻めるのか、だけに集中できる。
工夫の余地が少なく、国力の育て甲斐はあまりありませんが、
弱小勢力を担当する場合はやっぱりわずかな差も大切。
運に頼る部分を極力排すのに、厳密に数字1の違いを詰める意味はあります。



序盤からいろいろできる、というのは、
従来の中盤をやや先取りしている、という面もある。
各拠点の意味を重くしたぶん、最初からどの勢力も複数の拠点を持ち、
日本地図が広くなって、敵対する拠点も多様になっている。
次第に所属拠点数が増える中盤以降の管理が大変になってきます。
また、序盤としていることが同じにならないよう変化を持たせる必要がある。
自勢力が拡大した価値を感じさせなければならない。
そういう観点から「兵士の拠点所属」に次いで
「軍団への強制委任」も重要な変更点といえます。


従来も「委任」の仕組みはありました。
中盤を過ぎ、他を圧する全国最大勢力となって後は作業と決したら、
大名は最後方に引きこもり、
他全拠点を「委任」にして残敵勢力征服をお任せするのがいつもの定型。
完全に惰性作業。


今回はその「委任」を、
序盤過ぎから強制で使用しなければならないように変更されています。
直接指示が出せる範囲が六十余州中の5〜6ヶ国あたりまでに限定されていて
それより遠くにある拠点には指示だせない。


なぜ強制にしたのか。
今までのように全ての指示ができ、
お任せすることもできるようにもしなかったのか。


既に上に書いたように、
今回は序盤からこれまでの中盤以降の複数の国を持っている状態以上に、
いろいろな進軍方法で敵と対することができる。
最前線の最強部隊がひとつずつ敵拠点を確実に潰していく繰り返しではなく
複数の拠点からの部隊が、敵の複数拠点のあちこちに張り付いたり離れたり、
複数勢力で戦ったり共闘したりできる。
その分、内政はごく簡略になっているけれど
最初からこれまでの最大に忙しかった状態が続くのは大変である。
複数拠点の兵力を充分に活用しないと確実に勝てないのは、
何も運でなく理屈も通っているけれど、
これまでの戦力集中運用でぷちぷち潰していくのとはまた違う、作業感がある。


なぜ委任の仕組みができたのか。
ゲームなのに操作しないで見ているだけの仕組みを、
なぜ遊ぶ方も作る側も必要と認めているのか。
些事は自動処理に任せ、美味しいところだけ楽しむことは、
多少の効率落ちることより優先されることもあるからである。
単純にいって時間がかかり過ぎるからでもある。


信長の野望』が一人用で、敵勢力全てが計算機担当だからでもある。
部下も計算機であっても、主力部隊は指揮でき総合指示ができるならば、
それでもゲームになるのではないだろうか。
全部指示しなければならないより、その方が楽だし楽しいのではないだろうか。


FC版『ドラクエ4』に「めいれいさせろ」はありませんでした。
戦闘に出るのは『ドラクエ3』と同じ4人なのだから、
全員に指示することができなかったはずがない。
信長の野望』の今回の場合がそれとまったく一緒であるとは言えませんが
ゲームの規模が拡大して、細かい指示を膨大に入力していかなければ進行しなくなった場合、
大枠だけ指示して、実況に合わせて適宜修正する、という形式でも
ゲームになることは多くのゲームが示しています。
いや、操作するということ、ゲームというもののほとんどがそういうものである。


今回の「軍団への強制委任」はこれまでと違い、
どこに攻め込め、という指示はいつでも出せる。
直轄軍や他の軍団が出撃したらそれを補佐して動け、というように指示してもおける。
まだまだ改善の余地はあって、
戦国後半戦、豊臣秀吉九州征伐したりするような場面で
大勢力を働かせるのにこの仕組みがうまくまわっているだろうか、
というとまだまだであるのですが
これまでの終盤での「全権委任あとはお任せ」とは違う、委任の活用意義は、
感じさせるものになっています。




今回変わったところも、まるきり新しいことでなく、
過去にも要素としてあったことです。
歴史イベントの「桶狭間」や「本能寺」はごく最初からあったし
人口の要素も『三国志3』などで既にありました。
できあがったものをみてみれば、なぜいままでそうしなかったのか、
不思議な事柄ではあるのですが
何事も新しいことはそういうものでもあるのでしょう。。
いかさま人は、物事を見たいようにしか見ない。見ることができない。


新要素により大きく変わったことがらは、
30周年記念とかにはめずらしく相応しいと大きく評価できますが、
大きく変わったからか、荒削りなところも多数みられます。


戦闘では会戦という形が提案されていますが、いかにも中途半端。
地図の広がりと武将数の釣り合いが不適当で武将それぞれの活躍が寂しい。
顔グラフィックを参照する機会が少ないなど演出も不足だし、
城主や奉行の任命といった情報参照指示にも整理が足りない。
内政の発展速度や朝廷を含めた敵勢力の外交は根本的に変化が必要だし
文化の価値もパッケージ絵で期待できるものが中にない。


歴史イベントで各武将のキャラクタに色づけしたのは
反発もあるかもしれませんが
信長の野望』らしさがあって今後楽しみなところ。
ただ成功条件や発生条件などの提示や誘導は不足している。
関ヶ原の戦いを大会戦という形で盛り込んだのも
今後さまざまな戦いへの発展可能性を感じさせますが
大勢力の運営という意味では、軍団制も含めてなお工夫が必要。


完成度、という曖昧なことばは排し、
遊んでいてゲームの仕組みからくる納得できなさ感じさせる面では
前作『天道』のほうが良く出来ていた。
今回の新しい取組みは充分に成功しているので
これを磨き、さらにより良いものが期待できるのは嬉しいところ。
それでもまだまだ戦国時代SLG戦国大名RPGとして良くしていくべき、
できるだろう要素は尽きぬほどあります。
次の30年も期待します。