inFAMOUS Second Son

inFAMOUS Second Son 【CEROレーティング「Z」】 - PS4


題名は「セカンドサン」だけれど「インファマス」シリーズ3作目。
前2作と主人公が異なるかららしい。
「FAMOUS」は「有名」、「inFAMOUS」で「悪名高い」。
「悪名高い」と「悪い意味で有名」の少しの違い、
有名の無名ではないほうの反対語とは、ほんのり違うこのかんじ。


作ったのはSucker Punch Productions。
「Sucker Punch」で「いきなり殴る」というスラングらしいのですが
こんどはスラング(slang)がどういう意味だったかとなる。
日本語で「俗語」。「大衆」みたいにあいまい概念。
もとい、最近名前売っているNaughty Dogノーティドッグ)と同じく
アメリSony Computer Entertainment子会社で、
ロード時間や舞台を構成する細部造形からも、高い実力が感じられます。
日本と違ってアメリカのソニーのゲーム担当部門は優秀。
主人公の年齢とかを見るに
日本のゲームをするひと達が相手に値しないからかもしれないけれど。
ちなみにNaughtyは「腕白な」。腕白という形容の古くも新しさよ。




なかみは一人用アクションゲーム。
現代アメリカのシアトルを舞台に、超能力を身につけた主人公が、
政府組織で超能力者を保護研究する機関の強権に反抗するお話。
銃でなく超能力で戦い、超能力で移動する。
能力はいろいろ種類あって、作中背景では「自然元素を操る」と説明されるけれど、
「煙」「電撃」「紙」「コンクリート」など、とっても人間主観概念ふう。
それぞれ、煙で眩ませたり電撃で拘束したり足元コンクリで固めたりで戦い、
移動にも使えて、
「煙」だと草叢や金網のような隙間ある障害物をダッシュですり抜けられたり、
エアダクトを通って建物内を高速移動したりできる。
ライオットアクト』とか『グラビティデイズ』のように
能力を使って都市の立体地形を自在に跳びまわり
直上強襲して敵蹴り飛ばしたり、高いところから一方的に狙撃して仕留めるゲーム。
能力のおかげでとっても強い主人公が、自由を制限する体制に勝利するアメリカ製。




アメリカはワシントン州にあるゲーム会社が造った作品。
地元はシアトルの街が、それっぽく再現されているのだとは思いますが、
ワシントン州とワシントンのどちらが北か、シアトルとシカゴのどちらが西か、
鳥取と島根のどちらが左かアメリカの方々が知らない程度に知らない日本人なので、
それっぽさの苦労が作る感激が伝わらないのは残念である。
シアトルがワシントン州にあること、
ワシントンがワシントン州にないことも知らないし、
そこが西海岸か東海岸か、そもそも海岸にあるのかもを知らないひとが遊んでもな。
ちなみにシアトルにはAmazon本社と
マイクロソフト本社とアメリ任天堂本社があるがソニーはカリフォルニア。
E3はロスアンゼルス開催だし……(震え声)。


このゲームで印象に残るのは、
高いところへの移動には建物を足掛かりにしなければならない、という点。
どんなに高いところから落ちてもダメージはないけれど
多くの能力で跳躍できる高さは常人とさして変わらない。
高いところへ登るには、エアダクトを利用したり壁面を駆けのぼったり、
いずれにせよ高い建物がなければならない。


なぜこうしなけれなならないのか。
単純に超人的ジャンプ力では駄目なのだろうか。
そういうように見てみると、
立体的な演出には、高いところと低いところだけでなく、
建物の壁面、立体の側面も大切なことがわかる。


すごく古いゲームだけれどPS1 の初期作品『ジャンピングフラッシュ』では
見下ろし視点で高さを表現していました。横視点でもなく、斜めでもなかった。
PS2 の『Shinobi』では、空中連続ダッシュ斬りだけでなく、
ニンジャの壁走り、壁から壁への跳躍に、舞台の立体活劇感がありました。
平面の画面内にある立体をどう映せば、奥行きと同時に高さが表現できるか。
Wiiの『マリオギャラクシー』では重力中心がその内側に多数存在することで、
「壁」と「地面」の区別ではなく、カメラ視点でそれを表現した。
手のひらに収まるゲーム機の操作自体で、
その重力を自在に操ることができる『FF13』、
でなくてVitaの『グラビティデイズ』は、
奥に向かっての自由落下をカメラ方向に固定してそれを表現した。
横視点、真上視点、斜め、斜め後方、主観、カメラ視点操作。
そうして平面の中の立体を表現してきたわけです。


シアトルという都市を構成するよく見慣れた街並み。
どこにでもあるその建物ひとつひとつが足場となり、
縦横に加えて高さの箱庭を作っている。
高いところに登るためには高い建物の、
それを形作る壁があることで、初めて叶い得る。
下から見上げても、上から見下ろしても、視点をどこにおいても、
揺るがなく動かず同じところに同じくある地形。街並み。都市。
どこからも現実味のある風景であるからこそ、立体にできていることに、
そこを操作して、重力の不自在さが動き回ることにあるからこそ、
重力に気づくことができる。
オープンワールド」とかいわれても
「ゲーム性」とか「世界観」と同じくなんだかわかりませんが
百家言より一景色。
現代都市シアトルを現実的につくることのほうがわからせてくれます。




建物はビルからビルへ跳びまわり、地上を高速駆け回る用の大きさで出来ており
車に乗って走り回ると窮屈すぎるだろう広さ。
複数の能力で様々な視点から眺められるようにした工夫はありますが
いささかもの足りない。
能力それぞれの差別化も充分とは言い難い。
お話の進行で上位の力が解放されていきますが、いかにも中途半端。
このあたり海外ゲーム共通に、主軸から外れた全体構成への気の使えなさがあります。
多数同士の対人対戦は作れても、
様々な能力で構成された一対一の対人対戦は作れないその感じ。


敵は市民が周囲にいようがお構いなしにがんがん銃撃してくる戦意の高さですが、
機関銃は一部しか配置されていないし広範囲攻撃手段も持たないし
チームとしての連携もなく、対超能力者組織としてまことお粗末。
上の都市設計と同じく、序盤の無双感は良くとも次第に新しみなくなってきますが
日本製アクションゲームのように、
操作で可能なあらゆる手段を駆使させようとする場を用意しなければならない、
という決まりの必要なのかといえば、疑問ではある。
一人用アクションなのだから、あるべきではあるが必須ではないべきなのか。
在る時点で埋めつくせていない部分ができてしまうことを許せるかどうか。


敵との戦いは極力止めをささない善属性と
一般市民が巻き込まれようが躊躇しない悪属性でお話展開分かれています。
敵組織を打倒すると称号は「Justice」。
良いねアメリカはこうでなくっちゃね。
Light-DarkよりLow-Chaosの方がしっくりくる日本製設定に毒された身にも
光と影の濃淡強い一神教調、見てる分にはおもむきぶかい。
対して、敵のみなさまは前述通りあまり賢くないですが
巻き込まれる一般市民のかたがも、なにもせず逃げ惑うだけなのはやや興ざめ。
市中でガンガン銃を乱射する組織がのさばっているのに気力なさすぎ。
クレイジータクシー』のように頑張ってほしいものである。
でもこれは日本のみた向こうでしかないのだろうか。


主となるお話は、流石に容姿完備の十代後半男女しか主人公になれない日本と違って
至極まとも。
相棒との連帯感や適役の狭い憎らしさなどの娯楽活劇定型を描かせれば
見事な安定感。
最初に書いたように、構成する個々の素材の質高さ、
お子様向けでない開かれた視座彼の景色は素直に羨ましい。
けれどゲームとしての、主筋からそれた舞台の広がりとなると途端に色褪せる。
これだけの都市に様々な人々が動き回っているのに、もったいない。
でもこれもやっぱり、あれもこれもと余計をもとめて本筋おろそかにしがちな、
日本製の悪いらしさであるかもしれません。




超能力で重力から解き放たれ、地形施設を無視して自在に跳びまわるゲームとしては、
大変素晴らしい一級品。
グラビティデイズ』のような革新性はないけれど、
幅広く超能力の表現を取って、
単に身体能力拡張にとどまらない全能性が表現できています。
スモークのエアダクトを探す感じと、
ネオンの飛び降りるときの不自由感、
高さ方向横奥行移動の程よい不自在さが良い感じ。
ただ、重力の表現はかなりおおざっぱ。
落ちていってしまう感じがあってよかったし、
舞台端の表現などももっと工夫できたはずだし、
敵拠点の攻略だってもっと幅を持たせられたはず。
敵との戦闘は、突っ込んで一人相手に適当連打、
倒したら離れて回復してまた別のに突っ込む、という安易さでなく、
ちゃんと能力の違いと地形を活かして立ち回れるようにはなっていますが、
操作の共通化で煩雑さを減らす意図はあるにせよ、
ここでは能力属性の切り替えの違いが充分でない。


全体に、高い技術と素材品質によって作られ、
現代都市という舞台風景が魅力のアクションゲームではありますが、
それを活かしきるには、もうひとつ核となる売りに欠ける感じ。
能力の成長とか、多彩のアクションとかではなく、
ひとつごとの敵との戦いの工夫必要さに、
もう少しアクションゲームとして掘り込みがあれば良くなっただろうもったいなさ。


ライオットアクト』より圧倒的に高品質だし
グラビティデイズ』より細部造形の確かさによる面白さの総量は上。
日本人なのでアメリカ地元風味がわかれない残念を除いても、
入口とても良くできているけれど、遊び終えてみるとやや物足りない。
主観視点で銃撃で、広い街を車で走り回る、といった型に嵌った停止状態より
見どころ合ってよい作品でしたが、あと一歩欲しい贅沢感。