2017年を顧みる


今年も3回しか書かなかった。けれど反省はしない。
書けなかったのである。かなり頑張った。
今までも頑張っていたが今年も頑張った。努力した。
結果が伴わないのは自分の力がないからなのだ、と。
ということで回顧はしても反省はしない。
よって、書かなかったという事実が書けなかった結果を残すのであった。
逆か。




2017年を全体的に振り返ってみると、3月に発売されたNintendo Switch
意外なほど成功したのが第一の驚きです。
1年とたたず『ゼルダ』も『マリオ』も出て、『スプラトゥーン2』も出て、
という弾の豊富さもさることながら
テレビにつなげなくてもつなげても遊べるという、
Wii」「WiiU」ともまた違うその在り様がさらっと出てきた点。
もはやテレビにつなげないとできない「テレビゲーム」の時代ではないのは
スマートフォンを触る時間割合から明らかなところに出てきた新機軸。
来年以降、この勢いがどれだけ続くのか、
任天堂製以外のゲームがどれだけ出て売れるか、大いに注目のところ。




次に大型の話題というとやはり『ドラクエ11』。
ペルソナ5』も出たし先のマリオゼルダと今年は大作集中。
大作以外は話題にならない、みんなに共有されず生き残れないので
大作にせざるを得ないように結果からはみえますが、
どちらもちゃんと2017年発売作品にかなう新しさある作品でした。
FF15』はどうみても自分向けではないので視界のそとで。


何年も掛けて作っていたのに、
出たときはちゃんと周りに比べて古くなっていない程度を保てるのは
大変なことだと思いますが、
新しさの更新程度とは所詮そういうものかもしれない。
ドラクエ11』はPS4版と3DS版が同時発売で、
3DS版はあえてみためを20年前風にしている。それでもゲームとして変わらない。
差がない。
RPGだから『ドラクエ』だから、だからこそ成り立ち許されるとは言えるにせよ、
この種のゲームにとっては見た目表現の仕方はみためだけのことであって、
『ペルソナ』の『2』までと『3』以降の違いや
ドラクエ』での「じゅもん」「しょくぎょう」「とくぎ」の割り振りこそが
RPGの30年間の進歩、新しさでしかなかったことを知らしめてくれました。




スマートフォンを主戦場とし、その商売規模と遊ばれている総時間で
「テレビゲーム」に取って代わった基本無課金ゲーム群。
私も今年はそこに大量の時間を費やしていました。
お金は1円も掛けていないけど。
掛けるに値する価値がないから、とするにはあまりに掛けた時間が見合わない。
アーケードゲームと家庭用ゲームと基本無課金ゲームが並立する奇妙さよ。


遊ぶほどに従来とは違った方向に良くできていると感心します。
毎週更新のたびに新要素が追加される。新規課題に新キャラクタ。
手持ちの育てたキャラクタたちには余裕でこなせるものだけど、
自己制限を掛けたりすれば作業にならず楽しめる。
そこで得られた報酬を投資して新規キャラクタ入手くじに挑む。
外れても一切が無になるわけでもなく、手持ち戦力はそれなりに強化される。
そしてこの毎週更新の過程が持続延々繰り返されて、
終わることなく行き着くことなく、壁に当たって行き詰まることなく、
はじめにもどる。前回よりわずかに強くなった程度が堅実に先に進んだ気にさせ、
毎度新鮮に遊ぶことができる。


お金をかけなくても、みんなで毎週の感想を言い合っているだけで楽しめる。
より大勢が楽しんでいるところでは、お金をかけて圧倒的戦力を揃えることが
たくさんのみんなに羨ましがってもらえる。
ゲームを上手く解き強く勝つ工夫も技術もなくとも、時間をかけなくとも、
みんなに本当に素直に、条件の公平さから負でなく羨んでもらえる心地良さ。
お金でゲーム内のつかのまの地位を買うことができる。
そのことがそのゲーム作品を作り運営する以上にお金を稼ぐことになろうとは。


まったく人間の原理に根差した強固に無駄ない仕組みのできばえで、
なぜパッケージソフト売って終わりのゲームは成り立っていられるのだろうと
むしろ逆転して感心します。
一方でアーケードゲームもひとつのゲーム集金システムの異形。
中間に家庭用ゲームを置き、基本無課金のそれと比べればあまりに特異。
材料買ってきて家でつくれば何十分の一のお金ですむのに、
自動販売機はどこにでもあり、外食産業は高級廉価多種多様に成り立っている。
面倒だから、手間の問題というだけではない。
人間が複数集まってできるやりとりの有り様、商いの仕組み、企業の成り立ち、
社会の構造が、無駄に価値をつけることでできている。




そういうでかい話ともべつに、
そういう毎日さくっと遊んで苦にならないゲームにくらべて
ドラクエ』のようなテレビゲームに向かわなければ遊べない、
ゲームの重さも印象的でした。


「テレビゲーム」が負けたのは基本無課金のゲームではなく、
スマートフォンで気軽に潰すことが出来る時間。
そのほうが楽で楽しいから。
テレビゲームは楽じゃないのだ。失敗したらやり直し。掛けた時間無駄。
失敗しなくても工夫しなかったり下手だと負ける。
ゲームごときに、娯楽、ひまつぶしごときのために、
頭使って手間かけたりしないとならないなんてそんなのやってられないのである。


頭使って工夫して、練習して仕組み覚えて、上手くなって強くなってが
楽しいゲームももちろんある。勝つことが楽しいのでなく、
そうやってゲームに詳しくなって解けるようになっていくのに、
つまらなく大変で面白くないところがあっても、それ以上に気持ち良く心地良く
成果の達成を喜べて、苦にならないゲーム。
しかし、そういう良くできた、それぞれのその時の嗜好に
合致したゲームばかりではないのだ。そういう場合だけではないのだ。


単純な仕組みの関係でも、気の合う友人と夢中で楽しむと、
生涯かけがえのないほどの楽しさ心地良さを得られる遊び、仕事、
することしたことがある一方で、
誰もが素晴らしいと称賛する環境と背景を持っていても、
自身の心がそのときたまたま応えなければ、何も得られないこともある。
同じゲームを同じひとが、同じ過程を経て同じときに遊んだ結果はひとつだが
そう限定でもしなければ、つまりひとつではあり得ないということのだ。


毎日の空いた時間を埋める娯楽、その日ある日の一日ごとに、
今日もそれなりにまあまあ満足できたと達成した感じを得るためには、
「テレビゲーム」は、あるいはスマートフォンでのひまつぶしに劣るのである。
ゲームの敗北ではない。軽さ、気楽さのかまえの程度だ。
さまざまな娯楽があり、個々時々のもとめに応じて取捨選択する。それが正しい。
娯楽にも質の高低があり、掛けられた手間の大小があって商売の思惑がある。
しかし選ぶときにそんなことは問題ではない。
限られた余力、その日の気分、あたまの向く余裕と今日までの連続。
手に取りやすさ。
それが自身の今後にとってどれだけ糧になるか、その物差しは娯楽に合わず、
日々に必要とする娯楽の負荷も見返りもそれぞれだけれど、
何年も掛けて作られる大作でなければ、多くのひとに注目してもらえず、
長く大きく遊んでもらえる商品にならず、
だから作られることができないので成立しない種のゲームには荷が重い。


Nintendo Switchで出るゲームが今後どうか。
3DSはどうか。Vitaのようなゲーム機は成り立たないのか。
PS4のような形は残るにしても、これらの今後がどのように在っていくのか、
2018年には期待したいところです。





2017年も終わりです。
このサイトもしつこく続きます。年に数回更新で。
果たして読んでいただいているかたがどれだけおられるのかわかりません。
書いている本人も年に一回、しぶしぶいやいやながら
しかたな〜く読み返しているようなものを公開して良いのだろうか。今更。
世間さまにあたえる影響は海原に落ちた一片の枯葉の如しな気楽さで
また来年も気が向いたときに書いていきたいと思います。


今年もお疲れさまでした。来年もそれなりに無理せずがんばっていきましょう。
良いお年をお迎えください。