アサシンクリードオリジンズ

アサシン クリード オリジンズ【CEROレーティング「Z」】 - PS4

鷲か鷹か。
なぜこの使い分けが生まれたかの謎にはとくに迫らないシリーズ10作目。
2017年10月発売の最新作は、
これまでのシリーズで語られてきた暗殺教団の起源が明らかとなるお話。
プトレマイオス朝末期エジプトが舞台。
私は10年くらい前に1作目を遊んで以来、
途中は一切知らないので比較とかはできないのですが
ゲームシステムも一新されたらしい。らしい。
10年前と比べると背景の描き込みはさらにまた別境地。
ゲーム内表記でだいたい縦横10kmくらいの広場を隙間なく埋めつくしており、
もちろん自動生成もたくさん使っているだろうけれど、
よくぞこれだけの物量を埋め込んだものとあきれる。




システムは一新されたらしいとはいうものの、基本的にはこれまで同じく、
こっそり忍び込んだり高いところから飛び掛かったりして
攻撃可能な相手をざっくり処すのが目的。処す?処す? Z指定です。
主人公はエジプトのメジャイ。
メジャイについてはあえてかゲーム中説明ないですが、
警察組織がない当時の、街の用心棒的位置にあるものと思われる。
本来は王室守護者という公的立場から始まったものが
やがて力なき民衆の守護者としての自覚に目覚めた的な。めざめのじかく。
主軸のお話である、エジプトを陰から操ろうとする秘密結社の追跡、
悪い政治家の成敗、きたない侵略国家ローマの撃退などのほかに、
街の困っているみんなのお願い、ひとだすけをする脇話が多数用意されている。
敵以外はあんさつできないのだが、
馬で爆走しているとつみなきひとびとも轢いてしまえるのは
不可抗力というそれである。しかたない。


主人公は主人公に相応しい超人的な能力の数々を備えており半端なく最強。
負ける要素が見当たらない。
大剣で身体の真ん中ざっくり刺されてもすぐ回復。
50mくらいの高さから飛び降りても下に藁の山が敷いてあればダメージなし。
鷲だか鷹だかの相棒と同調することで無機物でも遮蔽越しに位置を特定でき、
同調しなくてもやっぱり遮蔽越しにリアルタイムで敵行動が見渡せる。
この超人から日夜場所問わず突然襲い掛かられる敵性認定された方々には
まこと同情を禁じ得ない。
良いローマ人だってたくさんいるはずだが
暗殺者にはそんなのかんけーねーのである。
悪くないローマ人だけが良いローマ人なのである。
どっちだかわからない場合処されてやむをえないのである。
それで多くのやっぱり罪なき人々が亡くなって家族が嘆き悲しんで
主人公と仲間に対し復讐誓って何千年も恩讐続いてもしかたない。
それが暗殺でテロリズムなのよね。
復讐は何も生まないよ。主人公には敵わないから諦めよう。
暴力には理不尽に暴力で対抗するしかないのが現実なのよさ。
少数個人の理想実現という大義の前に多数の不幸という小事は必要な犠牲なの。




従来通りフリーランニングだかパルクールてきな動きで
主人公はエジプト中を駆け回る。
いわゆるオープンワールドで、街と洞窟と敵基地は
すべて等尺破綻なく組み合わされて用意されており、
もちろんギザの大ピラミッドもアレクサンドリアの大灯台もあって
ゲーム上表記に従えば本物とほぼ同じ大きさ。
灯台の天辺まで登れるし、
ピラミッド中には4500年明らかになっていない秘密の部屋が用意されている。


ここでちょっと脇道にそれる。
私はオープンワールドというものを凄いというひとが嫌いである。
オープンワールドだからすごいとかいう意見には
従来より書いているように、まったく賛同できない。
遠くに見えるところにそのまま行けるからなんだ。
その時点で影響を及ぼせるのは周囲数十mだけで遠くは絵でしかない。
塊魂』みたいなゲームでないとオープンワールドの意味がない。
舞台は広いほうが良い。ロードは短く見た目はきれいな方が良いように。
だからロードなしに続けて移動できる場所が拡がるのは結構なことだが
それがある一定段階を越えるとオープンワールドと名乗ることができて
それで何か新しいゲームの面白さがあるように言われても困る。
本作で男塾直進行軍ができるのは楽しい。『ライオットアクト』も楽しかった。
でもそれはオープンワールドであることとは関係ない。
単純に10km四方に渡って埋めつくした労力に感心するだけである。
そしてだから何、それがどう面白さと関係あるの、と思う。


まあともかく。
ピラミッドの頂上に座り、ここは2000年前だけど、
このピラミッドはこの時点でさらに2000数百年前に作られたのだなあ、
4500年前のエジプトが、歴史SF小説で人間進化段階に到達したと見なされ
中世を跳ばす介在を為されなかったのか不思議だわ、
などと思い耽ることができるのは、日本のゲームごときには成せない境地。
それだけで本作の価値がある。






微妙なところを挙げていくと、
相変わらず現代編が意味不明とか日本語訳が手抜きとかを置いて、
主人公の強さを引き立たせるための敵側に魅力が薄いところ。
お話としてもゲームとしても。


お話としては、
この時代のエジプトを舞台にしているのだから
当然能力値史上最高級なローマの英雄とかその奥さんと弟とかも登場するのだが
これらの方々の事跡は当然ご存じですよね基礎教養ですもんねという感じで
はなはだ説明不足である。
ゲーム中の説明では主人公たちが誰と協力してなぜ失望しているのか
あんまりよくわからない。
パトラ子さんがギリシャエジプト人
容姿でなく声が魅力的なことは知っていても
プトレマイオスとの関係やローマは結局エジプトで何をしているのか、
後の帝国はきれいな侵略なのか、お上が誰だろうが庶民に関係ないのか、
わかる日本人は少ないのではなかろうか。


横暴なローマ人がエジプトを攻めてきているので撃退しよう、
悪い政治家はエジプト人でもやっつけよう、というのはわかるが
それでなぜ暗殺教団なのかは、いかにも説明不足。
もちろん2000年前のエジプトについて制作チームは充分に調べ、
私を含む大多数のこのゲームを遊ぶひとより詳しいことは充分察せられるし、
当時の常識を現代の感覚で正すことはできない。
しかし主人公は暗殺者なのである。テロリストで現代では絶対悪。
それを主人公として楽しく活躍させるお話である必要のために
そうあるべき理由を現代から正しく描かなければならないのだ。
このあたり日本の世界史に対する興味すなわち文化が
欧米と比較して異端なだけのような気しかしないでもないが
ちゃんと考えられて至るべきへ帰着しているだけにもったいなく思う。



ゲームとしては、
不気味の谷と表現されたみためのコンピュータグラフィックと現実の溝を
フォトリアリズムとありあまる処理能力が強引に埋めてかかって
懸念されていたより気にならなくなっているのは昨今ご存じの通り。
充分にお金を掛けなくても絵が現実と区別がつかないのが現行技術。
ちゃんと遠目にも微妙な感情表現が伝わってきて、
訳はともかく声の演技は費用対効果で十分に成果を上げており、
ぱっとみの仮想世界が現実の価値を一面では越えるのもそう遠くないと思われる。
問題は動きの方。
いわゆるムービーシーンで人間の演技を移し取り動きを付けた場面は問題ないが
それ以外の普段。


もちろんその面でも従来より格段に進歩はしている。
道行く民衆ひとりごとに当たり判定がほぼ見た目通りあり、
それを操作する主人公だけでなく、先導したり後ついて歩く人物も
ちゃんと人垣かき分けて進んでいく。
騎馬が迫ってくれば声上げ驚いて避けるし、
朝から晩まで同じ場所で同じことをしているのではなく
それなりに意味のある動き付けをそれぞれ全員が、
10km四方に存在する全人物が指定されている。恐るべき労力だ、
けれどみためがますます問題なくなっててきているだけに、
比較して、指定された可能な動きの未成熟さがあまりに目に付く。
主人公の弓でヘッドショットされ人が遺体に変わる。
周囲の人は、おおう、と驚いて周囲に敵を探す。みつからない。
よし諦めよう。
遺体を片付けようとするのはまだ良い方、大抵は何も起きなかった日常に戻る。


エジプト各地に主人公に潜入され要人制裁されるべく待っている敵基地がある。
民衆を襲ったりしない。
力なき民衆より気持ち良く倒されるためにある彼らの方が多勢なのだから。
普段すなわち主人公が動き出して止まるまでの仕事は周囲を警戒。
STGで隙なき全方位攻撃が無いように全方位は知覚できない。
主人公に壊滅させられても時間経つと
主人公の見ていない隙に要人以外は再生する。
それはいいのである。こういうゲームなのだから仕方ない。
取れる宝箱と取れない宝箱を明示するのは大切だ。
問題は敵としての性能である。
仲間が倒れて敵が潜入しているなら、一致団結協力し合い
集団で主人公を追い詰めようとしなくては。
全員で掛かっても返り討ちにあうとしても、その努力はしなくては。
倒される芸の幅を拡げなくては。
直接視界に入らなくとも仲間の助けを呼ぶ声が聞こえなくとも、
ほどよくなんとなく雰囲気を察して仲間の危機に集結できる程度のことは
することができなければ、もはやみために見合わない。


単に本作だけの問題ではない。
操作され常勝が義務付けられた敵主人公に対抗するすべての組織において
それなりの歯ごたえを如何に表現するべきか。
一本道のゲームならさほど問題ない。
そしてみため表現がまだまだ未熟だったころも仕方なかった。
けれどこういう、いつでもどこからでも敵が襲い掛かってくる環境にあり、
感情表現ができるまで成熟したみためを持つゲームにおいては
そこの不自然さこそ、単純な労力の積み上げだけでは埋めがたい、
新たな不気味の谷である。




舞台は広ければ広いほど良い、という目標を
強引に力技で埋めてしまう労力にはただただ感心させられる。
遠くを眺め近くに寄っては、その造り上げられた要素の積層に、
よくぞここまで無駄なことをと思う。
エジプトを10km四方で表現するのは無理があり過ぎる。
景色を眺めるだけのゲームをゲームと呼ぶなら広過ぎるかもしれないが、
そこで暮らす人々にとっては狭すぎる。
そこで冒険活劇という分野の操作できるゲームをするにも、
やはり広いようで狭い。


遊べる時間が長いほど印象深いわけではない。
量が多いほどより良さがある可能性が高まるが、
長時間の映画が短編より常に優れているか。
娯楽作品は良さと間だけで出来ていなくてはならない。
常に現実の人生とは異なることを意識し、必要な場面の取捨選択が必要だ。
単純に街と洞窟と敵基地と、大灯台とピラミッドを等大に表現して
間をそれっぽくだけで埋めていくだけでは
いかにそれっぽさが偉大であろうと歪な模倣。
何もしない何もない時間と空間をいかに描写せず描写するか。
それができなければ世界は狭いまま。
どんなに手間暇かけても現実や想像より窮屈なままなのだ。
遊べる場所が広いほど良い。待ち時間が短く景色はきれいな方が良い。
けれど今のまま、ただ拡がっていくだけで面白さが同様に増えるだろうか。


課題が明確であるとは言える。
解決策も様々なゲームがつくられていくなかで増えていくだろう。
先細りでまったくつくられなくなっていくゲーム分野より
余程魅力ある分野であるのに違いない。
まだまだ未完成、中途半端な出来栄えの現状ではあるけれど
新たなものが見られるかもしれない期待を先に抱くことが
ひとつの持ち味であるのは確か。
果たして10年先20年先この種のゲームがどうなるか、楽しみです。