ランス10


忙しかったり暑かったりで2月末の発売から半年経ってしまい、
いまさら感を通り越してそんなのもあったなそういえばの境地。
今立ち上げてみたら200時間以上遊んでいたゲームの感想を
書かないわけにはいかない。ではなかった、わけがない。


というように感想書いて、一晩寝かせておこうと思ってはや一月。
ああ、もう、まあ、うん。
完全に書き方忘れたなあ。ゲームの遊び方すら忘れた。
いままでどんなゲームを遊んだか思い出そうとしなければ思い出せない。
端から忘れていくのでなんでもすごく新鮮だ。遊ぶ気力さえあれば。




で。
この『ランス』シリーズは30年くらい前に最初の作品が出たのち
同一設定、同一主人公で延々話が続いていることで有名な
PC18禁の雄と呼ばれて久しいアリスソフトの看板作品群。
ゲームの分野で対抗できるのは『イース』シリーズくらいか。
でもあれは『ゼルダ』みたいなものか。
確かに同じ主人公で全体としてひとつのお話と言えて、
ながなが続いてきちんと完結したのは珍しいかもしれない。
この10作目はシリーズ最終回。
長年培ってきた全ての素材にケリをつけ綺麗に終わった。ただただ偉い。


シリーズ中では2006年の7作目『戦国ランス』が傑作として名高く、
信長の野望』のような「国取りSLG」の自国を大きくしていく楽しさと、
登場人物たちにRPGのようなお話の起承転結を並立させた空前の作品。
こんなゲーム形式がありなのか、
PC18禁でありながらここまで面白いゲームあるのかとその存在を知らしめた。
シリーズ他作品も多くが個性的。
出来ばえ凹凸はあり、30年の時間経過で色あせた面はあるけれど、
どれもRPGSLGといった分野においてこういった表現もありかと唸らされ
一般向け分野に伍する程度の最後まで遊ばせる力を兼ねて備えている。
18歳以上であれば『ドラクエ』『FF』『テイルズ』『ペルソナ』だけ遊んで
いわゆる「アクション性のないRPG」をわかった気になってはいけない。
ランス6』『ランス7』も遊んだこと無くそれを語るなどおこがましい級。


前作『9』が同メーカ製旧作品の焼き直しでありながら
中途半端な仕上がりで元より劣る凡作であっただけに
シリーズ最終作と制作前より公言されていた『10』が
どういう出来となるか危ぶまれていたが、見事その懸念を払拭。
掉尾を飾るに相応しい、『戦国ランス』に並ぶシリーズ中の傑作である。
ただいきなり本作から遊ぶのは、『戦国ランス』と違って合わない。
30年に渡るお話すべての設定に解答を与える立ち位置だけに止むを得ない。
アリスソフトゲーム初心者は
是非とも『ランス6』『戦国ランス』のいずれかを先に試してほしい。
なお『ランス8』も分割商法である一点を除けば良作である。




『ランス10』の構造は、分類するならSRPGだが
ファイアーエムブレム』のようなとは異なり
『ブレス オブ ファイア5 ドラゴンクォーター』のような、というのが近い。
経験値稼ぎをする寄り道が基本的になく、話が進むほど敵は強くなり、
どこまで高くなるか判らない壁を最後の最後まで越えるまで、
徹頭徹尾の戦力資源育成活用が求めらる種類のゲーム。
『ドラクォ』と違っていくらでもいつでもセーブでき、
戦闘一回ごと何度でも即やり直せるのだが、
容易にやり直せ、それでいて何度も付け加えれれないだけに
全戦闘で最善結果を積み上げていかないと不安にさせてくれる
延々続く綱渡りのひりひり感が楽しい。
『ドラクォ』を遊んだことのないひとに説明するなら、
すごくターン制限が厳しい『信長の野望』という感じ。
無理だろ無理だろと思わせるがしかしこういうゲームになっている以上は、
極端に変なことはしていないから最後まで行けるように出来ているはずだ、
あるいは
ゼルダ』での先に進むためのパズルが解けないように出来ているはずがない
自分のソフトだけが進行不可のバグで詰まっているはずがないのではずかしい、
という製作者との疑心暗鬼な進行に、こころをぐりぐりさせるゲーム。


舞台設定もそういうゲームの仕組みに合わせ、
極力無駄のない行動を求められるものが用意されている。
前作までにおおむね大陸各国を回って信望を勝ち得てきた主人公たちに対し、
冒頭、大陸全土に魔軍が攻め込んでくる。
オーストラリアほどの大きさに全人口2億ほどが住んでいるが
何もしないと数か月で全滅する。頑張ってもどんどん減っていく。
主人公たちはすべての人びとを助けることはできず、
あるいは人類の半数を失いながらも乾坤一擲、敵首魁を討ち取れるか否か。
過去作品に出てきた仲間たちと協力し
各国軍が頑張って死闘しているのを後ろに敵陣最奥に潜入して勝機を掴む。
これまでになくまじめで遊んでいる暇のないお話だが、
主人公ランスは主人公に相応しく、これまでと同じように活躍してくれる。
本作を遊んでランスの働きを評価しないひとはいないだろう。
本当に良くやった。偉大だ。英雄だ。主人公だ。




本作が『戦国ランス』に並び、あるいは越える傑作であるというのは、
そういう完結作に相応しい、
過程と結果のめりはりからなるまとまりの良さだけにあるのではなく
やはり本作でも空前に類を見ない独創の戦力活用ゲーム構造が用意され
作品に合っていて、見事に機能しているからである。
なぜ世に数多ビデオゲームありながら
戦国ランス』や『ランス10』を生み出したのが
予算規模の限られたPC18禁向けゲームメーカーなのか。
そこに深い解答などない。ゲームを作る能力の高低があるだけである。


お話はそれぞれを数週間ごとの出来事として15程度のターンに分けられ、
各ターンごと大きくどの方面で作戦を行うか選択する。
各作戦ごとにどこへ行って、どのボス敵をどう倒すためにこうしてああして、
という選択肢で選べるいくつかの流れが用意されていて、
その過程で雑魚敵との戦闘、新たな仲間の加入やアイテムの獲得、
ときに全体動向を左右する敵味方彼我の戦力上下イベントや
お話の流れを結末まで決定付ける分岐点がある。
話のどの場面で何度、おおよそどの雑魚敵と戦闘するかも、
どこへ行き誰と会話をすることで何が起こるか決まっているのと同じく固定。
またその流れの全体もいつでも確認できる。
つまりあと何回くらい雑魚と戦い、どれくらいイベント過ぎると
ボスと戦わなければならないかが最初から見えている。


ひとつの雑魚敵との戦闘ごと、3ターン以内や残体力10%以下勝利で
獲得経験値ボーナスがついたりし、
戦闘後得られる仲間も2〜3人のうちから1人だけを選ばなければならない。
どの戦闘で誰を入手できるかはターンごとの作戦開始時に決まるので
リセットしても意味があまりないが、
どの仲間を得たかによっては変わるので安易ではない。
仲間1人はレベルによって増加すると体力と攻撃力、そして2つのスキルを持つ。
仲間は出身や種族や立場ごと10チームに分けられ、
戦闘には最大7チームまで、各チーム代表者1人を出撃させることができる。
体力と攻撃力は代表者の能力値*5+チームごと残り全員の合計。
つまり誰か1人を育てるだけでは限界があり、
といって全員をまんべんなく育てなければならないわけでもない。
スキルはそれぞれ最初から最後まで変化することなく、
戦闘で使用する通常攻撃と必殺技、ステータスを上げる補助魔法、という構成もや
戦闘にでているだけで効果を発揮する、
戦闘にでなくてもそのチームを戦闘に出すだけで効果を発揮するものなどがある。


要は、限られた経験値を、
ある程度運良く入手候補に挙がったメンバーから選んで得た誰かたちの中から
どのボス戦闘前までに誰にどれだけ配分するかを常に選んで、
また雑魚戦闘では短ターンクリアできるよう戦力を維持しつつ、
ボス戦闘ではどの敵行動ターンで誰に何をさせるかを想定して
どのチームの誰を出撃させるか選ぶのである。


ざっくりいうと「『エムブレム』みたいな」SRPGである。
誰をいつまでにどの程度育成させるかは結局、
どの時点で倒さなければならない敵がどれくらいの強さで、
どういうメンバーを集めて育てておけば有利になるかは、
戦うまでわからないのは普通のRPGも変わらない。
したがってこの『ランス10』も
一周目はごく普通に繊細に、有能そうでまだ入手していない面子を選び、
場面毎の経験値帯でレベル伸びが悪くなったら次育成候補に変えて、
ボスはまず行動パターンを観察したのちロードして
手持ちのスキルとレベルを眺めて最善そうな構成で挑む、という方法でよい。
主人公ランスがここではこうするだろうという「ランスらしい」行動を選び、
長期を見据えたラストエリクサー症候群の慎重さを怠らなければ
最善のエンディングを見ることが出来る難度になっている。


これだけでも良くできた佳作の出来栄えだが、問題は2週目以降。


2週目以降は持ち越し特典として得た仲間も上げたレベルも附いてこないが、
獲得経験値アップなどを付けることができる。
敵の強さは1週目と同じ。戦い方は分かっている。有利である。
そこで1周目は歯が立たなかったので
ゲーム内時間を掛けて戦力を蓄え撃破したものを
なんとかゲーム内短時間でクリアできるよう狙うわけである。
そうすると敵戦力が早期に減少して人類が有利になり、
1周目では起こり得なかった展開も起こるのだ。


これが面白く罠である。先がどうなるか解っているからこそ楽しく苦しい。
敵の強さも行動も有利な戦術もわかっているのである。
すべての戦闘はなんどでもなんどでもやり直しでき、
またクリティカルが出たり回避したりと運要素で結果はそれなりに変わる。
でも入手できる戦力資源は同じ程度。しかもまったく同じでなく、
場合によってはすごく使える仲間が手に入ることもあれば、
これは必須と言う仲間がちっともひけなかったりする。
そして先に述べたように、一戦闘ごとに得られる仲間は決まっているが、
どの仲間を得たかで次に得られる仲間は変わる。
あの敵を倒すには、あおこまでにこれくらいにはしないといけない。
敵の強さが解っているから、戦力をどういじって整えるかが面白いのである。
その時々ごと違って限られた手持ち戦力でどうやりくりするかを
何度も繰り返し遊ぶことができるのだ。同じ敵に対しても。




『ランス10』が優れているのは、
こういう仕組みのゲームを思いついて並べるだけではなく
エンディングまでの時間、得られやすい仲間の能力値の配分、
敵の能力、イベントの配置から
製作者がそういう仕組みのゲームであることを解って置いていることが
こちらにも伝わる点だ。


敵の能力がわかっていて、この戦力ならこうしてこうしてああすれば
ぎりぎりながら最短で倒せて美しい。
でも普通は、敵の残り体力や、この攻撃でどれくらいそれを削れるか、
何ターン後に敵がどれくらいこちら体力を削るかなんて知らないのである。
まともなゲームは、
その味方戦力でその敵と戦うのは一度きりであること解って作る。
『ランス10』はすべての戦闘開始時にオートセーブが作成される。
2週目も同じように進めていけば同じ強さの敵が出てくる。
違うように進めて難度が変わっても、行動パターンはまったく同じ。
その味方戦力でその敵と戦うのは一度きりであり、
次はどう戦うとより良く戦えるかわかっているけれど、
こちらの戦力が一様でないよう、解っていて作っているのだ。


あらゆるゲームは公正に決まったルールの下に誰かと競う競技であるが、
前提は平等でなくそこに一定の運の要素が介在する。
陸上競技でもレーンや同走者で最高成績が異なり
囲碁将棋でも先手獲得側は常に相手より一手多く指すことができ
カードゲームでは、すでに出たカードを除き、
次にどのカードが出るかはすべてのカードに平等である。
乱数発生装置として運の要素は幅広い展開をもたらして
同じルールで同じ競技者が競う場合は欠かせないものであるように思えるが
平等でないことはなぜ許されるのだろうかと感じる競技もある。
ビデオゲームでは公正無欠な計算機をルールとすることで
自身との競い合いにおいては運の要素を完全に配したゲームが可能である。
例えばアクションゲームではそれまで成し得ない精度で
完全完璧に同様環境が用意され一切の自身への妥協が廃される。
そこにビデオゲームでしか成し得ない美しさが確かに発生するが、
しかしビデオゲームの可能性はそれだけではない。


ある確率環境で、当たりを引く確率は完璧に平等だが、
籤を引くこちらは常に同一ではあり得ず、
つまり何度引くことができ何度当たったことがあり
何回前に辺りを引いたことがあるかは異なり、
またそこから受ける印象もその個人その時々で同じではあり得ないので、
同確率でも同確率と感じられることができないのだ。
これは完全に同一環境下を何度でもいつでも完璧に再現できるからこそ
そこでその時々の自分がそのようにするかを公正に比較することができて、
競技として、つまりゲームとして成り立つのである。