ゼルダの伝説  ブレス オブ ザ ワイルド


ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド - Switch


『Legend of Zelda: Breath of the Wild』、野生の息吹。
前作「すかいうぉーどそーど」同様に略し難い副題で
表記では「BotW」と略されている。びーおーてぃーだぶりゅ。略せてない。
Nintendo Switch本体と同時すわなち2017.3.3発売で
つまり1年9ヵ月前の作品である。
それ以上に問題なのは2017.12発売の『アサシンクリード オリジン』を
今年の1月くらいに遊んでしまったことだ。
完全に順番間違えたねこれ。





今作はシリーズ屈指の高評価である『時のオカリナ』(1998.11.21)に
並ぶ傑作であるとの評価を得ているようである。
ファミコンスーパーファミコンのころの「2Dゼルダ」から、
『時オカ』は同シリーズ後続のみならず
以降の近接戦闘型3Dアクションゲームを決定する変化を実現した作品で
ゲームの歴史なら初代『スーパーマリオブラザーズ』(1985.9.13)、
あるいは『ストリートファイター2』(1991.3)あたりと並んで
太字で明記されるような格。
それと同じくらい今回は凄い、ということらしい。そうか。



遊んでみて、確かに今回の「ゼルダ」は大きく変わった。
初代『ゼルダの伝説』(1986.2.21)から前作にいたるまで、
ゼルダ」とは、
ボス敵の居る部屋の扉を開ける鍵が入った宝箱のある部屋の扉を開けるスイッチを押す方法を探すゲームだった。
ところが今回の最後の敵の待つ部屋には扉も鍵もない。
導入の操作説明が終わったらまっすぐ飛び込んでざくっと剣で斬って終わり。
それどころか正面から乗り込まず窓からガサゴソ入りこんでもいいのだ。
いままで30年間、忠実に指定された通り
走り回っていたのはなんだったのか、という変化である。


なぜいままでの「ゼルダ」はこうでなかったのか。
大抵の他のゲームでも、
なぜいきなりお話の原因である敵と始まって即戦わせてくれないのか。
だってそういうものだから。
なぜならその方が面白いからである。


リンクの冒クロノトリガー』であれば、最初は勝てなかったのに
強くて勝てるようになることが心地良く感じられるからであり、
「つよくてニューゲーム」もそれを強調するもの。
アクションゲームもRPGも、道中苦労してやっとたどり着き、
最後にここまでの過程中でもっとも高い壁を越えてこそ完遂の解放がある。
最初から戦えたら面白くない。
いきなりヒバチと戦えるより段階を踏んだ方が大変でも気持ちが盛り上がる。
確かにそうだ。それがゲームで感じられる快感を高める手法だ。
では今回の「ゼルダ」は面白くないのかというと、もちろんそうではない。


いままでのように、目の前に見えている目的地に辿り着くために
舞台をめぐって頭をひねって腕をふるって謎を解いて回らなくとも、
塞ぐ扉をけり倒し、あるいは横から回りこんでも良いようにする。
これが今回の「ゼルダ」を貫く軸。


いきなり最後の戦いに挑めるが、その代わり当然に
世界中を回り中間ボス敵処置を済ませたあとより強く苦労する。
各個撃破したほうが楽なわけである。
お話も間をふっとばすのでもうひとつよく「覚えていない」し、
武器と弓と盾が使っていると壊れるので、替えを用意しておかないと
べしべし叩いている間に砕け散りどうにもならなくなる。
でも、そういうようにも遊べるわけだ。


普通に今まで通り勇者さまのためだけに用意された世界を回って、
景色に感動したりキャラクターに魅了されたりいろんな武器を集めたり
困っているひとを助けて感謝されて気持ち良くなって、
そして蓄積された分、自分は強くなり弱くなった最後の敵を順当に倒して
心地良くお話の扉を閉じる。それでも良いのだ。
ゼルダ姫も敵も困っているみんなも、いつまででも勇者を待ってくれる。


レベルの概念があるRPGでは、
フリーシナリオシステムや極限低レベルクリアとは言っても
それを最適化するには、
前提として膨大な遊んだ経験から得られる知識が必要になる。
今回の「ゼルダ」も良くできたゲームである以上、もちろんそこは同じ。
アクションゲームだから操作の上手さあればショートカットクリアできる、
わけではない。
そうであってはいけないのである。
そうできてしまえ、当たり前の方法でクリアすることの評価が下がっては、
からしくなってはいけないのだ。
例えば初代『スーパーマリオ』や『スーパーマリオ3』は
セーブできないのだから全ステージ通して遊ぶ方が当たり前でない。
普通は普通であるからこそ、すごいのすごいがよりすごく偉くなる。




だが、今回の「ゼルダ」が高い評価を得ているのは
従来と違っていきなり最後の敵と戦えるようになっているからではない。
そうできてしまえることが、単に「最後のボス敵だけの仕掛け」だけでなく
多くの場面でそうできる仕組みになっているところにある。


従来はアクションゲームでありながら「マリオ」とはっきり区別させる、
わずかな段差も越えられない、民家の塀にも遮られていた機動が
今回は雪山北壁だろうが滝だろうがラストダンジョンだろうが登って乗り越え、
世界最高峰から飛び降りても携帯型コッコのパラシュートセーリングで無傷。
高いところに登れパラセールで滑空することで、越えられない段差はない。
ゲームの常として世界の端は越えられないにせよ。


だから鍵のかかった扉しか出入り口がないところ以外、
導入以降どこでも容易に移動可能。そしてハイラルに鍵は存在しない。
障害としての立ちふさがる敵も基本的に存在せず、
ショートカットするなら倒すのは最後の敵のみ、
普通に進めても「倒さなければ話が進まない敵」は途中5体しかいない。
最後のボスだけがいきなり戦えるのではない。
最初からどこへでもいけるのだ。
話も順番にすすめなくとも各地で別々にきちんと展開する。
そこが偉い。
当たり前のようだが、いわゆる「オープンワールド」といわれるゲームでも
屈指のどこへでも行ける舞台設定設計と言える。


またシリーズお約束の特殊アイテムも面白い。
そのひとつ「ビタロック」は、地面と接続されていないものの時間を止め、
止めている間に与えられた向きを持つ力が蓄積され
効果が切れた途端に蓄えられた力が作用するという独特のもの。
蓄積できることで通常の打撃で得られない量の力を与えられるから
人間大でない巨大なものを動かすことができ
地上と接続されていない物体であるから作用時に向きへ激しく変位するので
それに乗って移動できたりする。時間を止めている間に乗れば良いわけだ。
桃白白もびっくりである。


なんでもできるわけではない。燃やせられるものしか燃やせられないし
爆破できるものしか壊せないし、斬れるものしか斬れない。
こればかりは物理シミュレータでなく
勇者の冒険シミュレータであるから仕方ないが、
それでも従来の、勇者のために世界中に用意されたダンジョンのなかで
定められた通りごそごそやっているよりも遥かに広い。
他の似たようなゲームと比較してもその表現手段は見るべきところが多い。
望遠鏡で覗いた景色にピン止めすると地図上に反映される仕組みなどは
見事なアイデアだ。本作が初出かどうか知らないけれど。


ゲームの質というべき部分もシリーズの名高さに違わず流石の任天堂
武器で敵を叩く感触は気持ち良く、攻撃を上手く避けると心地良く、
簡単すぎず難しすぎず、複雑な操作は知る必要なくクリアでき、
気づいて活用できれば快適に活劇できる場面が脇道だけでなく用意されている。
地道に舞台の仕掛けを集めて回ることに、しっかり楽になる報酬がある。
ゼルダ姫は前作同様ヒロインとして微笑ましく
サブキャラクターたちもわずかな登場場面で印象深い演出の確かさ。
お話は単純で揺ぎ無く必要十分を心得ており心憎い。
世界観の表現という見た目に至っては
これぞ「ゼルダ」完成形を思わせる秀逸さと言って良い。


何より感心するのは今回のいろいろなことができることを、
いろいろできない、従来の「ゼルダ」法則に支配された小規模ダンジョン、
これを進行段階に応じて多数用意することで、
丁寧に何度も教えてくれるところだ。
普通に走って登って飛び降りるだけじゃない。
それでも最初から最後まで問題なく通せるのだけれども、
こうすればこういうことができる世界であることを思いつかないひとにも
最小の段差を越える努力を通過させることで、
自分が思いつくきっかけを与えている工夫。
いろいろできる。しなくても最後まで行ける。すれば大胆に省略できる。
そういうことができるのだということを、無理なく気づかせようとする。
自由度の高さ、世界の広さを用意して、しただけで
ゲームを作った気になっているほとんど全てのゲームに出来ないことだ。






ゼルダをいまさら遊んでいるのは
1年前の時点で予算の都合がつかなかったからである。
この1年遊ばなかったのは
アサシンクリード オリジン』がかなり良くできていて、
同じようなゲームであろう今回の「ゼルダ」を
遊ぶ気起こさせなかったからである。


今回の「ゼルダ」も完全無欠ではなく、もちろん欠ける点はある。
ロードが長い。音量調整がない。画面の明るさ調整がない。
街で住人と話して回るのがめんどい。
景色は起伏に富んでみばえがするが狭い。
馬で気持ち良くはしりまわれる部分が少ない。
この戦闘の仕組みでは1体1でリンクが強すぎる。
戦闘時のカメラ自動追尾がまだまだ。
盾や弓の耐久力はこれで良かったか。木の矢を希少にし過ぎたか。
料理はもっといろいろ試したくなる意欲を起こさせる工夫があって良かった。


今遊んだから、『アサシンクリード オリジン』を1年前に遊んだから
こういう感想になるわけで、
発売直後に遊んでいたら、ちまたみかける評価のように
『時オカ』に並ぶ傑作と扱っていたかもしれないが、わからない。
どちらが面白かったかと自分に聞いてみると
やはり9ヵ月前に発売した方と峻別がまことにむずかしい。
先につくったほうが偉い。それはそうだ。
ゲームは素材の味と調理方法とみためだけが評価箇所ではない。
あらゆる細部の集合であるつくりのすべてに対し
コントローラと画面と音声ではたらきかけたかえりの感触と印象が大切だ。
初めての印象は遊んでいる現在の感じを除くすべてに勝る。


ゲームに限らないが遊ぶ順番や時期は大事である。
どちらのゲームにも失礼した。失敗した。反省。