ファイアーエムブレム 風花雪月


ファイアーエムブレム 風花雪月 -Switch (『TCGファイアーエムブレム0』限定カード「士官学校の新任教師ベレト」 同梱)


30年間で17作品も発売されている定番SRPGファイアーエムブレム』シリーズ。
四角マス目に区切られた戦場で部隊を指揮して戦争するゲーム。
各隊は兵種でなく率いるキャラクタの能力として表現され、
戦場経験によるレベルアップで強化。
キャラクタ間の友好度などの関連性も育てる必要があるが、
逆に補給や生産の概念はほぼない、という枠組みはおおむね30年変わらずあり、
最新作を遊んも、いまだにこのままなのか、と感慨深い作品。

 

といいつつ系譜見返したら遊んだのはGC蒼炎の軌跡』以来、
数えて実に15年ぶりであった。
15年か。15年。
15年ですよ奥様。
あらやだおたくのお子さんたらちょっとみないうちに大きくなっちゃって
あっという間ね月日の経つのは早いわねえ。
いやはやわれながら何十年ゲームを遊んでいることか。
なお「『Fire Emblem』は「ヤー」でもなく「エン」でもない」は
この15年、流石に定着した気がする。
それだけ「エムブレム」もあたりまえ化したと言えるのか。
ネットの一局面だけの見方にしても。

 

で、なぜそれほど間が空いたのかといえば特に理由はなく、
しいて「エムブレム」をその間に遊ぶ気が起きなかったからである。
あるいは2001年『ティアリングサーガ』2002年『封印の剣』2003年『烈火の剣
2004年『聖魔の光石』2005年『蒼炎の軌跡』『ベルウィックサーガ』と
シリーズ作品が当時発売され過ぎた反動かもしれない。
もちろん全部を遊んだわけでもないのだが視界には入り食傷するわけで、
短期間に飽和するほど集中させれば良いというものでもないのは
違くはないとは思う。
ついでに言うと2004年に『ゲームボーイウォーズアドバンス1+2』、
2005年に『ファミコンウォーズDS』が出ており、
このあたりのインテリジェントシステムズ大攻勢はなんなんだと今みて思う。
なお『突撃!ファミコンウォーズ』はもちろん別物である。
『ティアリング』『ベルウィック』はもちろん同類である。

 

というわけで、何しろ15年ぶりであり
さらに正直『ティアリング』『烈火』『蒼炎』あたりがごっちゃになっていて
記憶あいまいな気持ちで遊んだのだが、
中身はほんとうに昔の「エムブレム」。
あのころの印象と変わっていない。
自軍が全ユニットを動かした後に敵軍が全ユニットを動かすという完全交代制。
現実味とか戦術的なゲーム性などという概念など知らぬと言わんばかりの
極端過ぎる仕組もそのまま。


もちろん、この昔のままであるところは、
あえて選んでそうしている本シリーズの個性なのだろう。
それでも面白いのだ。何十年前ままの「ゲーム性」でも
「エムブレム」という「ゲーム」は現在も通用するのだと。
実際のところ、他の「SRPG」に属するゲームがあたりに殆どみられないなかで
ひとり「エムブレム」だけが通用し続けているようにみられるのは、
今に至る選択が正しいひとつの証左なのだろう。

 

 


本作のタイトルは「花鳥風月」ではなく「風花雪月」。
あえて捻ったことに深淵な意図があるのかもしれないが不明。
鳥でなく雪。タカラヅカの組み分けか中華風なのか。不明である。

 

上に書いた通り15年開いているので近作との違いはさっぱりわからないが、
15年前との違いで言うと、遊びやすさはかなり変化している。
戦場は全体傾向として明らかに適度に狭くなり、出撃部隊数も絞られていて
1戦闘あたりに掛かる時間は大きく減っている。
回数制限はあるが「待った」が有り、
何より戦闘中に倒れても死亡扱いにならないモードも用意されている。
戦闘中の指示においても、1人ずつの行動を決定する前に
どこに移動させることでどの敵が誰に攻撃するかが明示される。
時を止められるどころか未来視できて時間も戻せる。
相手にしてみればこれでどうやって勝てとな圧倒的強さ差。


いずれもゲーム進行速度を大きく改善させており
ワンミスリセットのあのころは隔世の感。
ノーマル難度はぬるぬるも良いところで
誰にでも投げ出さず最後まで遊んでほしいという心地の粋。
とことん気軽に遊べるよう均らされている。
特に、このゲームで戦闘不能になっても良いということは
特攻しても最後の一人がボス敵を倒せれば良いわけなので
逆にボス敵の破天荒な強さが表現できそうで
まったく異なるゲームにもかえられそうだが、現状は中途半端。
思い切って従来の死んだら終わりは無くしても良かったのでは。
どうせ「待った」するのだし、したいひとは自分で縛れば良いのだし。
そこまでは「エムブレム」でなくは出来なかったか。
それでも、リセットして頭からやり直すことが「エムブレム」なのだ、
という枠から抜け出したのは驚きを覚える。


例えばレベルアップ時の能力値成長がランダムであるのは
そのまま残されているのを見ても、
製作者がどれを「エムブレム」として残すべきか判断の上で
選択しているのは見て取れる。
これらの変化は、いずれもあたりまえのかくあるべき変化で改善と、
簡単に決めつけることはできない。
あまりに容易に解けるSRPGにゲームとしての面白さなどないからだ。
話の続きを、キャラクタたちの活躍をもっと見続けていたいが
SRPG部分でつまづきたくないひとたちにも遊び続けてもらいながら、
「エムブレム」の面白さをどう訴求するか。
「エムブレム」らしさ、そのゲームとしてどこが面白いのかと
より広いひとたちに向け楽しんでもらえるゲームとしての広さとを
比べ合わせて変わってきたものなのだろう。
何が正解かは難しいが、そういうものだからそうなのだと
無思慮に続いてきたわけではないことが
現在まで続いてきた結果につながっている。

 


SRPGのゲームとしての面白さは、単純に言えば「詰将棋」のようなパズルだ。
それを与えられた情報から正しいとされる手順をより多く選べたほど
高い報酬が得られるゲームとして展開する。
そして対人対戦戦争シミュレーションボードゲームでなく
対コンピュータの1人用テレビビデオゲームであるからには
上手く操作することが良い評価に結び付くゲームでなければならない。
SRPGで言えば、敵軍と自軍の強さ差だ。
適度に強い敵、手加減されていると感じない程度の難しさの壁を、
あっさりではなく、情報を吟味し用意された手段を尽くせば、
なんとなかりそうでなんとかなる程度の試行で乗り越えられる強さの差。
理想と現実をの差をこのあたまで判断しこの指で操作して埋められる快感。
それが「SRPG」、「ファイアーエムブレム」だ。


その実現すべき面白さを、ゲームとしてどのように実現するか。
どれだけの情報をどのときに与えるのが、
公平であると信じさせ適度な手ごたえと感じさせることが出来るか。
攻撃は何回のうち何回外れることがばらつきとして納得され得、
クリティカルはどの割合で発生することが安定性を対価とした歓びとなるか。
そしてそれらは部隊の配置や戦場に至るまでの準備で何がどれくらい補えるか。
それぞれのゲームの仕組みごとに適度さの範囲は異なり
絶対の正解は遊ぶ相手により異なる。
同じ難度を同じ人間が遊んでも、情報の理解度合すなわち見えている範囲で
感じようは如何にも異なる。
相手の様々な段階に合わせた適度さは出来得る限り高精度に越したことはないが
そこに手間を掛けた度合がゲームの面白味に比例するわけでもない。


結局、多くのひとに興味をもってもらう間口の広さ、
最後までほとんどのひとが到達できてかつ、お話としての感慨だけでなく
ゲームとしての解いた感触を苦労に見合うより多く与えられているかという
結果だけがすべてだ。
手段はどうでも良いのだ。
「エムブレム」というゲームである必要はないのだ。
好きなキャラクタが活躍する心躍るお話こそがまず求められるのだ。
それがSRPGというゲームなのであり、面白さである。

 


もうひとつ大きく変わっているのが、
これは本作からの大きな売りであるようだが、
成長させる仕組みが戦闘経験値でのレベルアップによる職変更だけでなく、
士官学校での教育で、各人技能を成長させていく形になっている点。
お話は月毎に章立てされて月末に固定強制戦闘があり、
それに向けて学校で仲間と会話して仲を深め、雑魚戦闘で経験値とお金を稼ぎ、
それぞれの個性に合わせどの職に成長させるか先を見据えて技能を育てていく。
仲間との友好さがお話としては重要でも
ゲームとしてはそこまで重要にはできないところまで
まさに『3』以降の「ペルソナ」シリーズのそれ。
ガワを変えれば戦闘が「エムブレム」な「ペルソナ」最新作で通ずる作り。
ペルソナ3』がそれだけSRPG規格において画期的に優れていたというべきか、
それを取り込めた「エムブレム」が良くしたりというべきなのか。


パッケージにもある通り赤青黄色の3クラスが用意されていて、
冒頭で主人公がどのクラスの担任になるかを決め
以降そのクラスの生徒を仲間としてお話が展開していく。
それぞれのクラスは「エムブレム」伝統に従い
各国お偉方御子息で占められているから
必然やがてかつての学友と三国間戦争勃発して盛り上がるわけ。
三周して全貌が見えるのは『烈火の剣』のようであり
生徒たちの成長が描かれるのは『聖戦の系譜』を思わせ
主人公の立ち位置は『蒼炎の軌跡』を思い起こさせる。
なんでお坊ちゃまお嬢ちゃまが先頭に立って戦闘してるのか、
リアルリアリティが壊れているとか言ってはいけない
そういうものである。お客がそういうのを求めているから商品は在るのだ。
現実的な容姿で現実的な性能の有象無象が華々しくない泥沼戦争する現実と
どちらが見ていて操作していて楽しいか。当然の帰結である。


絶好調任天堂ブランドだけあって予算の潤沢さを感じさせ
戦闘前後のイベントはもちろん、
街中でのちょっとした仲間たちとの会話にも、きちんと音声が振られている。
アニメシーンの出来と言い、『新サクラ大戦』と比較して
母体活力の異なりを察しずにはおれない。
見た目の映え良さにしても
昔日「エムブレム」の美男子キャラにおける輪郭のぐにゃぐにゃ感を思えば
任天堂もここまできたかと思わず涙。
基本無課金でキャタクタ入手に課金させているシリーズに何を今更ではあるが。
『風花雪月』にどうこういうより『ファイアーエムブレム ヒーローズ』で
任天堂がどれだけ儲けているかいないのかに
焦点を当てるべきなんだなのかもしれないが、
その手のゲームに課金するひとの心境をいささかも理解できないので資格なし。
本作の仲間たちの名前も音声付きなのにかいもく覚えられない。向いていない。
三周したのにどういうお話だったかもう覚えていない。
顔絵と性能はいいかげん一致するようになったけれども。

 

 

さて、『風花雪月』の出来栄えなのだが、
レベル一定に達したところで職業変更するしかないので
レベルアップ毎の能力上昇値を吟味するという旧態依然から、
戦闘を経ずとも一定技能に達することで各職につくことができ
それぞれの職変更は戦闘前にに自由に行え、
職業ごとに能力上昇傾向があるので、
キャラクタの個性と全員の得意分野の凹凸を見定めて
長所を伸ばし短所を潰すべく様々な職を経由させて成長させていく、
という仕組みは、面倒だし目新しくも何もないけれど、昔よりは良いと思う。


もっとも問題なのはノーマル難度が簡単すぎることではなかろうか。
赤青黄色の三周が前提としてあるといっても
昨今の据え置きゲームに当然求められる性能として一周は40時間程度掛かる。
最初の10時間はノーマルでも良いだろう。
しかし中盤からだれる。途中で難度変更できないのだ。簡単すぎるのだ。
ユニット性能情報をまったくみなくとも
一群となって進軍し囲んでぼこればどうにでもなる。
また戦場を狭くし出撃人数を限り
一戦ごとの負担を軽くするため戦場展開で起こるイベントを単純にしたことで
この大勢で1人を囲むがどこでも通用してしまう。
一戦ごとが軽くなったのは良い。
誰にでもとっつきやすいよう簡単にしたのも良い。
しかしこれではSRPGとしての面白さに気付かないまま
お話の気に入る入らないだけで味わわれてしまうのではなかろうか。
ノーマルだけで遊び終えたひとのどれだけが計略をボス以外に使ったことか。


基本的なところは流石によくできている。
SRPGという単純に完成した仕組をきちんと磨き上げている。
どの職業にもキャラクタにも武器にもアイテムにも使いどころがあり
英雄物語のSRPGにおける再現度合として文句のない仕上がりだ。
いまだにこれなのか、と思い
いまでもこのままのか、と思うが
それでもこれでも良いのだ、これが『ファイアーエムブレム』だと納得できる。

 


SRPGというものをかつて、
広く容易に様々なキャラクターバトルものを再現できる仕組である、と
勝手に判断していたが
現実には広く容易にSRPGが市場に遍在しているようには思われない。
結局それは、
15年ほど前のSRPG群がすでにおおよそ出来上がっていたからであり
あとは内に籠って他との違いを練磨していくしかなかったからなのか。
それともいまだにこのまま、新しい物が産み出せていないだけなのか。
SRPGという分類の中にある必要がないだけなのか。


ファイアーエムブレム』がSRPGである必要はないのだ。
時代に合わせ周りに合わせ商品として求められる形に変わって
しかし面白ければそれで良いのである。
今のところいまだに「エムブレム」はSRPGだが
果たして15年後、30年後はどうなっているか。
そう、そのころもまだ、任天堂も『ファイアーエムブレム』もあるのだろうし。