Rise of the Ronin
正式名称が『Rise of the Ronin』。
読み方は「ライズ オブ ローニン」。「ザ」なし。
日本語訳名は無い。浪人の夜明けぜよ。
如何にも世界的に売っていきたさ溢れる名称である。
『仁王』とかと同じく、PS版の発売がソニーで
開発はコーエーテクモのテクモの方の
『デッド オア アライブ』などを作っているチームの作品。
『仁王』はとても『デモンズソウル』なゲームで
ゲームとしてはまさに「和風デモンズソウル」だったが
日本の戦国時代を舞台にしながら
主人公に三浦按針を持ってくる発想がしたりと膝打つものだし
誾千代さんが「無双」シリーズと違って普通の格好をしていたり
単に劣化複写な「和風デモンズ」ではなく
『仁王』というゲームである、と言える面白さがある作品だった。
そして本作「ローニン」は
『エルデンリング』『SEKIRO』とかを参考にしたであろう
日本の幕末を舞台にした和風『アサシンクリード』。
毎度のことながら独自味がうすいが
やはりそれなりにしっかりできていて、充分に合格点なゲームである。
けれど『仁王』と比べていろいろ混ぜた分だけ、
軸がぶれている感があるのが残念な面でもある。
ちなみに本作のPS5版発売日は2024/3/22。
発売から一年以内にクリアするとか我ながら珍しい。
本作最大の美点は幕末の日本の横浜と江戸と京の街と
その周辺を歩き回れるところ。
一応歴史ゲー大家たるコーエーのゲームでもあるだけあるのか
ちゃんと時代劇でおなじみの幕末の日本ぽさがある。
農村に囲まれた海べりに英字看板の街並みが忽然と浮かぶ横浜。
新選組や中村半次郎と田中新兵衛と河上彦斎と岡田以蔵が
同じときに同じ街行く危険な都、京都。
千葉周作と男谷精一郎と嘉納治五郎から同時に
武芸の手ほどきを受けられる江戸。
そう、ペリー提督が安政条約のころの横浜にいたりと
あきらかに年代の誤魔化しがあり、
史実そのままでない時代劇ではあるのだが
お歯黒に代表される女性の化粧だったり
言語が現代語だったりとそのあたりは時代劇であるべきで
公衆衛生の劣悪さまで
正直に正確に描写すれば良いというものではないのである。
ヒロインポジションには当然千葉周作の姪と楠本イネが登場するし
新選組の面々や高杉晋作とかを単純に美形にするのでなく、
残る記録をもとに相応の造形に落とし込んでいるあたり
努力がしのばれまこと微笑ましい。
そして街。1860年ごろの日本を歩くことができる。
フェリーチェ・ベアトと共に
かの愛宕山からの江戸の街並みを写真に収められるのだ。
もちろん仕様上現実比ではとてもすごく狭く
見栄えのため京都市街に起伏があり江戸城に天守閣が現存し
ゲーム展開都合のために省略と誇張が多大になされた
奇形のミニチュアジオラマなのだが、
それなりにそれっぽい雰囲気もって作られていて
そこを歩き回り、高いところに登って眺めて滑空して移動できる。
大変すばらしい。歩き回ることができるだけで十分満足。
もちろんもっと現実比で広くして欲しいし
もっといろいろな建物へ入れるようにして欲しいし
ゲーム進行に不要の物も買えるようにして欲しいし
行ける処の端の処理をもっと自然にして欲しいし
特に大した報酬が無くいいから
街行くひとたちと関われるイベントが無数に欲しい。
だが充分にこれだけで遊んで良かったと思える内容である。
ゲームとしては、この手でよく見る仕組みそのまま。
高いところへフック付きロープで登りグライダーで滑空する。
雑魚敵は気づかれないよう背後に忍べば一撃で戦闘不能にできる。
ターゲットロックした相手との軸で攻撃回避するので複数相手は苦手。
攻撃回避の行動毎にゲージを消費するので連続行動には限りがある。
『時のオカリナ』が27年前、『ブレス オブ ザ ワイルド』が8年前。
つまりここ10年くらいのこの手の形式。
戦闘は幕末日本が舞台なので当然日本刀によるチャンバラである。
日本刀だけでなく槍とかも一応あるが何と言おうと主にカタナ。
そして幕末だから北辰一刀流に神道無念流に天然理心流なのである。
本作では『仁王』と違って妖魔とか魔法のたぐいは一切存在せず、
あくまで人対人のチャンバラに徹しているため
当たり判定がわかりやすく納得感が高い。
身長2m越えのひとの比率がやたらと高い気もするが気のせい。
幕末なので後装式銃すなわち連発可能な銃も普通にあるのだが、
このゲームを遊んだことがないひとでもすでにご存じの通り
この世界の人はこちらとは常識が異なり
銃や矢弓を膝に受けても、血まみれにはなっても
運動能力は基本一切低下しない。
なので銃でバンバン撃つのでなく
あくまでわざわざ接近して刃物でちゃんちゃんばらばらし
何度もバッサリぐっさりして
体力ゲージを削りきるしかないのである。
そういうものなのである。
血が足りなくて動けなくなる吸血鬼か何かですかみなさん。
運動性能は低下していないので斬りかかっても普通に防がれる。
そこで剣戟戦闘におけるゲーム的演出として発明されたのが
『SEKIRO』以降の世界共通文法「弾き」。
「ローニン」での名称は「石火」。
回避や防御ではなく、タイミングと当たり判定を重ねた迎撃で
鍔迫り合いやカウンターではなく
相手の態勢を崩して防御行動を制限することができる。
「ジャストガード」「ブロッキング」「当て身投げ」などから
この「弾き」を発想したのは
まことにチャンバラゲームにおける一大発明といえる。
「ローニン」では『SEKIRO』ほど厳しくなく
体幹を削りきらなくとも
大技か連続攻撃の最後を弾くだけで行動ゲージを削れるので
武器と流派個性による判定位置の違いさえ体感すれば
快適にチャンバラ感が味わえる。
手裏剣や手銃を剣戟とおりまぜたりもできると、
戦国自体の合戦や剣豪の野試合とはまた異なる、
幕末ならではの街中での斬り合いが演出されていて
お話を進めていく中での名前のある強敵との戦いも楽しく
街中を占拠する雑魚敵を忍び寄って封殺しまくるのも楽しい。
違う方向の戦いの楽しさを同じ仕組みで無理なく実現していて
人対人と街中の戦いという点で『エルデンリング』との違いもあり
十分に高評価できる内容と言える。
欲を言えばハクスラ武器強化形式はちょっと考え無しな感じだし
武器を増やすより後述の斬りまくりな点を踏まえて
格闘技を大きな選択肢にすべきだったのではなかろうか。
『デッド オア アライブ』で十分知見はあるのだろうが
それだけに中途半端に組込みづらかったのかもしれないけれど。
一方で不満な面もある。
2つあってこれはどちらも相関している事柄なのだが
ひとことで言えば、ゲームとしての演出として許される幅と
ゲーム内世界と現実との差の違いにおける違和感が強い。
うんわからん。
幕末といえば新選組に象徴される刀で近接戦闘が想起されるが
新選組といえど毎日人を斬りまくっていたわけではないらしい。
幕府お雇いの治安維持組織である新選組だからといって
不逞浪士とみるや問答無用で切り捨てたわけではないようである。
時代劇では武士が町民を問答無用に切捨御免で許された、
みたいな描写があったりするが、これも事実と異なるらしい。
つまり幕末日本だからといって
浪人こと住所不定無職の主人公や維新志士のみなさんが
悪徳役人だろうが集落を占拠する悪人のみなさんだろうとも
ざっくりばっさりヤってしまってお咎め無しのわけが無いのである。
ちゃんと役人がそれなりに追いかけてくるのである。
ましてや悪徳でもなく真当治安活動に励むお役人のみなさんを
誤解で追われたからと言って返り討ちにして
目出度しめでたしとなる理屈があるわけないのである。
戦国時代とは違うのだ。
警察の無い平和な時代ではあるが犯罪者がいなかったわけはなく
取り締まりに当たる役職も裁く役職も当然いる法治国家なのだ。
『アサシンクリード』世界の職業暗殺者の主人公は
文字通り自覚的にも公安部署からみても
意図した殺人を繰り返しているあちら側世界の住人である。
本人は自身の殺人行為の悪を自覚して人を殺している。
ところが本作ではそのへんすごくてきとうである。
当然適切の意味の適当ではなく、雑である。
酔っぱらいを主人公は真剣でめった斬りにする。
話し合いはできないし話が進まないのでそうする。
イベントだから何事も無く相手は傷ひとつ残らず話が続くのだが
一方で、イベントの都合上敵対する立場になったみなさんが
火炎放射器で焼かれ高所から突き落とされ
首絞められて川中に放置されたりすることも同様にあるのだが
彼ら彼女らも、そういうイベントとして何事も無かったかのように
処置してくれされていくのかどうか、よくわからない。
真剣でなく木刀を装備していればそういう扱いにはなりません、
というフォローもイベントによっては一応あるのだが
あくまで一部。大多数は真剣で斬っても
終われば返り血も残らずきれいになっている史実組のみなさんか
名も無くその後の描写も一切無いその他大勢のみなさんなのかに
事前の区別はつかないのだ。
殺していい敵なのかそうでないのかプレイヤーからは判らないし
終わっても殺した相手が生き残っているかどうか知ることが出来ない。
なのに躊躇なく斬ってしまって、殺してしまって良いのだろうか。
主人公はなんとも思わないのだろうか。思っていないのだろうか。
それこそビルから突き落としてもヘリを撃墜しても
「誓って殺しはやってません」ということになっている
現代もののヤクザさんが既にいるのだから
そういうことにすればいいのに、
作品の演出にそういう意図も無いように見える。
人によっては気にならないだろうけれど、
自分の感想としては大いにさめる。醒めるし冷める。
このゲームを遊ぶほとんどのひとにとって
幕末を生きる主人公として頑張るぜと旅をする目的は、
その世界に生きるできるだけ多くの人たちに
痛みと悲しみと苦しみを与えたいからではないはずだ。
善人、いやよっぽどどうしようもない悪人以外をは、
斬りたいはずがないのだ。
しかしこのゲームは日本刀でチャンバラするぜ、ということしか
考えていないかのようにしか見えない。
『仁王』や『デモンズソウル』『エルデンリング』のような
舞台世界ならそれでも良いだろう。
けれど本作は「日本の幕末を基にした時代劇」のはず。
時代劇の極悪人だろうと本作の主人公や維新志士たちほど
なんらの葛藤もなく人を斬らないと思う。
自覚無く殺人を行うのは『アサシンクリード』の主人公たちより
遥かに救いようのない悪だ。
もちろん制作側に言わせればそんな意図はなく
主人公を楽しんでいるわけでもないのに大量殺人を行う人物と
描いているつもりも毛頭ないだろう。
ただゲームの表現の制限上や作劇の演出上でそう見えているだけ。
主人公に殺されているように見れるけど
イベントが終わるかセーブポイントでセーブするたびに
敵は復活するのだからどんどん斬ってください。
よくあるゲームの敵キャラと同じだから気にする必要はありません。
そもそも相手が人間として現実的に描かれている場合だけ
気にする方がおかしいのでは。
無双シリーズと同じですから。
人を襲う化物だって本作の問答無用で斬りかかってくる人物だって
本当には生きてはいないのだから。
まあだとしても、自分としては木刀プレイしかできないし
弓矢も銃器で頭を狙う気にもなれない。
一方で作中ではっきり悪行が描かれる場合は
意図して真剣に持ち替えることもある。
うんうん、それもまたロールプレイというものだよね。
もうひとつ不満に感じるのは、
同じことの別の面でもあるのだけれどが
明治維新という舞台に対して
主人公がどうかかわっていくかの描きかただ。
作中人物たちは幕末にあって、
江戸幕府の体制を補佐し改めるべきは
内部から改めていくべきという佐幕派と、
幕府という体制は補修不能であり
幕府は廃さねばならないという討幕派、
そして改革はしなければならないが
その方法が佐幕倒幕あるいはそれ以外の
どこにあるかはわからないという中道派のいずれかで描かれる。
そのどれにも関心がなく、お上が誰であろうと
唯、自身の周囲の現状が大きく変わることなく
維持前進されていくことを望んでいる、
というのが4つめの区分けであり、
当事者以外の圧倒的大多数がここに属すのは
いつの時代も必然である。
プレイヤーとしては当然現実には4つめの
お上のことはお上でやってくれ派だが
ゲーム内キャラクターとしては
もちろん積極的にお話に関わって活躍したい。
お話のガイドとして登場する坂本龍馬は3つめの中道派で
佐幕倒幕の両陣営と関わりあいないがら
主人公とともに正しい道を模索していく、
というのがおおまかな本作の筋書きである。
作中のさまざまな岐路において、
坂本龍馬と主人公は倒幕と佐幕のどちらにつくかを
都度都度選択していくわけだが
ゲーム的必然として、どんな選択をしようが結果に変わりはない。
昔と違って表現力が大幅に向上した現在のゲームでは
史実以外のお話の流れを
史実と同じ道を辿った流れと同じ程度に描くのは
不可能事であるから、という現実すぎる現実はまあ置くとしても
お話の一貫性を持たせるのに実際こうだったからに敵う説得力はなく
史実に描かれない裏側で主人公は活躍していたのである、
という描写の仕方は
主人公の選択により歴史が回天するという躍動は無くとも
お話の魅力を充分保持できる選択として評価できる。
問題は、作中の主人公が何をしたいのかが
操っている現実のこちら側にしてみると
よくわからないことである。
主人公はいわゆる無口主人公で
自身の主張をしない無色透明のキャラクター。
坂本龍馬に導かれて様々な人物と関わるが、
幕府に対してどうだという考えを聞くことはできない。
お話の中盤くらいでようやく
戦の無い平和な世界が望ましいことを言ってくれる。
あたりまえかと思うかもしれないが、何しろ上に述べた通り
既にこの時点でゲーム展開の必然性としてではあっても
何十何百とサツガイしてきたあとなので
プレイヤーとしては
「へーそうだったんだ」という感想にしかならない。
え、その程度の考えでいままで指名手配犯だからといって
悪人という確信もないのにヒトを斬って来たんだ?
という驚きのほうが先に立つのである。
実際依頼人の方が悪人だったとか、そう見えて実は、のような
本筋ではないいわゆるサブクエストもある。
このゲーム内の幕末はわりとサツバツとしているので
傍を通りかかっただけで
斬りかかってくる方々も大勢いらっしゃるのだが
果たして彼らはゲーム内で確実に悪人なのだろうか。
実は主人公を悪人だと誤解するよう
悪人に吹き込まれた善人かもしれないではないか。
しかしまたそれがゲーム内で描かれるとは限らない。
よって確実に悪人と断言できない相手を
何十何百と斬りまくってようやく
戦の無い平和な世界を目的とするとかいう
寝ぼけた発言が飛び出してくるのである。
よくあるゲームの人ひとり殺したことない
ゲームの主人公が言うなら普通である。
けれど何十何百と自覚的に殺してきたキャラクター、
人物の目標がそれなのか。
作中で岡田以蔵の人斬りとしての悲哀が描かれるのだが
それに対して主人公の意識はどうなのか。
本当に主人公はこの作品世界内を生きているのか。
世界の外から誰かに操られていて
いようといまいとお話に何ら関わりのない
悪質な神の代理人なのではないか。
先の段と同様に
ゲーム内演出の制約上の仕方のない限界線上で
言いがかりをつけるような話ではある。
『維新の嵐』のころとは違うのだ。
史実以外の展開は描き様がないのだ。
主人公は悪意を持って人を斬っているわけではない。
悪人を斬っている善行なのだ。
主人公には自分の意志があり、
プレイヤーに操られてもそれは変わらない不動のものだ。
そうなのだろう。実際どうみてもそうとしか見えない。
けれどそれでいいのか。あまりに考えなしではないか。
本当に斬ってきたのは悪人だけだったのか。
間違えて善人を斬っていないか。
イベントの中で斬ってきたのは全員悪人だったのか。
なぜ悪人だったと言えるのか。
そういう葛藤に悩み苦しんでいるように見えないのである。
主人公は葛藤しているのだろう。
あるいは割り切っているのだろう。
プレイヤーはそこまで考えないと製作者は思っているのだろう。
ゲームの演出で仕方ない範囲と了解してくれるだろうと。
しかし無双シリーズの戦場で
敵を何千人も斬り倒しているのとは違うのではないか。
実際の幕末の浪人たちは
主人公ほど簡単に人を斬っていたのだろうか。
岡田以蔵や田中新兵衛は言われたから
何も考えずに斬っておしまいだったのだろうか。
そういうところを一切斟酌しないのが
本作の物語だっただろうか。
一方でそうしておいて、
他方では演出だから気にするなと言われても気にする。
そういう雑さがとてもすごく気になる
本作の大きな欠点と言わざるを得ない。
自分ならこうするという妄想を書き連ねるなら
坂本龍馬を主人公にして、
武市半平太と岡田以蔵をもう一方の主人公とし
『サガフロンティア2』の
「ギュスターヴ編」と「ナイツ編」のようにすれば
人を殺さず明治維新に貢献した側と
志はあり維新に貢献はしたけれど
殺しを手段にしたことで苦しんだ側との両面から
明治維新という革命の陰と陽を描けたのでなかろうか。
既存の人物でなく、
キャラクタークリエイトした架空の人物であるほうが
自由に動かせると考えたのだろうが
それが作品構造の上で効果的だったかというと疑問である。
もちろん上にも書いたように、
時代劇でも当然にあるように剣戟では刀の峯を返し
イベントでは素手での格闘を多用して
主人公がきちんと極力の不殺を意識していると
印象付けるだけでも違ったはずだ。
決して駄目なゲームではない。
幕末日本で明治維新という大きな舞台を背景に
多数の名の有る人物たちとチャンバラしたり
交流したりが楽しめる大変魅力ある素材を
きちんと現在のゲーム技術で仕上げた作品ではあるのだが
『FF16』などと同じく、大事なところでズレている作品だと思う。
なぜそっちにズラすのか。
それが正しいと思ってそうしたのだろうが
できあがったものは思った通り評価されましたかと問いたい。
ズレているのは世間なのか制作側なのか。
正しいのは主人公なのか主人公に斬られる側なのか。
倒幕なのか佐幕なのか坂本龍馬なのか岡田以蔵なのか。
いろいろに言えるが、
ゲームの開発側は客がどう受け取ろうと
こうであるという答えを持っているべきなのは
正しそうな答えではある。