ここ何年も何年もろくすっぽ更新していないこのサイトだが
ゲームを遊んでいないわけではないのである。
いろいろ手を出しているけれど感想書けるほど遊んでいないだけなのである。
駄目じゃん。
いや、遊んでいる時間の問題ではないのだ。
自分の中から言いたいこと、ここに書きたいことが出てくるほどの
作品の遊びがり方が自分の中に無いということなのだ。
ゲーム作品側の責ではなく、遊ぼうとする作品の選び方とか遊び方の問題だ。
ひいては遊ぶその時独の自身がそこに何を欲しているかというだけのことなのだ。
何十年もゲームを遊んでいると自分の好みもわかってくる。
話題のゲームが日々日々足早に通り過ぎていく中のどれに手を出すべきか。
10年前20年前にくらべて嗜好が保守的になったとの誹りは甘んじて受けるが
興味の持てない作品に時間とお金を投入する気になれない程度が
昔とさほど変わっていなくともより自覚化されてきているということだろう。
とりあえず遊んでみれば思ったより面白いかもしれないじゃんというのには
まったく反論はないが
だからといってなんにでも手を出すほどお金と時間が潤沢にあるわけでもない。
というように普段は思い込んでいるのだが、よくよく考えてみると
現在も購入したのに途中で止まっているゲームがたくさんあるので
お金の問題ではなくむしろ時間の問題であるはずなのだが、
これもそこまでゲームをする時間がまったくないわでもないはずで、
『FF14』とか何千時間も遊んでいたしそれを休止している今時分
積まれている大多数はおおよそ遊び終えてしまえるはず。
なのになにも減っていない。どころか増えている。
それはつまり購入に掛かる金額や遊ぶための時間が問題なのでがなく
購入して遊んでみた結果として
その作品を明日も来週も次に時間ができたときにまた遊びたいと思うほどの
興味が持てないという現状だ。
自分がすごくお金持ちになったわけではない。
お店まで出かけて何千円出して購入してきたゲームを最後まで遊ばないのは
思えば20年前だってそうだった。
あれらのゲームはいつの間にかどこかに行ってしまったが
もちろんときどきに売却してきたことを忘れていただけだが
何百作品と遊んできたけれど
本当にそのなかでしっかりと遊んだのはどれくらいなのだろう。
まあどちらにせよごく一部を除いて忘れて思い出せないのだのだけれど。
結局問題はお金でも時間でもなく、ゲームが面白いかである。
細かく正しく言うなら、たくさんあるゲームの中で自分が面白いと思える作品を
掘り当てる技術の問題ということなのだ。
自分の好みがわかってくる、などといいつつ何も成長していない。
自分の中に日々確かにあるこういうゲームを遊びたいという需要すら
自分自身ですら形にして表現できる程度にはわかっていない。
見つけて、購入して、遊んでみて、それでお初めてわかるのだ。
10年前20年前と何も変わっていない。変わっていないどころか
自分がここのところ購入して遊んで投げ出してきた作品たちの
遊ばれ方の惨状を見る限り、むしろ退化しているのではと疑わしい。
自分の好みがわかってきたのではなく、自分の欲求の偏りを理由に
易きに流れているに過ぎなくて
合わないだろうと決めつけ新規作品にろくに手を出してもいないではないか。
まあでもゲーム側の理由ももちろんまったくないとも言わないけれども。
質が落ちたとかリメイクリマスターばかりで飽きたということではもちろんなく
そもそも20年前はソシャゲもスマホも無かったからね。
ゲーム作品を無から作って商売として成り立たせ続ける難しさは
まさに世界が違っていて
個々の作品に求められる面白さもむしろ良く変わっていないものだと考えさせる。
さて今回のお題はカプコンの新規作品『プラグマタ』。
スト2とかバイオとかモンハンとか
定期的になんだかんだ次につながる独自作品を生み出してきた経歴に
定評あるカプコンさんである。
もちろんそういう前振りでそのままになっている作品も沢山あるけどね。
どこのゲームメーカーもそうだよね。
顔の隠れる宇宙服を着た主人公が、アンドロイドの少女を相棒にして
月基地の機械の暴走に巻き込まれるお話。
月基地すなわち月面宇宙空間が舞台なので『メトロイド』っぽい感じ。
アンドロイドの少女、ディアナは何しろアンドロイドつまりロボであるので
宇宙服無しで宇宙空間に出ても差しさわりなし。素足で足裏から電力供給。
探索時は常に主人公の背中に乗って付いてきてくれ
戦闘面では暴走した機械たちをハッキングして動作不良を起こし
動きを止めたり装甲を開放して弱点を露出させ防御力を下げたりしてくれる。
月基地の混乱を受け地球から状況を調査にきた主人公は
彼女と協力しながら事態の真相に迫っていくのだった。
果たしてディアナの正体は。事件の真相は。主人公は無事地球に帰還できるのか。
敵はみな機械なので銃でガンガン撃っても血がブシャーっとでるわでもないので
10歳にも満たないおこさまを連れまわしてもセーフ。
人間でなくアンドロイドなので年齢無いのでなおセーフ。
そういう理論で国際的な批判の目をかいくぐっているとげすにかんぐるわけだが
ディアナの人間の子供となんら変わらぬ言動も意図的に演出されているので
やはり遊んでいるほうとしては
こんな子供を機械との戦闘に必要不可避とは言え連れまわして良いのだろうか、
と思わないでもない、というところがこの作品の大きなフック、
つまりお客に興味を惹かせ続ける構造として機能している。
アンドロイドだからセーフなのか。人間だったら駄目なのか。
戦闘に必要不可欠だから最後まで味方でいてくれるのか。
普通に銃器で背中から撃たれたらやばいのでは。
ぜんぜん関係ないけど昔の『フォーチュンクエスト』という児童小説では
ディアナもびっくりのほとんど赤ん坊のエルフ幼児を冒険に連れまわしてたな。
当時は何とも思わなかったけれど今思うとすごいぜ。
公序良俗は娯楽作品の中にも意識せず更新されているのだなあ。
敵の一同は人間を攻撃するよう上から命じられているロボの皆さん。
相手がロボゆえ力比べでは終了なので距離を取り銃撃で戦うのだが
『メトロイド』とかそういうのと違う本作ならではの要素は
ひとえにひたすらディアナのハッキング。
ハッキング自体も自動ではなくプレイヤーが操作する必要がある、いや
操作できるようにしないと普通の銃ゲーと何も変わらないので操作するのだが
当然そのあいだ主人公も操作しなければならない。
敵行動を伺いつつ左手で主人公の移動と銃器の照準合わせをして銃を撃ちながら
右手でハッキング操作を行う忙しさが
アクションゲームとしての独自性で、面白さになっている。
ハッキング中は武器が変更できなかったり行動の制限もあるのだが
移動したり攻撃したりができないわけではない制限ある両立できる程度のなかで
どこまで引き出し活用できるるか。
ところでなぜ敵さんはハッキング操作をしている間に襲ってこないのだろう。
いや襲っては来るけれど、もっと積極的に
主人公と見たら即座に飛び掛かって膂力の違いでボコボコにしないのだろうか。
自我のないロボなのだから破損を気にせず捨て身で特攻すれば良いのに。
いやそもそも主人公と同じく銃撃すべきなのでは
こちとら宇宙に適応してない人間ゆえに宇宙服壊れたららおしまいなのだから。
あとカメラとかセンサーで主人公の居場所はわかるのだろうから
戦力の個別投入をせず一時に物量で押しつぶすべきだし
そもそもロボでなく銃器を製造して四方からひたすら撃てばよいのでは。
いや巨大な物で押しつぶせば、いやいやいや、といくらでも対応策が思いつく。
この手の作品すべてと同様、主人公ただひとりだけが、なぜか、
順番に拾える能力拡張アイテムを駆使することでどうにか、
最後までたどり着けることになっている月基地の迷路みたいな構造。
と合わせて敵の行動原理はまことに不可解だが
そこを考えてはいけないはいこの話終わり。
神の導きじゃんね。
主人公がクリアできたという結果から
主人公だけが通過できる敵と迷宮という過程が演繹されるんよ。帰納ではなくね。
お話が未完に終わる終局は
観客が途中で席を立つことをあえて選び取らない限り物語には存在しないのね。
それはさておき。
アイテム拾って銃器の種類が増えてハッキング能力も拡張されて
できることが増えて対応力上がって便利にはなるが
初期能力でも工夫してうまく操作すればクリアできます、という種のゲーム。
お話自体はそこまで引っ張らず、昨今のゲームとしてはかなりあさっさりめ。
オンラインを通しての仲間との協力とか敵対とかも無いので
クリアというはっきりした結果まで容易にたどり着くことができる。
一部のトレーニングモードのほうがただクリアだけするより天地の差で難しい。
引き延ばしとかなくわりとあっさりクリアできるのが
実は本作の割と結構な、ここ最近のゲームにおける特徴な気がする。
気がするというのは最近のゲームを語れるほど
最近のゲームを体感しておりませんのでね。気がするだけですが、
ソシャゲという稼げる限りは終わりのない形態が
ゲーム体験における割合の圧倒的多数になった昨今では
あっさり明確なクリアまでたどり着けることで満足できる作品のほうが
沢山量があるけれどいつかは終わってしまういわゆる大容量の大作ゲームよりも
むしろ時間当たりの体験として価値が高いという価値観もまた存在する、
のかもしれない。たぶん。
小説でもマンガでも映画でも、そしてゲームでもなんでもよいのだけれど
もちろん楽しいことはたくさんあるほうが良いのだが
それだけを無制限に遊んでいると、飽きるよりずっとずっと短い区分で、疲れる。
どんなに楽しくても何時間も続けて集中が持続するわけではないのだ。
楽しいからこそ、その機会ごとの体感の質を落とさないように
明確に区切りをつける形態もまた娯楽作品としてあってよい。
毎日一時間、毎週一話、一回2から3時間。
そういう習慣でスパッと区切りがついたほうが
作品として時間当たりの評価が高くなって
それがそれを最終的にすべて体感し終えたときの総評と
等しくなるのではなかろうか。
ソシャゲが遊んだ総量の多寡に価値があるのではなく
遊んでいるその時々の楽しさが毎日あることに意味があるように。
銃撃で戦うに加えて、相棒の手助けで戦闘に幅を持たせたところが
本作の最大の特徴である。
プレイヤーはひとりしかいないので
主人公と相棒を同時に単体でのときとは同様には操作はできない。
ふたりの、あるいは複数にプレイヤーによる息の合った協力プレイが実現すれば
それはさぞ楽しいだろうが、
それを実現できないなかで苦心する不自由さに
アクションゲームとしての面白さがあるのだ。
ハッキングは自動でしてくれて銃撃ゲーに集中させてくれた方が楽しい、
と言われてしまってはおしまいである。
また二人操作による協力プレイができるようにもすることは
技術的には容易であっただろうけれど
ディアナも自分で操作する主人公であることに自覚的である点も評価できる。
敵が銃撃してこないのも敵の攻撃がゆっくりで
主人公も緩慢にしか移動できないのも迷路のような構造も
月面基地という特殊で限られた環境だから仕方ない。
銃撃中にハッキングを並行して行わなければならないからこそ
月面に基地がありコンビが英雄的に活躍する結果があるのだ。
相棒であるディアナの設定とキャラクタにより、遊ぶこちら側に
ディアナのために頑張るか、という意欲を喚起させることに成功していることが
本作の最大の美点といえるだろう。
いいかえれば、本作の満足はディアナのキャラクタあってこそで、
銃撃とハッキングを並行して行うのが面白いかというと、
いや普通に銃撃ゲーのほうが面白いと思う。
ただ銃撃とハッキングを並行して行うのも面白い、までは到達している。
相棒と協力する銃撃ゲーという枠組みのためにディアナが生まれ
ディアナというキャラクタがいるからこそゲームとして成り立っているが
銃撃ゲーの興味深い派生であっても新機軸ではない。
けれど、過剰にうすく引き延ばすのでなく
分相応、自身の推すべき長所をよくわかった規模に程よくまとまっている。
そのほどほどさこそが本作の現在における適格な在り様であると思う。
無数に在る娯楽作品を消費し需要する大衆に対して
どのような作品を供給し続け利益を上げ続けることができるか。
実現するのはどのような作品形態であり中身であり運用であり売り方であるか。
もちろんそこに唯一つの答えなどはなく
数えられる成功とそれに何層倍する失敗という結果しかない。
そしてそれを遊び消費するこのわれわれの側も
どんな作品が自身の需要に適して応えるのかをわかっていないのだ。
お金も時間も無駄にしたくないからこそ、それなりに慎重に選ぼうとはする。
でも購入の決断を下すのはたいていその時の気分だったりする。
そんなそんなあやふやな意識の集合の土台の上にも
明確に屹立して後世の評価に耐える作品は存在し得てしまう。
見出されないまま埋もれていく作品があるのもまた事実であるけれども。
娯楽作品の面白さとは何か、どんななら世に認められて売れるのか。
それはその時々で違う。
昨日の自分と明日の自分が今の自分と同じではないように。
世はその集合であるゆえに。
だから完璧でなくてもよい。唯一の正解でなければならないのではない。
明日傑作なるかもしれない作品でもよいのだ。
より良かれと思って作られているならば。
何が良いということなのか。
そう、もちろんそれを具体的には誰も知らないからこそ
それらはわれわれの興味を惹き続けてやまないのである。