2019年上三半期報告

4ヵ月ぶりくらいにゲームの感想を書く気になったので
すかさず活かしていきたい。
4連休以上でないと気力が湧かないと判明したわけで
次の更新は年末だな夏は暑いから。

 

なお久しぶり(4ヵ月ぶり)にはてなにきたら

景色が変わっていてびびる。

 

ドラゴンクエストビルダーズ2

昨年度末にも少し触れたけれど再度。
全体『1』を拡張したつくりながら遊び終えた感あまりよろしからず。
その理由は『1』がステージクリア型で
繰り返し遊べるようになっていたからだと思う。
クリア後に自由に街づくりを楽しみたいのではなく
趣向凝らし用意されたパズル解いて褒めてもらう方が楽しい派からすれば。
遊び方の問題で、けれど『1』は両方できたのに『2』ではできない。
全体のお話のまとまりとしてそのほうが良いと判断したのだろうが
クリア後の自由さが楽しみでない身には
一度食べたら終わりのもったいなさだった。


ほとんどのゲームがステージ構成でなく
そうだとしてもクリア後、自由にそこだけ選び遊べるようにできていない。
それだと面白がれないからである。
2時間の映画の真ん中10分を切り取っても面白くない。
どこをとっても敵と戦っているだけの作品ですらそうだ。
育成成長、全体の悲喜緩急。登場人物同士の関わりに音楽による効果。
アクション要素が少なく、ストーリー要素が全体として希薄だとそう。
パズルをテンポよくクリアする快感があり、
そこだけでまとまったお話の満足感が得られるなら
『ビルダーズ1』のような形式も考慮されるべきではあるが
それがなしえる様式のほうが稀と言える。


三国志大戦(新)

今年に入ってだいぶ遊んだのがこちら。
昨年の夏くらいからちょこちょこ触っていたが
現在はひさしぶりに週1で2時間弱ゲームセンターに通っている。
タイトルの(新)は、2005年から2016年まで稼働していた(旧)とは
殆ど同じ仕組みながら、全面リニューアルしてタイトルは同じという
紛らわしいことをしているから。
version表記もまた1からで表記が大変わずらわしい。
三国志大戦4』として新規ユーザーに敬遠されるのを恐れたのだろう。
現在(旧)をあそんでいなかった比率がどれくらいあるかは知らないが。


中身はほぼ同じだが、料金がお安くなったのが嬉しい。
現在の仕様では、最初に¥200、続けて2戦目をするのに、
¥300払って追加で武将カードを貰えるモードにするか、
初戦に勝っていれば追加報酬が無い代わり無料で遊ぶかを選ぶことができる。
新規カードが欲しい人はお大尽に¥500で2ゲーム遊ぶし
遊べれば良い人は無料を選べる。
ゲーム内報酬にリアルマネーを出したいひとは出せるしくみ。
(旧)は¥600払って3戦の仕様だったことを思うとまことにありがたい。
さらに初期は初戦¥300、勝ったら¥200でもう一戦、さらに勝つと¥100の
3戦で1セットという過酷さだったが、大量に客がついていたので仕方ない。
現在の仕様では勝率5割でも1ゲーム平均¥133で遊ぶことができる。
勝率2割5分で¥160、勝率8割でも¥111なので不公平感が少ない。
昔仕様だと勝率5割で¥242。最盛期の人気すごい。
中身がほぼ同じなのも、15年前から言っていたように
時代を10年先取りした15年後も楽しめる傑作だからである。
遊んだ人にしかわからないと思うが、
三国志大戦』も遊ばずにゲームについて語るとかありえない。
15年遊んでいて底なく他に変わりなく面白い。


近年のゲーム最大の発明は、お金を出したいひとから、
購入して貰ったあとからも集金できる仕組みである。
アーケードゲームでも、ゲームをたくさんあそびたいひと、
そのゲームでカードをたくさん集めて、詳しくなって、
仲間と動画を見ながらわいわいゲーム外でも楽しみたいひとと、
どちらにも良いように応える仕組みが整備されてきているのは結構なこと。
(旧)の昔は公式動画ですらゲームセンターにいかなければ見れなかった。
15年も前の話。


龍が如く0

某「キムタクが如く」が話題になっていたので。
シリーズ中では出来がいい方らしいという風聞に基づき。
このシリーズはPS2で出た初代以来で、やはり15年まえの2005年。
絵がきれいになっているはずだが、朧げにしか覚えていないので
まあこんなものなのでは感。でも堂島組3幹部の毛穴感には感心。
主人公2人はさすがに覚えていたが、その親友はまったく覚えていなかった。
何か以前は100億くらいで大騒ぎしてなかったっけ。
15年でお金の価値も下がったものよ。


一応最後まで遊んだのだが、いまひとつ感想が思い浮かばなかった。
主人公がヤクザという時点でもう駄目なのでは。
話し合いで話が進まないので
よくこれでシリーズ化し何作も話を作ったものだとそちらに感心する。
なぜ最初から『事件屋稼業』みたいにしなかったのだろう。
シリーズを重ねているだけに
最後まであそばせるだけの引きと全体の出来はある。
アクションRPGとして、例えば『ゼルダ』と比較もできるだろう。
でも別にいいかな。単純に「任侠もの」に自分が興味無いだけか。


仁王

次は何に手を出そうかというところで折よく半額だったので。
テクモの『忍者龍剣伝』『NINJA GAIDEN』を作っていたひとたちによる
和風『デモンズソウル』。
デモンズソウル』もひとつの偉大な発明だ、とか書くと
キングスフィールド』を遊んでいなかい奴がゲームを語るなと
怒られそうなそれ。
エロバレー」と同じ人たちが作っているかは存じ上げないが
ヒロインのお勝(徳川の守護女神とは別人)や誾千代が美人。
やっぱり西洋風より和風だよねという個人的趣向を多分に反映。


楽しく遊んだが、自分の指がついていかない場面には閉口した。
この敵はこういう攻撃でこれが開始合図で弱点はここね、と
わかっているのに操作がついていかない。なんどもやられる。
音ゲーと同じで、画面を見て脳が判断してから指を動かすのでなく
この色や形や音のタイミングでこのボタンという
反射で操作できれば良いのが良くできたアクションゲームというものだが
結果がついてこない。指がなかなか覚えない。
あたまではわかっているのだからこれ以上工夫しようがないのである。
ゲームの反応が悪いんだと文句をつける勢いるよね。
音ゲーには大抵タイミング調整ついているね。あれは苦情避けなのね。


歳。歳なのか。
このサイトも10年以上続いてるし。
どれとは言わないが15年前のゲームの感想をここに書いた覚えがあるし。
怖いから読み返さないけど。


ドラゴンクエスト10

今更。
いやなんか体験版がすごく後ろのほうまで遊べるらしいと聞いたので。
ほなら試してみるかと気楽に始めたら、ほんとにかなり遊べて
無料にしてはあまりにも遊んでいる時間が長くなりすぎ
悪くなって製品版にしたのである。
そういうこころにも応えるダウンロード販売って偉大。
ちなみに今調べたらお値段¥3000だった。遊んだ時間は調べない。


遊べる時間、間隔がわたくし仕様上不定期なので
オンラインゲームなのにソロプレイしかしておらず
それで感想も何もあったものではない。が
たまに入ってきて周りのみんなが駆け回っているのを眺めながら
表面だけさわるような遊び方も許されているのは懐深い。
また、変な遊び方ではあるが、
本作は2012年から稼働しているゲームで、
今から遊ぶと要素が積もり積もって膨大なことになっており
それを攻略サイトとかに頼らず読み解いていくのは単純に楽しい。
この手のゲームの常として、遅いスタートであるほど
序盤は加速して付いていきやすく手が入れられており、
そのへんの基本無課金ゲームとちがって
ドラクエ』という大看板なだけに、あらゆるところで分厚い。
また基本パッケージ販売なだけに、課金で高レアを引けばどうこうでもない。

 

基本無課金ゲームと同じような感覚で
かの『ドラクエ』を、ちゃんとした大規模オンラインゲームを、
気軽に遊べるということ自体が新鮮で面白い。
これから「ソロで遊ぶひと」は
是非、同じように攻略情報を見ないで遊んでみて欲しいが
ひとつだけそれだけは書いておけよ、と恨まれそうな項目といえば
大陸間移動ができるようになったらまず「岳都ガタラ」で高速移動手段確保。

 


総論


ゲームにはいろいろな遊ばれ方がある。
そういう遊び方をすれば楽しいのだろうなと頭でわかっていても
そうでない遊び方をする、せざるをえない、
そのほうが向いている向きもある。
どれも許容できるゲームの作りが理想なのかといえば、そうではない。
幅広く作らなければならないことはない。
ただ楽しめなかった人にはもったいなく映るのだから
誰もが楽しめるようにすることを、
本来意図した楽しみ方を損なわず用意できるのであれば
そうするべきかもしれない。


しかし完成品を世に出すまでの時間は限られている。
後出しで対応できるオンラインアップデートこそが
基本無課金に限らずゲームの遊び方の幅を広げる可能性を拡げているが
捕らわれて狭めてもいる。

 

2018年の感想


前回反省を受けたわけでなくもともと楽しみにしていたのだけれど、
ドラゴンクエスト ビルダーズ2』を発売日に買って昨日クリアした。
面白かった。
思えば発売日を楽しみにしているゲーム自体が珍しい今日この頃である。




さて2018年を振り返ると、
とくに新ゲーム機が出たわけでもなく、
ゲーム好き以外にも注目されるような話題作も少なく、
これといった大事件もなかった気もする年でした。
「eスポーツ」という言葉が売り出しされている印象はあったけれど
軌道に乗るのはまだしばらく掛かりそうか。
ゲームが上手いことが収入になり得るのは産業の一般化で結構だが
他の「ゲーム」、囲碁将棋麻雀とかと比べても
操作の上手さが重要そうで劣化が早そうな気がする。
「スポーツ」として見るならチームプレイの面白味が必要そうだが
今度は観客に広く面白がり方を広めるのが大変そうだ。
せいぜい30年ほどのゲームの歴史で、これから末永く
ひとつの競技の公式ルールとなり得るゲームがあるのだろうか。
年数掛ければ出てくるものでもないかもしれないけれども。


あとはスマートフォンの性能がいよいよ押してきて
携帯ゲーム専用機の市場がなくなったのも今年の出来事か。
ゲーム情報サイトでもすっかり同列に扱われるようになった印象です。
その料金体系ばかりが話題になっているとはいえ
性能が追いついてくれば未熟なゲームも淘汰されていくわけで、
けれどすっかり基本無課金が染みついた市場で
どのようなゲームなら利益を上げられるか。
アーケードゲームとかでも、低額で長時間あそびたい用と
高額だけど報酬がたくさん貰える用に料金体系をわけたりしています。
クラウドファンディングにも見られるように、
様子見の内は極力出したくない、
熱心な信者としてアップグレードや続編のためになるならお布施したい、
という需要、および金はあるところにはあるという現実は想像以上にあり
当然ゲームという水物製造業社ものっからざるをえない。
良いゲームを作れば売れる、それは一面間違ってはいないけれど
売るための工夫、良いゲームであり続けるための積み重ねも必要で
ますます面倒なことよであることよ。




自分としては、ようやく予算の都合がまわってきて
新規ゲーム機を2つも購入してしまった。
36協定上限まで残業したからね当然だね(悲しみ)。
ひとつめは『ゼルダ』感想をいまさら書いたことでわかるように
Nintendo Switch」なのですが、
もうひとつはなんと「PlayStation VR」である。
やった。よくぞ決断した。


で遊んで思ったのは、まだ時代が早かった。
画面が荒い。
ディスプレイで見る分にはゲームは充分すぎる綺麗さになって
あとは写真のままのみためをどのように各ゲーム向けに加工していくかか、
とか思っていたが、VRは粗い。きたない。ゲーム機の性能が足りない。
VR専用でなく普通の映像、PS4向けゲームや動画も
ディスプレイより大画面で映せるのだけれど粗さが目立つ。
到底映画館のような体験ができるとはいかない。
まだまだ時間が必要そうで、なかなか新規対応ゲームがでないわけだ。
当然ゲームもいくつか買ってみたけれど、
VRならでわ、とは感じられなかった。期待が大きすぎたかしら。
やっぱり『Rez』より『パンツァードラグーン アイン』の方が好きだなあ。
ゲームの仕組みとして横や後方の視界外から攻撃されていることに
攻撃されて初めて気づく様では駄目だと思う。
それは現実ではそうなのだろうが、ゲームなのだから。



スイッチは『ゼルダ』の他に『スーパーマリオオデッセイ』も購入したが
1回遊んで放置している。
『ギャラクシー1』は曲がりなりにも最後まで遊んだのに。
曲がりなりにもとは、それ以外はまったく遊んでいないということで、
つまり全ステージを一通り、文字通り一回通過する分のみ遊んだだけで
同じステージを繰返し遊ぶとことを全くしていないということである。
昔の「スーパーマリオ」では考えられないことだが
これらは直近の『ビルダーズ2』にも共通してみられる
自身の遊び方の変容によるものだと思う。




ドラゴンクエストビルダーズ2 破壊神シドーとからっぽの島 - PS4


『ビルダーズ2』は前作が大層気に入り発売日を楽しみに待っていた作品で
遊んでいる最中も大いに楽しかった。
今回の特徴は『ドラクエ2』の
『1』に対する「スケールが違うぜ」という売り文句に同じく
基本部分はそのままに、舞台の広さや高さや作れるものの種類を
単純に拡大したもの。
もうひとつはNPCが一緒に戦うだけでなく建築も手伝ってくれるところで、
設計図通りに自動的に組み上げてくれるのをみているだけで楽しい。
単純に巨大建築物を建てるために
NPCが突っ立ってみているそばで延々労働する面倒さから解放されて嬉しい。
自分で設計図が引ければもっとよかったかも。
戦闘も大勢の仲間が敵をぼこぼこにしてくれて大変気持ち良く、
旗振って応援して気分はジャンヌダルク。ものどもちからをみせよー。
旗振りだけの戦争ゲームも遊んでみたいよね。
ファミコンの『ナポレオン戦記』みたいな。


しかしながら遠出にも附き添ってくれ、街中では普段の生活も営んでおり、
建築の時は自動で参加して主人公との当たり判定もあるというNPCの挙動は
いかにもバグりそうである。
でやっぱりいくつか進行不可バグが発生してしまったようで
素直に言われた通り動く派の私は引っかからなかったものの
オンラインアップグレードがなければやばい作品であったかもしれない。



「ビルダーズ」は『マインクラフト』を「ドラゴンクエスト」の設定で
より入り込み易くしたものと言える。
キャラクターやお話をゲームの上物として付けて、
事件を解決するために、言われるまま走り回る過程が
世界の仕組みをわかりやすく説明してくれる。
最後まで走り終えたら後は自由で
障害のない世界で身に着けた知識を用い
好きなようにものづくりを楽しんでください、というつくりである。


しかし小学生のころと違って
自由に作りたいものを作って良いとされても作りたいものなどない。
砂場にお城を作るより部屋で本を読んで寝ていたい。
困る。
『マインクラフト』って何やったらよいか分からなくて困る。
でも『ビルダーズ』で、クリアするまでの過程で
何かのために誰かのために言われるままに
あれやれこれしろをこなしていくのは楽しいのだ。
しなければならないことをしなければならないのは嫌だが
だからこそ終わらせるとすっきりする。そういう遊び方である。


『マリオ』の場合、コインを集めながら先へ先へと進むゲームで
工夫に飛んだステージの仕掛けを
ああでもないこうでもないとこなしていくのが面倒ながらも楽しいのだが
面倒さが上回ると駄目である。
ピーチ姫を助けるとか、クリアすると誰かが褒めてくれる、感謝してくれる、
事件が解決して平和な生活を取り戻すことが明示されれば、
こなしてあげたくなる気が面倒さを上回れば、達成してすっきりする。


ゼルダ』を遊んでいても思ったのは、
フィールドに配置されている敵を倒す気がまったく起きないところ。
彼らは放っておいても村人の安寧を脅かすわけではない。
倒され経験値を配って主人公強化に貢献する形で
事件解決につながっているわけでもない。
なぜ山奥で平穏に暮らしている彼らに
突然物陰から爆弾矢を撃ち込まなければならないのか。
村人に剣で斬りかかると同じくらいやりたくない仕組ではないか。
ゼルダ姫が頑張っているからで、そうしないと世界が滅びるのだ、
という設定ではある。だからクリアはするが、
道中の雑魚敵は倒しても倒さなくても良いですよね。
じゃあなんで倒さなければいけないのか。と面倒さを誘発してしまっている。


敵を剣で斬ることに躊躇いがあるのではない。
アサシンクリード』では
ざくざく数えきれないほど盗賊とされているひとを闇に葬り、
善人で故郷に恋人や親兄弟を残し
エジプトくんだりへ国家命令で仕方なく来ているのかもしれないローマ兵を
たくさんたくさんお亡くなりにした。
対戦ゲームでは特に理由なくとも剣で斬り弓を撃ち銃撃する。
しかしだからといって、ふつうの村人に斬りかかったりしないし
襲ってこない倒す必要がない相手に、襲い掛かったりしないのである。
なんでそんな必要がないことをしなければならないんだ。
たかがゲームでも、ゲームだからこそ、めんどくささを跳ねのけて
わざわざそれをするには理由が必要なのだ。
敵を討つ理由、ステージの先へコインを回収しながら進む理由、
何かを作るために材料を集めて配置してを繰り返す理由。


自由でなんでもできる、そういうのを売りにするゲームはたくさんある。
RPGという分野を称するゲームでそこを気にしない方が少ないだろう。
でもそれらの自由なゲームが、
例えばTRPGよりもお話の展開で自由だったことがあるだろうか。
現実よりもすることが可能なことで自由にどれだけできるだろうか。
空想に描く世界よりも枷なく自由であることがあるだろうか。


誰か与えてくれた自由の解釈、こういうかたちの世界もある、という知識が
想像の世界を拡張してくれることはある。
その時の拡がりの心地良さは代えがたい歓びであるかもしれないが
自由ではない。なんでもできるではない。
『マインクラフト』はこれをゲームでやったことが驚くべきだし
それを多くのひとが受け入れたことこそがより驚きだ。
面倒さを越える何かをしたいという欲求をゲームの中で達成し
飲み干し満足できる規模であることもあったのだという忘れていた驚きが。


いわゆる大作ゲームの方向として
小説や映画やアミューズメント施設といった現実世界の装置ではなく
現実にありながら操作することである程度介入できるゲーム装置の中でしか
味わえない楽しさを提供することが求められるが
舞台はどこまでも狭いし、見た目は明らかに粗いし、
できることは決められたことだけに限られるなかで、何を提供するか。
過去の類似作品としての自由でなんでもできる差を求め続けるのは
いかに限界の壁が見えている滑稽さがあっても必然である。
協力して時間内に敵を倒せという単純なゲームが持つ明確なゲームの強さ。
これをどのように、
いかにも何でもできるようで何かしかできないが
それを感じさせず楽しませる形に表現するか。



2018年はランスシリーズが完結した年だった。
途中凡作もあったが30年続いたお話がきちんと終わりを迎えて
大いに満足させてくれた。
小説でもない、紙芝居でもない、映画でもない、ゲームである。
部隊を率いて敵と戦い、慎重に進めれば主人公力で勝ち
遊べばゲームオーバー。
ゲーム内で様々な展開を収集しようと思えば大変苦労する。
リズムに合わせてボタンを押すだけのゲームも充分面白いし
だけれど同じ「ゲーム」でも気に入った曲が無ければつまらないし
仲間と呼吸を合わせて敵を画面外へ吹っ飛ばすのは
吹っ飛ばされた方ですら納得感があるが
わずかにコンピュータ操作ゆえの理不尽さを感じさせれば台無しになる。


文章でも、僅か数行が自らの思い入れを刺激して感に入ることもあれば
数か月かけて読み終えた大著が何も残さないこともある。
そこに作りの高低、質の深み、出来不出来は確かにあっても
それだけではない。
例えば2018年という1年に区切って、
そこに流れる時間の総量はだれにもいつでも同じでも
誰もが重い一日と軽い時間を繰り返して過ごしている。
大切に生きねばと背を伸ばして座り、疲れ果てて背を丸めて布団にもぐり、
今日は嫌だと、あるいは今日は楽しみだと伸びをして目が覚める。
どうであれば嫌なのか。何が満足なのか。
死ぬ間際に納得できればいいのか、
十分楽しんで苦痛にまみれて死ぬののどちらが幸せなのか。


ゲームの自由さは大変である。
なぜそんなに時間をかけてゲームの外になんの益ももたらさないことに
時間を掛けるのか。
めんどくさくないか。
そこは、遊んでくれるひとのすべてが
満足してくれなければならないものではないから。
現実と同じく。





さて話が明後日に飛んで行ってしまいましたが、
2018年も無事に終わりそうです。
もうこれ平穏無事。家内安全、交通安全、健康第一これに勝るものなし。
最先端ゲームについていくのは大変ですが、
ついていかなければならないのでなく
ついていきたいからしているのであって苦労ではない。
時として面倒ではあるし外れを掴むと苦しいけれど。
世の中明るいことばかりでなく
意図せずにも人に苦い思いを与えることも多いけれど。
それでも世界は前向きな意思でより良くなろうと回っている。
自分もせめて、これを妨げないようつとめていきたいものです。
また来年。



 



 

ゼルダの伝説  ブレス オブ ザ ワイルド


ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド - Switch


『Legend of Zelda: Breath of the Wild』、野生の息吹。
前作「すかいうぉーどそーど」同様に略し難い副題で
表記では「BotW」と略されている。びーおーてぃーだぶりゅ。略せてない。
Nintendo Switch本体と同時すわなち2017.3.3発売で
つまり1年9ヵ月前の作品である。
それ以上に問題なのは2017.12発売の『アサシンクリード オリジン』を
今年の1月くらいに遊んでしまったことだ。
完全に順番間違えたねこれ。





今作はシリーズ屈指の高評価である『時のオカリナ』(1998.11.21)に
並ぶ傑作であるとの評価を得ているようである。
ファミコンスーパーファミコンのころの「2Dゼルダ」から、
『時オカ』は同シリーズ後続のみならず
以降の近接戦闘型3Dアクションゲームを決定する変化を実現した作品で
ゲームの歴史なら初代『スーパーマリオブラザーズ』(1985.9.13)、
あるいは『ストリートファイター2』(1991.3)あたりと並んで
太字で明記されるような格。
それと同じくらい今回は凄い、ということらしい。そうか。



遊んでみて、確かに今回の「ゼルダ」は大きく変わった。
初代『ゼルダの伝説』(1986.2.21)から前作にいたるまで、
ゼルダ」とは、
ボス敵の居る部屋の扉を開ける鍵が入った宝箱のある部屋の扉を開けるスイッチを押す方法を探すゲームだった。
ところが今回の最後の敵の待つ部屋には扉も鍵もない。
導入の操作説明が終わったらまっすぐ飛び込んでざくっと剣で斬って終わり。
それどころか正面から乗り込まず窓からガサゴソ入りこんでもいいのだ。
いままで30年間、忠実に指定された通り
走り回っていたのはなんだったのか、という変化である。


なぜいままでの「ゼルダ」はこうでなかったのか。
大抵の他のゲームでも、
なぜいきなりお話の原因である敵と始まって即戦わせてくれないのか。
だってそういうものだから。
なぜならその方が面白いからである。


リンクの冒クロノトリガー』であれば、最初は勝てなかったのに
強くて勝てるようになることが心地良く感じられるからであり、
「つよくてニューゲーム」もそれを強調するもの。
アクションゲームもRPGも、道中苦労してやっとたどり着き、
最後にここまでの過程中でもっとも高い壁を越えてこそ完遂の解放がある。
最初から戦えたら面白くない。
いきなりヒバチと戦えるより段階を踏んだ方が大変でも気持ちが盛り上がる。
確かにそうだ。それがゲームで感じられる快感を高める手法だ。
では今回の「ゼルダ」は面白くないのかというと、もちろんそうではない。


いままでのように、目の前に見えている目的地に辿り着くために
舞台をめぐって頭をひねって腕をふるって謎を解いて回らなくとも、
塞ぐ扉をけり倒し、あるいは横から回りこんでも良いようにする。
これが今回の「ゼルダ」を貫く軸。


いきなり最後の戦いに挑めるが、その代わり当然に
世界中を回り中間ボス敵処置を済ませたあとより強く苦労する。
各個撃破したほうが楽なわけである。
お話も間をふっとばすのでもうひとつよく「覚えていない」し、
武器と弓と盾が使っていると壊れるので、替えを用意しておかないと
べしべし叩いている間に砕け散りどうにもならなくなる。
でも、そういうようにも遊べるわけだ。


普通に今まで通り勇者さまのためだけに用意された世界を回って、
景色に感動したりキャラクターに魅了されたりいろんな武器を集めたり
困っているひとを助けて感謝されて気持ち良くなって、
そして蓄積された分、自分は強くなり弱くなった最後の敵を順当に倒して
心地良くお話の扉を閉じる。それでも良いのだ。
ゼルダ姫も敵も困っているみんなも、いつまででも勇者を待ってくれる。


レベルの概念があるRPGでは、
フリーシナリオシステムや極限低レベルクリアとは言っても
それを最適化するには、
前提として膨大な遊んだ経験から得られる知識が必要になる。
今回の「ゼルダ」も良くできたゲームである以上、もちろんそこは同じ。
アクションゲームだから操作の上手さあればショートカットクリアできる、
わけではない。
そうであってはいけないのである。
そうできてしまえ、当たり前の方法でクリアすることの評価が下がっては、
からしくなってはいけないのだ。
例えば初代『スーパーマリオ』や『スーパーマリオ3』は
セーブできないのだから全ステージ通して遊ぶ方が当たり前でない。
普通は普通であるからこそ、すごいのすごいがよりすごく偉くなる。




だが、今回の「ゼルダ」が高い評価を得ているのは
従来と違っていきなり最後の敵と戦えるようになっているからではない。
そうできてしまえることが、単に「最後のボス敵だけの仕掛け」だけでなく
多くの場面でそうできる仕組みになっているところにある。


従来はアクションゲームでありながら「マリオ」とはっきり区別させる、
わずかな段差も越えられない、民家の塀にも遮られていた機動が
今回は雪山北壁だろうが滝だろうがラストダンジョンだろうが登って乗り越え、
世界最高峰から飛び降りても携帯型コッコのパラシュートセーリングで無傷。
高いところに登れパラセールで滑空することで、越えられない段差はない。
ゲームの常として世界の端は越えられないにせよ。


だから鍵のかかった扉しか出入り口がないところ以外、
導入以降どこでも容易に移動可能。そしてハイラルに鍵は存在しない。
障害としての立ちふさがる敵も基本的に存在せず、
ショートカットするなら倒すのは最後の敵のみ、
普通に進めても「倒さなければ話が進まない敵」は途中5体しかいない。
最後のボスだけがいきなり戦えるのではない。
最初からどこへでもいけるのだ。
話も順番にすすめなくとも各地で別々にきちんと展開する。
そこが偉い。
当たり前のようだが、いわゆる「オープンワールド」といわれるゲームでも
屈指のどこへでも行ける舞台設定設計と言える。


またシリーズお約束の特殊アイテムも面白い。
そのひとつ「ビタロック」は、地面と接続されていないものの時間を止め、
止めている間に与えられた向きを持つ力が蓄積され
効果が切れた途端に蓄えられた力が作用するという独特のもの。
蓄積できることで通常の打撃で得られない量の力を与えられるから
人間大でない巨大なものを動かすことができ
地上と接続されていない物体であるから作用時に向きへ激しく変位するので
それに乗って移動できたりする。時間を止めている間に乗れば良いわけだ。
桃白白もびっくりである。


なんでもできるわけではない。燃やせられるものしか燃やせられないし
爆破できるものしか壊せないし、斬れるものしか斬れない。
こればかりは物理シミュレータでなく
勇者の冒険シミュレータであるから仕方ないが、
それでも従来の、勇者のために世界中に用意されたダンジョンのなかで
定められた通りごそごそやっているよりも遥かに広い。
他の似たようなゲームと比較してもその表現手段は見るべきところが多い。
望遠鏡で覗いた景色にピン止めすると地図上に反映される仕組みなどは
見事なアイデアだ。本作が初出かどうか知らないけれど。


ゲームの質というべき部分もシリーズの名高さに違わず流石の任天堂
武器で敵を叩く感触は気持ち良く、攻撃を上手く避けると心地良く、
簡単すぎず難しすぎず、複雑な操作は知る必要なくクリアでき、
気づいて活用できれば快適に活劇できる場面が脇道だけでなく用意されている。
地道に舞台の仕掛けを集めて回ることに、しっかり楽になる報酬がある。
ゼルダ姫は前作同様ヒロインとして微笑ましく
サブキャラクターたちもわずかな登場場面で印象深い演出の確かさ。
お話は単純で揺ぎ無く必要十分を心得ており心憎い。
世界観の表現という見た目に至っては
これぞ「ゼルダ」完成形を思わせる秀逸さと言って良い。


何より感心するのは今回のいろいろなことができることを、
いろいろできない、従来の「ゼルダ」法則に支配された小規模ダンジョン、
これを進行段階に応じて多数用意することで、
丁寧に何度も教えてくれるところだ。
普通に走って登って飛び降りるだけじゃない。
それでも最初から最後まで問題なく通せるのだけれども、
こうすればこういうことができる世界であることを思いつかないひとにも
最小の段差を越える努力を通過させることで、
自分が思いつくきっかけを与えている工夫。
いろいろできる。しなくても最後まで行ける。すれば大胆に省略できる。
そういうことができるのだということを、無理なく気づかせようとする。
自由度の高さ、世界の広さを用意して、しただけで
ゲームを作った気になっているほとんど全てのゲームに出来ないことだ。






ゼルダをいまさら遊んでいるのは
1年前の時点で予算の都合がつかなかったからである。
この1年遊ばなかったのは
アサシンクリード オリジン』がかなり良くできていて、
同じようなゲームであろう今回の「ゼルダ」を
遊ぶ気起こさせなかったからである。


今回の「ゼルダ」も完全無欠ではなく、もちろん欠ける点はある。
ロードが長い。音量調整がない。画面の明るさ調整がない。
街で住人と話して回るのがめんどい。
景色は起伏に富んでみばえがするが狭い。
馬で気持ち良くはしりまわれる部分が少ない。
この戦闘の仕組みでは1体1でリンクが強すぎる。
戦闘時のカメラ自動追尾がまだまだ。
盾や弓の耐久力はこれで良かったか。木の矢を希少にし過ぎたか。
料理はもっといろいろ試したくなる意欲を起こさせる工夫があって良かった。


今遊んだから、『アサシンクリード オリジン』を1年前に遊んだから
こういう感想になるわけで、
発売直後に遊んでいたら、ちまたみかける評価のように
『時オカ』に並ぶ傑作と扱っていたかもしれないが、わからない。
どちらが面白かったかと自分に聞いてみると
やはり9ヵ月前に発売した方と峻別がまことにむずかしい。
先につくったほうが偉い。それはそうだ。
ゲームは素材の味と調理方法とみためだけが評価箇所ではない。
あらゆる細部の集合であるつくりのすべてに対し
コントローラと画面と音声ではたらきかけたかえりの感触と印象が大切だ。
初めての印象は遊んでいる現在の感じを除くすべてに勝る。


ゲームに限らないが遊ぶ順番や時期は大事である。
どちらのゲームにも失礼した。失敗した。反省。







ランス10


忙しかったり暑かったりで2月末の発売から半年経ってしまい、
いまさら感を通り越してそんなのもあったなそういえばの境地。
今立ち上げてみたら200時間以上遊んでいたゲームの感想を
書かないわけにはいかない。ではなかった、わけがない。


というように感想書いて、一晩寝かせておこうと思ってはや一月。
ああ、もう、まあ、うん。
完全に書き方忘れたなあ。ゲームの遊び方すら忘れた。
いままでどんなゲームを遊んだか思い出そうとしなければ思い出せない。
端から忘れていくのでなんでもすごく新鮮だ。遊ぶ気力さえあれば。




で。
この『ランス』シリーズは30年くらい前に最初の作品が出たのち
同一設定、同一主人公で延々話が続いていることで有名な
PC18禁の雄と呼ばれて久しいアリスソフトの看板作品群。
ゲームの分野で対抗できるのは『イース』シリーズくらいか。
でもあれは『ゼルダ』みたいなものか。
確かに同じ主人公で全体としてひとつのお話と言えて、
ながなが続いてきちんと完結したのは珍しいかもしれない。
この10作目はシリーズ最終回。
長年培ってきた全ての素材にケリをつけ綺麗に終わった。ただただ偉い。


シリーズ中では2006年の7作目『戦国ランス』が傑作として名高く、
信長の野望』のような「国取りSLG」の自国を大きくしていく楽しさと、
登場人物たちにRPGのようなお話の起承転結を並立させた空前の作品。
こんなゲーム形式がありなのか、
PC18禁でありながらここまで面白いゲームあるのかとその存在を知らしめた。
シリーズ他作品も多くが個性的。
出来ばえ凹凸はあり、30年の時間経過で色あせた面はあるけれど、
どれもRPGSLGといった分野においてこういった表現もありかと唸らされ
一般向け分野に伍する程度の最後まで遊ばせる力を兼ねて備えている。
18歳以上であれば『ドラクエ』『FF』『テイルズ』『ペルソナ』だけ遊んで
いわゆる「アクション性のないRPG」をわかった気になってはいけない。
ランス6』『ランス7』も遊んだこと無くそれを語るなどおこがましい級。


前作『9』が同メーカ製旧作品の焼き直しでありながら
中途半端な仕上がりで元より劣る凡作であっただけに
シリーズ最終作と制作前より公言されていた『10』が
どういう出来となるか危ぶまれていたが、見事その懸念を払拭。
掉尾を飾るに相応しい、『戦国ランス』に並ぶシリーズ中の傑作である。
ただいきなり本作から遊ぶのは、『戦国ランス』と違って合わない。
30年に渡るお話すべての設定に解答を与える立ち位置だけに止むを得ない。
アリスソフトゲーム初心者は
是非とも『ランス6』『戦国ランス』のいずれかを先に試してほしい。
なお『ランス8』も分割商法である一点を除けば良作である。




『ランス10』の構造は、分類するならSRPGだが
ファイアーエムブレム』のようなとは異なり
『ブレス オブ ファイア5 ドラゴンクォーター』のような、というのが近い。
経験値稼ぎをする寄り道が基本的になく、話が進むほど敵は強くなり、
どこまで高くなるか判らない壁を最後の最後まで越えるまで、
徹頭徹尾の戦力資源育成活用が求めらる種類のゲーム。
『ドラクォ』と違っていくらでもいつでもセーブでき、
戦闘一回ごと何度でも即やり直せるのだが、
容易にやり直せ、それでいて何度も付け加えれれないだけに
全戦闘で最善結果を積み上げていかないと不安にさせてくれる
延々続く綱渡りのひりひり感が楽しい。
『ドラクォ』を遊んだことのないひとに説明するなら、
すごくターン制限が厳しい『信長の野望』という感じ。
無理だろ無理だろと思わせるがしかしこういうゲームになっている以上は、
極端に変なことはしていないから最後まで行けるように出来ているはずだ、
あるいは
ゼルダ』での先に進むためのパズルが解けないように出来ているはずがない
自分のソフトだけが進行不可のバグで詰まっているはずがないのではずかしい、
という製作者との疑心暗鬼な進行に、こころをぐりぐりさせるゲーム。


舞台設定もそういうゲームの仕組みに合わせ、
極力無駄のない行動を求められるものが用意されている。
前作までにおおむね大陸各国を回って信望を勝ち得てきた主人公たちに対し、
冒頭、大陸全土に魔軍が攻め込んでくる。
オーストラリアほどの大きさに全人口2億ほどが住んでいるが
何もしないと数か月で全滅する。頑張ってもどんどん減っていく。
主人公たちはすべての人びとを助けることはできず、
あるいは人類の半数を失いながらも乾坤一擲、敵首魁を討ち取れるか否か。
過去作品に出てきた仲間たちと協力し
各国軍が頑張って死闘しているのを後ろに敵陣最奥に潜入して勝機を掴む。
これまでになくまじめで遊んでいる暇のないお話だが、
主人公ランスは主人公に相応しく、これまでと同じように活躍してくれる。
本作を遊んでランスの働きを評価しないひとはいないだろう。
本当に良くやった。偉大だ。英雄だ。主人公だ。




本作が『戦国ランス』に並び、あるいは越える傑作であるというのは、
そういう完結作に相応しい、
過程と結果のめりはりからなるまとまりの良さだけにあるのではなく
やはり本作でも空前に類を見ない独創の戦力活用ゲーム構造が用意され
作品に合っていて、見事に機能しているからである。
なぜ世に数多ビデオゲームありながら
戦国ランス』や『ランス10』を生み出したのが
予算規模の限られたPC18禁向けゲームメーカーなのか。
そこに深い解答などない。ゲームを作る能力の高低があるだけである。


お話はそれぞれを数週間ごとの出来事として15程度のターンに分けられ、
各ターンごと大きくどの方面で作戦を行うか選択する。
各作戦ごとにどこへ行って、どのボス敵をどう倒すためにこうしてああして、
という選択肢で選べるいくつかの流れが用意されていて、
その過程で雑魚敵との戦闘、新たな仲間の加入やアイテムの獲得、
ときに全体動向を左右する敵味方彼我の戦力上下イベントや
お話の流れを結末まで決定付ける分岐点がある。
話のどの場面で何度、おおよそどの雑魚敵と戦闘するかも、
どこへ行き誰と会話をすることで何が起こるか決まっているのと同じく固定。
またその流れの全体もいつでも確認できる。
つまりあと何回くらい雑魚と戦い、どれくらいイベント過ぎると
ボスと戦わなければならないかが最初から見えている。


ひとつの雑魚敵との戦闘ごと、3ターン以内や残体力10%以下勝利で
獲得経験値ボーナスがついたりし、
戦闘後得られる仲間も2〜3人のうちから1人だけを選ばなければならない。
どの戦闘で誰を入手できるかはターンごとの作戦開始時に決まるので
リセットしても意味があまりないが、
どの仲間を得たかによっては変わるので安易ではない。
仲間1人はレベルによって増加すると体力と攻撃力、そして2つのスキルを持つ。
仲間は出身や種族や立場ごと10チームに分けられ、
戦闘には最大7チームまで、各チーム代表者1人を出撃させることができる。
体力と攻撃力は代表者の能力値*5+チームごと残り全員の合計。
つまり誰か1人を育てるだけでは限界があり、
といって全員をまんべんなく育てなければならないわけでもない。
スキルはそれぞれ最初から最後まで変化することなく、
戦闘で使用する通常攻撃と必殺技、ステータスを上げる補助魔法、という構成もや
戦闘にでているだけで効果を発揮する、
戦闘にでなくてもそのチームを戦闘に出すだけで効果を発揮するものなどがある。


要は、限られた経験値を、
ある程度運良く入手候補に挙がったメンバーから選んで得た誰かたちの中から
どのボス戦闘前までに誰にどれだけ配分するかを常に選んで、
また雑魚戦闘では短ターンクリアできるよう戦力を維持しつつ、
ボス戦闘ではどの敵行動ターンで誰に何をさせるかを想定して
どのチームの誰を出撃させるか選ぶのである。


ざっくりいうと「『エムブレム』みたいな」SRPGである。
誰をいつまでにどの程度育成させるかは結局、
どの時点で倒さなければならない敵がどれくらいの強さで、
どういうメンバーを集めて育てておけば有利になるかは、
戦うまでわからないのは普通のRPGも変わらない。
したがってこの『ランス10』も
一周目はごく普通に繊細に、有能そうでまだ入手していない面子を選び、
場面毎の経験値帯でレベル伸びが悪くなったら次育成候補に変えて、
ボスはまず行動パターンを観察したのちロードして
手持ちのスキルとレベルを眺めて最善そうな構成で挑む、という方法でよい。
主人公ランスがここではこうするだろうという「ランスらしい」行動を選び、
長期を見据えたラストエリクサー症候群の慎重さを怠らなければ
最善のエンディングを見ることが出来る難度になっている。


これだけでも良くできた佳作の出来栄えだが、問題は2週目以降。


2週目以降は持ち越し特典として得た仲間も上げたレベルも附いてこないが、
獲得経験値アップなどを付けることができる。
敵の強さは1週目と同じ。戦い方は分かっている。有利である。
そこで1周目は歯が立たなかったので
ゲーム内時間を掛けて戦力を蓄え撃破したものを
なんとかゲーム内短時間でクリアできるよう狙うわけである。
そうすると敵戦力が早期に減少して人類が有利になり、
1周目では起こり得なかった展開も起こるのだ。


これが面白く罠である。先がどうなるか解っているからこそ楽しく苦しい。
敵の強さも行動も有利な戦術もわかっているのである。
すべての戦闘はなんどでもなんどでもやり直しでき、
またクリティカルが出たり回避したりと運要素で結果はそれなりに変わる。
でも入手できる戦力資源は同じ程度。しかもまったく同じでなく、
場合によってはすごく使える仲間が手に入ることもあれば、
これは必須と言う仲間がちっともひけなかったりする。
そして先に述べたように、一戦闘ごとに得られる仲間は決まっているが、
どの仲間を得たかで次に得られる仲間は変わる。
あの敵を倒すには、あおこまでにこれくらいにはしないといけない。
敵の強さが解っているから、戦力をどういじって整えるかが面白いのである。
その時々ごと違って限られた手持ち戦力でどうやりくりするかを
何度も繰り返し遊ぶことができるのだ。同じ敵に対しても。




『ランス10』が優れているのは、
こういう仕組みのゲームを思いついて並べるだけではなく
エンディングまでの時間、得られやすい仲間の能力値の配分、
敵の能力、イベントの配置から
製作者がそういう仕組みのゲームであることを解って置いていることが
こちらにも伝わる点だ。


敵の能力がわかっていて、この戦力ならこうしてこうしてああすれば
ぎりぎりながら最短で倒せて美しい。
でも普通は、敵の残り体力や、この攻撃でどれくらいそれを削れるか、
何ターン後に敵がどれくらいこちら体力を削るかなんて知らないのである。
まともなゲームは、
その味方戦力でその敵と戦うのは一度きりであること解って作る。
『ランス10』はすべての戦闘開始時にオートセーブが作成される。
2週目も同じように進めていけば同じ強さの敵が出てくる。
違うように進めて難度が変わっても、行動パターンはまったく同じ。
その味方戦力でその敵と戦うのは一度きりであり、
次はどう戦うとより良く戦えるかわかっているけれど、
こちらの戦力が一様でないよう、解っていて作っているのだ。


あらゆるゲームは公正に決まったルールの下に誰かと競う競技であるが、
前提は平等でなくそこに一定の運の要素が介在する。
陸上競技でもレーンや同走者で最高成績が異なり
囲碁将棋でも先手獲得側は常に相手より一手多く指すことができ
カードゲームでは、すでに出たカードを除き、
次にどのカードが出るかはすべてのカードに平等である。
乱数発生装置として運の要素は幅広い展開をもたらして
同じルールで同じ競技者が競う場合は欠かせないものであるように思えるが
平等でないことはなぜ許されるのだろうかと感じる競技もある。
ビデオゲームでは公正無欠な計算機をルールとすることで
自身との競い合いにおいては運の要素を完全に配したゲームが可能である。
例えばアクションゲームではそれまで成し得ない精度で
完全完璧に同様環境が用意され一切の自身への妥協が廃される。
そこにビデオゲームでしか成し得ない美しさが確かに発生するが、
しかしビデオゲームの可能性はそれだけではない。


ある確率環境で、当たりを引く確率は完璧に平等だが、
籤を引くこちらは常に同一ではあり得ず、
つまり何度引くことができ何度当たったことがあり
何回前に辺りを引いたことがあるかは異なり、
またそこから受ける印象もその個人その時々で同じではあり得ないので、
同確率でも同確率と感じられることができないのだ。
これは完全に同一環境下を何度でもいつでも完璧に再現できるからこそ
そこでその時々の自分がそのようにするかを公正に比較することができて、
競技として、つまりゲームとして成り立つのである。

アサシンクリードオリジンズ

アサシン クリード オリジンズ【CEROレーティング「Z」】 - PS4

鷲か鷹か。
なぜこの使い分けが生まれたかの謎にはとくに迫らないシリーズ10作目。
2017年10月発売の最新作は、
これまでのシリーズで語られてきた暗殺教団の起源が明らかとなるお話。
プトレマイオス朝末期エジプトが舞台。
私は10年くらい前に1作目を遊んで以来、
途中は一切知らないので比較とかはできないのですが
ゲームシステムも一新されたらしい。らしい。
10年前と比べると背景の描き込みはさらにまた別境地。
ゲーム内表記でだいたい縦横10kmくらいの広場を隙間なく埋めつくしており、
もちろん自動生成もたくさん使っているだろうけれど、
よくぞこれだけの物量を埋め込んだものとあきれる。




システムは一新されたらしいとはいうものの、基本的にはこれまで同じく、
こっそり忍び込んだり高いところから飛び掛かったりして
攻撃可能な相手をざっくり処すのが目的。処す?処す? Z指定です。
主人公はエジプトのメジャイ。
メジャイについてはあえてかゲーム中説明ないですが、
警察組織がない当時の、街の用心棒的位置にあるものと思われる。
本来は王室守護者という公的立場から始まったものが
やがて力なき民衆の守護者としての自覚に目覚めた的な。めざめのじかく。
主軸のお話である、エジプトを陰から操ろうとする秘密結社の追跡、
悪い政治家の成敗、きたない侵略国家ローマの撃退などのほかに、
街の困っているみんなのお願い、ひとだすけをする脇話が多数用意されている。
敵以外はあんさつできないのだが、
馬で爆走しているとつみなきひとびとも轢いてしまえるのは
不可抗力というそれである。しかたない。


主人公は主人公に相応しい超人的な能力の数々を備えており半端なく最強。
負ける要素が見当たらない。
大剣で身体の真ん中ざっくり刺されてもすぐ回復。
50mくらいの高さから飛び降りても下に藁の山が敷いてあればダメージなし。
鷲だか鷹だかの相棒と同調することで無機物でも遮蔽越しに位置を特定でき、
同調しなくてもやっぱり遮蔽越しにリアルタイムで敵行動が見渡せる。
この超人から日夜場所問わず突然襲い掛かられる敵性認定された方々には
まこと同情を禁じ得ない。
良いローマ人だってたくさんいるはずだが
暗殺者にはそんなのかんけーねーのである。
悪くないローマ人だけが良いローマ人なのである。
どっちだかわからない場合処されてやむをえないのである。
それで多くのやっぱり罪なき人々が亡くなって家族が嘆き悲しんで
主人公と仲間に対し復讐誓って何千年も恩讐続いてもしかたない。
それが暗殺でテロリズムなのよね。
復讐は何も生まないよ。主人公には敵わないから諦めよう。
暴力には理不尽に暴力で対抗するしかないのが現実なのよさ。
少数個人の理想実現という大義の前に多数の不幸という小事は必要な犠牲なの。




従来通りフリーランニングだかパルクールてきな動きで
主人公はエジプト中を駆け回る。
いわゆるオープンワールドで、街と洞窟と敵基地は
すべて等尺破綻なく組み合わされて用意されており、
もちろんギザの大ピラミッドもアレクサンドリアの大灯台もあって
ゲーム上表記に従えば本物とほぼ同じ大きさ。
灯台の天辺まで登れるし、
ピラミッド中には4500年明らかになっていない秘密の部屋が用意されている。


ここでちょっと脇道にそれる。
私はオープンワールドというものを凄いというひとが嫌いである。
オープンワールドだからすごいとかいう意見には
従来より書いているように、まったく賛同できない。
遠くに見えるところにそのまま行けるからなんだ。
その時点で影響を及ぼせるのは周囲数十mだけで遠くは絵でしかない。
塊魂』みたいなゲームでないとオープンワールドの意味がない。
舞台は広いほうが良い。ロードは短く見た目はきれいな方が良いように。
だからロードなしに続けて移動できる場所が拡がるのは結構なことだが
それがある一定段階を越えるとオープンワールドと名乗ることができて
それで何か新しいゲームの面白さがあるように言われても困る。
本作で男塾直進行軍ができるのは楽しい。『ライオットアクト』も楽しかった。
でもそれはオープンワールドであることとは関係ない。
単純に10km四方に渡って埋めつくした労力に感心するだけである。
そしてだから何、それがどう面白さと関係あるの、と思う。


まあともかく。
ピラミッドの頂上に座り、ここは2000年前だけど、
このピラミッドはこの時点でさらに2000数百年前に作られたのだなあ、
4500年前のエジプトが、歴史SF小説で人間進化段階に到達したと見なされ
中世を跳ばす介在を為されなかったのか不思議だわ、
などと思い耽ることができるのは、日本のゲームごときには成せない境地。
それだけで本作の価値がある。






微妙なところを挙げていくと、
相変わらず現代編が意味不明とか日本語訳が手抜きとかを置いて、
主人公の強さを引き立たせるための敵側に魅力が薄いところ。
お話としてもゲームとしても。


お話としては、
この時代のエジプトを舞台にしているのだから
当然能力値史上最高級なローマの英雄とかその奥さんと弟とかも登場するのだが
これらの方々の事跡は当然ご存じですよね基礎教養ですもんねという感じで
はなはだ説明不足である。
ゲーム中の説明では主人公たちが誰と協力してなぜ失望しているのか
あんまりよくわからない。
パトラ子さんがギリシャエジプト人
容姿でなく声が魅力的なことは知っていても
プトレマイオスとの関係やローマは結局エジプトで何をしているのか、
後の帝国はきれいな侵略なのか、お上が誰だろうが庶民に関係ないのか、
わかる日本人は少ないのではなかろうか。


横暴なローマ人がエジプトを攻めてきているので撃退しよう、
悪い政治家はエジプト人でもやっつけよう、というのはわかるが
それでなぜ暗殺教団なのかは、いかにも説明不足。
もちろん2000年前のエジプトについて制作チームは充分に調べ、
私を含む大多数のこのゲームを遊ぶひとより詳しいことは充分察せられるし、
当時の常識を現代の感覚で正すことはできない。
しかし主人公は暗殺者なのである。テロリストで現代では絶対悪。
それを主人公として楽しく活躍させるお話である必要のために
そうあるべき理由を現代から正しく描かなければならないのだ。
このあたり日本の世界史に対する興味すなわち文化が
欧米と比較して異端なだけのような気しかしないでもないが
ちゃんと考えられて至るべきへ帰着しているだけにもったいなく思う。



ゲームとしては、
不気味の谷と表現されたみためのコンピュータグラフィックと現実の溝を
フォトリアリズムとありあまる処理能力が強引に埋めてかかって
懸念されていたより気にならなくなっているのは昨今ご存じの通り。
充分にお金を掛けなくても絵が現実と区別がつかないのが現行技術。
ちゃんと遠目にも微妙な感情表現が伝わってきて、
訳はともかく声の演技は費用対効果で十分に成果を上げており、
ぱっとみの仮想世界が現実の価値を一面では越えるのもそう遠くないと思われる。
問題は動きの方。
いわゆるムービーシーンで人間の演技を移し取り動きを付けた場面は問題ないが
それ以外の普段。


もちろんその面でも従来より格段に進歩はしている。
道行く民衆ひとりごとに当たり判定がほぼ見た目通りあり、
それを操作する主人公だけでなく、先導したり後ついて歩く人物も
ちゃんと人垣かき分けて進んでいく。
騎馬が迫ってくれば声上げ驚いて避けるし、
朝から晩まで同じ場所で同じことをしているのではなく
それなりに意味のある動き付けをそれぞれ全員が、
10km四方に存在する全人物が指定されている。恐るべき労力だ、
けれどみためがますます問題なくなっててきているだけに、
比較して、指定された可能な動きの未成熟さがあまりに目に付く。
主人公の弓でヘッドショットされ人が遺体に変わる。
周囲の人は、おおう、と驚いて周囲に敵を探す。みつからない。
よし諦めよう。
遺体を片付けようとするのはまだ良い方、大抵は何も起きなかった日常に戻る。


エジプト各地に主人公に潜入され要人制裁されるべく待っている敵基地がある。
民衆を襲ったりしない。
力なき民衆より気持ち良く倒されるためにある彼らの方が多勢なのだから。
普段すなわち主人公が動き出して止まるまでの仕事は周囲を警戒。
STGで隙なき全方位攻撃が無いように全方位は知覚できない。
主人公に壊滅させられても時間経つと
主人公の見ていない隙に要人以外は再生する。
それはいいのである。こういうゲームなのだから仕方ない。
取れる宝箱と取れない宝箱を明示するのは大切だ。
問題は敵としての性能である。
仲間が倒れて敵が潜入しているなら、一致団結協力し合い
集団で主人公を追い詰めようとしなくては。
全員で掛かっても返り討ちにあうとしても、その努力はしなくては。
倒される芸の幅を拡げなくては。
直接視界に入らなくとも仲間の助けを呼ぶ声が聞こえなくとも、
ほどよくなんとなく雰囲気を察して仲間の危機に集結できる程度のことは
することができなければ、もはやみために見合わない。


単に本作だけの問題ではない。
操作され常勝が義務付けられた敵主人公に対抗するすべての組織において
それなりの歯ごたえを如何に表現するべきか。
一本道のゲームならさほど問題ない。
そしてみため表現がまだまだ未熟だったころも仕方なかった。
けれどこういう、いつでもどこからでも敵が襲い掛かってくる環境にあり、
感情表現ができるまで成熟したみためを持つゲームにおいては
そこの不自然さこそ、単純な労力の積み上げだけでは埋めがたい、
新たな不気味の谷である。




舞台は広ければ広いほど良い、という目標を
強引に力技で埋めてしまう労力にはただただ感心させられる。
遠くを眺め近くに寄っては、その造り上げられた要素の積層に、
よくぞここまで無駄なことをと思う。
エジプトを10km四方で表現するのは無理があり過ぎる。
景色を眺めるだけのゲームをゲームと呼ぶなら広過ぎるかもしれないが、
そこで暮らす人々にとっては狭すぎる。
そこで冒険活劇という分野の操作できるゲームをするにも、
やはり広いようで狭い。


遊べる時間が長いほど印象深いわけではない。
量が多いほどより良さがある可能性が高まるが、
長時間の映画が短編より常に優れているか。
娯楽作品は良さと間だけで出来ていなくてはならない。
常に現実の人生とは異なることを意識し、必要な場面の取捨選択が必要だ。
単純に街と洞窟と敵基地と、大灯台とピラミッドを等大に表現して
間をそれっぽくだけで埋めていくだけでは
いかにそれっぽさが偉大であろうと歪な模倣。
何もしない何もない時間と空間をいかに描写せず描写するか。
それができなければ世界は狭いまま。
どんなに手間暇かけても現実や想像より窮屈なままなのだ。
遊べる場所が広いほど良い。待ち時間が短く景色はきれいな方が良い。
けれど今のまま、ただ拡がっていくだけで面白さが同様に増えるだろうか。


課題が明確であるとは言える。
解決策も様々なゲームがつくられていくなかで増えていくだろう。
先細りでまったくつくられなくなっていくゲーム分野より
余程魅力ある分野であるのに違いない。
まだまだ未完成、中途半端な出来栄えの現状ではあるけれど
新たなものが見られるかもしれない期待を先に抱くことが
ひとつの持ち味であるのは確か。
果たして10年先20年先この種のゲームがどうなるか、楽しみです。




 

2017年を顧みる


今年も3回しか書かなかった。けれど反省はしない。
書けなかったのである。かなり頑張った。
今までも頑張っていたが今年も頑張った。努力した。
結果が伴わないのは自分の力がないからなのだ、と。
ということで回顧はしても反省はしない。
よって、書かなかったという事実が書けなかった結果を残すのであった。
逆か。




2017年を全体的に振り返ってみると、3月に発売されたNintendo Switch
意外なほど成功したのが第一の驚きです。
1年とたたず『ゼルダ』も『マリオ』も出て、『スプラトゥーン2』も出て、
という弾の豊富さもさることながら
テレビにつなげなくてもつなげても遊べるという、
Wii」「WiiU」ともまた違うその在り様がさらっと出てきた点。
もはやテレビにつなげないとできない「テレビゲーム」の時代ではないのは
スマートフォンを触る時間割合から明らかなところに出てきた新機軸。
来年以降、この勢いがどれだけ続くのか、
任天堂製以外のゲームがどれだけ出て売れるか、大いに注目のところ。




次に大型の話題というとやはり『ドラクエ11』。
ペルソナ5』も出たし先のマリオゼルダと今年は大作集中。
大作以外は話題にならない、みんなに共有されず生き残れないので
大作にせざるを得ないように結果からはみえますが、
どちらもちゃんと2017年発売作品にかなう新しさある作品でした。
FF15』はどうみても自分向けではないので視界のそとで。


何年も掛けて作っていたのに、
出たときはちゃんと周りに比べて古くなっていない程度を保てるのは
大変なことだと思いますが、
新しさの更新程度とは所詮そういうものかもしれない。
ドラクエ11』はPS4版と3DS版が同時発売で、
3DS版はあえてみためを20年前風にしている。それでもゲームとして変わらない。
差がない。
RPGだから『ドラクエ』だから、だからこそ成り立ち許されるとは言えるにせよ、
この種のゲームにとっては見た目表現の仕方はみためだけのことであって、
『ペルソナ』の『2』までと『3』以降の違いや
ドラクエ』での「じゅもん」「しょくぎょう」「とくぎ」の割り振りこそが
RPGの30年間の進歩、新しさでしかなかったことを知らしめてくれました。




スマートフォンを主戦場とし、その商売規模と遊ばれている総時間で
「テレビゲーム」に取って代わった基本無課金ゲーム群。
私も今年はそこに大量の時間を費やしていました。
お金は1円も掛けていないけど。
掛けるに値する価値がないから、とするにはあまりに掛けた時間が見合わない。
アーケードゲームと家庭用ゲームと基本無課金ゲームが並立する奇妙さよ。


遊ぶほどに従来とは違った方向に良くできていると感心します。
毎週更新のたびに新要素が追加される。新規課題に新キャラクタ。
手持ちの育てたキャラクタたちには余裕でこなせるものだけど、
自己制限を掛けたりすれば作業にならず楽しめる。
そこで得られた報酬を投資して新規キャラクタ入手くじに挑む。
外れても一切が無になるわけでもなく、手持ち戦力はそれなりに強化される。
そしてこの毎週更新の過程が持続延々繰り返されて、
終わることなく行き着くことなく、壁に当たって行き詰まることなく、
はじめにもどる。前回よりわずかに強くなった程度が堅実に先に進んだ気にさせ、
毎度新鮮に遊ぶことができる。


お金をかけなくても、みんなで毎週の感想を言い合っているだけで楽しめる。
より大勢が楽しんでいるところでは、お金をかけて圧倒的戦力を揃えることが
たくさんのみんなに羨ましがってもらえる。
ゲームを上手く解き強く勝つ工夫も技術もなくとも、時間をかけなくとも、
みんなに本当に素直に、条件の公平さから負でなく羨んでもらえる心地良さ。
お金でゲーム内のつかのまの地位を買うことができる。
そのことがそのゲーム作品を作り運営する以上にお金を稼ぐことになろうとは。


まったく人間の原理に根差した強固に無駄ない仕組みのできばえで、
なぜパッケージソフト売って終わりのゲームは成り立っていられるのだろうと
むしろ逆転して感心します。
一方でアーケードゲームもひとつのゲーム集金システムの異形。
中間に家庭用ゲームを置き、基本無課金のそれと比べればあまりに特異。
材料買ってきて家でつくれば何十分の一のお金ですむのに、
自動販売機はどこにでもあり、外食産業は高級廉価多種多様に成り立っている。
面倒だから、手間の問題というだけではない。
人間が複数集まってできるやりとりの有り様、商いの仕組み、企業の成り立ち、
社会の構造が、無駄に価値をつけることでできている。




そういうでかい話ともべつに、
そういう毎日さくっと遊んで苦にならないゲームにくらべて
ドラクエ』のようなテレビゲームに向かわなければ遊べない、
ゲームの重さも印象的でした。


「テレビゲーム」が負けたのは基本無課金のゲームではなく、
スマートフォンで気軽に潰すことが出来る時間。
そのほうが楽で楽しいから。
テレビゲームは楽じゃないのだ。失敗したらやり直し。掛けた時間無駄。
失敗しなくても工夫しなかったり下手だと負ける。
ゲームごときに、娯楽、ひまつぶしごときのために、
頭使って手間かけたりしないとならないなんてそんなのやってられないのである。


頭使って工夫して、練習して仕組み覚えて、上手くなって強くなってが
楽しいゲームももちろんある。勝つことが楽しいのでなく、
そうやってゲームに詳しくなって解けるようになっていくのに、
つまらなく大変で面白くないところがあっても、それ以上に気持ち良く心地良く
成果の達成を喜べて、苦にならないゲーム。
しかし、そういう良くできた、それぞれのその時の嗜好に
合致したゲームばかりではないのだ。そういう場合だけではないのだ。


単純な仕組みの関係でも、気の合う友人と夢中で楽しむと、
生涯かけがえのないほどの楽しさ心地良さを得られる遊び、仕事、
することしたことがある一方で、
誰もが素晴らしいと称賛する環境と背景を持っていても、
自身の心がそのときたまたま応えなければ、何も得られないこともある。
同じゲームを同じひとが、同じ過程を経て同じときに遊んだ結果はひとつだが
そう限定でもしなければ、つまりひとつではあり得ないということのだ。


毎日の空いた時間を埋める娯楽、その日ある日の一日ごとに、
今日もそれなりにまあまあ満足できたと達成した感じを得るためには、
「テレビゲーム」は、あるいはスマートフォンでのひまつぶしに劣るのである。
ゲームの敗北ではない。軽さ、気楽さのかまえの程度だ。
さまざまな娯楽があり、個々時々のもとめに応じて取捨選択する。それが正しい。
娯楽にも質の高低があり、掛けられた手間の大小があって商売の思惑がある。
しかし選ぶときにそんなことは問題ではない。
限られた余力、その日の気分、あたまの向く余裕と今日までの連続。
手に取りやすさ。
それが自身の今後にとってどれだけ糧になるか、その物差しは娯楽に合わず、
日々に必要とする娯楽の負荷も見返りもそれぞれだけれど、
何年も掛けて作られる大作でなければ、多くのひとに注目してもらえず、
長く大きく遊んでもらえる商品にならず、
だから作られることができないので成立しない種のゲームには荷が重い。


Nintendo Switchで出るゲームが今後どうか。
3DSはどうか。Vitaのようなゲーム機は成り立たないのか。
PS4のような形は残るにしても、これらの今後がどのように在っていくのか、
2018年には期待したいところです。





2017年も終わりです。
このサイトもしつこく続きます。年に数回更新で。
果たして読んでいただいているかたがどれだけおられるのかわかりません。
書いている本人も年に一回、しぶしぶいやいやながら
しかたな〜く読み返しているようなものを公開して良いのだろうか。今更。
世間さまにあたえる影響は海原に落ちた一片の枯葉の如しな気楽さで
また来年も気が向いたときに書いていきたいと思います。


今年もお疲れさまでした。来年もそれなりに無理せずがんばっていきましょう。
良いお年をお迎えください。





 

ドラゴンクエスト11 過ぎ去りし時を求めて


【PS4】ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて 【3DS】ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて


月日の流れは地球の表面で過ごしている限りほぼ同じようなものらしいけれど
長く日々を過ごしているほど過去に対する今日一日の割合は少なくなり
いつしか毎日、今年もあっという間だったと呟くようになる。
2017年もいまや12月。平成もあと1年半弱。
そして私は7月29日の発売日に購入したゲームを終わらせるのに4ヵ月。
失われたわけではないにせよ、季節は過ぎ去ったかもしれない冬。


言わずと知れた「ドラクエ」シリーズ11作目はオンライン専用の『10』から5年、
DSで発売された『9』からは8年の間をおいての発売。
初代からは実に31年。DS発売からも13年。
あれこのサイトDS発売前からあったようなきのせいだよねちがいない。
今回はPS43DS向け版が双方同時発売されたのもひとつの特徴。
もはやとうに「テレビ」ゲームの時代ではないけれど、
ドラクエ」シリーズが変わらずその地位を保ち続けているのは驚くべきこと、
制作陣の弛まぬ姿勢に感服のここちであります。




それぞれの間に遊ぶであろう対象世代が入れ替わってしまうほど
期間を必要とするこのごろのゲーム作品。
そのつなぎとして派生作品や絶え間ない広報活動が必要であるともいえるし
期限目標内に作り上げられるのであれば新規作品が入り込み易いともいえる。
見た目に掛かる手間はますます増えてはいるものの、
PS4版と3DS版がみため違うだけでゲームとしては同じものであるだけに
ゲームとしては、格別ゲーム機性能に依存する程度は
依然ますます軽くなっている。いってみれば見た目のためだけである。
それ以外のところで、ゲームそれぞれにどれだけの違いがあるか。
30年様々な作品が「ドラクエ」シリーズ以上に敗北した理由は
見た目と派生作品や広報活動による知名度以外のどこにあるか。


そもそもRPGとかいう分野わけじたい、わりと謎である。
RPGゲームとかSTGゲームとか言われてしまうわけである。
STGとか最近きかないですね嘘つきました。
RPGというものの元はTRPGというものらしいので、
TRPGの本をここ7、8年ほど380冊ほど読んでべんきょうした成果から言うと、
まったく別物である。
AVGはなぜ『アドベンチャー』が元なのかと同じくらい別。
世界樹の迷宮』が良くTRPGふうと言われるけれど
ゲームブック調と混同しているとしか思えない。
もとい、「ドラクエ」シリーズが、日本のRPGと呼ばれるゲーム群の
大きな割合を規定していたことは間違いないと思われる。
けれど、「ドラクエ」みたいなのがRPGなのか、というと
オンラインゲーム以降のRPGと分類するしかないゲーム等をみるに違うらしい。
アクションがあるRPG。バトルはパズルで育成するRPG
最終目標はなく世界をみてまわったり作ったりするRPG
どれも新しいが、どれも昔からあるものの組み合わせでもあり、
どれもRPGといわれればそうでもある。そうでなくはない。
では『ドラゴンクエスト』とは何か。どこが面白いのか。




「アドベンチャー」と同じく「ロールプレイング」という分野名を忘れて
そのつくりについて思いをいたしてみると
すごく接待です、という感想を避けがたい。
主人公が特権的な立場にあり、時間さえかければ世界一強いだけでなく、
世界の数多全てが自分のためだけに用意されている。
謎はあなたに解かれるためにある。敵はあなたに倒してもらうのを待っている。
たるはあなたに壊され運ばれ指さされるためにある。
とはいえこれは、RPGに限らず1人用ゲームであれば当然のこと。
そうするとそもそも1人用ゲームであることが最初から特異であったのか。


TRPGは1人用ではない。少なくとも2人はいなけらばならない。
競う両者でなく出題者と回答者。
競うためのルールを決めるひとと、それで遊ぶ方の2人。
言い換えればパズルやクイズを作るひとと解く方。
TRPGのルールを固定して1人で遊べるようにしたものがゲームブックであり、
これをコンピューター上で遊べるようにしたものがいわゆるRPGである。
コンピューターも本も用いない1人用ゲームはとても限られる。
パズルやクイズを自分で作って自分で解くこともできる。
それが1人で遊ぶということなのだ。


例えばカードを使ってsolitaire(一人遊び)の『ソリティア』をする。
これはクロスワードパズルや詰将棋と違い、
解決すべき状況を自らランダム生成できる、類まれな完成度のゲームで、
言ってみればサイコロを振って次の100回のうち1が出るのは何回かを
予想して遊ぶのと同じ仕組みと道具立てのゲームでありながら、
格段にゲームらしさ、何度も繰り返し遊んで飽きさせない要素、
ふんわりいうと「ゲーム性」を作り出している。
この言葉はあやしいが、『ソリティア』が『丁半当て』よりは
複雑度合、遊びごたえ、長く楽しめそうさが大きいのは確からしく分かる。
しかしそんな苦労をしなくとも、もう一人だれか遊ぶ相手がいれば良いのだ。
TRPGのゲームルールを書いた本があれば複雑な飽きない遊びができるが、
なくとも囲碁将棋盤やカード、それすらなくとも会話を交わすだけで
1人でどんな道具を使って遊ぶより「ゲーム性高い」、
飽きの来ないゲームを遊べるのである。


ゲームブック、そしてコンピュータはその遊び相手の役割を果たす。
小説や映画はそれ単体で遊ぶのではなく、したがって「ゲーム性」はなく、
それを見た経験を使って自分であるいは誰かと遊ばなければならない。
しかしクイズやパズルは違う。自分を含む誰かが作ったゲームを使って遊ぶのだ。
一方で映画や小説のように、コンピュータゲーム機を使うのにもかかわらず
誰かの作ったもので誰かと遊ぶわけではないゲームもある。


ゲームとは何か。「ドラクエ」ってなに。なにが面白いの。他とどう違うの。
30年前、「ドラクエ」にも『ウィザードリィ』『ウルティマ』という先達があり、
それらにはTRPGという元があり、TRPGにはごっこ遊びという原型がある。
最新の『ドラクエ11』は、何が面白いかを零から作るわけではなく、
ドラクエシリーズ」として良いものを作ればよいのである。
30年遊ばれてきて、どこが面白かったか、何が不親切だったか、
オンラインにするにあたってはどうすれば良いか、
対応することでゲームはできあがる。
ドラクエ」は他のRPGを冠するゲームと比べて様々にすぐれているところがあり、
総じて比較的良い出来だったから、遊ばれ売れて続いているのだ。
そこにゲームとしての進歩とか新しさとか革新は
必ずなければならないのではないのだ。


1人用より複数人で遊ぶゲームの方が、複雑で、展開や解法に拡がりがあり、
どこまでもいつまでも遊ぶことができて、ゲーム性が高い。
ドラクエみたいな」1人用は、主人公様の接待でありすることは決まっていて
用意されたものを指示通り右から左へ動かすだけなので、ゲーム性は低い。
まったくそうである。
しかし「ゲーム性」の低いことが面白さの大小に正比例するわけではない。
言わず知れたこと、人生ゲームほど「ゲーム性」、
それを構成し介在する要素の複雑さ度合が高いゲームはないけれど
1人用接待ゲームより面白いとは限らない。
同じ能力値でも感じ方はそれぞれ。セーブポイントからやり直しも出来ません。


では「ドラクエ」の何が面白いのか。
お話が深いのか。感動するのか。舞台設定が格好良いのか、行ってみたいのか。
登場人物が魅力的なのか。お友達になりたいのか。
雰囲気が良いのか。パッケージイラストのおかげなのか。その再現性か。
課題達成が困難であったり解法わかりづらかったりすることの少ない難度設計が
優れているのか。レベルがあがりやすくて敵がほどほどに強いからか。
しかし、そういう素人でもわかるところを30年間、
まわりがなぜ模倣しなかったのかと思えば、
あるいは真似をして苦労少なくて済んでいたのに
なぜより高い名声を勝ち得なかったのかとすれば、
ゲームの仕組みにおける設計上の問題ではなく、
映画や小説のような、「作家性」にあるようにも思える。


絵画や音楽などの芸術において、良し悪しを素人が判断するのは困難極まる。
歴史系統上の画期性もその評価理由に加わるとなれば、
もはや素人と大家の作品区別もつかない。みための技術だけではないのだから。
料理でも文章でも演劇でも映画でも同様であれば、やはりゲームにおいても、
遊んでいて面白いかを除けば、その作品の良し悪しを、果たして自分が正当に
同じ物差しで比較して上下を付けられているか、まったく自身はない。
まして遊んでみて面白いかどうかの印象も加わるとなれば。




ドラクエ」って面白いのだろうか。
『11』は遊んでみて、戦闘は見ていて時間の無駄を感じ、
終盤何手内撃破課題のために仕方なくAI切って指示出すのはまこと億劫だった。
敵キャラクタも魅力がなかったし、お話も失われた過去を求めていいのか、
そこは割り切るとしても、あそこまでするならよりもっと全体に
先代との関連があって良かったのではないか。
記憶喪失とか覇王斬とかも取ってつけた感が拭えない。
それ以外はおおむね良くできていたと思う。
仲間の半分くらいは一緒に旅をする必要なかったと思うが、
戦闘能力割り振りと成長過程は過去最高の洗練で芸術の域に達しているし
お話上のキャラクタごと役割分担も、他のRPGと比較して優れたもの。
ベロニカセーニャ姉妹の造形と、わずかな台詞でそれを描く技術は素晴らしい。
「幼なじみのエマよ」など細かい不満点はいくらもあるけれど、
全体振り返って過去シリーズと比べ印象点をつけるなら
屈指の高得点は間違いない。


他と比べてどうなのか。そう思うとまったく自信がない。好みの問題だし。
ゲームとしてどうなのか。いつもの「ドラクエ」である。
ではなぜ「ドラクエ」がこんなに長いこと高い評価を得ているのか。
昔は海外で受け入れられてなかったし、絵画や音楽と同じく
歴史上の画期性もあるのではないでしょうか。周りの環境だよね。
FF15』に比べれば印象良いよね。『ゼルダ』とはちょっと方向違うよね。
『ペルソナ』とも違うよね。『真・女神転生』は『3』で終わったね。
まあ「ドラクエ」は「ドラクエ」ってことだよね。




ところで、最初に書いたように発売日7/29に買って
クリアするまで4ヵ月も掛かった方が私としては印象深いのである。
クリアまで84時間。
全体の2/3に当たるであろう★の付くところまで到達したのは9/24の55時間。
最初の2ヵ月は月30時間くらい進めたが、ここ2か月は月15時間。
毎日30分進めたのではなく、土日のどちらか都合のいい日に、
嫌々ながら仕方なく電源入れて、やっとなんとか最後までたどりついた。
遊んだというより進めた。終わらせた。
ゲーム自体は決して悪い出来ではないのである。
過去シリーズと比べて劣っていない。でもこの有様。
明らかに遊ぶこちら側に問題があると思われる。


もちろんこれも、テレビにつないだゲーム機の前に座って
毎日1時間じっくり楽しむ遊び方が時代に合わないのだ何なのだとは言える。
もっと気軽に手軽に遊べるように細かく区切っても
それなりに達成感が得られるようにだのなんだの。
旧来ゲーム信奉者としては言いづらいながら、
毎週更新して1日10分で遊んだ気になれるブラウザ携帯ゲームを見習えと。
よりにもよってかのあの「ドラクエ」相手に。


3DS版がなかったら本当にそういう感想も自分から出てきたかもしれない。
時代は移る。人も変わる。「ドラクエ」はちゃんと進歩している。
曖昧な言いかたを避ければ、昔と比べて時代相応に見た目も良くなり、
ゲームとしては良い意味で変わらず遊びやすくなっている。
あるいは表現が豊かになって、
それで遊ぶ余地が少なくなっているかもしれないけれど。
こちらは退化している。過去のげーれきに対して
ドラクエ」最新作の占める新しさの感心度合が割合低下している。
それを退化と呼ぶのであれば。大進化の悲報。ソーマ神権現ちゃんの雫。


過ぎ去りし時を求めるのは時間背理に関わらずその気はない。
やはりゲームに求めていて求め続けていくのは、
見たことのない遊んだことのない新しさ。
ドラクエ11』は『FF9』とは比較にならず、
そしてシリーズの過去どれとも比べても、
新しくないが良くできた「ドラクエ」だった。
『1』から遊んでいれば今更の「ドラクエ」だが、
30年、他のゲームが常にその時々に求められる水準を
必ずしも越えられないでいるなかで
『マリオ』『ゼルダ』に並ぶ隔絶した高質の作品には違いない。


今年産『マリオ』も『ゼルダ』も遊んでいないひとの言うことで間違いない。
予定と違う。今年はやすぎ。