テイルズ オブ アライズ

昨年2021年9月に発売された
ナムコRPGブランド「テイルズ」シリーズ最新作。
と書いてから調べたら
ナムコバンダイナムコに変わったのは17年も前だった。
でもバンダイといえばしょせんあのバンダイなので
自分にとって未だにバンダイナムコナムコの現社名なのである。
認識が化石。
酷い言いようだがまあ当時はみながそんなものだったので
一概にバンダイだけが悪いとも言えないのではないかと今は思うが
一時期はもちろん子供だましだと思っていたけれど、
騙されていたいる子供が購入費用分楽しめていたのであれば
それはそれで良いのではなかろうかと思わなくもない。
もちろん20数年後にも名作と呼ばれる方がより良かろうけれども。


「テイルズ」は最初の『テイルズ オブ ファンタジア』が1995年発売で
今年で27年目。派生作品も含めるととんでもない数が出ており
数える気も失せるというか失せたので数えていないが
とにかく両手で数えられないくらいたくさんあるうちの
当然そのうち片手で数えられるほどの作品しか遊んでいない。
そもそも最近記憶あやしくどれを遊んだかタイトルから思い出せないが
唯一はっきり記憶があるのが2002年PS2発売の『ディスティニー2』。
「柱のない世界を」で良かったのではという感想しか覚えていないが
パッケージ裏に載っていた
「信じること。信じ続けること。それが本当の強さだ」
というのは名文句だと未だに思う。


20年ぶりくらいになぜテイルズシリーズを遊んだかというと
他に特に遊びたいものが無かったからである。消極的。減点法。
昔は山のように遊ばなければならないゲームが積みあがっていたが
遊びたいゲームから遊んでいるうちに
いつのまにかそこには何も積みあがらなくなった。
それってゲーマーとか名乗る資格ないのではないか、
趣味はゲームとかおこがましいのではないかと思わないでもないけれど
なんだかんだ結構な余暇における割合を
いまもビデオゲームに割いているのであって
遊んで入力したからにはそれをここに感想書くという形で出力して
記憶が薄れて行っても諦めつき納得できるようにしたいのである。

 


さて実は前回の年末の更新で次は本作を遊ぼうかなと書いていた通り
遊び始めたのは本年1月の初めで
クリアしたのも2月のうちだったと思う。
そして今は6月末。あら今年も半分終わりで早かったですかみなさん。
難度高く最初のボスであっさり全滅してからは気合入れ直し
がんばって最後までクリアした。鳥も埴輪も倒し温泉も行った。
それでなぜ今頃感想を書いているかというと
特に言いたいこと、
つまりここに書いておきたいことが思いつかなかったからである。


それでもここに書いてみると
まずお話は向かい合う二つの惑星を舞台に
圧政からの解放を目指すうち世界の真実にたどり着く筋書きで
11人いる!』の続編『東の地平・西の永遠』を思わせる設定。
圧政からの解放を目指す戦いなのに
旅して敵のボスを倒して周る形を取らざるを得ないありようや
世界の謎にしても要は戦闘で解決相手は悪という結論は
昔から続く「テイルズ」というRPGらしさで微笑ましい。
戦闘は3Dに成長しているが操作できるのはやはり1人だけ。
仲間が敵攻撃を回避してくれる程度の調整難しさが察せられるが
前兆付き攻撃などを潰す指示を
控えの2人も含めて適宜行えることでストレスを緩和している。
でもあくまで全員一緒には戦わないのね。
あとなぜ30年近く経っているのにアニメ部分は進歩していないのか
それなのになぜいまだにアニメをイベントシーンに使うのか
オープニングの歌いまわしは
演歌とかと同じ伝統芸能様式美な方面からの要請なのか
ファンのみなさんは本当に
ほんとうにあれを求めているのだろうか、とか思うのだが
まあそういうところは好みの問題であろうし
アニメを何十年も視聴していないひとが
どうこう言うことではないのだろうし、ええ、
総じて、
20年前の『ディスティニー2』と大きく変わっているはずなのに、
そして製作者は殆どが同一では無かろうに
確かに同一シリーズと言い得るだけの
細部の集積が為す印象が感慨深かい。
切れ目なく毎年シリーズ作品を出し続けてきたからだろうか。
毎年複数作品を出し続ける供給力と
それに応え得る需要を維持し続けたことは
まこと敬服に価すると思う。


という短さ。それでも良いのではという意見も自分の中にあるが
それだとその程度しかそのゲームを解っていないのに
書いて良いのかという意見もあるわけである。
今まで浅い感想を書いたことが無いのかというと
とっても心当たりがたくさんあるのはともかく。
書いたら読み返さないのでノーダメージ。
でもチラシの裏でなく公開の場に書く上での
最低限の義務と責任は課されなければならないわけでもある。


なぜ短い感想しか出てこないのかと問うならば
シリーズ作品に思い入れが無いとか
作品が対象としている想定顧客層から外れすぎているからとか。
最近久しぶりに『パワプロ』を遊ぼうかなと思ったのだけれど
財布の中に購入費はあるのだが
日々どれだけ野球という競技に関心を向けているかを思い
これからどれだけ自分がそちらに興味をそそぎそうかとみると
なかなか踏み出しがたいものがある。
『テイルズ』を久ぶりに遊んでみようと思い
最後まで遊ぶ程度の期間関心を向け続けることは達成し
その出来映えにも費やした値段と時間以上の価値を得たと思うが
しかし特に何もない。それ以上でてくるものがない。
作品の所為でなくこちら側の問題ゆえ申し訳なさはあるけれども。


そういうわけで20年ぶりに最後まで遊んだのに感想は書かなかった。
ではなぜ今こうして書いているかというと
その後でいろいろなゲームを遊んでいる中で
今更ながら少し書いておきたいことが出てきたからである。

 


ひとつは『ドラゴンクエストビルダーズ1』を遊び直したことから。
『ビルダーズ』は『2』より『1』の方が自分の中で評価が高いが
いくつかある理由の内で大きなものがお話の単純明快さにある。


ビルダーズ自体はそこまで自分に合致した作品ではない。
自分の中にこのゲームで表現したい「建造物」が無いからにある。
模倣元であろう『マインクラフト』や『テラリア』にしても
また話を拡げて特に目的がなく自由さが売りのゲームにしても
お絵描き道具や立体造形素材そして物語生成機として使って
創りあげてみたいものがなければなかなかに楽しむことは難しい。
例えば都市開発ゲームである『A列車で行こう』シリーズは
都市が成長していく過程を眺めるのが面白いのはそうなのだが
しかし都市を成長させる動機が自分のなかにあまり無いのである。
経理が黒字になっていれば良いのでは。
初期配置の緑ができる限り残っている方がうつくしいのでは。
人口が増えなくとも日本全体では減っているのだから
この街だけしゃにむに増やそうというのも違うのでは。
もとい、自分の中にかくあるべき作り上げたい理想、
言い換えれば目標がそれほど無いのだ。


しかし『ビルダーズ1』は『ドラゴンクエスト1』の
「せかいの はんぶんを おまえにやろう」というお話をなぞり
短時間で簡潔にRPGとしてのお話が完結しているところが
まことに自分の好みに合致するところなのである。
まずは最後まで通し
それから「メルキドガーデン」を始めとする
各お題を消化していくようになぞったが
そういう升目を隅々まで塗りつぶしていくことで
作品内における自身の制御領域を広め拡げ大きくしていく過程が
苦痛になり過ぎない程度に消化できる作業であり
大団円を迎え『フィナーレ』が鳴り始めるに到達したとき
大きな達成感という感慨を得るため最小限の負荷であると思う。
そこが『ビルダーズ1』の自分がもっとも好きなところなのだ。
「ひめに感謝されること」というゲーム内評価でしかないものが
このゲーム作品の価値のほとんどであったと改めて感ずる。
つまりエンディングにたどり着くことで
明らかにそのゲームを達成するすなわち目標を完遂し得るのだ。


そしてRPGの面白さはそれだ。
最後まで遊ぶことで確実に完結する目標を達成する満足感のために
積み上げ続ける過程。
舞台設定や登場人物たちが纏うガワは最後の最後を目指す動機。
例えば『勇者30』という作品にそれを見ることができる。
2009年にPSPで発売されたパズルアクションゲームで
30秒でRPGのお約束をこなしつつ魔王を倒し世界を救うことが目的。
製造元から察せられる通り
決して出来良く遊びごたえある作品とは言い難いものの
30秒でRPGを遊んでいるかのような感触を創出するその在り様と
現出させたアイデアはまことに素晴らしい。
この作品で得られ遊んでいて受けるてざわりが示すものは
最後の敵を倒して終わりを迎えるという目標への過程の苦労で
苦労を最小限にするための工夫こそがゲームである必要だという点。
つまり『ビルダーズ1』のエンディングに感動し
そこに面白さを見出しているならば
そういう面白さは極論『勇者30』のそれと変わらないのではないか。


自分は果たしてゲームに何を求めているのだろうか。
以前ここにも書いたけれどそれは
1時間ぐらいでエンディングに到達できるアクションゲームで
端的に集約されていると思っていた。
操作することが結果の良否につながること。
前回の知識が今回に役立って前進があること。
単になぞるだけではなく様々な試行でより良い答えを探ること。
そしてその結果に納得でき満足できる
解決と完結という終わりがあること。
優れたゲームはこれらを余計な装飾の有無に依らず達成している。
これだ。これがゲームだ。


ではそうではない大多数のゲーム作品は駄目なのか。
楽しくないのか。面白くないのか。
そんなことはなくそもそもゲームである必要も無くて
質の高低だけでなく
遊ぶこちらがわの好みの影響は間違いなく大きいにせよ
誰もが納得できる楽しさを持つゲームは沢山あるのだし
それを様々な作品は自分に教え続けてきてくれた。
翻ってでは『テイルズオブアライズ』を遊んだときの
何が悪かったのか。

 


もうひとつは『FF9』を遊び直したこと。
FF14』を除けばシリーズの景気良い話を寡聞にして聞かないが
「テイルズ」同様なのかそれ以上なのか数えていないが
派生作品は各機器向けに作られており
この『FF9」も2019年よりPS4とSwitchでも
リメイクだかリマスターだか知らないが
戦闘ロード時間を改善したものが遊べるようになっている。
正確に言うと戦闘毎のロード時間を演出で誤魔化していたものを
演出カットして戦闘開始できるようになっているのだが
それ以外にも動画を除く全イベントの進行速度を倍速にしたり
攻撃ダメージを全カンスト化したり
ランダムエンカウントOFFにしたりも可能。
エクスカリバー2』も容易に取れるのだろうと思われる。
2000年PS1発売のゲームでやはり20年くらい前の作品であるから
自分の嗜好や好みがそのあたりで固まって
以降ついていけず劣化退化しかしていないのではなかろうかと
疑念を覚えるに十分な自身の遊びたいゲームの選択である。


それはともかく
戦闘開始演出カットだけ設定して20年ぶりくらいに遊んだが
率直に言ってなかなか苦痛であった。
何年に一度発売され何十時間何か月もかけて味わう大作として
腰を据えじっくり向き合うならともかく
Switchで机の上に画面置いて懐かしく思い出しながら
その後20年間のゲームと比較しながら遊んでも面白くはない。
一通り最後まで遊びはしたものの
思い入れの中にある印象の色をくすませただけだった。
かつては確かにときの最先端に相応しい作品に相対して
剣を掲げるエンディングに満足して遊び終えたはずだったが。
グラフィックも当然高解像度対応になっているのだが
昔のぼやけた画面だったからこその絵だったのだなあと思う。
想い出は鮮明であればよいものとは限らない。


RPGという種類のゲームに
自分はどういう面白さを求めているのだろうか。
例えば昨年後半には『真女神転生5』も発売されたが
遊んでいないし今のところ遊ぶ気が無い。
なぜ遊びたい気が起きないかというと
前作『4』『FINAL』があまり面白がれなかったからだが
いったいその面白く無さを言葉にするのはなかなか難しい。
思っていたのと違っていたとか
駄目ではないのだけど求めていた面白さがうすいとか
そこはそうじゃないだろと言いたいと書こうと思ったのだが
いやでも過去の「メガテン」も
自分が書こうとしたほどそういうゲームだったかのか
いま、遊んだことが無いひとが遊んでも
面白いと言えるものなのだろうか。
その当時において他と比較して独自味があっただけで
ゲームとして20年後も評価される出来栄えだっただろうか、
と思うわけである。
ソウルハッカーズ』や『ペルソナ2罪』あたりを
『4』『FINAL』そして『STRANGE JOURNEY』と混ぜ
今遊び返して
果たしてどれが面白いどれがつまらないと言えるか
いささか自信が無い。
結局そのとき遊んだから面白かったのであって
面白かった印象なのであって
ずいぶん時を経て発売順や遊んだ順にとらわれず
あるいは平等な場に立てるとしてその質を比するならば
当時と違った価値が浮かび上がるのではないか。
であれば今の自分が
それらのゲームに求めている面白さとはどんなものなのか。

 


結論にとびつくならば、
求めているのは新しさすなわち経験のない体験なのだ。
これまで遊んできた記憶に残る様々なゲームの
多様な面白さの想い出が
常に今日と明日遊ぶゲームから感じられる楽しさを制限する。
引き立てるには新しくなければならないのだ。
既に知っていることが必ずしもマイナスというわけでもない。
前回の知識が今回役立って前進があることは
ゲームから感じられる楽しさの重要なひとつだ。
より快適に進行出来るならば既視であることは問題ないのだが
その結果の過程が
かつて巧緻の差はあれなぞったことのある通りであれば
繰り返すごとにその感慨はくすみ縮退していく他はない。


対戦環境が常に更新され続ける対人対戦ゲームや
課金し続けてもらうために新規要素を常に注ぎ続ける
Sustainableを体現する作品群には
この完結するまでの過程を楽しむゲームと無縁の境地にある。
ゲームが生成する日々の新しさ以上に
そのゲームをおなじときにみんなで経験すること自体が
現実世界と同様の
先の見えない終わりなきそして常に新しい遊びなのだから。


しかしそうでないもの、解決と完結という終わりがあり
その過程の作業を積み上げていくからこそ在る
感慨を意図するゲームにそれは難しい。
キャラクターのみためとかお話とか
げーむせいとかいう部分は新しくとも
共に同じときに同じ作品を楽しんでいるわけでは
かならずしもないからだ。
お話の先や効率の良い進め方を知ってしまうことで
最初の驚きすなわち大きな価値である
新しさが減じてしまうということ。
何もゲーム作品に限ったことではないが
ゲームというものの楽しみ方が
定額持続可能に定番化していくに際して
かつてよりより難しい匙加減を必要としているのだと感じる。


大勢でともに味わうときは
互いに同じものから異なる体験と違う感想を受けるからこそ
擦り合い比べ合いぶつけ合う面白味が生まれる。
自分一人の中で咀嚼するならば
それは唯一ただひとつのある経験と過程を経て成った
その人そのときだけの感想なのだ。
そこには他の影響をある程度隔絶した自然さとか
清らかさ素朴さ純粋さを見て取ることができ
そのままに自分の中に育てていくことで
損なわれることのない価値観を確立することもできるだろう。
興味とか好みとか知っているかということで表現される
そのひとそのときだけの受け得るありようが
そのひとにとって作品の価値を決定する。
まことに当たり前だが
しかしそうではない作品の遊ばれ方が主流であるにあって
定まった価値というものの多様さと
一期一会ということばの重さを感じずにはおれない。


自分の興味関心がどこを向き
そのとき好みがどのように成型されているかは
自身に在っても測り難く
だからこそ面白いのではあるけれども。

2021年を振り返る

 

かつて年末最終日はその年に書いた記事を読み返し
感想つけて振り返るということをしていたけれど
昨年は止めたので今年も止める。
ほんとうは挑戦したけど挫折した。
つらい。ほんの数か月前の自分が書いた文章なのに読み返すのがつらい。
進歩か退歩かどちらにしても、人間日々変化はしているのだなあと思う。

 

今年も昨年に引き続き感染症で大変な年でした。
はたしてマスクをつけずに外出できる日は再びくるのでしょうか。
マンガやアニメやゲームではなぜマスクをしていないのかと
こどもたちが不思議に思う時代もすぐに来そうです。
世界的にいろいろ物品供給の乱れがありテレワーク自宅勤務もあり
PS5本体がちっとも店頭に並ばないしゲーム開発も遅れまくりらしい。
ゲーム販売店自体にここ2年行っていないしゲームも開発していないので
実感としてはよく知らないけれど。聞いた話。
発売から1年過ぎて未だに売っていないとか
この流れの速い現在時代にと驚く他ありませんが
でもPS5専用作品があんまり出ないのはコロナ関係ないと思うんですけど。
PS4用コントローラが永久に品切れで困るんですけど。
やっぱ互換機は駄目だわ耐久性がダンチ
純正は高いだけあるなあとこの歳になってまた学びました。


今年はどういうゲームが出たっけと、ゲーム情報サイトを見に行ったら
年末恒例のゲーム開発者アンケートが載っていました。
流し見て目に付いたのは「シリーズ何周年」をうたう作品たち。
そういう年節目の振り返り記事だから当然の表現ではあるけれど
沢山のゲームが何十年の歴史を持つようになったのだなあと思うと共に
ここ20年くらいの時の速さよ。
あのシリーズがもうそんなお歳。あらやだ私も歳を取るわけねえ。
そして売り上げランキングを見てそっ閉じ。
みごとに殆ど全部遊んでいない。
ほぼNintendo Switch一色。どういうゲームなのかは大抵わかるけれど
買って遊ぼうとは思わないものばかり。
任天堂製ゲームも銃を撃つゲームともそりの合わないひとの居場所がない。

 


では自分は今年どういうゲームを遊んだかというと
いろいろ遊んだつもりでも結果感想書いていないのはご覧の通り。
FF14』『三國志14』の他には『デス・ストランディング』とか
大逆転裁判1&2』『プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat.初音ミク
『ドーナドーナ いっしょにわるいことをしよう(PC18禁)』などとか。


遊んだとは言えないさわったレベルであれば
基本無料アイテム課金ゲームには沢山さわりました。さわっただけだけど。
でも『プロジェクトセカイ』にも1円も払っていないなそういえば。
ゲームも「良いものを作れば売れる」とかそういう素朴な段階でなく
いかに沢山のひとに知ってもらって
中にまれにいるお金を払ってくれる「お客さま」を捕まえるかの勝負であり
つまりわたくしお客でない。タダ乗りだけの賑やかし。
何千円出して買ってきてもろくに遊ばず積んだままがある一方で
年百時間と遊んでもビタ一文払わない。
上ものだけで凄い金額稼ぐ相対的に見てゴミとしか言えない作品もあれば
遊べば絶対的に楽しいのにまったく触られず埋もれていく作品も山の数。
けれど、遊ぶひとにとってはそれが面白いかではなくそれで楽しめるかであって
やはり周囲や大勢が遊んでいる方がその質より重要なのであり。
今とこれからのゲーム商売って大変だなあと、他人事ながら思います。

 

 

ここから遊んだけれど感想書かなかったゲームの感想。

 

『DEATH STRANDING』は、いかにもいかにもこの製作者らしい作品。
太陽エネルギーで吸血鬼を倒す。隠れて敵基地に潜入する。
そして頼まれて荷物を運ぶ。
ごく単純な主題から「面白さ」を際立たせてひとつのゲームに昇華する。
未知なる場所へ山越え谷越えロープを這わせ梯子を掛けて荷物を運ぶ。
その一事によくぞゲームとしての面白さを見出したものと感心させられるし
ひとつの着想を操作して楽しい現実に落とし込む在り様は
ゲーム開拓期には当然だったかもしれないけれど、一周周って目新しい。
荷物を運んでいることがなぜか楽しい。動かしている手触りが感じられる一品。


一方で不満点も従来と変わらない。
手触り良く出来ていて操作が上手になる手応えは感じられるつくりだけれども
何度も遊び直したくなるような味わいはお話の部分に比重が高い。
アクションゲームの気持ち良さは極端に言えば道路開拓のみに偏っており
邪魔もの要素を避け撃退するところに面白味が薄く繰り返しに向かない。
演出は流れの速さが重視されていて興味ある人だけ浸って欲しい作りであり
ゆえにお話についていけないひとや好みではないひとは
全てが鼻に付いて好意が裏返る在り様だろうと思う。
字が小さいとか依頼内容が無駄な情報多く解りづらいとか演出がしつこいとか
細かいところが気になってくる。
そういう全体通した色付けが製作者の価値観で整理され統一感がある一方で
綾為された色合いがゲームとしての幅広さや取りつきやすさより重視されている。


好きな人は好きな、着想が光る作品として長く回顧される名の有る一作であって
広く開かれた無個性さと真逆。いわばNintendo Switch色ではない。
これが小島秀夫作品なんだと言えばそうですねと言う他無いので
ではなぜ『メタルギアシリーズ』はあれだけ幅広く支持されたのか
逆に不思議に感じられる。
『MGS1』はこんなゲームも在りなのかという新しさから面白さを感じたけれど
なぜ以降の作品があれだけ受容されたのか理解出来ないのでなんとも不明。
メタルギア』にも本作にも新しい面白さが確かにあるが
より幅広い層が繰り返し何度も遊べる面白さにも出来たのではないかと
不満もある。
と対案出さず文句だけ付けるのであった。
次回作の普遍な新しさにも期待しております。

 

 

大逆転裁判1&2』は2015年と2017年に
3DSで前後編に分割販売されたもののセット版。
シリーズの『4』以降は賛否分かれる評判でしたが
これはおおむね賛で良いのでないの、という世評通りかと思います。
シャーロックホームズがもうひとりの主人公で
助手のワトソンと合わせて良いキャラクタをしています。
ヒロインの大和撫子なキャラクタも絶妙。
読者には決して広く受け止め難いであろうそれを
上手く包み込むカプコン独特の丸いデザインは、まことにひとつの至芸。


ゲームとしては安定のつくり。
自分は探偵役なのにまったく事件の全貌が見えず
けれど裁判でムジュンを指摘しているうちに
一気に視界が開けていく本シリーズ独自の快感は変わらず素晴らしい。
小説でも映画でも為せないビデオゲームだからこそのミステリ。
何十年後も遊ばれて欲しい後世に残す価値あるシリーズと言えましょう。
これで『4』から『6』の迷走がなければ言うことなかったけれども。
あとは読み進めていくテンポがまだまだ固いところが残念。
映像作品のように制作側が見せたい流れの早さがあるのだろうけれど
ゲームは本のように読み手の好きな速さで楽しめるべきだと思う。
それではゲームとして売れない、成り立たないのかとも思うけれども。

 

 

『プロジェクトセカイ』はスマートフォン専用リズムゲーム
従来の『Project DIVA』と違ってクリプトン所属ボーカロイドだけでなく
高校生たち複数のバンドグループのキャラクタたちも登場し
相俟ってお話が展開されるのが大きな違い。
リズムゲームに如何に課金してもらうかへの業界長年苦心の結晶というべきか。
まあ課金していないのでその点については感想述べる資格ないですけれど。


どんな内容だったら課金するんだよと言われ自問してみると、
やはり1区切り2000円くらいで
ゲームの進行が継続的に楽になる的なのなら払うだろうか。
『艦これ』の拡張ドックとか、キャラクタ所持数上限の拡張とか。
新しい強い最高レアが手に入る可能性があるくじ引き参加料金だと
どんな性能で絵で声であろうとも、
そのゲームに対価を支払う意義を感じていても、払うのは難しい。
けれどこの種のゲームに沢山払っている優良顧客の志向と異なるのは明らかで
参考にならないことでしか参考にならない。
ではあるけれど、これだけ楽しませてもらったのだから対価を払いたいという
意志もあるし払う能力もある相手に対し
いかに払うに値するゲーム内価値を提供するかも考えるべきではなかろうか。
そこに限られた工数割いても結果として売り上げは変わらないどころか
新規キャラの絵を描くのに比べて成果が見合わなすぎるという結論が
既にあるのかもしれないけれども。
あと払う能力がない人まで体験するだけでなく参加できてしまうのも宿す業。
他者に自制を求めることの道義における説得力の儚さよ。


ゲームとしてはリズムゲームでしかないので、
スマートフォンでなく専用コントローラで遊びたいというのに尽きる。
なんでこんな小さい画面で無理やり遊ばなあかんねん。
お金は払うからもっと快適な環境で遊ばせて欲しいと願うばかり。
むしろ鍵盤にディスプレイつけてこのゲームつけた方が売れるのでは。
タイピングゲームが成り立つのだから鍵盤アクションゲームだっていけるはず。
どっちもkeyboardだし。耐久性でやっぱ純正が最高なとかここに書きそう。
やはりどうやって集金するか、
数ある娯楽の中から如何に存在に気付いてもらい、選んでもらえるかが
畢竟最大の課題なのだろうか。
スマートフォンのアプリとしてしか成り立たない劣化品質商売。悲しい。

 

 

『ドーナドーナ』はアリスソフトのPC18禁ゲーム。
『ランス10』でこの分野は完結した感じがすごく漂っているなか
『ランス01』『ランス03』を制作したメンバーによる新規作ということで
かなり結構それなりに期待していたものの、つまづきな出来栄え。
アリスソフトはそもそもごくごく小規模のゲームメーカーであり
限られた製作総力しかないにも関わらず
戦国ランス』のように『信長の野望』に匹敵するかのような規模を
巧妙に創り出していたのだなあと、過去作品へ逆に感心します。


本作で最大の問題は、
バトルを繰り返してレベルを上げてお話を進めていく部分と
「ドナドナ」して「ハルウリ」する部分が噛み合っていないところ。
大悪司』くらい割り切ってしまうとタイトルの意味が無いので
そこにゲーム容量を割くのはまったくかまわないのだけれど
経営ゲームとして解法求め試行繰り返し数字増える歓び味わう甲斐が少なく
何よりお話を進めていく部分に対しターン経過フラグ以上の必要が無い。
バトル部分もキャラクタやお話ありきであり
「ドナドナ」するのがしなければならない作業になっているので
そもそもなぜ戦っているのか分らなくなってくる。レベリングか。
もっと他に方法はあったのでは。
ランスならもっと道なき荒野を突き進んだのではないのかと比較してしまう。


従来とのアリスソフト作品との差別化、この製作者ならではの独自色の面で
いろいろ頑張って作られてはいるけれど
あにはからんや果せるかな大事なところが噛み合っていない。
個々はそれなりに磨かれて魅力あるのだけれど、
繋がっておらずどれも中途半端で全体としての面白さが少ない。
なんとも惜しい。
そして肝心のそこ、遊んで面白いかどうかがこの調子では
今後も難しいかなと感じさせる出来ばえ。残念。

 

 


さてなぜこれらの感想を書かなかったのか。
今考えてみればこれは面白かったと感想を書きたい気にならなかったから、
ということになる。
心からこれは良かったと思える作品ばかりでは残念ながら中々無い。
もちろんそれは作品側だけに責があるのではなく
選び遊ぶこちら側次第の部分も大きい。
過去に絶賛した作品をいま遊び直して同じように楽しめるかと言えば
そうもいかない作品も沢山在るだろうし
であれば、過去に面白がれなかった作品も
いま機会があれば楽しく遊べるかもしれない。
絶対価値以上に相対評価
そのとき自分がどうだったか、どう遊べたが、どう遊んだかの一期一会。
ただただその結果をこうして記すほかないのである。


嘘です今考えました。ほら今考えたって書いてあるし嘘じゃないよ。
一回分の記事に相応しいほど書くことが思いつかなかったからがより正しい。
それだけそのゲームに愛が湧かなかったということではあるけれども。

 


つぎ『FF14』のその後。
世界一売れているオンラインRPGの『World of Warcraft』が自滅したとかで
今月追加パッケージも発売されて人が溢れログインもままならないので
広告新規出稿を停止するほどの好調の模様らしい。
らしいつまりもう遊んではいないのですがまあそういう業界ネタはともかく、
ドラクエ10』もそうだけれど
オンラインでなかったとしてもシリーズ中でもっとも楽しく遊べたので
騙されたと思ってぜひ遊んでみて欲しい。
FF7』は認めるけど『FF10』は認めず『FF12』最高派の言質が信用できれば。
ただヒーラーは楽しいけどタンクとDPSはあんまり楽しくないと思う。
タンクはまあまだパーティで遊んでいる感じがするけれど
DPSは1人で遊ぶのと何が違うのか。1人で遊んでいるほうがむしろ面白いのでは。
パーティ組んでエンドコンテンツに挑むのなら違うのだろうか。


ドラクエ10オフライン』には、とっても複雑な心境です。
オンラインなら無料で遊べる部分を
一万円以上出して買う人がいるのが信じがたいのですが、
ストーリー部分を遊ぶだけなら完全に1人で遊べるからといくら言っても
遊ばないひとは遊ばないし
オンラインというだけでそういう情報も目に入らないのだろうし
情報が無い、気づかない、得られないって怖いことだと思う。
ゲーム制作側にとっても、遊びたい人に遊んでもらえないので
わざわざ手間をかけてオンラインで無くなくする無駄を掛ける徒労感。
どちらにとっても喜ばしくない悲劇という喜劇。どうしてこうなった。


DQ10』と『FF14』の大きな違いはレベルを上げる必要さ。
FF14』はいわゆるメインストーリー、脇道に一切触れずまっすぐ突き進んでも
戦わなくていい敵と一切戦わずともレベルが最大まで上がります。溢れます。
クラスごとにレベルがあるのでサブクラスで遊ぶなら育てる必要はあるものの
これもとても容易。
レベルが上がる過程はあくまでチュートリアル、そのクラスの練習で
レベル最大、カンストからが本番というつくり。
装備も同様で、他のプレイヤーより際立って優秀な装備は存在しない。
誰でもほぼ最高の装備を安価で手に入れられます。
では製作職の意義は何かというとみため。他者との差別化もみため。
性能ではなくみためをどうするかにしか装備アイテムの価値は無いので
すなわち戦う上での能力差は一切無い。
事前予習しての大縄跳び。一人ミスすると全員失敗やり直し。それが『FF14』。
もちろんギスギスしているのは一部の高難度バトルだけで
普通に遊ぶ分には過剰におびえる必要はありません。
まあいろんな人がいるのは現実と同じですが
同じゲームを楽しむ共通項があるだけむしろ現実より優しめ世界であり
それゆえに居心地よく感じる人も多いのではないかと。
一方『DQ10』はレベル上げも装備強化も時間と手間が掛かります。
エンドコンテンツの参加には知識だけでなく長期的な育成が必須。
とっても敷居が高い。だからこそ希少アイテムの価値があるし
能力値のわずかな高低に価値を感じられるとも言える。


どちらが現在人気なのかという結果からひとつの「正しさ」は導かれるけれど
何年も何年も同じゲームを遊び続け、協力し合う際に能力格差が生まれることの
過程のひとときに在る「正しさ」。
普通のゲームとは尺度の違う大いなる実験風景。
同じゲームで何年も協力しながら競い合い続ける果てしなさは理解を越えるし
誰にも行きつく果ての見えない境地という他無いので、参加はしないけれど
見ていてまことに興味深い。

 

 

あとこの2か月ほどは1年半ぶりくらいにゲームセンターに行きました。
生存していましたゲームセンター。それなりには潰れたようではあるけど
あの感染爆発状態でもお客は皆無でなかったのね。
まあパチンコ屋も潰れていないし推して知るべしではあるけれども。
三国志大戦』を久しぶりに遊んでみるとマッチング待ちが長い。頻度高い。
日曜昼間に行ったのに遊び終えるまで他に誰も居ないこともありました。
この辺りに少ないクレサ店なのに。わざわざ片道40分かけて通っているのに。
まさに斜陽産業。
スマートフォンで無料でポチポチできるのに
はるばる遠くまで通ってこないと遊べないゲームに価値はないのか。
まあ平日仕事の後に時間かけて通えるかとか
土日の昼間からゲームセンターに籠れるかとか考えれば
当然の帰結のような気もする。
亭主元気で留守が良く休みは家に居場所が無くてパチンコ通いと何も変わらない。
PC18禁ゲームと同じく完全に無くなることはないと思うのですが
希少で高価な限られた遊びになるのかもわかりません。
とにかくゲームセンターが近くにないと遊びようがないのは
もうどうしようもない。
果たして5年後10年後のアーケードゲーム業界や如何に。

 


ということで今年も終わろうかと思います。
いまのところ次に遊びたいゲームが特に無い。
『真女神転生5』は同『4』があの内容だったしあまり食指が。
久しぶりにテイルズシリーズでも遊ぼうかしら。
題名通り息せき切ってゲームを遊ぶひとではないので
来年もぼちぼち遊び、これは面白いと思うゲームがあったら
感想を書いていきたいと思います。
何が面白かったのかというならまず『三国志大戦』。
FF14』か『DQ10』でも許す。
これらを遊ばずにゲームを語るとかおこがましいのではと
過去にも書いたけれど本年本日も思っていますよ。
ではまた来年。良いお年をお迎えください。

 

 

 

 

蛇足。今年読んだ本で数年ぶりにこれは布教しなければという一冊があったので。

booklog.jp

三國志14

シミュレーションゲームは時間泥棒である。


もう止める時間だと思いながらもあと1ターンもう1ターン、
セーブしたけどあともう少し領内見回ってから電源切る、
あ、これこうしとこうよしセーブしよういやそういえばあれがねこれがね
そうして気が付いたらもうこんな時間。明日がやばい。


そういうずるずるだらだら際限なく遊び続けてしまう面白さが確かにあるのだが
振り返ってみるとなんと無駄に時間を掛けていたことかと棚に上げて思う。
本作もとても危険なゲームだった。
正気に戻れたのは僥倖。地形をいじれたら危険だった。

 

 

さてこの三国志でなく『三國志』シリーズは、おそらくご存じの通り
信長の野望』と並んで旧光栄前コーエーコーエーテクモの看板作品。
最近記憶が怪しく、シリーズ中のどれを遊んだことがあり
どれがどういう感じのつくりで特徴はこうでというのがごちゃ混ぜであり
この部分はなになにのようなみたいな、あれとこれが比較してどうこう、
ここの仕組みがあたらしみあって評価できる点ですなあ、というのが
まったくもって覚束ない。
昔のことは覚えているのだけれども。
最初に遊んだPC版『三國志3』は3.5インチFDで
攻略本で完全軍師の概念を知ってほうほうほうと感心し
その本がその何年か後に中古ゲーム市場は違法、
なぜならゲームは映画だから裁判になったと知って感心した覚えまである。
実際、三国志が日本で妙に人気があるのは
吉川英治横山光輝のおかげだけでなく
「武将FILE」シリーズもあなどれない影響あるのではと思う。
世界で一番良くできた水滸伝の副読本は「水滸伝好漢FILE」に違いない。
ゲームは映画扱いではなかったらしいけど光栄の仕事は評価しています。
などと思いつつ早幾年。

 

そういうわけで今回も「今回のここが良いと思うよ『三國志14』」は
これまでのシリーズのこれらと比べてどうこうでなく
だらだら遊んだ時間分にふさわしくだらだら思ったことを書いていきたい。
でどこが良かったかというと、領地をマス目単位で争えるところ。

 

『信長』も『三國』も国取りゲーム。
富国強兵して戦争して城を攻め落とすことでひとつ国を取れるのだが
やはり戦争部分が攻城戦ばかりでは面白くない。
開けた平野で万を超える軍勢同士が大激突。これが燃えである。
しかしながら城や陣地や要塞に籠っていたほうが
当然防御力高く損害少なくて済むので
敵が攻めてきても城から出て迎撃しないのは当然ではある。
だれだってそうする。だからCPUもそうする。
城に籠っていても援軍は来ない、だから一発逆転に賭け
夜間雨中に敵本陣に突撃だ、というのはありなのだろうが
プレイヤーが成功させられるのは良いが、
コンピューターにこれを確率5割で成功されても困る。
対人対戦ゲームでも運ゲーだと非難轟々だろう。
運要素は時として必要だが、勝敗が運だけで決まるゲームはゲームでなく賭博。
内政し兵士揃え有能な武将揃えて
敵軍が別勢力にちょっかい掛けたこの好機に賭けるのだ、とは言うけれど
実際は賭けているわけではない。
このゲームの仕組みなら、この状況で勝利が成立するかを確認しているのが
1人用シミュレーションゲームのつくりというものなのだ。


したがって、いかに城に籠もらず会戦に挑む理由づけをするかが
旧来から『信長』『三國志』の重要な課題であったと思う。
今現在でもそうであるのは最新この『三國14』でもわかる。
三國志14 地図」で画像検索してみて欲しい。
めんどいからリンクは貼らないが一目瞭然。
黄河と長江、幅広すぎ。アマゾン川セントローレンス川もびっくりである。
なんとしても呉というか周瑜が戦争で光るには
火付けだけでなく水上戦がなければと思ったのだろう、


大人数の兵士を先に揃えた方が勝ち、では大味過ぎる。
大勢力に寡兵から奮闘して打倒する楽しさもシミュレートしなければならない。
昔の光栄作品にもひどいものは少なくなかった。
当時はどこも同じだからそういうものと思っていたが
今のゲームは経験ふまえて随分ましになった。
戦争が面白くない。面白いのは最初期だけで軌道に乗ったらあとは作業。
最初の最初から全ての1人用国取りゲームに言われているこの命題は
今も決して否定できるほど改善されたとは言えないが
それでも良くはなっている。ゲームとして面白くなっている。

 

 

戦争を面白くするためにはどうすれば良いか。
工夫の一つは、戦争部分とそれ以外の部分を切り離さないで
同時進行させることである。
旧来は攻め込むと決着がつくまで戦争ゲームがつづいたが
自領を出て隣国お城まで攻め込んで決着つくのが
かならず1ターン内でなければならない理由も、思えばないのだ。
もちろん初期はゲーム機の能力上、多数の勢力が複数の部隊を行軍させつつ
兵站を機能させつつ普段の内政もするさまを表現するのは不可能だった。
しかしいつしかそれが可能になった。
戦場でのぶつかりありを描写する部分自体は
たいして目新しくも面白くもなったわけではないのだが、
それ以外のことも一緒にしているので気が逸れるのである。
個々それぞれは単純繰り返しの結果がわかりきった「作業」であっても
複数を同時に両立並立効率良く動かそうとすると、そこにゲームみが生じる。
戦争を仕掛けた時点では彼我の勝敗が決していたとしても
その後の第三国の動向次第でそれがひっくり返ることもある。
守勢に徹することで予想を超えて国力損耗し結果が覆されることもある。
戦場をシミュレートするゲームとしては変わらなくとも
戦争をシミュレートするゲームとして各段に拡がり深く面白くなったといえる。

 


もうひとつは戦場の表現にある。
国取りであるから成果と栄誉を顕彰し強調するためか
いつしか個々の国土の個性やありようを絵にして表現するようになったが
そこへ自軍部隊が長躯侵入していくに際し
必ずしも敵首魁たる首都を落城せしめずとも
征途にある都市群を軍門下らしめるだけでも
戦争意図の十中五分までは達成叶ったと言えるのではないか。
よしんば敵軍が傘下都市を見捨て首都に籠ったとしても
必ずしも大祖国のように農奴は焦土より生えいずるのではないのだから
カンナエを再現し決戦持ち込むことも可能ではないか、という発想である。


これをゲームとして表現すると、
すべての国をひとつの戦場に表現しなければならない困難がある。
国取りゲームは1対1では面白くなく
1対1対1以上に複数勢力でなければならない。
1対1では、どちらかが決戦で勝利した以降は結果の知れた作業で
魅力に欠けると見えてしまうからだ。
全てが同じ戦場に存在し互いの領土へ常に侵入し撃退しての
首都でなく国土を守る戦争ゲーム。国取りでなく泥縄の領土拡張戦争。
三國志14』のゲームの仕組みをもし対人戦で遊ぶならば、
この段階にあるといえるだろう。


三國志14』において、それぞれの国は
ゲームの「城」である都市の周囲に、複数の「府」を持つ。
「府」に戦闘部隊を収容することはできないが、
内政担当官を配置するとターン経過ごとに
周囲へ自軍占領範囲をマス目単位で塗りつぶして拡大させていくことができる。
この自軍範囲は2つの意味がある。
ひとつは収入量。
自軍範囲量と各「府」の内政開発度合に応じ毎月の収入が決まる。
政治力100が開発するより自軍占領範囲を増やす方が短期的には収入が増える。
もうひとつは部隊の兵站
敵国に攻め込んだとき、当然その領地は敵国の色に塗りつぶされている。
部隊が行軍した部分が自軍範囲となっていくのだが
この塗りつぶしていった線が切れると、兵站が切れ、
本国に食料が有り余っていても戦場の部隊に兵糧が届かなくなってしまう。
兵站が切れると部隊は混乱し士気が下がり、
士気が零になると統率100だろうが知力100が率いていようとも壊滅する。
「府」を占領すると敵国は内政官を派遣できなくなり、
逆にこちらはまだ敵城を落としていなくとも
担当官を派遣し周囲を占領して収入を得ることが可能になる。
「府」による範囲拡大は、もちろん戦争中も有効なので、
大軍勢が攻め込んできても、その後方で内政官が上手く塗りつぶし返し
兵站経路を切ってやれば戦わずして勝利が可能となる。


単純に、マス目で区切って線が切れたら兵站切れる、というだけでなく
「府」という点をつくり、内政官をからめたところが良い工夫。
自領と敵国領では部隊行軍速度もまったく違うので
線で攻め込むと敵部隊が後方に回って線を切ってくるが
府を占領しながら進軍することで、占領面積を線から面に変え、
武官だけでなく文官も戦争に協力できるのだ。


防御力の高い城を高い対価払って無理やりでも落とさなければならない、
というわけではなくなったことの意味も少なくない。
極論、敵城落としてその国を自軍のものとする栄誉より
「府」だけを自軍のものにした方が効率良いのある。
収入は「府」ではなく、その国の「城」へ自動で輸送集積される。
他国だろうか隣の隣の隣の遠国だろうとも、自軍マスであれば収入得られる。
しかし「城」から「城」へは輸送部隊で時間を掛けて輸送しなければならない。
敵国を落とす利益は、ひとつにはその国から得られる収入も
自軍のものとするためだが
周囲の国の「城」は落とさず「府」だけ落として領土を拡げれば
数国分の領地収入が輸送する労掛けることなく自国一城に集積できるのだ。
野戦で同程度の兵士数とは戦えても
攻城戦で同程度の兵士が籠る城を落とすのは容易ではない。
しかし、今や城を無理に落とす必要は少なくなったのである。
敵国の全ての「府」をとってしまえば
収入が減じ、部隊を保ち部下に給金を払うこともできなくなって
攻城戦を経ずとも自壊する。
城に籠っていれば被害は少なくなるけれど、収入もなくなる。
だから仕方なく、敵が進軍してきたら城から出て迎え撃つようになるのである。


城ではなく、領土を奪い合うことに意味を持たせたのは、
もちろん『三國志14』が初めてではない。
しかし、自城の防御力を内政で高めることが容易にできないようにしたりと
自覚的に攻城戦を避け戦争を面白くしようとする工夫は、大いに評価される。
プレイヤーは10日ごとに1ターンなのに
コンピューターは常に部隊移動を細かく指示出せるのも
ガンパレードマーチ』を思い出すほどではないが、
オートセーブの便利さも含めて、遊ぶこちら側を上手く悔しがらせる塩梅だ。

 


たくさん沢山いる武将グラフィックも感心させられる。
よくぞこれだけの人数を質と絵的な統一感持たせ描き揃えられるものだ。
この何百枚の絵を見比べていくだけにも価値がある。
ひとつにつながった中華大陸に点在する各勢力。うごめく各部隊。
そこにこの絵と史実と物語に基づく能力値を持つ武将たちが載り
自軍が徐々に強くなって塗りつぶす範囲を拡げていく過程だけで
妄想するには充分。想像力が豊かなら尽きることなく遊べるのだろうと思う。


問題はやはり、これが1人用国取りゲームであること自体にある。
1人でコンピューター相手に遊ぶことに合わせて作られているからこそ
武将の配置や外交や内政でできることの幅を持たせて
現実味風を味わいつつ、妄想に応えられる柔軟さを実現させている。
しかし、誰でも丁寧に遊べば徐々に強くなれる、
すなわち負けようとしないかぎり勝てるゲームである以上、
ある時点で勝ちが確定して以降は作業感が重くなる。


ほとんどどうしようもないだろう。まったくどうしたら良いかわからない。
赤壁の戦いは、史実の曹操にとってみれば現実だから仕方がないが
三國志14』で曹操軍を遊んでいて、同場面で不可避な敗北を喫せられたら
ゲームとして成り立たないと感じるだろう。
戦国ランス』のように、「国取りゲーム」のようでいて
全土占領がゲームのクリアではないというように妄想できたとしても
それは『三國志14』というシミュレーションゲーム上のものではない。


では対人対戦ゲームであるべきなのか。
昔のように、複数人で交互に別々の国を担当できる
戦争シミュレーションゲームとして遊べるようにするべきか。
しかし現在の『信長』『三國志』は1人用専用、
対人対戦ができない仕組みだからこその面白さで成り立っている。
複数の単純作業を同時並行する効率を競う楽しさで出来ている。
例えれば、ヨーイドンでのリアルタイムアタックに合う面白さ。
公平機会数の下で同程度資源をより効率よく戦力に転換し
機を見た攻守駆け引きを行うような対人対戦の面白さとまったく折り合わない。
国家運営の効率を競う戦争シミュレーションではなく
歴史物語の舞台を体験して妄想する歴史シミュレーション。
ターン制にし、交代しながら
「国」という資源を取りあうゲームに最適化するなら
それはもう『三國志』ではないし、
リアルタイムストラテジーにして戦争シミュレーションをするなら
それもやはり『三國志』ではない。
大規模オンラインRPGにしてみたり、題材を流用して対戦アプリにしてみたり
コーエーテクモもいろいろ頑張っているが、それはもう別のゲームなのである。
三國志』がより面白くなったもの、ではないのだ。

 

三國志14』はこれといって目新しい要素があるわけではないが
従来からみられた要素を現代の技術で過不足なく丁寧に表現した良作である。
提案でしかできない謀略や内政事項が多数あるのも
出来ることを何でも選択可能にするのではなく、あえて簡潔にすることで
それぞれの行動により重みをもたせている工夫。
歴史シミュレーションゲームとしてどうできるようにあることが
ゲームを楽しむうえで重要とするべきかに
製作者が自覚的であるからこそできることだ。


面白いのは最初だけで中盤以降はだれる。
がんばっていろいろ妄想することでそれなりに補えるが
狙って史実のような劇的な展開を作りだせるわけではない。
武将絵は大変すばらしいが一騎打ちはしょぼい。
有名武将はボイス付きで頑張っているのかもしれないがソシャゲごとき以下。
演出は貧相だが、絵と能力値をみ、国を育て妄想するその目的には適うつくり。


いろいろな時代でいろいろな勢力があそべるのだが
地形は同じなのでどこの国からどこの国へ攻め込めるかは変わらないし
「府」の配置も同じなのでやはり戦争も同じような展開になる。
地形も自分でいじれたら危険だった。
まあそれもまた三国志ではないのだろうけれども。

 

FF14の続き

この1年間は主に『FF14』を遊んでいたので
今回も感想を書かなければ元が取れない。
ゲームセンターはもちろんゲーム売り場も縁遠く
そもそも外出自体はばかられるという
言葉にしてみると改めて常と異なる今日この頃。
でもゲームを遊ぶ時間が増えたわけでなく何をしていたわけでもなく
では何をしていたのか、自分でもよくわからない謎。


さすがに一年間遊んだので『新生』からでも8年運営されているとはいえ
相当に胸を張って「遊んだことがある」と言える段階に到達。
若葉マークも取れたしイベントもシャキらない一部を除いて全て潰したし
最初からメインイベントのみをVer5.0まで遊び直してみたりもした。
何年も何年も遊び続けるひとの気持ちまではわからないが
FFシリーズでもっとも遊んだ作品であるのは間違いない。
それくらい遊ぶ気になったのだから、相応に面白かった。


とはいえ、前回に大体の概要は述べたので、今回は別の切り口から
FF14がどういうように面白いのか書いてみたい。


なお「シャキる」はマッチング成立のお知らせ効果音がもと。
「シャキーン」としか表現しようの無い音が
ボイス付きイベントムービー中だろうがロード暗転中だろうが最優先で鳴る。
タンクだと割とあっさり鳴るが、DPSだと数分待つのが当たり前。
その「シャキる」までの待ち時間が「シャキ待ち」である。
混雑度合いから大体の予測時間は出してくれるが
当然、その待っている間に誰かがそのイベントに参加しようと思わなければ
いつまで待とうがシャキらない。
そして一部のめんどうなイベントはまずシャキらない。
そのコンテンツ専用にパーティを募集しなければならないが
さすがに時間制限がきついので放置。


FF14』はストーリーを遊び終えてしまうと必然いわゆるエンドコンテンツ、
高難度の強敵ボスに挑戦することくらいしかすることがなくなるが
レベルシンクの影響もあって、
レベルとか装備とかはそんなに問題ではないのである。
バトルギミックが問題なのである。
このボスはこういう攻撃をしてくるからこう避けて、
タンクはここでこうしてヒーラーはここでこうしてこの攻撃にはこうして
パーティメンバーがわかっていなかったらアドリブでこうしてこうして
というのを、予習して頭に入れて置きその通りに動かなければならない。


エンドコンテンツだから仕方がないのである。
8年間徐々に追加されてきたイベントを8倍の速さで経験しようと思えば
やむを得ぬ苦労ではある。
予習して頑張って上手くいってクリアできればとても嬉しい。とっても嬉しい。
でも避けたがるひともいるのはわかる。


余談終わり。以下本題。

 

 

 

ゲームに求める楽しさはもちろん人それぞれ千差万別だが
FF14』を遊んで自分が思うに、以下2つに区別される。


ひとつめ。成功の楽しさ。


「俺TUEEEE」という概念がよく低年齢向け娯楽作品を揶揄して言われるが
これは成功に見合う対価なき空疎なさまを嗤っているのであって
勝つことを否定するものではない。
正当な競技で勝ち負けをつけることは娯楽における明確な楽しみの一要素。
「ゲーム」ということばに着目すればまさにそのものであり
勝ち負けのない「ゲーム」が
われわれが「テレビゲーム」「ビデオゲーム」と呼ぶものに溢れているとすれば
「ゲーム」という呼び方自体が妥当ではない。


「コンピュータゲーム」において勝ち負けを競うのは
もちろん多くのゲームにとって、まず第一に挙げられる楽しさである。
ここ十余年ほどはオンラインによる対人で遊ぶことが大いに普及し
コンピュータ相手に1人で遊ぶのとは
次元の違う楽しさがあることを知らしめたが
コンピュータ相手に勝利することで楽しさを感じる要素もまた
コンピュータゲームにとって無くてはならない独自性である。


ゲームで成功することによって楽しさを感じる機構は
ひとつのゲームにも複数あり多種多様である。
例えば『FF14』で言えば
困っているひとを助けてお使いをし報酬をもらうイベント。
お話の本筋を進めるのに何ら必要でなく
報酬自体もあってもなくても良いものであったとしても
それを消化する、発生しているものを潰すことだけにも
人は成功による楽しさを感じる。


次に、成長することによる機能拡張の楽しさ。
手間を積み経験を積むことで能力が上がり出来ることが増え
これまで出来ていたことが、より容易に出来るようになる。
戦闘で強い敵に勝てるようになる、敵がより容易に倒せるようになることに
人は心地良さを感ずるが
扱う数字が大きくなり行ける場所が拡がり新しい何かを手に入れるだけで
人は時々刻々に連続した達成感による楽しさを感じる。


そして、競技における優位。
必ずしも対人に対戦して勝利するのでなくとも
共に同じ目標を達成するため協力して苦労し合う中にも
個々の能力差や知識の量、そしてすることの的確さの差に優位劣位は発生する。
またゲーム内の能力の高低や操作の巧緻だけでなく
それについてより知っているか否かだけでも
他者に優位を感じて楽しさを精製することが可能である。


もちろんこれは単に単純なものではない。
お使いイベントは報酬の多寡よりも、そのお使いをする過程や結果において
舞台世界や登場人物に対する働きかけや奥行を感ずる知識の開示があるほどに
そしてそこに生ずる小さな物語に対し納得感があるほどに
作業という印象が薄れてゲームに生きた感慨を得ることが出来る。


機能拡張や強くなるということは正の方向のみへの連続的な繰り返しであり
負の方向に自主的でない縛りを設けることは自由さを阻害して歓迎されない。
情報を開示し巻物を開いていくだけであれば問題はないが
そこに強い必要さを置きすぎて、それを知っていなくてはならない、
活用できなければ進まないよう採れる手段を限ってしまうようでは
機能は拡張しているのに出来ることが少なくなったように感ぜられる。


競技においては、ひとつの定まったルールでありながら
各人各様の知識や能力の得意それぞれを
出来得る限り広く活かすものでなければならない。
多様かつ公平でありつつ、機会は平等でなければならない。
言うは易く行うは難し。
物量許す限り取り得る手段を増やして、正解自体を増やさなければ
より多くが納得できる秩序だった解法の存在は困難である。


成功し、達成し、勝利して、区切りつけはっきりし終わらせることは楽しい。
しかし誰もが何の苦労もなく平等にそこに到達できるなら価値が減ずる。
自分が何かを為した、選んだ、操作した、知っていた、時間を掛けた、
誰かより優位に立つ必然がそこにあったからこそ、そこに楽しさが発生する。
それをどれだけ自然に納得できるよう作られているかがゲームの質だ。

 

 

ふたつめ。想像の余地。


10秒間でボタンを押す回数を競うゲームがゲームセンターの前に置いてある。
無料で遊べて、通りがかる人達へ
ゲームを遊ぶことに関心を引いてもらうためのものだ。
スコアランキングがあって上位10位内に入れば
自分のスコアが記録されるのが報酬である。
これは果たしてゲームなのだろうか。何が楽しいのだろうか。
そう問われれば、ゲームだし、誰でもできるのが良いところだし、
スコアが残る事になんの意味はないかもしれないが、
喜びは感じられると答えるだろう。
1人で何度も遊ぶさまを想定すれば面白味は感じられないが
誰かと一緒にいる時に余興として楽しむ例示として優れており
設置する目的に適った規模のゲームである。


しかしながら、音楽のリズムに合わせてボタンを押すゲームであれば
そんな説明など不要だ。
同じくボタンを押すだけでも
たとえ成果のスコアがオンライン全国ランキング入賞圏内に
到底到達し得ない位置でも
誰も見ていないところで1人で遊んでも、明確に楽しい。
音楽に合わせてリズムに乗って、奏でるですらなく拍子を取るだけでも
楽しさを感ずるのだ。


人はゲームに意味を乗せて楽しむ。
音楽のリズムに合わせてボタンを押すゲームでなくとも
自分の頭の中でリフレインする音楽に合わせ拍子を取るだけでも
楽しさを感ずる娯楽として成立するだろう。
しかしゲームの機能は、それを公平な評価点で明瞭化を助け、
頭の中だけでなく耳の外でも音楽の再生を助け、
あるいは打楽器の機能を充実させ譜面の表示を工夫することで
自身だけでは想像しえなかった音楽の感受を遊べるものである。


みんなが遊んでいるから自分も遊ぶ。
そのゲームの話題についていくことができ
誰かの話に同感したり反論したり新情報に共に期待したり不安がったり
プレイ動画をみて感嘆してみたりくさしてみたり。
実際にゲームを遊んでいるよりも
そのゲームを話題にして楽しんでいるほうが多くそして楽しく
主客転倒して、そのためにゲームを遊んでいることもある。
そのために遊んだのに意外と面白くて喜んだりする。
ゲームを遊ぶだけでなく、ゲームで遊ぶのだ。


今やこれは現在におけるもっとも主流であるゲームの遊ばれ方ではあるが
ゲームである必要はない。
マンガでも映画でもスポーツ競技でも事件事故のニュースでも何でも良いのだ。
ゲームはそれで遊ばなくとも、遊んだことがあると言える程度に知っていれば
それで遊ぶことが出来る機能を持っている、ということである。


この場合、ゲーム内における繰り返しの単純作業は、
みんなでそのゲームを遊ぶことには向いていない。
1000時間かけて最初に出てくる雑魚敵を倒し続けて最強になりました、
という結果の情報自体は遊べるが、
1000時間の過程は、何ら遊ぶ方にとって楽しみがない。


音楽に合わせてボタンを押すゲームで言えば
始めた最初の様子や上手に遊んでいる様子は価値が感ぜられるが
その過程は面白味が少ない。
まったく無意味ではないだろう。最初と上手くなった最後と
その途中の上手くなっていく何回かは価値を持つが
1000時間掛けて上手くなったならば、そのほとんどは無価値である。
けれど遊んでいる自分にとっては、
1000時間かけて上達したその過程の1曲ごとにも価値は感ぜられるはずである。
楽しかったはずだ。


何かを作り上げていく、当事者でないひとにとっては無駄とも思われる過程。
過程の全てが有意義でなく一様な正方向の上達でなく
必要さが薄い無駄とおも思われる時間の費やしであったとしても
しかし達成の暁にはそれは価値を持つ。
最終評価にとっては無駄であるかもしれない作業。
マップを隅々まで埋めること。すべてのアイテムを集めること。
すべての敵と戦うこと。すべてのイベントを発生させること。
そうできなくとも、そうしよう、少しでも多く埋めよう、
塗りつぶそうとしようとすることは、なぜそうするのだろうか。
そうしたがるのだろうか。
上達するかもわからないのに、ゲームの中で評価されるかもわからないのに、
作業を続け続けるのか。


それは、そうすることが自分にとって価値あると判断するからだ。
ゲームにおいて評価に値しなかろうが
自分でない周囲にとって無価値だろうとも
そうするほうがよかろうと思うからそうするのだ。
雑魚敵を倒して経験値を稼いで強くなる。
最適解ではないかもしれない。効率悪いかもしれない。
けれど前に進んでいるし、労せず前に進めているだけでも良いではないか。
何百回と同じ曲を繰り返し遊んだからといって、
それでもオンラインランキングに載るほど完璧にはできないかもしれない。
でもそれだけが価値や意味や勝利や楽しさや終わりではないのだ。
今、この一曲を遊ぶことに楽しさがあれば、
例え上手くならなかろうが、他の人にとっては無価値だろうが関係ない。


ゲームの中にデータを蓄積する。それを積み上げ加工する。
独自のどこにもないものができあがる。
それは、世間的にみて他と比較して、凄くないかもしれない。
ごく普通の無個性平均な程度かもしれない。なんのニュース価値もないだろう。
でもそれが目的ではないのだ。
飽きたらデータを消すだろう。消さないにせよ忘れるだろう。
別の何かを始めたら今していることは自分にとってすら
たちまち無価値になるだろう。
でもそれでも良いのだ。いま楽しいのだから。
そこに目先の楽しさを追おうと、何かの結果をつくろうとした過程、
そこに楽しさがあるのだから。
完成し、完結することだけが楽しさではない。


さて、そういう、過程を自分だけが楽しめれば良いというゲームにおいて
より良いゲームとはどのようなゲームだろうか。
それは量である。楽曲の数である。
広大な舞台世界であり無数のキャラクタでありアイテムである。
質はもちろん大切だ。ゴミがどれだけあろうがゴミはゴミだ。
しかし最上級のものが1点殿堂上にあるよりも
一定以上のものが多数あるべきなのである。
タイムアタック動画やノーミスプレイ動画にとっては
最高の巧緻を尽くした楽曲や
理不尽でないが安易でもないコース設計があればよいが
過程を楽しむ一般大多数、ゲームを遊んでいるほとんど全ての普段にとっては
ごく普通だけど多彩かつ想像を超える濃淡傾向高低の幅
端から端まで味わいきれないほどの品書きの多彩さこそが求められるのである。


そういう観点で、現在の基本無料ゲームや、
支持され続ける限り終わらないロールプレイングゲームがある。


海の向こう産ゲームの見た目に対する量の多さと手間掛け方は圧倒的である。
よくぞここまで隅々描いて採算が取れるゲームとして成り立つものだと思う。
遊ぶ多くのひとにとっては瞬間でしかない飾りに膨大な手間をかける無駄。
だがその細部の無駄が全体の印象をつくり
結果として多数がそれを支持すると、成功の結果が信じさせるのだろう。


日本産のゲームは、そういうところに追いつこうとして
容易に成功にはつなげられてこなかったようだが
しかし、ひとつのゲーム作品に長期間長時間つなぎとめる仕組みには成功した。
その必然として、従来であればシリーズ続編と分割していたものでも
ひとつの作品に手間をかけ続ける形に変容した。
ゲームの楽しさにとって、そうあるべきと信じてそうしたわけではなく
結果として成功したものがそうだったというのが
いかにもうちのところの文化のありようではある。
果たして次はいかなることや。

 

 


FF14以外にも三国志14だったりモンスターハンターだったり
どうぶつの森だったり『Detroit: Become Human』だったり
『Marvel's Spider-Man』だったり『ウマ娘』だったり
いろいろ遊んでいたわけです。
さわってみただけで投げ出したゲームもたくさん。


けれど『FF14』を除けば遊んだというほど遊んでいない。
最近のゲームは巨大なので。広大というより容量が膨大なので。
ゲームとしては普通。みたことあるものだけれど、とにかく沢山つめこんで
多くのひとにたくさん、すなわち長く遊ばせる。


『Detroit』はおおむねフローチャートを埋めたけれど
まるでクリアしたという気がしない。奥深いのではない。
ゲームとして斬新なのではまったくない。ただ量が多いのだ。
ウマ娘』は逆の意味で斬新である。
まさかこの題材にここまで手間暇容量を詰め込むとは。
その中身はすごくなくとも、その在り様がすごい。


FF14』は8年続くサブスクリプションとして必然の形式なのかもしれないが
ドラクエ10』にせよ『FF14』にせよ
その圧倒的量すなわち遊べる楽しさの量が、
シリーズ中でもっとも楽しい作品であるかのように感じさせる。
ドラクエ1』でローラ姫を助けてグラフィックに反映されたとき。
ドラクエ2』でサマルトリアの王子が仲間になったとき。
ドラクエ3』で「そして でんせつが はじまった!」の字を
賢者の石片手にみたとき。
思い出補正は強く、その後何十年たってもその一瞬の感慨は強く胸に迫る。
それでも面白かったの量として『ドラクエ10』のほうが大きく感じる。


FF14』はFFシリーズの中でもっとも洗練されている。
遊びやすい。入っていきやすい。わかりやすい。
すぐに容易に強くなれるし無駄な作業感は少なく
イベントを次から次へと浴びるように見て進めていくだけで
その広さに無理なく到達することができる。
それも何年もかけて遊びやすいよう、正しく正しい方向へ正してきたからで
そしてそれが出来る仕組みだったからだろう。


オンラインRPGだからシリーズのどれよりも楽しい、
というだけでは全てではない。
長く続く形式であり、それゆえに修正がきき容量も膨大であるからこそ
ゲームの成立する形式と規模。
その方向と量の楽しさが、『FF14』の面白さだ。

 

 

 

 

 

FF14 + 2020年を振り返って

2020年を振り返って(前置き)


今年もいろいろありましたね皆様。


前回更新から、わりといつものことですが
ものすごく間が空きましたけれども、
普通に毎日ゲームを遊んではおりました。
なぜ間が空いたかというと『FF14』を遊んでいたのです。
あれな。オンラインRPGな。


ほぼおおむね毎日かかさずデイリーボーナス経験値分は遊んだので
全ジョブばっちり育っています。正しくは全クラスか。
が、お話をすすめている時間はあんまりなかったので
半年以上遊んでいるのにまだ半分ほどしか終わっていない。


そういうわけでずっと書くことが無かったので間が空いたのですが
年の区切りだし半分は終わっているわけだし
何より今日書くことが他に無いので、途中での感想を書こうかと思います。

 

ちなみに、その前は何をしていたのか。
もうずっとひとつのゲームばかり遊んでいたので
いまひとつ覚えていないのですが、
『花鳥風月』のあとは『三国志14』をだらだら遊んでいたと記憶しています。
あのころは緊急事態宣言とかで仕事が暇でした。なつかしい。
といって総量が変わるでなく、しわ寄せがぐぐい後ろに来るだけですけれど。
まあともかく、
三国志14』も一週間半でなく一週半くらい遊んで、
コーエーなのに、かなりシステム面に手を入れるバージョンアップを
まめにしていて感心なことよ、
でもゲームの中身は相変わらず人員配置と輸送手配をしているだけ、
何十年変わらずの開幕速攻大正義。
一度開戦したら全国統一まで全武将が宴会以外静止許されぬブラック国家。
戦乱の時代だからね残念でもなく当然よね。
かわらないなあ、という感想。
ではどこを変えろというのだ、と言われても困るけれども。
ひとつ思いつくのは、
史実でも仮想でもイベントをとにかくものすごく沢山用意して、
発動条件をある程度ゆるく、しかし明確にして、
プレイヤーが自身に縛りプレイを課すぶんには納得できるのかな、と。
そういう意味で本作はまあまあ良い感じなのではないでしょうか。
だったと思う。たぶん。


あと『あつまれ どうぶつの森』も遊んでいました。
いや遊んだと言えるほど遊んでいないので特に感想とかないのですが、
いつでも夜なのはちょっと。たまには昼間の島をみたかった。
スプラトゥーン2』も今年か去年か、ちょっと覚えていないですが
マッチング待ち時間が長いのが駄目。
FF14』は待つ間に他のことができるし
三国志/戦国大戦』で何分も待たされることは
何千回のうち片手で数えるほどしかなかったけれども。
任天堂のゲームはどうも合わない。
セガはやっぱり優秀だった。のに駄目駄目なのは
そのぶん他がいろいろあれなのでしょうねえ。


で、『三国志14』を一周半くらいしたとろで
FF14』が期間限定で無料で遊べるというのお知らせを目にし、
新規ゲームに手を出す気力がちょうどあったので、手を出して、
現在に至るわけです。


なお、その時分はそういう期間限定体験版てきな触れ込みだったのですが、
現在の整備されたフリートライアル制度では
全体の半分まで無料で開放されています。
おおきく4分割したうちの最初の2つの部分までが一か月無料。
つまり。
この私が半年かけて辿りついたところまで、だいたい全部無料。
なにそれひどい。


半年かけてそこまでしかあそべないのがひどい、のが正しいか。
しかしそれだけ無料開放しても商売成り立つんだなあ。すごいなあ。


あと『風花雪月』。鳥ではなく雪。宝塚歌劇団的なあれね。

 


ファイナルファンタジー14

英語とローマ数字で『FINAL FANTASY XIV』。ローマ数字でなくXIVか。
2010年にサービス開始。
「FF」シリーズでは2002年開始の『FF11』に続くオンライン専用作品。
そこから数えるともう10年選手の作品ですが、その後いろいろあった結果、
日本国内のゲームにおける大規模オンラインRPGでは
ドラクエ10』と並ぶ2大存在となって
現在も好調にサービスが継続しているようです。
オンラインRPGがそれだけ新規参入の壁高いのか
それとも売り切りではなく、何年も細く長く遊ぶのが今のゲームなのか。


2010年開始時の最初のVer.1が酷い出来で、当時の社長が失敗認めて
一から作り直して成功につなげた、という「伝説」も持っています。
『FF16』のプロデューサーは『FF14』のプロデューサーとディレクターを
その作り直し以降ずっと務めている有能なひとであるらしい。
何百人と関わっているゲーム制作において
誰が有能で誰がゲームを駄目にしているのかは
遊ぶこちら側からは測りようがない。当事者だって判らないかもですが。
でもなんとなく個人の手柄と原因にしたがりです。わかりやすいので。
まあともかく、『FF14』は作り直した結果、商売として成功しているのは確か。
Ver.1を完全になかったことにして
2013年、再度開始した「FF14」Ver.2のサブタイトルは「新生エオルゼア」。
英語で「A REALM REBORN」。
エオルゼア」は舞台となる地域の名前。「REALM」は「部分的な世界」のこと。
なおVer.1部分は完全に別物らしく、遊ぶことはできません。
FF11』ですらまだサービス継続しているのに。
こわいものみたさでどんなにひどいかみてみたいものではありますが。

 


ゲームの内容としては、世界規模で成功している『World of Warcraft』を
かなり参考にしているらしく、比較なしには語れないらしいらしいですが
遊んだことないし遊ぶ気もないし
そもそもこの手のゲームは他に『ドラクエ10』しか遊んでいないし
ドラクエ10』でも仲間はNPCしか使ったことないので、
以下、そういう狭い視野からの感想であるむね、ご了承ください。


ついでながら私が半年かかったところまでおおむね無料で遊べるのは事実ですが
アイテム課金でなく月額課金なので、
無料期間の1か月以内にクリアする必要があります。
いやお金払えば必要はないけれども。
全部入りのパッケージと、月額は¥1500くらい。
PS4版『ドラクエ10』と同じくらい。そういう相場なのでしょう。
半分配って継続課金で成り立たせる。そういうものなのだなあ。

 

 


FF14』の『ドラクエ10』と比較して最たる特徴は
「コンテンツファインダー」という仕組みです。
プレイヤー同士をマッチングして同じダンジョンに放り込むのですが、
FF14』では「レベルシンク(Level Sync. Sync:同期)」が行われ
上限レベル超えていると適正レベルまで弱体化。装備も使えるスキルとかも。
なので7年遊んでいるプレイヤーも今日始めたプレイヤーも
同じパーティで同じダンジョンを同じように楽しめるわけ。
なお弱いプレイヤーと組んで軟いダンジョンで戦っても
経験値は同期する前、現在のレベルに応じて入ります。
ドラクエ10』もそうでしたが、レベル上げの苦労はとても少なく、
普通に進めているとメインで使うクラス、職業、ジョブは
すぐに適正レベルを超えます。
いろいろな職で遊んでほしい、という作りになっています。


成長させ今まで苦労していた敵を容易に倒せるようになるのが気持ち良いのに
ダンジョン潜るたびに弱体化。
そんなことして何が面白いのか。
そこはパーティメンバーが、ネットのむこうで
人間が操作しているからこその面白さ。
ドラクエ10』は最初から最後までNPCだけでクリアでき、
いわゆるエンドコンテンツ、誰もが遊ぶ部分は終えてしまったひと向けの
高難度部分でだけ、人間が操作しての協力プレイが求められるのですが、
FF14』ではお話をすすめるには、数時間に一度くらい
「コンテンツファインダー」で他のプレイヤーと協力しながら
ダンジョンに潜らなければならない仕組みです。
オンライン越しに協力しなければ進められない。
ソロで無理やり挑戦もできますが、当然滅茶苦茶にレベルや装備が必要です。
また、レベルをあげるのにもっとも効率良いのも、
どのダンジョンに飛ばされるか判らない「コンテンツルーレット」で
一日一回のデイリー経験値ボーナスを積み重ねるのが最高となっています。
だからパーティメンバーが初心者だけ、ということはまず起こらない。
最初は右も左もわからない状態で放り込まれ
だんだん周囲がみえてきて
やがて他のプレイヤーへ不慣れなようす、
慣れているようでも、決して強いわけでも上手いわけでもなく、
知っているだけなのだ、ということを見てとれるようになると
ゲーム内能力値でなく、プレイヤーとして自分が成長した感が味わえるのです。


当然ダンジョンのつくりも「コンテンツファインダー」に合わせていて
1ダンジョンごと数体の中ボス、最奥に大ボス、道中雑魚敵が出現し、
慣れたプレイヤーだけでさくさく回って15分弱、
初心者を含むパーティがゆっくり隅々巡っても30分かからない規模のものが
何十と用意されています。
もちろん最初から全部に挑めるわけでなく、
お話進行の要所数時間ごとに配置され段階追って拡張されていく。
一度挑めるようになったダンジョンは、
いつでも何度でも、どこにいても挑戦できる。
宿屋の自分の部屋から一歩も出ずに
世界の逆側にあるダンジョンへとオンライン越しの誰かと共に挑んで、
また同じ部屋へ帰ってくる。


お話を進めるのに必須ではない、挑戦用のコンテンツとして、
とりわけ強いボスが一体構えていてそれを倒すだけ、というものも多数あり。
こちらは難度によっては「大縄跳び」と称されるように
敵の攻撃パターンとその対応を全員がばっちり頭に叩き込んで
終始正確に立ち回ることが要求されるものも。
足を引っ張るひとがいるとみんなが迷惑してとってもギスギスします。
慣れたプレイヤーだけなら10分とかからず終わるのに、
駄目なひとを介助しながら何度も何度も全滅。30分たっても終わらない。
ボイスチャットがあるわけでもないのに画面越しに伝わる皆のいらだち。
ううむこれぞオンラインRPGの醍醐味。


苦労の果てに初挑戦者が動きを覚えてくれてなんとかクリアしたときの解放感。
皆が決まり文句しか挨拶せず、NPCのような動きしかしないゲームとは、
違う感慨があります。
レベルを上げたことで苦労していた敵を倒せるようになる気持ち良さ、だけが
RPGというゲームではない。
その場かぎりの即席パーティを組んで協力しながらダンジョン進む。
下手うって電源切って逃げたくなったり、
何度も足引っ張るひとに舌打ちしながら
罵倒コメント打つ手を押さえてやわらかく指摘してみたり、
たまに笑える失敗をしてしまって和やかな雰囲気になったりするところこそが
FF14』の面白さの核と言えましょう。


もちろんこれは『FF14』だけのものではありません。
アナログでもデジタルでも1人用ではないゲーム全てが持つ面白さ。
「コンテンツファインダー」、すなわちFF14の特長は
それをゲーム全体における割合で、
幅広い人に気軽に何度も繰り返し長い期間にわたって
楽しめるようにしているところです。
様々なクラス、武器種、職業、ジョブが用意されていて、
いろいろな戦い方で遊べる。
ジョブはタンク、アタッカー、ヒーラーの役割(Role)分担が
パーティ内の人数という形で明確にされている。
それぞれのジョブに育てやすさや一人旅での苦労差や戦闘での活躍度合に
差が大きくなく、どのバトルコンテンツでも、すべての職に活躍余地がある。
逆にこの職でなければならないという場面が極力抑えられている。
上手い人が一人二人いればなんとなかなるのではなく、
全員が役割を果たすことが必要だけれど、その敷居はそこまで高くない。
協力バトルもので、これらの塩梅を
新規要素を常に追加しつつも長期に渡り保ち続けることが
いかに難しいことかは、
みているだけのこちら側からも容易に察せられるところ。


RPGというのは、王様にダンジョン潜って敵を倒してこいと言われ
命知らずの冒険者が請け負って、潜って、
1人で無理そうならパーティ組んで、
一度で無理そうならダンジョン前に基地つくってそれが町になって、
何度も何度も大勢が繰り返し挑戦してついに最奥までたどり着く、
というつくりのお話です。
「コンテンツファインダー」は、大規模RPG
広大な世界、様々な民族、文化、景色、広がりある舞台が売りであるそれに
ごく小規模なRPGを繰り返し多数何度もという形を無理なく組み込んでいる。
その在り様こそが上手い。


ちなみにもちろん知り合いとパーティを組んで会話を交わしながら
ダンジョンを攻略したりフィールドを歩き回ってレベリングしたり
イベント進めたりも、もちろんできます。
したことないけれど。たぶんもちろんできるはず。
そういうの壁高いとおもってオンラインRPG、いやアクションも含め、
オンラインでチームを組み協力して遊ぶすべてのゲームを敬遠しているひとは
ゲームを遊ぶひとたちのなかでも相当の割合に及ぶと思いますが
FF14』も『ドラクエ10』も、それぞれの方法でその解決策を提示している。
FF14』は、対人対戦ゲームのマッチングのように、
その場かぎりのパーティを組ませて
適度に短く相応にクリアした手ごたえあるダンジョンに挑むことを
ゲームを進める主要課題として用意することで。
ドラクエ10』は他プレイヤーの育てたキャラクターを
NPCとしてどこへでも連れまわせることで。


そんなに感心するようなことか、アクションゲームを含めるなら
いくらでもあるというか当たり前では、とは言えるでしょうが
対人対戦やオンライン協力プレイのないRPGも、あるというのはなぜか。
FF14』はダンジョンアタックしている時間がすべてでなく、
お話進めたり装備整えたり各地をまわってお使いしたり景色ながめたり
1人用ゲームですることと同じことをする時間のほうがむしろ長い。
どちらもある。どちらにも違った価値、おもしろみや手ごたえがあって
どちらも遊ぶことが出来ることに価値がある。
それが大規模オンラインRPGというものなのでしょう。

 

 


これはどうかなあというところもあります。
高難度ボスとの戦いで動きを覚えておかなければ皆の足を引っ張る。
ということは、事前に情報調べて攻略動画みて予習しておけ、
という意見も当然でてくるわけです。
また普通のダンジョンでも予習しておかないと
なぜかいきなり全滅。なぜ全滅したのかわからない、
というような仕掛けが決して少なくない。
敵の攻撃の多くは予兆、これからこの範囲にこの攻撃がくるよ、
という情報提示があり
だから避けて、知っていて見ていれば確実に避けられるのだから
ダメージはすごく大きく、いきなり全滅するようなのもあるよ、
という作り。
いろいろな職業に意味持たせ、全員が万能職ではなく、
敵の攻撃を受ける役のタンク、主に回復を行うヒーラー、
ダメージ効率を追求するアタッカー、『FF14』ではDPSという名称ですが、
こららの役割分担を明確にすることで、各プレイヤーが
そのとき何をすればよいかをわかりやすくする。
そういうことと、知っていれば避けれれる、知らないと大ダメージ、
だから何度も挑戦して知って、
キャラクタ能力だけでなく、プレイヤー知識と操作スキルで
クリアできるようになって欲しい、というつくり。
方向性としてはぶれていないと思います。
手ごたえある、RPGでありながら自分が上手くなった感触味わえる戦闘で
ただレベルあげて殴るだけの作業とはまったく違う。
ドラクエ10』と比べ『FF14』のえらいひとが称賛される傾向なのもわかる。
ただ、手放しに誉めて良いのかというと疑問がある。
クリアしてもしなくても良いものと、クリアして欲しいものを
もっと明確にわけるべきなのではなかろうか。
7年たったものを半年遊んだだけだからズレもあるだろうけれども。

 


舞台背景の描写は「FF」らしいファンタジー、手間暇かかった壮大なもの。
PS3当時向けの7年前からの作品だけに粗もあるにせよ、
それぞれの地域が変化に富み写真にとって収めたくなる美しさを持っています。
FF7とか8とか10とか13とかでなく9とか12っぽいのが良い。偏見。
そこで暮らすひとたちも、まあ例によって売っているものに魅力はなく
頼まれるのはお使いばかりではあるのですが
極端にデフォルメ、縮尺を変えて表現されているとはいえ
世界の広がりを感じさせるし、
それぞれのミニクエストは、それなりにどれも
舞台背景に思い入れを持たせてくれる質のもの。


いっぽうで、主軸となるお話は、
7年たっても終わらない、
いつまでも終わってしまうことを求められない舞台世界というもので
まとまりのついたお話を展開するというのは難しい、と思わせます。
FF14』にも明確に敵と言える相手や勢力がいて
星の意志のもと「光の戦士」となって戦う立場であって
味方側にもいろいろあり、敵にもいろいろあり、
王様の命令でお姫様を助け出せばめでたしめでたしというだけのお話ではない。
現実にすっきり解決永遠に完結などという問題などは無いように
どこまでもどこまでも光と闇の戦いは続くのであって、
まあわかるし、工夫しているのも伝わるけれど、
いつまでも終わらないことが分かっているだけに、わりとどうでもよくなる。


新しい土地について新しい景色をみるのは楽しい。
サブイベントでお使いこなしてゲーム内の誰かが少し幸せになることは
手間をかけた甲斐と終わらせられた感慨を得られるのだけれども、
クリアしてもなんどもなんどでも再発生するイベントは
どんなにゲーム内の誰かが困っていようが手を出す気になれない。
FF14で言えば「F.A.T.E」。
街の外のフィールドでモンスター退治をするミニイベントだが
自分専用ではなく、パーティを組んでいなくても通りがかっただけでも
協力できるイベントのため、終わらせても一定時間たつと復活する。
自分の進行度合いに紐づいて発生したイベントではなく
世界そのものに発生しているイベントだから。だから永遠に解決しない。
モンスターに襲われているひとを助けても
またおなじひとがおなじ場所でおなじく襲われ、おなじ感謝のことばをつく。
街角に24時間立ち続けてサービス終了のその日まで同じ台詞を繰り返す。
キャラクターではない。背景景色。
そういうものだからと割り切ってみても寒々しい。


ゲーム内のデータを書き換えて、ゲーム内の誰かが不幸が拭われようが
経験値とお金で強くなろうが、現実として誰かが喜ぶわけではない。
自分が気持ちよくなるだけである。
そんなことになんの意味があるのか。ゲームを遊ぶってそういう自己満足なのだ。
だからこそ、手を出そうが出さなかろうが
変わらない終わらない話は、価値を持ちがたい。
ではどうすれば良いか。
大団円でお話完結して、
あとはなんのイベントも発生しない舞台でダンジョンに繰り返し潜っていて
それで満足できるのか。


現実はどこまでも続く。続いて欲しい。
自分がその世界に介在する時間は限られている。現実でもゲーム世界でも。
いつまでも続いて欲しい一方で、
きちんときれいに終わって気持ち良く離れさせても欲しい。
細く長く続くゲーム、遊びの、どれもが持つ課題で、
むしろ商売としてほどほどに失敗して、
きちんとサービス終了したゲームの方が美しいのかもしれない。
そこから得られる楽しさの総量は少なかったとしても。

 


FF14』は確かに良くできたゲームである。
ドラクエ10』も、すくなくもVer.2まではシリーズのなかでどれよりも面白く
遊ばずにシリーズを語るべからずという出来栄えだったが、
FF14』も「FF」シリーズの中でどれよりも面白かった。
なお『11』『15』は遊んでいないので除く。
『8』とか『10』とか『13』とか偏見フィルターが分厚く掛かって曇っている。
もとい、半年ににわたり熱心に長時間遊んだし、
いちおう現行Ver.4の最後まで遊びたいとおもっている。
もう半年かけるのかと思うといささか壁が高いけれども。


これはなぜなのだろうか。やはりオンラインならではの面白さなのだろうか。
しかし『ドラクエ10』はたいしてオンラインゲームとして遊んでいない。
FF14』でもコンテンツファインダー以外でパーティを組んでいない。
それでも染み込むほど、オンラインの力が強いのか、
単純にもっとも近くに遊んだゲームだから印象が強いだけなのか。


少なくとも『FF14』のコンテンツファインダーの面白さは
細く長く一日30分遊ぶゲームとして代えがたい。
メインは白魔道士で、みんなが頑張っているのを後ろから眺めるのが楽しい。
ミスしたDPSをいきかえらせてさしあげる時の生殺与奪握りたる感は
我ながら自身の小ささがおかしい。
タンクはだまっておれについてこい職。
道を間違えてもみんな何か理由があるのだろうとついてきてくれる。あわわ。
Bアライアンスも楽しい。24人の先陣切って突っ込む高揚感。
戦場の一番槍ってこういう感じだったのだろうか。
DPSはとっても忙しい。地面をみて攻撃避けつつ効率効率最高効率。つらい。
でもはた目からはすごいか駄目かよくわからない。きらく。


そこには一人用RPG、一人用アクションゲームにはない面白さがある。
それが一日30分、一日50円で、
ゲーム内でどこにても、お話の進行がどの段階でも、楽しめることが偉大だ。
そしてそれが1人でも遊べるRPGの中に無理なく、
ダンジョン潜る楽しみのために多くの部分が奉仕するほど全体を活かして、
組み込まれて成り立っている。
そこが『FF14』の面白さ、評価されるところと思う。

 

 

2020年を振り返って(あとがき)


今年もいろいろありました。
3月以降ゲーム販売店に一度も行っていないので世間にまったくうとい。
PS5が発売されたことは風のうわさで聞いておりますが
XBOXの最新版がなんという名称の機械なのか存じ上げないれべる。
今年の話題作もまったくわからない。


今年遊んだゲームは上であげたほかには『御城プロジェクトRE』くらい。
これも細く長く一日30分ゲーム。いや5分かな。週に1度1時間で毎日5分。
そういうゲームだからこそ続く。そういうゲームばかり遊ぶ。
そういうゲームで隙間時間を埋めて
一日ごとのゲーム遊んだ感を満たして一年が過ぎる。
本も読みたい、あれもしたいこれもしたい、
時間ができたらあそこへ行きたいあれもしたい。
ゲームについても、あれもそれもどれもかれもを遊んでみたいが、
一日の長さも一年の長さも変わらないので
そうしているだけでは時間ができようはずもなし。
たまに時間ができても、
新しいゲームにとりつく気力を奮い起こすのに大いに努力を必要とする。
積みゲームが山になっていく。


これが現状ではあるのですが、悪いとは思っていないのです。
遊びたいゲームがある。毎日少ない時間でも遊んで楽しんでいる。
来年2021年も、そういう平和な毎日をすごしていきたい。
もちろん時間にゆとりがあって、
いろいろなゲームに手を出してもみたいけれども。
新しいゲームを遊びたい。昔のゲームを遊び返したいとはあまり思わない。
細く長く、コーエーですら『三国志』をこまめにVer.UPするご時世。
常に新しくより良く、ゲームは昔よりずっときれいに、
おおむね遊びやすく前に進んでいると感じている。
新しいものが出難くはなっているのかもしれないけれども。


2020年も終わりです。
2021年、平穏な良い年でありますように。
良い年をお迎えください。また来年。

 

 

 

FF14 + 2020年を振り返って

2020年を振り返って(前置き)


今年もいろいろありましたね皆様。


前回更新から、わりといつものことですが
ものすごく間が空きましたけれども、
普通に毎日ゲームを遊んではおりました。
なぜ間が空いたかというと『FF14』を遊んでいたのです。
あれな。オンラインRPGな。


ほぼおおむね毎日かかさずデイリーボーナス経験値分は遊んだので
全ジョブばっちり育っています。正しくは全クラスか。
が、お話をすすめている時間はあんまりなかったので
半年以上遊んでいるのにまだ半分ほどしか終わっていない。


そういうわけでずっと書くことが無かったので間が空いたのですが
年の区切りだし半分は終わっているわけだし
何より今日書くことが他に無いので、途中での感想を書こうかと思います。

 

ちなみに、その前は何をしていたのか。
もうずっとひとつのゲームばかり遊んでいたので
いまひとつ覚えていないのですが、
『花鳥風月』のあとは『三国志14』をだらだら遊んでいたと記憶しています。
あのころは緊急事態宣言とかで仕事が暇でした。なつかしい。
といって総量が変わるでなく、しわ寄せがぐぐい後ろに来るだけですけれど。
まあともかく、
三国志14』も一週間半でなく一週半くらい遊んで、
コーエーなのに、かなりシステム面に手を入れるバージョンアップを
まめにしていて感心なことよ、
でもゲームの中身は相変わらず人員配置と輸送手配をしているだけ、
何十年変わらずの開幕速攻大正義。
一度開戦したら全国統一まで全武将が宴会以外静止許されぬブラック国家。
戦乱の時代だからね残念でもなく当然よね。
かわらないなあ、という感想。
ではどこを変えろというのだ、と言われても困るけれども。
ひとつ思いつくのは、
史実でも仮想でもイベントをとにかくものすごく沢山用意して、
発動条件をある程度ゆるく、しかし明確にして、
プレイヤーが自身に縛りプレイを課すぶんには納得できるのかな、と。
そういう意味で本作はまあまあ良い感じなのではないでしょうか。
だったと思う。たぶん。


あと『あつまれ どうぶつの森』も遊んでいました。
いや遊んだと言えるほど遊んでいないので特に感想とかないのですが、
いつでも夜なのはちょっと。たまには昼間の島をみたかった。
スプラトゥーン2』も今年か去年か、ちょっと覚えていないですが
マッチング待ち時間が長いのが駄目。
FF14』は待つ間に他のことができるし
三国志/戦国大戦』で何分も待たされることは
何千回のうち片手で数えるほどしかなかったけれども。
任天堂のゲームはどうも合わない。
セガはやっぱり優秀だった。のに駄目駄目なのは
その分他がいろいろあれなのでしょうねえ。


で、『三国志14』を一周半くらいしたとろで
FF14』が期間限定で無料で遊べるというのお知らせを目にし、
新規ゲームに手を出す気力がちょうどあったので、手を出して、
現在に至るわけです。


なお、その時分はそういう期間限定体験版てきな触れ込みだったのですが、
現在の整備されたフリートライアル制度では
全体の半分まで無料で開放されています。
おおきく4分割したうちの最初の2つの部分までが一か月無料。
つまり。
この私が半年かけて辿りついたところまで、だいたい全部無料。
なにそれひどい。


半年かけてそこまでしかあそべないのがひどい、のが正しいか。
しかしそれだけ無料開放しても商売成り立つんだなあ。すごいなあ。


あと『風花雪月』。鳥ではなく雪。宝塚歌劇団的なあれね。

 


ファイナルファンタジー14

またの表記を『FINAL FANTASY XIV』。2010年にサービス開始。
「FF」シリーズでは2002年開始の『FF11』に続くオンライン専用作品。
そこから数えるともう10年選手の作品ですが、その後いろいろあった結果、
日本国内のゲームにおける大規模オンラインRPGでは
ドラクエ10』と並ぶ2大存在となって
現在も好調にサービスが継続しているようです。
オンラインRPGがそれだけ新規参入の壁高いのか
それとも売り切りではなく、何年も細く長く遊ぶのが今のゲームなのか。


2010年開始時の最初のVer.1が酷い出来で、当時の社長が失敗認めて
一から作り直して成功につなげた、という「伝説」も持っています。
『FF16』のプロデューサーは『FF14』のプロデューサーとディレクターを
その作り直し以降ずっと務めている有能なひとであるらしい。
何百人と関わっているゲーム制作において
誰が有能で誰がゲームを駄目にしているのかは
遊ぶこちら側からは測りようがない。当事者だって判らないかもですが。
でもなんとなく個人の手柄と原因にしたがりです。わかりやすいので。
まあともかく、『FF14』は作り直した結果、商売として成功しているのは確か。
Ver.1を完全になかったことにして
2013年、再度開始した「FF14」Ver.2のサブタイトルは「新生エオルゼア」。
英語で「A REALM REBORN」。
エオルゼア」は舞台となる地域の名前。「REALM」は「部分的な世界」のこと。
なおVer.1部分は完全に別物らしく、遊ぶことはできません。
FF11』ですらまだサービス継続しているのに。
こわいものみたさでどんなにひどいかみてみたいものではありますが。

 


ゲームの内容としては、世界規模で成功している『World of Warcraft』を
かなり参考にしているらしく、比較なしには語れないらしいらしいですが
遊んだことないし遊ぶ気もないし
そもそもこの手のゲームは他に『ドラクエ10』しか遊んでいないし
ドラクエ10』でも仲間はNPCしか使ったことないので、
以下、そういう狭い視野からの感想であるむね、ご了承ください。


ついでながら私が半年かかったところまでおおむね無料で遊べるのは事実ですが
アイテム課金でなく月額課金なので、
無料期間の1か月以内にクリアする必要があります。
いやお金払えば必要はないけれども。
全部入りのパッケージと、月額は¥1500くらい。
PS4版『ドラクエ10』と同じくらい。そういう相場なのでしょう。
半分配って継続課金で成り立たせる。そういうものなのだなあ。

 

 


FF14』の『ドラクエ10』と比較して最たる特徴は
「コンテンツファインダー」という仕組みです。
プレイヤー同士をマッチングして同じダンジョンに放り込むのですが、
FF14』では「レベルシンク(Level Sync. Sync:同期)」が行われ
上限レベル超えていると適正レベルまで弱体化。装備も使えるスキルとかも。
なので7年遊んでいるプレイヤーも今日始めたプレイヤーも
同じパーティで同じダンジョンを同じように楽しめるわけ。
なお弱いプレイヤーと組んで軟いダンジョンで戦っても
経験値は同期する前、現在のレベルに応じて入ります。
ドラクエ10』もそうでしたが、レベル上げの苦労はとても少なく、
普通に進めているとメインで使うクラス、職業、ジョブは
すぐに適正レベルを超えます。
いろいろな職で遊んでほしい、という作りになっています。


成長させ今まで苦労していた敵を容易に倒せるようになるのが気持ち良いのに
ダンジョン潜るたびに弱体化。
そんなことして何が面白いのか。
そこはパーティメンバーが、ネットのむこうで
人間が操作しているからこその面白さ。
ドラクエ10』は最初から最後までNPCだけでクリアでき、
いわゆるエンドコンテンツ、誰もが遊ぶ部分は終えてしまったひと向けの
高難度部分でだけ、人間が操作しての協力プレイが求められるのですが、
FF14』ではお話をすすめるには、数時間に一度くらい
「コンテンツファインダー」で他のプレイヤーと協力しながら
ダンジョンに潜らなければならない仕組みです。
オンライン越しに協力しなければ進められない。
ソロで無理やり挑戦もできますが、当然滅茶苦茶にレベルや装備が必要です。
またレベルをあげるのにもっとも効率良いのも、
どのダンジョンに飛ばされるか判らない「コンテンツルーレット」で
一日一回のデイリー経験値ボーナスを積み重ねるのが最高となっています。
だからパーティメンバーが初心者だけ、ということはまず起こらない。
最初は右も左もわからない状態で放り込まれ
だんだん周囲がみえてきて
やがて他のプレイヤーへ不慣れなようす、
慣れているようでも、決して強いわけでも上手いわけでもなく、
知っているだけなのだ、ということを見てとれるようになると
ゲーム内能力値でなく、プレイヤーとして自分が成長した感が味わえるのです。


当然ダンジョンのつくりも「コンテンツファインダー」に合わせていて
1ダンジョンごと数体の中ボス、最奥に大ボス、道中雑魚敵が出現し、
慣れたプレイヤーだけでさくさく回って15分弱、
初心者を含むパーティがゆっくり隅々巡っても30分かからない規模のものが
何十と用意されています。
もちろん最初から全部に挑めるわけでなく、
お話進行の要所数時間ごとに配置され段階追って拡張されていく。
一度挑めるようになったダンジョンは、
いつでも何度でも、どこにいても挑戦できる。
宿屋の自分の部屋から一歩も出ずに
世界の逆側にあるダンジョンへとオンライン越しの誰かと共に挑んで、
また同じ部屋へ帰ってくる。


またお話を進めるのに必須ではない、挑戦用のコンテンツとして、
とりわけ強いボスが一体構えていてそれを倒すだけ、というものも多数あり。
こちらは難度によっては「大縄跳び」と称されるように
敵の攻撃パターンとその対応を全員がばっちり頭に叩き込んで
終始正確に立ち回ることが要求されるものも。
足を引っ張るひとがいるとみんなが迷惑してとってもギスギスします。
慣れたプレイヤーだけなら10分とかからず終わるのに、
駄目なひとを介助しながら何度も何度も全滅。30分たっても終わらない。
ボイスチャットがあるわけでもないのに画面越しに伝わる皆のいらだち。
ううむこれぞオンラインRPGの醍醐味。


苦労の果てに初挑戦者が動きを覚えてくれてなんとかクリアしたときの解放感。
皆が決まり文句しか挨拶せず、NPCのような動きしかしないゲームとは、
違う感慨があります。
レベルを上げたことで苦労していた敵を倒せるようになる気持ち良さ、だけが
RPGというゲームではない。
その場かぎりの即席パーティを組んで協力しながらダンジョン進む。
下手うって電源切って逃げたくなったり、
何度も足引っ張るひとに舌打ちしながら
罵倒コメント打つ手を押さえてやわらかく指摘してみたり、
たまに笑える失敗をしてしまって和やかな雰囲気になったりするところこそが
FF14』の面白さの核と言えましょう。


もちろんこれは『FF14』だけのものではありません。
アナログでもデジタルでも1人用ではないゲーム全てが持つ面白さ。
「コンテンツファインダー」、すなわちFF14の特長は
それをゲーム全体における割合で、
幅広い人に気軽に何度も繰り返し長い期間にわたって
楽しめるようにしているところです。
様々なクラス、武器種、職業、ジョブが用意されていて、
いろいろな戦い方で遊べる。
ジョブはタンク、アタッカー、ヒーラーの役割(Role)分担が
パーティ内の人数という形で明確にされている。
それぞれのジョブに育てやすさや一人旅での苦労差や戦闘での活躍度合に
差が大きくなく、どのバトルコンテンツでも、すべての職に活躍余地がある。
逆にこの職でなければならないという場面が極力抑えられている。
上手い人が一人二人いればなんとなかなるのではなく、
全員が役割を果たすことが必要だけれど、その敷居はそこまで高くない。
協力バトルもので、これらの塩梅を
新規要素を常に追加しつつも長期に渡り保ち続けることが
いかに難しいことかは、
みているだけのこちら側からも容易に察せられるところ。


RPGというのは、王様にダンジョン潜って敵を倒してこいと言われ
命知らずの冒険者が請け負って、潜って、
1人で無理そうならパーティ組んで、
一度で無理そうならダンジョン前に基地つくってそれが町になって、
何度も何度も大勢が繰り返し挑戦してついに最奥までたどり着く、
というつくりのお話です。
「コンテンツファインダー」は、大規模RPG
広大な世界、様々な民族、文化、景色、広がりある舞台が売りであるそれに
ごく小規模なRPGを繰り返し多数何度もという形を無理なく組み込んでいる。
その在り様こそが上手い。


ちなみにもちろん知り合いとパーティを組んで会話を交わしながら
ダンジョンを攻略したりフィールドを歩き回ってレベリングしたり
イベント進めたりも、もちろんできます。
したことないけれど。たぶんもちろんできるはず。
そういうの壁高いとおもってオンラインRPG、いやアクションも含め、
オンラインでチームを組み協力して遊ぶすべてのゲームを敬遠しているひとは
ゲームを遊ぶひとたちのなかでも相当の割合に及ぶと思いますが
FF14』も『ドラクエ10』も、それぞれの方法でその解決策を提示している。
FF14』は、対人対戦ゲームのマッチングのように、
その場かぎりのパーティを組ませて
適度に短く相応にクリアした手ごたえあるダンジョンに挑むことを
ゲームを進める主要課題として用意することで。
ドラクエ10』は他プレイヤーの育てたキャラクターを
NPCとしてどこへでも連れまわせることで。


そんなに感心するようなことか、アクションゲームを含めるなら
いくらでもあるというか当たり前では、とは言えるでしょうが
対人対戦やオンライン協力プレイのないRPGも、あるというのはなぜか。
FF14』はダンジョンアタックしている時間がすべてでなく、
お話進めたり装備整えたり各地をまわってお使いしたり景色ながめたり
1人用ゲームですることと同じことをする時間のほうがむしろ長い。
どちらもある。どちらにも違った価値、おもしろみや手ごたえがあって
どちらも遊ぶことが出来ることに価値がある。
それが大規模オンラインRPGというものなのでしょう。

 

 


これはどうかなあというところもあります。
高難度ボスとの戦いで動きを覚えておかなければ皆の足を引っ張る。
ということは、事前に情報調べて攻略動画みて予習しておけ、
という意見も当然でてくるわけです。
また普通のダンジョンでも予習しておかないと
なぜかいきなり全滅。なぜ全滅したのかわからない、
というような仕掛けが決して少なくない。
敵の攻撃の多くは予兆、これからこの範囲にこの攻撃がくるよ、
という情報提示があり
だから避けて、知っていて見ていれば確実に避けられるのだから
ダメージはすごく大きく、いきなり全滅するようなのもあるよ、
という作り。
いろいろな職業に意味持たせ、全員が万能職ではなく、
敵の攻撃を受ける役のタンク、主に回復を行うヒーラー、
ダメージ効率を追求するアタッカー、『FF14』ではDPSという名称ですが、
こららの役割分担を明確にすることで、各プレイヤーが
そのとき何をすればよいかをわかりやすくする。
そういうことと、知っていれば避けれれる、知らないと大ダメージ、
だから何度も挑戦して知って、
キャラクタ能力だけでなく、プレイヤー知識と操作スキルで
クリアできるようになって欲しい、というつくり。
方向性としてはぶれていないと思います。
手ごたえある、RPGでありながら自分が上手くなった感触味わえる戦闘で
ただレベルあげて殴るだけの作業とはまったく違う。
ドラクエ10』と比べ『FF14』のえらいひとが称賛される傾向なのもわかる。
ただ、手放しに誉めて良いのかというと疑問がある。
クリアしてもしなくても良いものと、クリアして欲しいものを
もっと明確にわけるべきなのではなかろうか。
7年たったものを半年遊んだだけだからズレもあるだろうけれども。

 


舞台背景の描写は「FF」らしいファンタジー、手間暇かかった壮大なもの。
PS3当時向けの7年前からの作品だけに粗もあるにせよ、
それぞれの地域が変化に富み写真にとって収めたくなる美しさを持っています。
FF7とか8とか10とか13とかでなく9とか12っぽいのが良い。偏見。
そこで暮らすひとたちも、まあ例によって売っているものに魅力はなく
頼まれるのはお使いばかりではあるのですが
極端にデフォルメ、縮尺を変えて表現されているとはいえ
世界の広がりを感じさせるし、
それぞれのミニクエストは、それなりにどれも
舞台背景に思い入れを持たせてくれる質のもの。


いっぽうで、主軸となるお話は、
7年たっても終わらない、
いつまでも終わってしまうことを求められない舞台世界というもので
まとまりのついたお話を展開するというのは難しい、と思わせます。
FF14』にも明確に敵と言える相手や勢力がいて
星の意志のもと「光の戦士」となって戦う立場であって
味方側にもいろいろあり、敵にもいろいろあり、
王様の命令でお姫様を助け出せばめでたしめでたしというだけのお話ではない。
現実にすっきり解決永遠に完結などという問題などは無いように
どこまでもどこまでも光と闇の戦いは続くのであって、
まあわかるし、工夫しているのも伝わるけれど、
いつまでも終わらないことが分かっているだけに、わりとどうでもよくなる。


新しい土地について新しい景色をみるのは楽しい。
サブイベントでお使いこなしてゲーム内の誰かが少し幸せになることは
手間をかけた甲斐と終わらせられた感慨を得られるのだけれども、
クリアしてもなんどもなんどでも再発生するイベントは
どんなにゲーム内の誰かが困っていようが手を出す気になれない。
FF14で言えば「F.A.T.E」。
街の外のフィールドでモンスター退治をするミニイベントだが
自分専用ではなく、パーティを組んでいなくても通りがかっただけでも
協力できるイベントのため、終わらせても一定時間たつと復活する。
自分の進行度合いに紐づいて発生したイベントではなく
世界そのものに発生しているイベントだから。だから永遠に解決しない。
モンスターに襲われているひとを助けても
またおなじひとがおなじ場所でおなじく襲われ、おなじ感謝のことばをつく。
街角に24時間立ち続けてサービス終了のその日まで同じ台詞を繰り返す。
キャラクターではない。背景景色。
そういうものだからと割り切ってみても寒々しい。


ゲーム内のデータを書き換えて、ゲーム内の誰かが不幸が拭われようが
経験値とお金で強くなろうが、現実として誰かが喜ぶわけではない。
自分が気持ちよくなるだけである。
そんなことになんの意味があるのか。ゲームを遊ぶってそういう自己満足なのだ。
だからこそ、手を出そうが出さなかろうが
変わらない終わらない話は、価値を持ちがたい。
ではどうすれば良いか。
大団円でお話完結して、
あとはなんのイベントも発生しない舞台でダンジョンに繰り返し潜っていて
それで満足できるのか。


現実はどこまでも続く。続いて欲しい。
自分がその世界に介在する時間は限られている。現実でもゲーム世界でも。
いつまでも続いて欲しい一方で、
きちんときれいに終わって気持ち良く離れさせても欲しい。
細く長く続くゲーム、遊びの、どれもが持つ課題で、
むしろ商売としてほどほどに失敗して、
きちんとサービス終了したゲームの方が美しいのかもしれない。
そこから得られる楽しさの総量は少なかったとしても。

 


FF14』は確かに良くできたゲームである。
ドラクエ10』も、すくなくもVer.2まではシリーズのなかでどれよりも面白く
遊ばずにシリーズを語るべからずという出来栄えだったが、
FF14』も「FF」シリーズの中でどれよりも面白かった。
なお『11』『15』は遊んでいないので除く。
『8』とか『10』とか『13』とか偏見フィルターが分厚く掛かって曇っている。
もとい、半年ににわたり熱心に長時間遊んだし、
いちおう現行Ver.4の最後まで遊びたいとおもっている。
もう半年かけるのかと思うといささか壁が高いけれども。


これはなぜなのだろうか。やはりオンラインならではの面白さなのだろうか。
しかし『ドラクエ10』はたいしてオンラインゲームとして遊んでいない。
FF14』でもコンテンツファインダー以外でパーティを組んでいない。
それでも染み込むほど、オンラインの力が強いのか、
単純にもっとも近くに遊んだゲームだから印象が強いだけなのか。


少なくとも『FF14』のコンテンツファインダーの面白さは
細く長く一日30分遊ぶゲームとして代えがたい。
メインは白魔道士で、みんなが頑張っているのを後ろから眺めるのが楽しい。
ミスしたDPSをいきかえらせてさしあげる時の生殺与奪握りたる感は
我ながら自身の小ささがおかしい。
タンクはだまっておれについてこい職。
道を間違えてもみんな何か理由があるのだろうとついてきてくれる。あわわ。
Bアライアンスも楽しい。24人の先陣切って突っ込む高揚感。
戦場の一番槍ってこういう感じだったのだろうか。
DPSはとっても忙しい。地面をみて攻撃避けつつ効率効率最高効率。つらい。
でもはた目からはすごいか駄目かよくわからない。きらく。


そこには一人用RPG、一人用アクションゲームにはない面白さがある。
それが一日30分、一日50円で、
ゲーム内でどこにても、お話の進行がどの段階でも、楽しめることが偉大だ。
そしてそれが1人でも遊べるRPGの中に無理なく、
ダンジョン潜る楽しみのために多くの部分が奉仕するほど全体を活かして、
組み込まれて成り立っている。
そこが『FF14』の面白さ、評価されるところと思う。

 

 

2020年を振り返って(あとがき)


今年もいろいろありました。
3月以降ゲーム販売店に一度も行っていないので世間にまったくうとい。
PS5が発売されたことは風のうわさで聞いておりますが
XBOXの最新版がなんという名称の機械なのか存じ上げないれべる。
今年の話題作もまったくわからない。


今年遊んだゲームは上であげたほかには『御城プロジェクトRE』くらい。
これも細く長く一日30分ゲーム。いや5分かな。週に1度1時間で毎日5分。
そういうゲームだからこそ続く。そういうゲームばかり遊ぶ。
そういうゲームで隙間時間を埋めて
一日ごとのゲーム遊んだ感を満たして一年が過ぎる。
本も読みたい、あれもしたいこれもしたい、
時間ができたらあそこへ行きたいあれもしたい。
ゲームについても、あれもそれもどれもかれもを遊んでみたいが、
一日の長さも一年の長さも変わらないので
そうしているだけでは時間ができようはずもなし。
たまに時間ができても、
新しいゲームにとりつく気力を奮い起こすのに大いに努力を必要とする。
積みゲームが山になっていく。


これが現状ではあるのですが、悪いとは思っていないのです。
遊びたいゲームがある。毎日少ない時間でも遊んで楽しんでいる。
来年2021年も、そういう平和な毎日をすごしていきたい。
もちろん時間にゆとりがあって、
いろいろなゲームに手を出してもみたいけれども。
新しいゲームを遊びたい。昔のゲームを遊び返したいとはあまり思わない。
細く長く、コーエーですら『三国志』をこまめにVer.UPするご時世。
常に新しくより良く、ゲームは昔よりずっときれいに、
おおむね遊びやすく前に進んでいると感じている。
新しいものが出難くはなっているのかもしれないけれども。


2020年も終わりです。
2021年、平穏な良い年でありますように。
良い年をお迎えください。また来年。

 

 

 

ファイアーエムブレム 風花雪月


ファイアーエムブレム 風花雪月 -Switch (『TCGファイアーエムブレム0』限定カード「士官学校の新任教師ベレト」 同梱)


30年間で17作品も発売されている定番SRPGファイアーエムブレム』シリーズ。
四角マス目に区切られた戦場で部隊を指揮して戦争するゲーム。
各隊は兵種でなく率いるキャラクタの能力として表現され、
戦場経験によるレベルアップで強化。
キャラクタ間の友好度などの関連性も育てる必要があるが、
逆に補給や生産の概念はほぼない、という枠組みはおおむね30年変わらずあり、
最新作を遊んも、いまだにこのままなのか、と感慨深い作品。

 

といいつつ系譜見返したら遊んだのはGC蒼炎の軌跡』以来、
数えて実に15年ぶりであった。
15年か。15年。
15年ですよ奥様。
あらやだおたくのお子さんたらちょっとみないうちに大きくなっちゃって
あっという間ね月日の経つのは早いわねえ。
いやはやわれながら何十年ゲームを遊んでいることか。
なお「『Fire Emblem』は「ヤー」でもなく「エン」でもない」は
この15年、流石に定着した気がする。
それだけ「エムブレム」もあたりまえ化したと言えるのか。
ネットの一局面だけの見方にしても。

 

で、なぜそれほど間が空いたのかといえば特に理由はなく、
しいて「エムブレム」をその間に遊ぶ気が起きなかったからである。
あるいは2001年『ティアリングサーガ』2002年『封印の剣』2003年『烈火の剣
2004年『聖魔の光石』2005年『蒼炎の軌跡』『ベルウィックサーガ』と
シリーズ作品が当時発売され過ぎた反動かもしれない。
もちろん全部を遊んだわけでもないのだが視界には入り食傷するわけで、
短期間に飽和するほど集中させれば良いというものでもないのは
違くはないとは思う。
ついでに言うと2004年に『ゲームボーイウォーズアドバンス1+2』、
2005年に『ファミコンウォーズDS』が出ており、
このあたりのインテリジェントシステムズ大攻勢はなんなんだと今みて思う。
なお『突撃!ファミコンウォーズ』はもちろん別物である。
『ティアリング』『ベルウィック』はもちろん同類である。

 

というわけで、何しろ15年ぶりであり
さらに正直『ティアリング』『烈火』『蒼炎』あたりがごっちゃになっていて
記憶あいまいな気持ちで遊んだのだが、
中身はほんとうに昔の「エムブレム」。
あのころの印象と変わっていない。
自軍が全ユニットを動かした後に敵軍が全ユニットを動かすという完全交代制。
現実味とか戦術的なゲーム性などという概念など知らぬと言わんばかりの
極端過ぎる仕組もそのまま。


もちろん、この昔のままであるところは、
あえて選んでそうしている本シリーズの個性なのだろう。
それでも面白いのだ。何十年前ままの「ゲーム性」でも
「エムブレム」という「ゲーム」は現在も通用するのだと。
実際のところ、他の「SRPG」に属するゲームがあたりに殆どみられないなかで
ひとり「エムブレム」だけが通用し続けているようにみられるのは、
今に至る選択が正しいひとつの証左なのだろう。

 

 


本作のタイトルは「花鳥風月」ではなく「風花雪月」。
あえて捻ったことに深淵な意図があるのかもしれないが不明。
鳥でなく雪。タカラヅカの組み分けか中華風なのか。不明である。

 

上に書いた通り15年開いているので近作との違いはさっぱりわからないが、
15年前との違いで言うと、遊びやすさはかなり変化している。
戦場は全体傾向として明らかに適度に狭くなり、出撃部隊数も絞られていて
1戦闘あたりに掛かる時間は大きく減っている。
回数制限はあるが「待った」が有り、
何より戦闘中に倒れても死亡扱いにならないモードも用意されている。
戦闘中の指示においても、1人ずつの行動を決定する前に
どこに移動させることでどの敵が誰に攻撃するかが明示される。
時を止められるどころか未来視できて時間も戻せる。
相手にしてみればこれでどうやって勝てとな圧倒的強さ差。


いずれもゲーム進行速度を大きく改善させており
ワンミスリセットのあのころは隔世の感。
ノーマル難度はぬるぬるも良いところで
誰にでも投げ出さず最後まで遊んでほしいという心地の粋。
とことん気軽に遊べるよう均らされている。
特に、このゲームで戦闘不能になっても良いということは
特攻しても最後の一人がボス敵を倒せれば良いわけなので
逆にボス敵の破天荒な強さが表現できそうで
まったく異なるゲームにもかえられそうだが、現状は中途半端。
思い切って従来の死んだら終わりは無くしても良かったのでは。
どうせ「待った」するのだし、したいひとは自分で縛れば良いのだし。
そこまでは「エムブレム」でなくは出来なかったか。
それでも、リセットして頭からやり直すことが「エムブレム」なのだ、
という枠から抜け出したのは驚きを覚える。


例えばレベルアップ時の能力値成長がランダムであるのは
そのまま残されているのを見ても、
製作者がどれを「エムブレム」として残すべきか判断の上で
選択しているのは見て取れる。
これらの変化は、いずれもあたりまえのかくあるべき変化で改善と、
簡単に決めつけることはできない。
あまりに容易に解けるSRPGにゲームとしての面白さなどないからだ。
話の続きを、キャラクタたちの活躍をもっと見続けていたいが
SRPG部分でつまづきたくないひとたちにも遊び続けてもらいながら、
「エムブレム」の面白さをどう訴求するか。
「エムブレム」らしさ、そのゲームとしてどこが面白いのかと
より広いひとたちに向け楽しんでもらえるゲームとしての広さとを
比べ合わせて変わってきたものなのだろう。
何が正解かは難しいが、そういうものだからそうなのだと
無思慮に続いてきたわけではないことが
現在まで続いてきた結果につながっている。

 


SRPGのゲームとしての面白さは、単純に言えば「詰将棋」のようなパズルだ。
それを与えられた情報から正しいとされる手順をより多く選べたほど
高い報酬が得られるゲームとして展開する。
そして対人対戦戦争シミュレーションボードゲームでなく
対コンピュータの1人用テレビビデオゲームであるからには
上手く操作することが良い評価に結び付くゲームでなければならない。
SRPGで言えば、敵軍と自軍の強さ差だ。
適度に強い敵、手加減されていると感じない程度の難しさの壁を、
あっさりではなく、情報を吟味し用意された手段を尽くせば、
なんとなかりそうでなんとかなる程度の試行で乗り越えられる強さの差。
理想と現実をの差をこのあたまで判断しこの指で操作して埋められる快感。
それが「SRPG」、「ファイアーエムブレム」だ。


その実現すべき面白さを、ゲームとしてどのように実現するか。
どれだけの情報をどのときに与えるのが、
公平であると信じさせ適度な手ごたえと感じさせることが出来るか。
攻撃は何回のうち何回外れることがばらつきとして納得され得、
クリティカルはどの割合で発生することが安定性を対価とした歓びとなるか。
そしてそれらは部隊の配置や戦場に至るまでの準備で何がどれくらい補えるか。
それぞれのゲームの仕組みごとに適度さの範囲は異なり
絶対の正解は遊ぶ相手により異なる。
同じ難度を同じ人間が遊んでも、情報の理解度合すなわち見えている範囲で
感じようは如何にも異なる。
相手の様々な段階に合わせた適度さは出来得る限り高精度に越したことはないが
そこに手間を掛けた度合がゲームの面白味に比例するわけでもない。


結局、多くのひとに興味をもってもらう間口の広さ、
最後までほとんどのひとが到達できてかつ、お話としての感慨だけでなく
ゲームとしての解いた感触を苦労に見合うより多く与えられているかという
結果だけがすべてだ。
手段はどうでも良いのだ。
「エムブレム」というゲームである必要はないのだ。
好きなキャラクタが活躍する心躍るお話こそがまず求められるのだ。
それがSRPGというゲームなのであり、面白さである。

 


もうひとつ大きく変わっているのが、
これは本作からの大きな売りであるようだが、
成長させる仕組みが戦闘経験値でのレベルアップによる職変更だけでなく、
士官学校での教育で、各人技能を成長させていく形になっている点。
お話は月毎に章立てされて月末に固定強制戦闘があり、
それに向けて学校で仲間と会話して仲を深め、雑魚戦闘で経験値とお金を稼ぎ、
それぞれの個性に合わせどの職に成長させるか先を見据えて技能を育てていく。
仲間との友好さがお話としては重要でも
ゲームとしてはそこまで重要にはできないところまで
まさに『3』以降の「ペルソナ」シリーズのそれ。
ガワを変えれば戦闘が「エムブレム」な「ペルソナ」最新作で通ずる作り。
ペルソナ3』がそれだけSRPG規格において画期的に優れていたというべきか、
それを取り込めた「エムブレム」が良くしたりというべきなのか。


パッケージにもある通り赤青黄色の3クラスが用意されていて、
冒頭で主人公がどのクラスの担任になるかを決め
以降そのクラスの生徒を仲間としてお話が展開していく。
それぞれのクラスは「エムブレム」伝統に従い
各国お偉方御子息で占められているから
必然やがてかつての学友と三国間戦争勃発して盛り上がるわけ。
三周して全貌が見えるのは『烈火の剣』のようであり
生徒たちの成長が描かれるのは『聖戦の系譜』を思わせ
主人公の立ち位置は『蒼炎の軌跡』を思い起こさせる。
なんでお坊ちゃまお嬢ちゃまが先頭に立って戦闘してるのか、
リアルリアリティが壊れているとか言ってはいけない
そういうものである。お客がそういうのを求めているから商品は在るのだ。
現実的な容姿で現実的な性能の有象無象が華々しくない泥沼戦争する現実と
どちらが見ていて操作していて楽しいか。当然の帰結である。


絶好調任天堂ブランドだけあって予算の潤沢さを感じさせ
戦闘前後のイベントはもちろん、
街中でのちょっとした仲間たちとの会話にも、きちんと音声が振られている。
アニメシーンの出来と言い、『新サクラ大戦』と比較して
母体活力の異なりを察しずにはおれない。
見た目の映え良さにしても
昔日「エムブレム」の美男子キャラにおける輪郭のぐにゃぐにゃ感を思えば
任天堂もここまできたかと思わず涙。
基本無課金でキャタクタ入手に課金させているシリーズに何を今更ではあるが。
『風花雪月』にどうこういうより『ファイアーエムブレム ヒーローズ』で
任天堂がどれだけ儲けているかいないのかに
焦点を当てるべきなんだなのかもしれないが、
その手のゲームに課金するひとの心境をいささかも理解できないので資格なし。
本作の仲間たちの名前も音声付きなのにかいもく覚えられない。向いていない。
三周したのにどういうお話だったかもう覚えていない。
顔絵と性能はいいかげん一致するようになったけれども。

 

 

さて、『風花雪月』の出来栄えなのだが、
レベル一定に達したところで職業変更するしかないので
レベルアップ毎の能力上昇値を吟味するという旧態依然から、
戦闘を経ずとも一定技能に達することで各職につくことができ
それぞれの職変更は戦闘前にに自由に行え、
職業ごとに能力上昇傾向があるので、
キャラクタの個性と全員の得意分野の凹凸を見定めて
長所を伸ばし短所を潰すべく様々な職を経由させて成長させていく、
という仕組みは、面倒だし目新しくも何もないけれど、昔よりは良いと思う。


もっとも問題なのはノーマル難度が簡単すぎることではなかろうか。
赤青黄色の三周が前提としてあるといっても
昨今の据え置きゲームに当然求められる性能として一周は40時間程度掛かる。
最初の10時間はノーマルでも良いだろう。
しかし中盤からだれる。途中で難度変更できないのだ。簡単すぎるのだ。
ユニット性能情報をまったくみなくとも
一群となって進軍し囲んでぼこればどうにでもなる。
また戦場を狭くし出撃人数を限り
一戦ごとの負担を軽くするため戦場展開で起こるイベントを単純にしたことで
この大勢で1人を囲むがどこでも通用してしまう。
一戦ごとが軽くなったのは良い。
誰にでもとっつきやすいよう簡単にしたのも良い。
しかしこれではSRPGとしての面白さに気付かないまま
お話の気に入る入らないだけで味わわれてしまうのではなかろうか。
ノーマルだけで遊び終えたひとのどれだけが計略をボス以外に使ったことか。


基本的なところは流石によくできている。
SRPGという単純に完成した仕組をきちんと磨き上げている。
どの職業にもキャラクタにも武器にもアイテムにも使いどころがあり
英雄物語のSRPGにおける再現度合として文句のない仕上がりだ。
いまだにこれなのか、と思い
いまでもこのままのか、と思うが
それでもこれでも良いのだ、これが『ファイアーエムブレム』だと納得できる。

 


SRPGというものをかつて、
広く容易に様々なキャラクターバトルものを再現できる仕組である、と
勝手に判断していたが
現実には広く容易にSRPGが市場に遍在しているようには思われない。
結局それは、
15年ほど前のSRPG群がすでにおおよそ出来上がっていたからであり
あとは内に籠って他との違いを練磨していくしかなかったからなのか。
それともいまだにこのまま、新しい物が産み出せていないだけなのか。
SRPGという分類の中にある必要がないだけなのか。


ファイアーエムブレム』がSRPGである必要はないのだ。
時代に合わせ周りに合わせ商品として求められる形に変わって
しかし面白ければそれで良いのである。
今のところいまだに「エムブレム」はSRPGだが
果たして15年後、30年後はどうなっているか。
そう、そのころもまだ、任天堂も『ファイアーエムブレム』もあるのだろうし。