ジオラマシミュレートパノラマゲーム/『蒼天の白き神の座』


・『シーマン』(ASIN:B00005RIWF)で知られるビバリウムhttp://www.vivarium.co.jp/)の
 高層ビルSLG『タワー』シリーズ(ASIN:B0007XQ3YM)。
 (参照;Nintendo iNSIDE Developer's Profile http://www.nintendo-inside.jp/special/developer/10014.html

・『大玉』(http://www.nintendo.co.jp/n10/nwt/gcsoft/ohdama/)の
 開発資金稼ぎなのか何であるのか
 今年4月に任天堂からGBA版が発売されたわけですが
 隔靴掻痒面白くない。

・時間早送りが面倒などの細かい点以上に、携帯機の小さい画面が無理あり過ぎです。
 ビル全体を一望にできなければ、意味がないとは申しませんが
 いかがなものかといいたくなりけるかも。


・『タワー』は最初に与えられた資金をもとに
 一つの土地にビルを建て、賃料で資金を稼ぎ、階を増築して
 さらに高く高くビルを大きくしていくSLG

・エレベーターを導線としたテナント配置のコントロール、それが考えどころで
 逆に言えば後は見ているだけ。
 ビル住人たちの細かな不平不満に対処しながらその日夜の活動を眺め
 それを見ていること眺めていること、愛でていることが楽しいゲーム。


・一方で、SLGとしては底が浅すぎ簡単すぎて面白くない。
 どうすればより良く上手く稼げて早く大きくできるか、を目標とするゲームとするならば
 その答えが解りやすすぎ簡単すぎるゲームともいえます。



・前回『蒼天の白き神の座』は攻略本など必要のない簡単なゲーム、と書きました。
 けれどwebをいろいろ見てみる(google:蒼天の白き神の座)と
 どこも難しいと感じ書かれているようです。

・ということで今回のお題。
 その違いは何か。
 SLGの難易度。それはどのようなものか。





・'93年の『タワー』の前にあるのが'89年『シムシティ』。
 言わずと知れた都市育成SLGの傑作。
 SFC任天堂アレンジ版が知られていますけれども
 PCの時点で既に完成されていた素晴らしいゲームです。 

・『シムシティ』を起点として、複雑にして煩雑になったその続編。
 一方でピーター・モリニュー路線『ポピュラス』から『テーマパーク』『ブラック&ホワイト』。

・そして日本国内にもPC市場にアートディンクhttp://www.artdink.co.jp/)が発売した
 『A列車で行こう』があります。
 シリーズ1作目は'85年。ほぼ現在の形となった『3』が'90年です。
 参考;「ZEROHOUR」(http://www.din.or.jp/~delsol/info/)内
     A列車で行こうとは? http://www.din.or.jp/~delsol/a2001/1000.html


・『A列車』は『タワー』とよく似ています。
 鉄道を導線として、定められたマップに与えられた資金をやりくりしながら
 都市を開発し広げて大きくしていくゲーム。

・エレベーターの動きの再現に悩んだという、
 『タワー』開発時の斉藤由多加さんによる逸話は
 その内容のなさの割りに不自然なほど有名ですけれども
 こちらはより複雑な列車網。
 けれどエレベーターマニアはタイトーにしかいなくとも
 鉄道マニアは、それはもう濃いかたがたくさんいて不自然なほどに、
 いや当の方々には当然でしょうけれども、その原理は緻密に解析されています。


・ひとつのタワーを輪切りにしたゲームと、ひとつの都市を俯瞰するゲーム。
 明らかに後者のほうが広がりがあり、面白そうですがけれど
 規模が大きくなるほどそれを再現するのも、また難しい。 

Google マップhttp://maps.google.co.jp/)で小さい地方都市ひとつを眺めてみても
 そこには山々に影に、張り付くようにして無数の人たちとその生活があって
 それをひとつに、抽象化記号化、ジオラマにしてゲームマップに再現し
 そしてそこにゲーム原理を動かすのは大抵ではありません。


・それを見事成し遂げたのが『シムシティ』のやりかた。
 ブロックごとに都市を管理して、周囲への影響のみを照合する。
 鉄道も道路もつながっていなくとも良い。
 インフラストラクチャーは電気のみとする。

・思い切った割り切りを持って辛うじて
 現実の複雑怪奇なる「都市」という生き物をシミュレートし
 そしてゲームとして楽しめるようにつくりあげられています。


・その観点で見ると『A列車』は実に優れたゲームです。
 線路をつなげ、駅を設け、様々な列車をダイヤを組んで走らせてなお
 都市SLGとしても成立している。

・町の発展に関わる影響は駅のみとする。
 何にでも使える「資材」を「工場」から鉄道網で運搬することだけがインフラと割り切る。
 同時に駅と駅との輸送による人の流れが収入源となり、都市を廻し発展させる。

・『A列車3』は、パズルゲームであった『A1』から『シムシティ1』をうまく土台として
 鉄道網を自在に引き、そしてそれを眺めているだけで楽しい、
 ジオラマゲームとして成立している傑作です。



・『A列車』も『タワー』も『シムシティ』も、見ているだけで面白く
 自由自在に自らの掌中で都市を自在に作り上げることができるから面白い。

・より早くより大きく発展させることは、ゲームの答えであっても目的ではない。
 最初に配置されていた緑地をいかにいかして景観に優れた都市とするか。
 鉄道ダイヤグラムは利益効率ではなくて、より複雑玄妙であることに価値がある。

・盆栽ゲーム。ジオラマゲーム。
 その価値は大きさでなく「かたちのうつくしさ」にあるのです。



こち亀で「盆栽ゲーム」が描かれていたのが'94年。
 (参照;こち亀データベース http://www.maxaydar.net/kame/episode/86-90.html#90-5
 技術的には充分可能でありましょうから、アートディンクはこのあたりを狙っては如何。
 盆栽だけではマンネリなので、庭園シミュレーターとして
 品評会とからめ、賞金で資金のやりくりをするとか。地味に面白いかも。





・『シムシティ』の2作目『シムシティ2000』、『A列車4』以降。
 リアルに緻密により現実に近く、と発展していった先。
 それは確かに実際の「都市」により似たものとなっていきましたが
 けれどゲーム、SLGではなくなっていきました。

・『エースコンバット』ではなく「フライトシミュレーター」。
 どこまでもリアルにできるしマトリックスまで果てしなく際限ないけれども
 要は、それで面白いかどうかです。


・難しくては駄目。自由に思い通りに意のままにならなければならない。
 けれどただ配置するだけ、マップコンストラクション機能をもてあそんでも空しいだけ。
 模型雑誌を見、模型屋に日参してジオラマを作り上げた情熱は
 それが仮想でも容易に出来るならば価値を持てなくなってしまう。
 眺めているだけで楽しい、ということは、自ら創り上げてこそ現実に勝るのです。


SLGはゲームとしてどうあるべきか。
 現実を夢見る程度にリアルであり
 ひとという無能な存在でも全能の破壊創造神として君臨できる程度に単純であること。 
 そのバランスがSLG、シミュレーション・ゲームの難易度です。



・では『蒼天の白き神の座』はどうか。
 シミュレーターとしてどうか。ゲームとしてどうか。 
 難しいとは何が難しいのか。


・『蒼天』は7,000m超の高山登シミュレーションゲーム
 プレイヤーは登山チームのリーダーとして全員に指揮を執ります。
 最大25人のメンバーをいくつかのパーティにわけ
 ルート探索、登山道工作、キャンプ整備を分担し繰り返して登っていく。
 強風による滑落、落石による負傷、高高度障害と凍傷。
 様々なアクシデントに迅速に対処しながら
 事に置いては臨機応変五里霧前人未到の境地を征く。


・実際の登山がどのようなものかは、体験記やテレビカメラを通してしか知らない世界。
 どの程度に現実なのかは判りません。
 けれどゲームとしては実に良くできています。

・コントローラーを通しては、登山の苦痛は伝わりはしないけれど
 計画と対処を誤れば、自分の責で、隊員達は山に命を落としていきます。
 登頂に成功、全員の無事帰還を果たせば、栄誉のみを得る隊員以上に
 プレイヤーは自己に満足を得ることができる。
 ゲームの中だけの世界。そこに在らず味わわずただ絶対の命令を出す神としての喜び。
 それを感じることができる。

・上手いです。他に類のないことを差し引いても間違いなく名作と言える作品。
 仮想の登山というシミュレートゲームとして目的どおり楽しめます。



シミュレーションゲームとは、現実を範に取ったゲームです。
 ゲームであること。現実をゲームにすること。
 それはルールを決めて勝負をする形式を用いる、あるいは転用するやりかたです。


・実際にあるものを、そのままゲームにするのではなく
 より単純化し、分りやすくし、結果の差異を明確にして白黒はっきりつける。

・「きまりによる単純化」。
 基底には数学、実際には計算機、すなわちコンピューターという
 文句の付けにくい「きまり」と
 その導かれる結果のゼロかイチか、白か黒かの「単純さ」。

・その仕組みを使って、現実を模倣するのがシミュレート。
 そのルールを使って、現実に勝負するのがゲーム。  


・それが難しいかどうかということは
 問題にルールのもと答えを求める過程についてのこと。

・例えば
 STGやアクションの答え、より良い成績でエンディングにたどり着くことは
 その問題について知っていることと同じく
 そのルールを知っているほどにも簡単になる。
 敵の攻撃手段と配置とアイテムパターンを知っているかどうかと
 「めくり」「切り返し」「ランク調整」を知っているかどうか。

アドベンチャーゲームはとくにそれが「お約束」として明確にあります。
 『ゼルダ』ではそのダンジョンで見つけたアイテムが先に進む手段である。
 製作者の考えを推理するよりコマンド総当りのほうが効率的である。


・難しいかどうかは
 ゲームにとってはそのルールを知っているかどうかによるものがそのひとつである。 
 ゲームにとってだけでなく現実もそうであり
 そしてすべからくSLGでも同様です。

・『シムシティ』は必ず50万人の手前で人工増加が止まるようにできている。
 『A列車』は運賃すなわち駅の直線距離であり、だからできるだけ駅間を離すほど効率良い。
 ルールを知っていれば、答えに容易にたどり着ける。



・『蒼天』は簡単なゲームです。
 勝利条件と敗北条件を考える。何が勝ちで、何が負けか。そのためにできることは何か。
 きまりのなかで、できることのなかで、どうすれば勝てるのかの答え。

・とりえる方法は多くない。
 難しいのは失敗がサイコロ判定で起こり絶対に防ぐ方法がないから。
 防げないならば、どうやって起こる確率、そして損害を抑えるか。

・都市育成SLGほど世界は大きくなく、やりかたの自由は広くなく
 底が浅く、だから簡単である。
 『タワー』も同じようにいえるでしょう。
 対象となる世界が狭いほど自由が狭く、方法が狭く選択肢が狭いので答えは簡単。
 


・簡単。底が浅い。
 けれどこれらゲームの目的は何か。
 答えを誰よりも速く見つけて勝利することではありません。
 自ら、自分だけの世界を自由に創ること。それを眺め見て愛でて楽しむこと。
 簡単であることは、シミュレートする楽しみには必ずしも負の要素ではない。
 難しくすること複雑にすることは目的に果たして沿っているのか。


・だから『蒼天の白き神の座』もまた、ゲームとして簡単であるけれど、だからこそ
 世界最高峰から下界のパノラマを眺めることに目的のあるゲームとして
 優れたSLGと言えるのです。