オクトパストラベラー2


英語表記は『OCTOPATH TRAVELER』。
「蛸」の「Octopus」ではなく
ラテン語で「8」の「Octo」と、英語の「PATH」で「8人8通りの旅人」。
2023年2月発売のスクウェア・エニックス印のRPG
共同開発はアクワイア。大分久かたぶりに聞く名前である。
『2』なので『1』も出ており、こちらは2018年7月発売。
『1』の海外版は任天堂販売で、ゆえにかPSでは発売されておらず、
スイッチとPC(Xbox系含む)版のみ。『2』は一通り発売されている。
『1』はなんとなく機会がなく遊んでいないのだが、
『2』を遊んだ感じでは、たぶん『1』とつながっている要素はない感じであった。
おそらく神様の設定とかジョブとかアビリティとかアイテム名とかは共通しているが
キャラクターとか舞台となる地方名とかは別物という方式なのだと思われる。たぶん。

 

スクエニ側の制作陣は『ブレイブリーデフォルト』を作ったチームらしい。
PS4やスイッチ発売のRPGでありながら
みためがドット絵、いわゆる「あのころの古き良き」というやつ。
本作は特に「HD-2D」(えいちでぃーつーでぃ)との看板つき。
「High Definition(高精細)で描かれた二次元」。
その名のとおりキャラクタもマップもドット調なのだが、
演出時たまに斜めにカメラが寄ることもあり、
実際はふつうに作っているものを
あえて2次元なみために整えているだけであろうことがわかる。
もちろん現在周囲のゲームソフトとの対比において求められる程度のふつうさであり、
あのころと比較してはっきり高精細に作られているのだとは思われる。
30年くらい前のゲーム機で見られたようなゲームのみためを
現在のディスプレイの細かさで表現するとこれくらいのきれいさに成る、
そのあえて感が売りとなっているというもので、
30年前の作品が印象ではなく実際どんな感じで描写されていたかなど
覚えていないし隣に並べてみなければ比較しようもないというのが実際のところだが、
うろ覚えで朧げな印象としてはなるほど、
スーパーファミコンからPS1くらいのころにスクウェアエニックスが出していた
ドラクエ5~7』『FF4~6』『ロマサガ』『サガフロ』のころを思わせるみためである。


ブレイブリーデフォルト』も2012年の作品なので
実はそこに年代的大きな断絶があるわけではないのであり
「あのころの古き良き」というのは今に始まったことではなく
当時でもあったし古代人間文明の曙からあった概念なのではと思わないでもないが
ビデオゲームの場合は少なくとも40年以上は遡れないので
今は一応それなりの看板に偽りなし感をなんとか確保できているのかもしれない。
現在でもこのみためでゲームを作っても
購入費に見合わない手抜き製作と多くの主要購買層たちには感じられず
「HD-2D」とブランド名付けて受け入れられる程度に、ある種の新鮮さとして、
差別化されたみための良さを受け取る側が需要するというのは面白いところではある。

 


単にみためだけでなくゲームとしても30年前のものを思わせる作りになっている。
2Dではあるが世界がフィールドマップという一枚の平面に描かれているわけではなく
街と、街と街を結ぶ平野や森や荒野をいく街道と海と、
建物や地下洞窟による迷宮と等で構成されており
それぞれは手前上空から俯瞰した斜め平面で表現されている。
自分では視点を変えてて斜めや横や後ろから見たりはできないので
画面のなかのキャラクターには目の前に見えているのに
画面のそとのこちらにはみえていない世界が膨大に存在する。宝箱とか隠れ通路とか。
街と街を結ぶ街道はもちろん街中の建物配置も方形きれいに収まるよう
造形されていないために
見落としが無いか通れないかどうかをあらゆる地形の端でごんごんぶつかりながら
すみずみくまなく確かめなければならない仕様である。
ちなみに私は薬師ギルドにかなり長時間気が付きませんでした……
祠と同じ地区にあるはずだと橋と街の間はなんどかいったりきたりしたのだが
街の手前にあるとはこのリハクの節穴をもってしても気づかなんだなのである。
実際トロフィーの獲得状況を見るにどうもまだ発見できず
行けていない場所があるようであるが、まあクリアできたから問題ないよね、うん。
今更全マップを探し直すとかめんどいわ。


一度到達した街へは無料無コストで即移動できるので
街と街を結ぶ道は一度通れば十分な片道通過の「ダンジョン」ではあるのだが
実際はその窮屈さや理不尽に制限されている印象をさほどこちらに感じさせず、
広がりが在る舞台世界のそれぞれの地域を旅している印象を
2Dでありながら感じさせてくれる。
ロードは早い方が良いのと同じく、景色はきれいであるに越したことはない。
2Dではあってもそれぞれの道々に、時に足を止め眺めるに足る、
みためのきれいさを備え得た質を確保できているからであるが
安易に「あのころの」を再現する際に、現在においても通じるみためのよさを
街と街との移動においても確保するにはどのような方式が良いかの選択に
間違いが無かったからでもある。

 


戦闘は『ブレイブリー』シリーズをより発展させたものになっている。
ターンが回ってくるごとにポイントが得られ、
行動ごとにそのポイントを最大4つまで、使用するか任意で選択できる。
ポイントを使う量に応じて基本攻撃の回数や各種スキルの効果量が増大する。
中盤以降のボス戦ではポイントを使わない攻撃ではダメージがあまり入らなくなるので
弱点を狙った素攻撃で敵のバリアを削ってダウンを奪ったところで
一気に強力スキルにポイント注いで大ダメージを狙うのが定式。
従前からあった「溜め」を、よりRPGの緩急ありかつシャキシャキした展開向けに
実用的に改善したもので、『ブレイブリーデフォルト』における発明である。
『ブレイブリー』では「デフォルト」という防御を兼ねた溜めが必要だったが
『オクトパス』では溜めに割くターンは一切なくなり、
より流れを滞らせない能動的で攻撃向きな方式に改変されている。
また作品名通り8人の自軍キャラクタがいるわけだが
彼らの8種8通りの能力値の差別化と、彼らが素で持つ能力のさらに上に
ジョブとアビリティによる強化要素を場面ごとに合わせて組合せる仕組みも
『ブレイブリー』から10年経って、いや「あのころ」から20年30年を経て洗練され、
工夫のし甲斐があるものになっている。
雑魚戦では上手くジョブとアビリティを組み合わせれば
多くの敵を1ターンノーダメージで倒せるようになるし
ボス戦では敵の弱点を効率よくみきわめつつ攻撃パターンを想定しながら
手持ちのジョブとアビリティとアクセサリの組み合わせる楽しみがあり
力づくでもなんとかなるし、
上手くやればもっと簡単にクリアできるだろう手ごたえが
しっかりと感じられるつくりになっている。

 

また8人の主人公たちが持つ戦闘に関係しない能力も
『オクトパストラベラー』におけるおおきな発明のように思われる。
それぞれがその職能に合わせた「フィールドコマンド」、
名前通り戦闘中以外の街中でも使用できる能力を持っており
街で暮らしているキャラクターたちにたいして
「探る」「買収」などで話しかけるだけでは得られない情報を入手できたり
彼らが持つ店売りしていないものもあるアイテムを「買取る」「盗む」で獲得できたり
「誘惑」や「雇う」で戦闘を手伝ってもらえたり別の街へ連れまわせたりする。
例えばある街で「蛸の研究をしたいがお金が無い」というキャラクターのもとへ
別の街にいる「蛸に興味のあるお金持ち」を連れて行くことで、
ひとつのサブクエストが解決したりするわけである。


どこそこへいって敵を倒してアイテム貰ってきてという「おつかい」イベントに対し
その手段が各キャラクタの個性に沿った行動に拠る事で解決できるというのは
こちらに納得さ、誰でもできる作業ではなく能動的に手段を自身が選び採ったことで
解いた感触がしかと得られる点で、明快に勝る。
またこれが生業が商人であるから「買取り」で相手を納得させる値付けができ、
高レベルの踊子であるからこそアイテムを自主的に手放させる
「おねだり」に見合う魅力があるのだと納得できるのであり、
個々のキャラクタ性を戦闘における能力値、イベントにおける発言だけでなく
演出できるという面でも優れている。
戦闘以外にもそのキャラクタである意味を持たせることが出来るという点で
多くのRPGが範とすべき優れた仕組みと言えるだろう。

 


8人いる主人公たちから誰か1人を選ぶことで物語が始まり、
最初に選んだ1人は終盤までパーティから外すことはできず、
他の7人を仲間にするかたちで進んでいく。
過去作品の「あのころ」の例でいえば『ロマサガ3』がもっとも近いが、
仲間にする際に、最初に選んだ1人と同じく他の7人にも平等同等にある
1人でクリアしなければならない導入イベントを回想の形で遊ぶことが出来るので、
8人分の個別ルートを「さいしょからはじめ」て見て回る手間はない。
各キャラクタには旅立つそれぞれの目的があり、それを追っているうちに
やがて共通する強大な敵の影が明らかになって、最後一致団結それを撃ち倒すのだが
誰からでも始められどの順番で誰を仲間にしても良いように作られているためか
8人揃ったことで初めて進行する共通ルートがほとんどないところが、
おそらく『1』にも共通した、本作のお話の大きな特徴だろう。
各キャラクターのお話に他のキャラクターは基本的にからんでこない。
もちろん1人ではまったく敵を倒せないので殆どのお話は8人揃った状態で進むのだが
誰と誰が協力することで解決するというつくりのものが例外的にしかないのである。
戦闘の戦力としてしか協力しないのである。
いわばほとんどのイベントは『サガフロ1』形式で進む。


8人もいるだけあって、各キャラクタのキャラクタを
遊ぶこちら側が印象として受け取るまでの段階はかなり入りづらいとは言えるが
ロマサガ』に比べて各キャラクタをじっくり専用のお話で立たせられるとも言えるし
ふつうのRPGに比べて主人公以外の仲間キャラクタにも
主人公とまったくおなじだけの活躍舞台が用意されているとも言える。
また各キャラクタが主人公にしても問題のないキャラクタであっても良いので
シナリオが無理なく立てやすいとも言えるだろう。
もちろん従となるキャラクタがいないことでの物足りなさもあるだろうし
8人とはいわずとも、5人6人7人いることにで在るはずの彼らの会話や、
いることいないことで物語の進行において起こり起こらないはずの変化が
一切描かれない不自然さも当然にある。
AIによりあらゆる場合の会話テキストデータを生成させて
シナリオライター、いやさ世界観統括責任部門が精査するという形式で
この解消が図られる日がいつか来るのこともあるのかもしれないが、
それはそれですべてのイベントをみたい体験したい、世界のすべてを把握したいという
遊ぶ側の欲求は絶対的に不可能になりかねないという側面もああって、
どういう形が複数主人公もの物語における理想の出力形式なのか、
是非とも未来の解決手段をみてみたいものである。サガの制作陣もみたいと思うと思う。

 


さてここまで褒めてばかりな気がするが、もちろんそうではない点も存在する。
装備とアビリティのつけかえがめんどい。


仲間は8人いるわけだは、戦闘に出られるのは4人である。
また素の能力の上にジョブを付けるので、各キャラクターは魔法攻撃向き能力値でも
武器を振り回すジョブをつけて戦わせることもできるので
ジョブを付け替えるたびに装備を更新しなければならない。
戦闘に出る仲間の選択は、基本的には街の中にある酒場でおこない
戦闘に出ていないメンバーの装備のつけはずしも酒場でしかできない。
戦闘に出ていないと経験値が得られないので、
パーティから外せない最初に選んだ1人以外の7人を、
頻繁に入れ替えて均等に育てていかなければならないわけである。
正直めんどい。ボタン1つで出撃4人のお勧め装備を付けてくれる機能がなければ
間違いなく途中で放り出し駄作の認定貼られる程度の面倒さ。
おすすめ機能をつかわずちゃんと各装備の特性を理解した上で
各メンバーにつけはずしして遊ぶひとはどれくらいいるのだろうか。
なおアクセサリ類は自動装備機能がないので手作業で付ける必要がある。
雑魚戦用の経験値や獲得金額増加のアクセサリと
ボス戦用の能力値底上げ用のアクセサリを
ダンジョン最奥のセーブポイントで付け替えなければならない。
また装備だけでなく各ジョブを成長させることで得られるサポートアビリティも
雑魚とボスとでアクセサリ同様つけはずしするほうが全体の効率につながる。


強いボスに合わせて自分でゲーム機能を理解して工夫してる感が最初はあるのだが
だんだんだんだん理解が進んでくると同じことの繰り返しに感じられ面倒になってくる。
ゲームのしくみ、敵の弱点突き方、効率の良い倒し方に気付いていき
ジョブとアビリティの説明からああすると良いのではないかとわかってきて
試し失敗し試行錯誤の末に正解を得る感触楽しみがあるのは優れた良いところなのだが
やはり慣れからくる限界があるのである。
製作側もそれは把握していると思われ、
各ジョブの成長は、その成長させたいジョブで戦闘しなければならないのではなく
どのジョブでも同等に得られるポイントの割り振りで行うので、
多彩なアビリティを使えるようになるための過程の楽しくない修行感は低減されている。
その対価として、
多くのプレイヤーは限られた見知った使いやすそうなジョブしか使わないことにもなり、
用意した多彩な面白さが消費されずに
全体の評価がなされてしまいがちになるわけでもあるが。
『テイルズ』シリーズで多くのひとが主人公しか操作しないように。


ゲームとしてはいい加減面倒になってきたという段階でエンディングになる。
もちろんこれは個人の主観ではあるのだが、
最後の戦いにたどりつくあたりですべてのジョブが成長し切るくらいに
成長ポイント獲得程度が調整されている程度から察せられる。
すべての装備とアイテムとジョブとアビリティと各キャラクタの能力を
使い切った感を最後に味わってもらって、やりきった感満載でゲームは終わる。
嫌になる直前で切り上げる。実に良く出来ている。
製作側が良いところだけでなく悪いところも自覚して把握していることが
察せられ伝わる出来ばえだ。

 


みためにせよ戦闘にせよ8人の主人公たちの見せ方にせよ
共通しているのは、ゲームを構成する各仕組がどのように他のゲームと違い
その違いがRPGとして遊んだときどのような利点と欠点として現れるか、
製作する側がしっかり理解して作っている感触が伝わる点である。
一言で言えば良く出来ているということなのだが
単にあのゲームではあんな感じだから、いままでこうだったから、
そういうものだから、それが常識だから、で作ってしまうというのが
製造製作においてはまことによくあるお話であって、
そういうものという常識を、なぜそうなのか、
それをどう変えるとどういう良さと悪さがあるのかに気付いて
想定して実行することの、どれも如何に困難なことであることか。
汚いものをきれいにするだけなら誰でも時間を掛ければできる。
同じものを作るなら効率の違いがあっても何とかなる。
そこから少し変えて差別化して、それでいて変える前より良くするという
良く出来ているをつくるのがいかに難しいことか。
現在において高微細な昔風のみためが新鮮だからというだけではなく
現在までの歴代の各作品たちが積み重ねた工夫を踏まえて
現在あそぶ作品としてどちらの面からも違和感のない、見ためで値段負けしないつくり。
しっかりした良い作品である。


工業製造品として、過去の類例の美点と欠点とその理由を充分に踏まえ
かつ新趣の工夫もあり、それでいて末端まで神経行き届いた良く出来た作品である。
しかしながら8人のキャラクタみながみな、もちろん個性づけられてはいるものの
おのおの主人公という立場に相応しい高邁で抑制利いた大人な人格者ばかりであるのは
『サガ』シリーズのような人格破綻者の多彩さと対比するまでもなく
端正すぎるがゆえに地味であるとひとを選ぶ作風であるのかもしれない。
より多数のなかから8人を選ぶという形であれば
舞台となる世界の豊穣さという面でも申し分なかろうけれども
ひとつまるごと舞台世界を想像してひとつの枠内に収まりきる物語を生成することは
どんなに人工知能の発展による介助を得ても人の手に余るだろう。
そういう意味でシリーズとしてのブランド印象が物語世界の感触ではなく
ウェルメイドな仕組みの質にばかり寄っているのは余計なお世話だが気になるところ。
用意したすべての要素を十全に眺めたうえで適正な評価を下して欲しいのが
制作側が求める立場であるとしても
実際そんなことはありえず、自分が陥る原因となった些細で一時の瑕疵を
体験の全体のほとんどであるかのように思い込むのが無責任な消費者というものである。
この事実におけるひとつの解決策は、catchyな誰にでもわかりやすい象徴をおくこと、
特にみためにおいて求心力のある明確なiconを用意して
いってみれば上手く騙すことにあると思う。
言葉をかえれば、その作品世界をいつまでもみていたいと思わせる力があるかどうかで
そこが本作に欠けているように感じる。最後まで良く出来て綺麗に完結しているだけに。