FF16の感想

正式名称は『FINAL FANTASY XVI』。PS5版が2023年6月発売。PC版も今後発売予定。
以前も書いた気がするが自分の「FFシリーズ」歴は
ナンバリングは『11』と『15』以外遊んでいるはずではあるが
リメイクやリマスターをほとんど遊んでおらず、
つまり発売当時のそれなので記憶があいまいなものも多い。
それはまあ下手すれば20年以上前だし残当である。
『4』から『6』はそこそこ好印象で
『7』が発売当時における他のゲームとの比較において傑出していて
『8』と『10』と『13』は印象が悪く、『9』はエンディングの印象が良く
『12』は確かに欠点もあるけれどそれ以上にいいところが多大である、
と現時点で思っている。
思っているだけでくわしいことは覚えていない。
例えばゴルベーザ四天王の登場順を述べよと言われてもわからない。
『11』を遊んでいないのは当時の敷居が高すぎたからで
『15』を遊んでいないのは『8』『10』『13』と同じ路線ぽいからである。
実際遊ぶと違うのかもしれないが遊んでいないので知らない。
派生作品は多すぎてどれが該当するかよくわからない。
つまりこれはどうかと問われなければ思い出せないくらい。
ファイナルファンタジータクティクス』とかもシリーズ派生なんだろうなあ。
あと『FF7リメイク』は現在すごく安値でPSストアで売っているので正直ぐらつくが
最後まで完結してから遊ぼうと思っているのでさわっていない。


『14』は次の次の記事に書いた通りの時間遊んでおり、
シリーズ中ではもちろん、
他のすべてのゲームと比較しても相当に遊んでいると思われるが、
だからといって歴代最高の『FF』だと思っているわけではなかったりする。
オンラインRPGとしてはもちろん最高に面白いが
オンラインで遊ばない部分が他の『FF』や他のRPGと比べて
すごくすぐれているかというとあまりそうは思わない。
「オンライン兼用」の仕組で作らなければならない『FF14』と
「オフライン専用」で作ることができる作品群を比べれば、
後者がより有利ではあるだろうけれども。


「FFシリーズ」は同じ製作会社が製作する大作RPGであるということが共通点で
他のシリーズを冠するRPGと比較しても
毎回ゲームの仕組みが大きく変わるのが特徴である。
製作者いわく

「『FF』は、そのときどきのディレクターが「これが最高のゲームだ」と思って作ったものに『FF』という名前がくっついているだけだから、何も継承する必要もなければ、何におもねる必要もない。自分たちの考えた最高のゲームを作ればそれが『FF』なんだよ」
https://www.famitsu.com/news/202206/22265843.html

ということらしい。
『FF16』で従来シリーズから大きく変わったのは
戦闘がコマンド入力式から
ボタンを押すと武器を振ったり魔法を撃ったりジャンプしたり回避したりする
アクションゲーム式になった点。
先述の通り『FF15』や『FF7リメイク』はどうだか知らないのだが
そういうわれてみると『ゼルダ』や『テイルズ』はコマンド入力式じゃないなあと
言われてみれば思い返される。『龍が如く』は『7』からコマンド式になったらしい。
よくゲームジャンルを「RPG」「アクションRPG」となんとなく分けてしまいがちだが
分ける意味ある?とあらためて問われると、確かにそこに線を引くのは違う気がしてくる。
なるほど『ゼルダ』と『ドラクエ』を同じジャンルにするのは抵抗あり
一方で『ドラクエ』はクリアできるけど『デモンズソウル』系は無理というひと向けに
分ける意義は感ずるところ。
ではコマンド入力式のRPGに一切アクションゲーム要素がないのかというとそれも違う。
ターン制にしても時間制限があるかないかで違う。
さまざまな在り方や遊ばれ方や難しさの程度が多次元にある中に
ここからアクションでここからはではないRPGと線を引くのは確かに雑ではある。
まあそれを言うとRPGとそうでないの違いのどこに線を引くかもそうであるけれど。


『FF』は大作RPGであるから沢山売れることが期待され
それにふさわしく製作費用も掛けられる。
沢山売るために費用を大きく掛けたRPGなのである。
潤沢に予算をつぎこんで最高のみためと遊びごたえある規模感で
多くのひとに楽しんでいただくのが大作娯楽作品というものであるのに対し
アクションRPG式に変わったことで
多くのひとに楽しんでもらえなくなるのではないかという懸念に対しては
多くのひとに売らなければならない作品に相応の自覚をもって工夫が行われており
従来からの開始時の「EASY」「NORMAL」「HARD」のような難度区分けだけでなく
ゲーム内で装備するアクセサリにアクション補助機能を持たせるという
たぶん独自の工夫と思われる方法を採っている。
これは攻撃ボタン押すだけで敵に応じた適当な技が出せたり、
攻撃可能な状態であれば攻撃を自動で回避してくれたりするもの。
コマンドバトルではなくアクションでもこういうことができるのだなあ。

『FF16』があらゆる層にアクションを楽しんでもらうために取った方法。すべての場面で“不正解”がなくなり敵の強力な攻撃にも“納得感”が出る調整【CEDEC2023】
https://www.famitsu.com/news/202308/25314438.html

そのゲームのアクション的な難度に対して
自分がどれくらい適応性を持っているかということは
それこそそのゲームを遊んでみないことには誰にも判らないことであり
またそのゲームを遊んでいく中で適応し上達していく程度は
そのゲームに興味を持てるかや遊んでいて楽しめるか、
上達するとより楽しめそうかといった観点によるものだから
よりますます遊んでみなければ知ることが出来ないわけである。
したがって『FF16』を初めとして、あらゆるアクションゲーム、いやさ
操作の巧みさを問われるあらゆるゲームのすべてが、
遊ぶひとに沿って適正な難度段階を用意できているかなどは
誰にもわからないわけだが
ざっくり自分が遊んだ感じでは
流石にこれなら
コマンド入力式RPGしか駄目と思っているひともなんとかなるのではなないか、
いやむしろ簡単すぎでは、と思う。
2週目の「つよくてニューゲーム」では1週目では選べない高難度モードも選べるのだが
これを最初から選べるようにしておいたほうが、
アクションゲームに苦手感のないひと向けには工夫のし甲斐、
楽しみがいが在って良かったのではと思う程度の難度。
まことに難度調整は難しく、
『FF16』で制作側がそこをどうするかと充分考慮したことはうかがわれるが
出て来たものが適正であったかというと、判断に誤りがあったと感じる。
現状では、アクションゲームとして面白いのに
アクションゲームとして楽しめる人たちが
楽しめるところまで到達しなければならないようになっているのではなかろうか。
普通に考えて、アクションゲームとしても楽しめかつ大作RPGとしても楽しめて
またアクションが苦手であるひとにとってはアクションでありながらも楽しめ
大作RPGとして楽しめるようにすべきだったのではなかったのかと思う。


『FF16』が大きく変わったのは戦闘がコマンド入力式でなくなったというだけで
他はあまり変わっていない。
みためは「最高の『FF』を作れば、それが『FF』」という理念に基づき
FF13』から14年、『FF15』から7年の時間間隔に見合う
2023年時点の「最高」さで作られていると思われる。
なんで思われるかって
何しろ他のゲームを遊んでいないので2023年の「最高」さがよくわからないからだが
世間の評判を見渡しても
『FF16』のみためが2023年現在に対し劣っているということは無いようなので
これが最高なのだろう。
みためというやつは遊んでいると割とすぐに慣れるものなので、
実は最高論議にあんまり関係ない気がする。
それでいて発売時期にそぐわない見た目だと売り上げに明らかに影響がありそうで
われわれ消費者がどのようにゲーム作品を見ているかの興味深い物差しである。
作る方は単純にたいへんでありつつも
最高のものを作っている満足はあるのだろうけれども。
変わっていないと言うときの比較対象は
同じ製作チームが製作した『FF14』に対してである。
最高のみためすなわち現実にかつてよりより寄り添ったみためであるがゆえに
ひとが大勢いる街を好きなように歩くことはますます出来なくなり
本来膨大に広がっていることになっている世界の
そこかしこの特徴的な部分を切り取って
縮尺を無視してつなぎあわせた、奇形の世界を旅する一行。
そこでのあらゆる事件は主人公の手の介在によってのみ進行し
観測者の目の無いときはすべてが静止している舞台。
そこにいる彼らはみためほどには生きて在らず、
主人公一行とのやりとりも、
その時そうであるしかない定型の取り交わし以外では在り得ずに
あらかじめ結ばれた糸を除いてはその変容を他に響かせることも出来ない。
20年前はこれでよかっただろうけれど、みための現実への接近に対して一歩も移らず
ますますその歪は広がるばかりである、という変わらなさ。
ではどうすればいいのかはわからないけれども。
画面がきれいになるごとに、その世界を自由に触れられることから遠ざかるという
過去のいつでも予期されて、現在も続く単純な矛盾。


『FF16』については、以上が特徴である。すなわち
・コマンド入力式からアクション式RPGとなった
・アクション性増加による配慮は行われているが
 アクションRPGとして幅広い層に対し適正かは難しい
・見た目は発売時期相応に優れている
・他は変わっていない


世間の評判としては賛寄りの賛否両論と思われる。
5点満点だと4点か5点、10点満点だと8点か9点、100点満点だと80点代。
けして駄作でも凡作でもないが、傑作や名作というには足りない感じ。
同感である。
傑作や名作には足りないところは
過去の『FF7』や『FF12』と比べればはっきりしていて
大きな長所、あるいは特徴、せめて特長ということができる、
『FF16』ならではのその発売時期における他と比較しての明確な個性の存在である。
みためは相応にきれいである。
途中でつまづくことなく最後まで遊べる配慮がされている。
だがそれだけ。ここが凄いというところがあまりない。
みためが凄いのだろう。アクションゲームの補助機能として凄いのかもしれない。
でもそこがそれが『FF16』なんだっけ?『FF』でよかったのだっけか?
『FF16』が「最高のFF」であるところは
幅広い層へ応じたアクションゲームの難度調整を設けたことでは無いはず。
ではみためなのか。みためだけなのか。
36年続くシリーズ最新作に相応しい出来ばえではある。大きな欠点もない。
だけど大きな美点もないのではないか。
みためは発売年としては豪華で綺麗なのだけれど。


『FF16』が本年に置いて「最高のFF」であるとはどういうことか、
という観点でいうならば
「映画のようなゲーム」というものも『FF16』を見る大事な面だろう。

僕たちが最高だと思う『FF』は何かと考えたとき、どんなシステムであれ、まずは「最高のストーリーとゲーム体験が得られることだ」というシンプルな結論になりました。
(中略)
それこそ、僕が『FF1』をプレイしたときに、「映画のようなゲーム体験だな」と感じたことが大きいです。演出やセリフのタイミング、ドラマ性、サウンド、それらがすべて組み合わさって、最高のゲーム体験になっている。それに加えてチョコボモーグリがいたら、もう『FF』だなと僕は思っていて。そのゲーム体験を『FF16』でも実現しないといけない。
https://www.famitsu.com/news/202206/22265843.html

『FF16』が賛否両論だというときの否のほうの意見としては
「新らしいところがない」という他により大きなものがある。
それは遊べば分る細かい欠点と感じられるところがたくさんあるところだ。
雰囲気が暗いとか画面が暗いとか表現がきついとか変に滑稽で滑ってるとか
ミニマップがないとかいちいちテンポがわるいとか、そういうところである。
これらは遊べば誰でもわかることだから、制作側が気付かなかったとは思えない。
気づいていてあえてそうした、どちらかしかなくこちらを選んだが結局不評をかった。
それぞれがそういう理由なのだろう。
例えば画面が暗いこと。
FF14』では同じ環境で遊んで、明るさ調整をしなくとも
画面が暗いと感じることは一切ないのだから、
これは明らかに『FF14』と違えて、『FF16』ではそうしたのだろう。
画面のきれいさ、人物や背景描写のこまかさが格段に増加しているために
同じ明るさでは違和感、ファンタジー世界としても説得力ある
その世界内での統一した存在感が出せないと判断したのかもしれない。
例えば戦闘後のリザルト画面でいちいちボタンを押さなければならず
アクションゲームとしてはとてもまだるっこしくテンポをそこね
遊ぶ気を損ねているところにも
アクションゲームとしてでなくまずRPGとして
「最高のゲーム体験」を作り出し味わってもらいたいという判断があったのではないか。
何にしてもそうである。
チョコボにボタンひとつで乗れないのも
ダッシュ中ボタンを押していなければいけないのも
ワールドマップでセーブができないのもそれなりの理由がつけられるだろう。
そう、立ち止まれと。これはアクションゲームの速さではなく
RPGの速さでのジェットコースターのようなゲーム体験を提供するのだからと。
だがその判断が正しかったのか。
結論の正否ではなく、手段として他にし様があったのではないか。
アクションゲームとして遊べて、みためは発売時期相応に豪華できれいで
最高のストーリー、演出、ドラマ性、サウンドが組み合わされば
単純に最高のものをくっつけていくだけで最高のゲーム体験に成るのだろうか。
製作者がかつての『FF』にみた「映画のようなゲーム体験」は
当時としてはそれで出来ていてそれで良かったのかもしれないが
『FF16』はそれで良かったのか。アクションゲームとしての部分と合わされる
さまざまなこまかなRPGとしての部分がこれまで通りでよかったのだろうか。
『FF16』は遊んでみると確かに「映画のようなゲーム」であると思う箇所もある。
けれど通してみれば結局、映画ではなくアクションゲームでもなく
ストーリーがまったく進行しない時間が間に大量に挟まり、
ストーリーを進行させるために
とても最高とは思えない演出のおつかいを繰り返さなければ進行しない
昔の『FF』のような「映画のようなゲーム体験」なのである。
だがしかしRPGというゲームに今もそれが出来ない、
方法が見いだせていないということはないはずだ。
かつてと違う現在のみためを持って、アクションゲームであることと
映画のような最高のストーリーとゲーム体験とを両立させた
RPGという区分けにあるゲームが無いとは決して言えないはずである。
彼らは終始一貫において「映画のようなゲーム」ではなかったかもしれないが
アクション要素があっても従来通りのお使いで部分はできていても
その舞台を眺めて、駆けて、障害をはねのけていく過程に
違う世界に遊びその体験にゲームでしか味わえない歓びが確かにあるのである。
それはもちろんオープンワールドだからという些少な形式の問題ではなくて
そして演出だとかストーリーとかもなく
ゲームの仕組みとしてどうあればアクションとRPGが現在のみための質において
表現できるかという問いかけへのそれぞれの確実な答えにこそ根差している。


なぜ『FF16』は遊べばすぐわかる欠点が、誰にも感じられる欠点としてそこに在るのか。
それは右か左かで判断がわかれるところで右を選んだ結果、
左を好むひとの嗜好に応えられていないからであるのだが
つまり、どちらをも満足させる工夫、すべき努力が欠けていたのではないか。
これで最高だという思い描いた到達点が、
あるいは出来上がってみたら現在のみためで作るアクションで成るRPGとして
まるで見当はずれだったのだ。
結果としてその出来栄えを味わったところから言う、
決して駄作凡作ではないのに言わざるを得ないとするならば
過去に達成している作品を思い浮かべられるのにも関わらず
そこへ至ること、至る方法を思いつくこと、至っていないことに気付くこと、
言い換えれば、他のゲームにはない新しい工夫、傑出した長所、
歴史的な名作たる道へ続く方を、選ぼうとしていないではないか、
考えがちいさくまるで足りないではないかと思わざるを得ない。
その中での最高を最後まで破綻なく結実させたのは確かな成果ではあるけれど
高品質ではあっても誰もがどこかで見たことある想像の枠を越えないものであり
良作ではあっても、後世、しいて遊ぶ価値あると認められるような作品ではないことが
多くの期待に沿えなかった点であると思う。