『イース7』

kodamatsukimi2009-10-06


 公式サイト http://www.falcom.co.jp/ys7_psp/ ASIN:B001YQGR1U
 公式デモムービー(音注意)http://www.youtube.com/watch?v=lRQ5KDqE6dc

・シリーズ22年目なのにまだ7つめの最新作はPSPで登場。
 ここのところなんともう何年、とかばかりなので
 今さら22年くらいでは驚かない。
 ちなみに本作ではタイトルの「イース」が最初から最後までてこない。
 それでもファルコムhttp://www.falcom.co.jp/)製作なる、
 この手のアクションゲーム風RPGならば
 「イース」という名前を冠する存在なのでありましょう。




ファルコムのゲームにはいろいろ思うところあり、
 『7』の内容へ行く前に、まずこのシリーズの思い出についてなどつらつら。

・『イース』シリーズの内、遊んだことがあるものは順に
 PCの『1』、ファミコン『1』、PC『3』、間が開いてPCエンジンの『1・2』と『4』。
 スーパーファミコン版しかない『5』と、同じくPC版のみの『6』は遊んでおりません。


・まず『1』。発売は1987年、ドラクエ歴で言うところの『2』と『3』の間です。
 当時のパソコンは本体お値段30万円くらいとファミコン本体の20倍くらいしましたが
 しかしそれでも持っているひとは持っておりました。
 英語が今もそうであるに同じくこれからはパソコンの時代と誰かが信じていたあの頃。
 けれど当然われわれはゲームをするくらいにしか使用しないのでありますが
 当時、『イース1』が日ごろファミコンで見慣れていたゲームに比べ
 優れていたのはみためです。絵がきれい。

・今からするとそれは『イース』が優れていたのではなく、
 パソコンに付いている画面が、ファミコン画面のテレビより細かく映る、
 つまり文字表示する用だからそれなりに細かくみえるものだったからなのですが
 かといって友達の家でみたそれが、数字ばかりのSLGや『倉庫番』とかであれば
 既に自分で持っているファミコンゲームにくらべてすごいと思わなかった。
 『イース』というゲームが当時優れていたところは
 明るいけしき、緑の野原や青い水面、細かい意匠、神殿の造形、高低差ある崖地形、
 そういった、目にみえてわかりやすいきれいな造りを映し出していたことにあります。


・後日、自分でもそういう印象から名前を覚えていたこともあり
 ファミコン版の『イース1』を購入して遊びました。
 ファミコン版は当然、PC版に比べて明らかにきれいでないはずですが
 しかし当時そういうところは気にならなかった。 
 PC版の『イース』はきれいだったから印象に残ったのですが
 けれどファミコンの『イース』が比較してきれいでないとは思わなかった。

・これは矛盾しているというわけではありません。
 なぜなら当時、ゲームというものはまだ個々に比較できるようなものでなかった。
 日々常にそれまでと見た目も中身も違うゲームを目にするのが当たり前。
 『ドラクエ』が半年で『2』、1年で『3』が出ていたころのお話です。
 多少きれいさの違いが前後していることなど大した問題ではない。
 新しいゲームであるということだけで、きれいとか難しいとか関係なくすごい。

・自分で遊んだ『イース』も、あたりに散らばるゲームと同じく斬新でありました。
 半キャラずらしによる戦闘。やらたと奥行きある洞窟や神殿。
 RPG風だけれどレベルがすぐに最高まで上がって、あとはアクション勝負の内容。
 なんだかよくわからないお話。


・後年、後から振り返って当時の『イース』は
 特にPCで出ていたRPGとの比較において、理不尽に難しいそれらの中にあって
 「やさしさ」を宣伝文句にもってきたつくりが独特であったと取り上げられます。 

・そのころのゲームは、日々新しいゲームが次々出てくるのだから
 あのゲームみたいな、これはこういうものという定型定石がなく
 だから遊び手にも解法の共通知識がありませんでした。
 例えば『ドルアーガの塔』。
 ゲームセンターに置かれていたこのゲームを
 互いに解き方の情報を持ち寄り、すこしづつ解いて行く様が伝説ですが
 今からみると定型から外れているかのように見えるいくつかの解法は
 定型がなかったがゆえであり、そして今からすればだから定石になれず
 そして今であれば、ネットの攻略Wikiでたちまち解かれて伝説は成り立ちえない。

・そこで当時の『イース』が独自性として売ったのが、誰でも解けるゲーム。
 誰かに教えてもらわずともゲーム中の手掛かりだけで、ひとりで解ける程度の難しさ。
 いわばパズルから国語のテストになったようなもの。
 前記の「やさしさ」は「易しい」でなく「優しい」。
 解くことに挑むのではなく、解くことを楽しむゲームへの転換が売り文句であり
 それが売りになったということ自体が、そのころのゲームを表す一事であると。

・「優しい」『イース』がゲームに対して与えた影響が大きかったのではありません。
 『2』に比べて格段にクリアしやすい『ドラクエ3』が出たのは『イース1』の8ヶ月後。
 発売され続ける大量にして多彩なゲームソフトの全体に対し
 受ける遊び手全体が、乏しい知識を貧しい線でつなぎながら遊び解いた応えとして
 ゲームはパズルのような挑むものでなく、楽しんで遊ぶものと選択した答えです。

・そして当時『イース』を遊んだ私の感想も
 そこらあたりにあるゲームと同じく、面白いものでしかなかった。
 『スーパーマリオブラザーズ』や『ドラクエ2』や『ドラクエ3』のように
 みんなが自分は遊べなくとも騒ぎながら画面を見ているだけで満足できるほどには
 飛び抜けてはいなかった。


・次に遊んだのが1989年発売のPC版『イース3』。
 『3』はシリーズの中でも変わり種で、RPGというより横スクロールのアクション仕様。
 しかし当時のPCにはキーボートとマウスしかないのでキーボードのキーを押して操作。
 矢印キーで左右に動き「Z」を押すと剣を振る。
 普通と右左逆ですが、しかし意外とこれでも慣れればなんでもない。
 純然たるアクションゲームの『プリンスオブペルシャ』もこれで遊んでいたのだから
 弘法でなくとも筆を選ばずでございます。為せば成る。為さぬは熱意の問題なり。

・この『3』で面白かったのが「下突き」。
 ジャンプや滞空状態から下入力しつつ剣を振ると下に剣を突き出すのですが
 この状態だと通常の剣振り攻撃に対してダメージに倍率が入る。
 突き技なのに鉛直落下するのでなく、突き出したまま左右に移動可能なのがミソで
 ジャンプして敵を跳び越えつつすかさず「めくる」ように突きだし着地。
 すると普通はがちがち削り合う敵でも跳び越え際に一撃撃破。
 これが楽しい。ベガのデビルリバースより楽しい。
 当時、通常の縦切りをキャンセル、できないけれどそういう気持ちで
 そこからのジャンプ下突き通過斬りを剣軌道から「ツバメ返し」といい、
 また上記めくり斬りを「十文字霞崩し」と呼んでおりました。映画は20年遅い。


・そして次に遊んだのが、PCエンジンでの『4』と
 『1』と『2』がセットになって続けて遊べるようになっている『1・2』。
 このころ、つまり『4』が出ているころには既に
 『イース1』と『2』はそれなりの評価を得ておりました。『5』まで出るくらいには。

・その褒める理由というのが、『1』『2』まとめての古代王国イースにまつわるお話が
 ヒロイックファンタジーとしてなかなか良いものであるということであります。
 実際今みてもなかなかオリジナリティ、定型を感じさせない独自のつくり。
 2人の女神と6人の神官。ゲーム中の現代からみても古代風である神話に
 ゲームの外の現代から関われるところが幻想高度強でよろしい。

・しかしだから『イース』というゲームの出来が良いというわけではない。
 悪くはない。ファルコムのゲームは常に、すくなくとも丁寧な出来ではある。
 けれど当時の私にとっては既に古かった。
 あたりにあるゲームと同じように新しくなかった。
 『5』が出ているころに『4』や、さらに昔の『2』を遊べばそう思うのは当然ですが
 けれど『3』は剣振るアクションゲームとしてならそれなりに楽しめたけれども
 『4』はそうではなかった。
 『イース1・2』は古く『イース4』は新しくなく
 『イース3』も、剣振って敵を倒すのは面白かったけれど
 ファミコンの『1』と同様に、RPGとしては面白くなかった。


・その後、イースシリーズではありませんがファルコム製ゲームで遊んだのが
 『英雄伝説』シリーズの『1』『2』『3』と『6』と『ぐるみん』です。  
 『英雄伝説6』と『ぐるみん』の感想 http://d.hatena.ne.jp/kodamatsukimi/20060203  

・『英雄伝説』の『1』『2』は、細かいことをいうと
 『ドラゴンスレイヤー』シリーズの6作目『英雄伝説』の、『1』『2』にあたります。
 つまり『女神転生』シリーズの『異聞録』が『ペルソナ1』、みたいなものです。
 で、『英雄伝説』の『1』はともかく『2』は、
 既に発売時から周囲に比べても旧式のRPGでしかなかったのですが
 1994年、ドラクエ歴でいうところの『5』と『6』の間に発売された
 『英雄伝説3』は、これまでと大きく違いました。
 その後のファルコムが今日まで採る路線を決定づけたと言えるような作品です。


・その特徴は、とても解くのが易しいゲームであること。
 戦闘はオート。作戦指示のみで、ボス敵だろうとも全てオートで行われる。
 またお話は完璧な一本道で、来た道を戻ることすらできない。
 全ての街は訪れること一度きり。出たらもう戻ることはない。
 解くどころか、ボタンを押しているだけでエンディングまで行けるようなつくりです。
 しかしそれでも面白い。

RPGの街は、主人公たちのために存在します。
 お金が尽きるまで宿屋に泊り続けても多くのゲームは魔王が世界を滅ぼさない。
 全て存在する街は、主人公たちに解決されるべき問題をかかえ
 主人公たちに売るべき品物を揃え
 揃えるためのお金を周囲のまものに持たせている。
 しかし建前のところではそうでなく、街に住んでいるひとたちはそこで暮らしている。

・『英雄伝説3』では、街に訪れるのは一度きりなので
 全ての施設が主人公達のためにあることは変わらなくとも
 その一度きりのときのみ、そうであれば良いところが違う。
 重大なイベントがまさにその時起こっても、それは後から偶然としか判断できない。
 すごくとても、作られた自然が、全然まったく自然なのです。

・お話の面でも面白い。
 主人公達は成人の巡礼をする普通の旅人であり、
 ただたまたま旅に行き合わせたひと達が、優れた能力、特別な立場にある存在であり
 結果として英雄と呼ばれる存在であっただけ。
 戦闘もそれを見せる場。
 主人公達はその旅に付れ添っただけの、英雄おともだち伝説。


・この独自の作品が、新しい何かで作られていたわけではないところも新しい。
 構成する要素、成長の仕組みとか街の買い物とかオートで処理される戦闘とか
 街で起こるイベントやボスと戦う理由やその演出見せ方、
 どれもファルコムらしく丁寧につくられているけれど
 どれも既にどこかでみたようなものの寄せ集めである。
 それでありながら出来あがった全体は、
 お話が独自のものであるわけでなく、みためがすごく良いわけでなく
 RPGとして広く多くのひとが長く遊べるようなものでもないけれど
 一通り過ぎて、忘れ難い印象を残す作品、他に例のない作品である。

・同じことを2回できる方法ではありません。
 『英雄伝説3』自体は、最初の一回だけ驚きを与えるつくりではあるけれど
 そのお話や、そこを通り過ぎることが楽しくなければ
 何度も味わえるつくりではない。

・けれどファルコム作品はここで大きく転換します。
 要は何を遊ぶかだ。
 RPGは戦闘して成長することでお話を進める展開の物語が持つ種類の違いを
 必ずしも楽しむものではなく
 物語の表現と、通り過ぎ方の違いを楽しむものでもなく
 ただ、楽しめる物語を通り過ぎることが出来れば楽しいのではないか。  




・そこでお題の最新作、『イース7』に戻っての感想。
 再び公式デモムービー(音注意)http://www.youtube.com/watch?v=lRQ5KDqE6dc

・今作は『イース6』に引き続いて、斜め上見下ろし視点でのアクションゲーム風。
 攻撃は1ボタン。連続入力でのコンボなどはなく押した回数だけ斬る仕組み。
 防御は盾でのガードもありますが、重要なのは回避ダッシュ
 ダッシュボタンと方向入力で高速移動。
 敵の攻撃準備動作をみてからダッシュ回避で全ての攻撃が避けられる仕様です。

・このダッシュ移動のとても高性能であるところが本作の特徴です。
 ダッシュ回数ゲージもなく中間の硬直もなく無制限連続使用可能。
 普通に走るより早いので、街中だろうがボス敵前だろうが常にごろごろ転がります。
 立っているのは買い物と剣振る時とイベント中のみ。
 全ての攻撃をみてから避けられる、ということは
 全ての敵より早く行動できるということ。
 雑魚敵は全無視可能。逃げれば追いつけるボス敵も存在しない。とても快適。


・転がって避けつつ長押しの溜め攻撃で技ゲージをため、
 つっついてダウンしたところへ大技叩きこんで大きく削るのが基本展開。
 またRPG風に仲間を2人ひきつれ3人で戦闘するのですが
 常にころがっている関係上、当然残る2人は操作できないオプション状態。
 雑魚戦では、中距離の「斬」、近距離の「打」、長距離の「射」という3属性を
 敵に合わせて切りかえて戦うため、仲間の存在は重要ですが
 攻撃をさけるのに専念するボス戦闘ではかまっている暇がない。

・彼らは敵の標的にならないという大きな利点はあるのですが、攻撃連射してくれない。
 敵位置に対して常に操作キャラクターの対称へ移動するなどの指示ができれば
 アイテム使用と同様に、ゼロ時間で操作対象を変更できることを活かし
 敵が攻撃動作に入ったら操作対象を変更して後ろから斬る、とかができるのですが
 それを可能にするならば、戦闘進行速度を大きく削がれて痛し痒しか。


・デモムービーにある絵が作中で使用されないとかイベント場面ですら声がつかないとか
 オープニングムービーがないとかエンディング後もあっさりとか、
 ファンのひと的にこれでも良いのかと不思議なところもありますが
 転がって避けて斬るをくりかえし、
 雑魚をざくざく斬っていればいつの間にやら快適にお金もレベルもたまり、
 回復アイテム用意しておけば苦労するようなボス敵というのもなく、
 無駄に不必要な謎解きなどもない。
 レベルを上げさえすればある程度力押しでも通じるようだし
 さくさくすすんでロードも短く、誰にでも解くことが出来る、良くできたRPGです。


・では本作の特長とは何か。面白いところはどこか。
 それは近作『英雄伝説6』と同様、ボタンを押していればエンディングが
 誰でも、解くことなく、見ることが出来る易しいゲームであることです。

・そのために必要なのは、飛びぬけていることではない。
 派手に広く奥まで描写されていることでみづらいみためは必要ない。
 独自の工夫があるために、ためにする学習は必要ない。
 既知のものでかこまれているからどうすれば良いか良く分かり
 迷うことなく見間違うことなく本質に
 RPGで楽しむことが出来るお話を、つかえることなく楽しむことを邪魔されない。



・それであと何が必要か。
 『イース1・2』のような高いお話が常に造りあることはない。
 舞台も物語も、世界は広く深くあるほど良いとは限らない。
 そうすることはできても、そうできなければならないことでなくとも
 そうあることで邪魔になるようなものはいらないならば
 このゲームにあと何を付け足せばより良くなるのだろうか。


・ひとつファルコムが採るこの方法が行き詰るとするならば
 その方向を常に先へ合わせることを誤る時であると思います。
 現在の多くのひとが求めるものを提供するのでは古くなる。
 その望む方に進む先を向け続けることがこの種の作品には必要である。
 逆に、それさえできていればそれでよく、だから難しいのかもしれない。