kodamatsukimi2005-08-09

・ようやく「一緒に遭難したいひと」2巻 (ISBN:4063375625)の存在に気付く。
 ようやく8年前に書かれた話が読めるわけ。なんと気の長い話。携帯電話も作中になし。

・いや、やはり面白い。これほど笑える本はございません。
 「ガールズブラボー」より「散弾銃」好きの私にとっては最高です。
 素晴らしい。
 さすが小池一夫先生門下だぜい。


・今日の新聞は読売が面白かったです。
 読者投書欄の空気を考えるとそうなりますよね読売政治部さん。
 ジャイアンツは嫌いですけれど。

『サルゲッチュ3』

 ピポサルドットコム http://www.piposaru.com/(『3』公式サイトは音でます)
 ASIN:B0009Q0DMU
 プロデューサーインタビュー http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20050727/saru.htm

・この夏はゲーマーとしても注目作が大量に出るなかで
 『地球防衛軍2』も『虫姫さま』もむしして遊んでいたのがこちらでございます。

・このシリーズ、良作という評判は聞いていたもののいままで手を付けず。
 ソニーだし。『ラチェット&クランク』とか『ジャック&ダグスター』なども
 安いからと買っても積んだまま。なぜならソニーだし。

・大量のゲームから何を選んで買ってシュリンクを解いてディスクトレイに入れるかの
 生存競争は
 それこそ時の運とその日の気分。
 『サルゲッチュ3』を遊んだのもたまたまです。
 もちろん買うか買わないかの逡巡には良作であろうという憶測や評判が必要ですけれども。



・『サルゲッチュ』は3Dフィールドに散らばって隠れていたりするサルたちを
 網で捕まえるゲーム。鬼ごっこです。

・特徴は3Dスティック2本を使ったその操作。
 通常左が移動、右が視点変更が3Dアクションゲームのお約束ですが
 キャラクター後方へのカメラ戻しをL1にして
 右は網を振り下ろす動きに当てているのが独特。

・○×■△のボタンは振り下ろすアイテムの選択。
 棒でひっぱたいてピヨらせてから網。
 ジャンプ一番空中でお縄、でなくお網。
 背後からほふく前進、忍び寄って「ゲッチュ」。スネークも絶賛。


・操作はプロデュサーインタビューからうかがえるように練られていて軽快快適、
 とてもよくできています。
 ステージ構成、カメラ追尾もストレスを感じない優れたデザイン。
 複雑な操作、余計な要素を入れずに
 ただ網を振り回してサルを捕まえるだけのゲームとして割り切った仕様。
 ステージを分けてただそれだけを繰り返して飽きさせない。
 背景ステージ、キャラクター演出も丁寧、バリエーションも豊富。

・1日1ステージ。
 そういうように遊んでいくゲームで
 コナミが作っているかのようにそつがなく
 昔の任天堂が作っているかのようにシンプルなゲームです。



・アイテム要素も注目。
 『ゼルダ』を踏まえたパチンコやタケトンボでのステージ踏破あたりは当然として
 ラジコンカーが面白い。
 左スティックでキャラクターを動かし、右スティックでラジコンを動かす。
 なるほど、当たり前のようながら遊んでみると実にしっくりきます。
 ラジコンを走らせるジオラマの上に透明板を置いて
 キャラクターがその上を追いながら操作するステージがあり
 これはこれだけで一本作れる楽しさです。

・『Gunroar』もそうですけれど
 『ファミリーサーキット』はアナログスティック対応で
 まったく違うゲームになりましょうよと感じ入り。
 10年早かったのだなあ。


・変身要素もアクセントが効いていて良いです。
 やること、目的が単純明快なだけに『ムジュラ』よりもその効果が際立っていて
 使わなければならないのではなく、テンポよく使い分けていく楽しみがあります。

・いくつかのステージごとにボス戦が挟まるのですが
 敵のHPゲージが非表示なように、とにかくひっぱたいていれば勝ち。
 変身は使わなくても倒せるけれど、使ってみると楽ですよ、という
 明示的でないけれど親切なチュートリアルになっています。 
 いや良くできている。



・逃げ回るサルを網で捕まえるゲーム。簡単なルールのゲーム。
 主人公キャラクターが小学4年生というところからし
 小学校低学年を主要顧客と定めたゲームなのでしょう。
 カメラの回りこみの遅さもそれを踏まえた調整。
 3D酔いしやすいひとにもかなり優しいと思います。


・けれど見事です。
 奥は深くない。クリアしたあとも続けて楽しめるゲームではない。
 そう割り切って
 子供が1度だけ遊ぶという体験にだけ最高に楽しめるよう丁寧に作られたゲーム。
 任天堂のアクションゲーム、昔の『マリオ』が持っていた単純な楽しさを
 作り直したゲーム。
 『マリオ』のように、いつまでも遊べる名作ではないけれど
 複雑になって、
 3Dとなった以降の『マリオ』がなくした明快な楽しさを持ったアクションゲームです。

難易度という山を登る


・ゲームの難しさはいろいろです。
 ひとによっても感じ方は違います。
 最適の、誰もが楽しめる難易度、そんなものが本当にあるのだろうか。
 麓から見えない頂点の世界を仰ぎ見ても遠く霞んで見えません。


・何度ものぼって、のぼり方を知っていればより容易。
 もとから体力があれば、難所もそれに任せて踏破してショートカットもできたりします。
 アクション、音感、反応速度。好きか嫌いか興味のあるなし要素はいろいろ。

・先が見えない山を登るにあたり、何よりわからないのが自分の実力。
 自分はどれくらいゲームがうまくて、この山を登るのに充分なのか。
 高さがわからない上に自分の実力も解らない。


・難しさを感じるとき、それは自分の力が足りないのかゲームのほうが悪いのか。
 難しいからクリアできないのか自分の苦労が足りないのか。
 
・それはどちらでもあるしどちらともいえない。
 苦労しなければならないものが悪いわけではない、それだけ喜びも大きいのだし。
 苦労せずに済むものが悪いわけでもない、それだって気持ちよいのだし。



・ゲームにはルールがあり、それに挑戦しているのだから答えがあるはず。
 RPGにもSTGにも対戦格闘にもボードゲームにもじゃんけんにも
 競うということに、「必ず」はなくとも、「最適」がある。
 けれどその答え、方法、やりかた、登る道順はもちろんひとつとは限らない。
 ひとつよりたくさんあったほうが良い。何度も楽しめるという価値観においてのみは。


・ゲームに面白さを感じるとき。
 それは答えを見つけたと思うときでもあるし、それを探す過程にもあるし
 それだけでなく、知っていて労せず頂上に立ってあたりを見回すときにもまた、ある。

・だから山は高くなくとも良い。ゲームは難しくなくとも良い。
 高い方が達成感があり、登るのは難い。だから高い山もあっても良い。
 登りきれなくとも、ただ途中まで登っただけで自画自賛しても満足できるのだから。

・それに山は一生かけても絶対に味わいつくせないほどたくさんあるのだし。
 必要なのは自分の登る力にあった山を選ぶこと。
 それこそが難しい。
 面白いかどうか楽しめるかどうか、
 ことの本質、ゲームの質だけでなく自分の実力にもある。
 それはそういうものなのだ。何もかもきっとそうなのだ。


・誰にも最適に楽しめる難しさはない。ただ自分にとってその時その場で最適がある。
 小学生ならそれなりの。年齢に関係なくそれなりの。

・けれど誰もが楽しめるゲームもある。入り口は広く、中は高く奥深く。
 そのどこで諦めても、その過程で満足できるのが優れたゲーム。
 マニアは最高最適を夢見、けれど入り口を除いて、理解していなくとも楽しめるもの。
 自分の到達できた位置に価値があるのでない。それに満足を与えられるかどうか。 


・ゲームを遊ぶことは面白いものを楽しむこと。
 登りたいのだから。
 楽しみたいのだから。
 頂上から眺めるだけでなく
 登ること、ただ画面の中にもうひとりの自分を操ること、それ自体を。
 それも現実のひとつ。そこに価値を見出せる。