1億分の1ゲーマーが好きなゲームについて思うこと

kodamatsukimi2004-09-13



プレイステーションは1億台売れているそうです。
 全てが稼動しているわけではないにせよ
 ゲームを楽しむ人は1億人、それ以上いることでしょう。


・今回は前回予告の通り、文章について。
 あまりにもゲームと関係ないですが、できるだけ絡めたいと思います。


・まずこちらの本をご紹介。

「毎月新聞」 
 著者;佐藤雅彦 ISBN:4620316180

・佐藤さんはゲーマーにはSCEのパズルゲーム「I.Q.」でおなじみ。
 一般にはNECの「バザールでござーる
 「さくさく三角ポリンキー」「スコーンスコーンこいけやスコーン」、
 そして「だんご3兄弟」。
 電通時代に数々の名作CMを製作された方として有名です。

広告業界では、コピーライター糸井重里さんの「MOTHER」
 (ほぼ日刊イトイ新聞 樹の上の秘密基地;http://www.1101.com/MOTHER/MOTHER.html
 そして先日取り上げた桝田省治さんも。
 他にもいるのかもしれません。


・本書は毎日新聞に月一回連載された読み物をまとめたもの。
 だから毎月新聞。
 
・その創刊準備号、表紙に載っている「じゃないですか禁止令」。
 この前半部分を引用します。
 

  4年ほど前のことになるが、
 会社に事務のアルバイトにきていた大学生の女の子がいた。
 その女の子が来てまもないある日のことであった。
 僕の机の上には、仕事で使うために、
 外国の珍しいパッケージのお菓子やプレミアムがたくさん散らばっていた。
  それを見かけたその女の子は、こう言った。
 「これ余ってたらもらっていいですか。
 ほら、私たち学生って、こういうレアものに弱いじゃないですか」。
 僕は思わず言葉につまった。
 「えっ、弱いじゃないですかって、そんなこと知らないよ……」
 これが、僕が体験した「じゃないですか」の始まりであった。
  その時は、あまりにこの「じゃないですか」のインパクトがすごすぎて、
 僕は「いや、あの、これは仕事で使うから……」と断るのがやっとであったが、
 時間がたつにつれ、
 その言葉に含まれるいろんな要素に対して憤りや不安が湧きおこってきた。
  外国の珍しいお菓子が欲しければ、素直に欲しいといえばいいのに、
 それを「私たち学生って」と言うことで、一般論にしている。
 なぜ、個人的な欲望を、わざわざ、
 学生一般のこととして置き換えなくてはならなかったのか。
 それは、この女子学生が、その珍しいお菓子を欲しいと言うこと自体が、
 ずうずうしという事を内心、わかってしまっていて
 無意識のうちにそれをごまかしたいからなのだ。
  この言葉の力は、個人の欲望のカモフラージュにとどまらない。
 「〜じゃないですか」と言われたら(いった本人がそこまで意識してなくても)
 そのことを知ってて当然、というニュアンスまで生むことが多い。
 つまり、だれかがその言葉を言った途端、そのことが、既成の事実と化してしまう、
 実に巧みな言いまわしである。

・続きが読みたい、という方は画像を拡大してご覧ください。
 
・いやなら買ってください。
 全48篇、全てが佐藤さんのすばらしい着眼点と
 一切無駄のない、文章で構成された名品。
 何度読み返しても素晴らしい。



・何が言いたいか、といいますと、文章のことです。
 文章は自分の考えを表現するもの。
 言いたいことを文字で表すもの。

・面白いゲームをほめるとき、どうやってほめたらいいのか、
 どのような言葉にすべきか、文章にするか。
 駄目なゲームを駄目というとき、どこが駄目なのか、
 なぜ駄目なのか、どうすれば良くなるのか。

・考えて、書いてみます。
 でも、それを言葉にするのは難しい。
 頭の中にあるのは文章ではなく、漠然としたまとまりのないもやもや。
 良いところを箇条書きで挙げて
 駄目なところも書いてみて、だからこうですよ、こういう感じですよ。
 それだけでは、言いたいはずのことが伝わりません。

・自己満足で書けたと思えても
 人から見て、伝えたいことがつたわっているか、どうなのか。
 伝える技術が必要です。


・「毎月新聞」では48篇、日常のありふれたこと、
 テレビをみていてふと目をひきつけられても
 やがて忘れてしまう日常という情報の波の中で
 普遍的なひとつの見方から物事を取り上げます。
 

・その慧眼に頷きながらも、本を閉じれば忘れてしまいます。
 昨日と変わらない今日。今日と変わらない明日。
 
・けれどふと、いつも歩く道を振り返ってみたり
 足元を見ずに、頭上に広がる空を仰いでみる。
 自分がそうであるように、俯いて歩くひとたち。
 けれど、友達と話に夢中の人達。
 空は高く、広く、時間を気にしてアリのように這うのを
 ただ見下ろしています。
 けれど、雲は流れその表情を変えていっても
 空はいつまでもそこにある。
 
・いつもと違う、少し違う方向を見てみる、
 それを意識するか、しないか、それが大切なのです。
  

・私の文章は、書きたいことを書いただけのまとまりのない文。
 一文を書いてるあいだに、別の書き方、表現がみつかってまた一文。
 連想的な徒然草、あれもこれもというかたち。
 
民俗学者柳田國男さんや、博物学者の南方熊楠さんなどの文章をみてみると
 とにかく書きたいことがいくらでもある、という思いのままに
 文章は読みやすいのに、様々に織り込まれた多岐に渡る示唆のため
 文意を拾いにくくなっています。
 

・何が書きたいのか。
 このサイトで何が書きたいのか。
 このゲームは面白かった。
 それだけのことです。 

・私は、ゲーム業界の関係者ではありません。
 自分のお金で買ったソフトを楽しむ消費者、
 1億人のゲームプレイヤーの中の、1人のへたれなゲーム好き。
 ゲームという誰かの作品を遊び、値段ぶん消費して
 そして山に積まないで、振り返って眺めてみる。
 面白かっただろうか。
 
・そして、何におもねることもなく、著作権には注意しながら
 自分の思うまま、感じたままを書いてみているのです。


・このゲームは面白い。それを伝えたいからです。
 文章にして、自分の感じたことを伝えたい。
 うまく伝わっているでしょうか。
 技術はなくとも書いてみます。
 恥を上塗りながら
 何度でも思ったことを繰り返しに
 こぼれて忘れてしまわないよう書き連ねて。
 
・このゲームは面白かった。それを伝えたいと思います。 
 ゲームを文章で表現すること。
 私が書いているのはそれだけのこと。