私にとってゲーム批評とは何か


・長い間、名作と称えられてきた作品。
 でも自分にとっては面白くない。
 それは自分の判断が間違っているのか。

・間違っているとは、何に対して違うのか。
 それは自分以外の誰かの評価に対してです。
 誰かが良いといったが、自分には違う。
 誰も良いとは言わないが、そうは思わない。

・どちらが正しいか。もちろん決められません。
 基準がない、価値の決定は個人の好みである、という前提では。
 

・でも違う。
 個々人の価値観がその個人にとって真理であるならば
 私にとっての真理は価値に絶対はある、という価値観です。

・自分ひとりの価値観では、あらゆることは現時点の己の物差しで決定されています。
 決められないのは知らないからで
 知っていればわからないことはないのです。
 それは正しくないと私は判断します。
 自分以外の誰かの考え、価値基準を知り、理解し、取り入れて
 自分の価値観を変化させます。
 なぜなら、わからない方がより正確であると
 私の価値観は判断するから。 

・変化した前後では、どちらが正しいか。
 物事を測る基準が増えているのだから、後のほうがより正しい。
 繰り返すことで、価値を測る物差しは増え
 より多角的に、正確に物事の良し悪しを決めることができる。

・より正しくなっていくことは
 絶対値が真実の正解という位置に近づくということ。
 つまり価値に基準はあるのです。


・どれを選べばよいか、なぜ正解が無いようにみえるのか。
 それは自分の価値を測る物差しが少ないから、正確でないから。


・優れたゲームを見出すのには
 自分以外の価値観の所有者である、そのゲームの製作者の価値基準を知ることです。
 それを理解し、取り入れる。
 そのゲームがどのように作られているのか。
 どのような面白さを作り出しているのか。

・テレビゲームが優れているのは、
 ひとつひとつが独創的な面白さを常に追求していること、
 自分という主体が、その面白さを作りだすことに深く関与していること。


・私にとってのゲームの批評とは
 製作者の創りだす新しい面白さを知り、理解することで
 より真実、ゲームの絶対的な良し悪しの判断に近づくこと。
 ある時点でゲームの価値を決め、
 より正しくなったと信じる己の価値観で再度そのゲームの価値を決める。
 
・新しい面白さを持つゲーム。何度でも楽しめるゲーム。
 それこそが私の基準、私の価値観でのゲームの批評なのです。