『ゲーム批評 vol.63』

kodamatsukimi2005-07-10


 発行:マイクロマガジン 6月3日発売 ¥780 ISBN:B0009QS0CA
 公式サイト http://www.microgroup.co.jp/game/

・少し遅くなりましたが毎度毎度の「ゲーム批評」感想文です。

・今回の特集は以下の通り。
 「どうなる!? 新ハード E3緊急速報!!」
 「『ファイアーエムブレム』『ティアリングサーガ』新作徹底比較!!」
 「キャラゲー戦線異常アリ!?」
 「「ゲームが売れない」の謎」

・この内2つめ『エムブレム』『ベルウィックサーガ』対決は
 ご存知のように『ベルウィック』が発売延期、決着は次号へ持ち越しとなったため
 次の機会に取り上げたいと思います。そう、9月ごろ。
 4月に出たゲームについて9月に書くのがこのサイトでございますよ。



・その1「E3緊急特報」。
 5月18日から20日にかけて行われたE3について、
 6月3日発売の隔月刊誌に掲載されたわけですからまさに緊急。
 内容も業界専門誌らしくしっかり書かれていて読み応えあり。

・しかし今は7月。漂ういまさら感。

・その後、これといった情報は出てきていないわけで
 この辺り(http://d.hatena.ne.jp/kodamatsukimi/20050521#p1)で書いたことに
 追記はございません。

・ちなみに「ゲーム批評」としては任天堂社長がなんと言おうとも「上位互換」路線らしい。


・と、したところで、この辺りが気になったり。
 9bit confusion - 日本の夏、PSPの夏 http://gmk.9bit.org/note/050629-pspsummer.htm
 以下引用。

 で、思ったんだけど、もしかして任天堂がRevolutionで狙っているのはコレじゃないか?
 オンライン購入したROMイメージをRevolutionに貯め込んで、
 本体メモリやSDカード上で自由に編集し、
 NDS(または次期GBA)にコピー(あるいはムーブ)して楽しめるようにする……とか。
 要するに任天堂の狙いは、
 iPodiTunes+iTunesMusicStoreの三位一体音楽漬けシステムの
 ゲーム版を作るってことなんじゃないか!?

任天堂ならやりそうな気がします。うーんやりそうだ。
 これからのゲーム、特にGBAとその後継機最大のライバルは携帯アプリでしょうし。
 もちろん据え置き機用ゲームも平行して作ると思われ
 本体上部のGCコントローラー接続端子はその用をなす、とか。
 「性能ならGCで充分」理論。レボリューションの「革新」内容は今後とも要注目。



・その2「キャラゲー戦線異常アリ!?」
 キャラクターゲームに対して様々に分析。
 これも面白いです。最近の「ゲーム批評」は良い感じです。

・キャラクターゲームは昔からあって、いや、ゲームでなくともキャラクタービジネスは
 それこそ大昔からあったことでしょう。
 幕末の絵草子、さらには神話の英雄伝説の類からし
 キャラクターを商品価値としています。

・ゲームをみれば、バンダイあたりが子供だましのゲームばかり出してきた死屍累々の山。
 もっとも、大人向けのもの、例えば「ルパン三世」あたりでもその惨状は同じ。
 手を掛けなくともどうせ売上は変わらない、という結果こそが
 その質の低さという結果をもまた生み出す原因となっていた、という指摘は
 まさにその通りだと思います。


・キャラクターゲームの是非やいかに。ab2さんはこのように述べられております。
 AB2:キャラゲーとしての『式神の城』シリーズ http://ab2.blog6.fc2.com/blog-entry-11.html

 いま求められているのは「面白いもの」であって、それは必ずしも「面白いゲーム」である必要はない。
 ゲーム原理主義者にしてみれば悲しみ憤るべき状況ではあるけれど、
 それが時代の流れというのなら、いつまでも背を向けているわけにもいかない。

・ゲームにはキャラクターなどただの飾りです。お偉方にはそれがわからんのです。

 優れたキャラクターはゲームを引き立たせるが、
 優れたゲームもまた、キャラクターを引き立たせる。両者は常に補完関係にあるのだ。
 キャラゲーの隆盛によって新しい層のプレイヤーが流入し、シューティング市場が盛り上がるのを喜びつつも、
 コアゲーマーはそのあたりをシビアに見つめる視点を失ってはならないだろう。

・この辺りにもつながるお話。
 Channel KOF:今の日本橋秋葉原の姿が全国のゲーセンに? http://www.yaotome.jp/chkof/archives/2005/07/post_35.html



・キャラクター要素は商品価値を増すための手段として今後不可分になっていくだろう、
 その是非は売上、すなわちユーザーが決めるのだ、
 というのが「ゲーム批評」締めのお言葉。

・私も同感です。
 「ゲームの本質」たるものが、キャラクター要素とわけられる、
 わけて別の価値を持つことが確かならば
 その「面白いもの」の価値を、「面白いゲーム」であるか、から求めれば良い。

・けれど、『スプライツ』が大丈夫ならば大概問題ないのでは、と
 SS版おまけディスクを見て思うのですが。



・こちらを例として取り上げさせていただきます。
 ゲームのマボロシ:人生を変えるゲーム/ビデオゲームよ、一度死のう http://blogs.dion.ne.jp/arere/archives/2005-07.html
 この論争(http://artifact-jp.com/mt/archives/200506/misunderstandingspreads.html)で有名な
 こちらと対比してみると、また解りやすい。
 技術系のシバチョがコラムを書く:最近のゲームはかったるい? http://d.hatena.ne.jp/shibacho/20050616/p4

・ゲーム、小説、マンガ、映画、何であっても
 それが人生に役に立つのか、時間の無駄ではないか、得した気分になるか、
 そして、素晴らしいか。面白いか。それらは全て
 個人の価値観でしかない。
 エンターテイメントは嗜好品。なければないでどうにでもなるものです。


・懐かしさから8bit機のゲームを賞賛し
 昔のゲームは「ゲームの本質」に近く、そして面白かった、とするひと。
 それが間違っているわけではない。そのひとにとってそうならば
 今のゲームはそのひとにとっては、昔に比べてつまらない、価値の低いものなのです。

・それは単に今のゲームを面白くなるまで遊んでいないだけだ。
 「お前達は、(自分達が妥協できるレベルの)全てのゲームを遊んだのか…?」
 (Heaven Force Hurricane '05/6/22雑記 http://www.hcn.zaq.ne.jp/ganso/talk/talk64.htmより)
 とする意見も、ゲームを愛する人にとってはもちろん有りましょうけれども
 ゲーム雑誌からのひとつの意見としてあってはならないなどとは言えない。
 そう声高に叫ぶこと、けれど、それを求めるひとがいるならば間違っているとは言えない。
 そしてそれは、今のゲームは面白くないというひとにも言う必要はない。


・ゲームの面白さは分かる必要などない。
 遊んで面白くなければそれまでで、面白さが分かるまで遊ぶ必要などはどこにもない。


・ゲームを作るかたがたは大変で
 思わず愚痴をこぼしてユーザーに責任の一端を求めるのも解りますが
 しかし、このことはゲームだけに言えることではない。
 あらゆる生きるため最低限必要である以外全てに言われることです。
 その需要者が、創造者の考える「本質」たるものを理解している必要など、どこにもない。
 どのように判断しても良いし許される。


・より良く判断して欲しいならば方法はあるのです。
 見た目を良くすること、ロードを短くするなどプレイアビリティを高めること、
 より多くのひとに手にとってもらえるように売ること、値段を安くすること。
 それが例えばキャラクターを載せるという仕方もあるでしょう。 


・ゲームは面白ければ良いのです。
 そしてゲームは面白い。

・昔からゲームをしている人にとって新鮮味を感じず
 また忙しくて時間も割けず
 価値観も見方も変わって面白さを感じられなくなっていようとも
 昔のゲームを踏まえて作られた今のゲームは、明らかに優れて良くなっています。


・ゲームは面白ければ良い。
 キャラゲーであろうともムービーばかりの映画のようなゲームでも、面白ければ
 それで、そのひとにとって価値を持つ。

・ひとの数だけ多様な価値がある。
 ゲームの価値もキャラクターの価値も、遊ぶひとの数だけあって、それが売れるのならば
 それは間違っているいないの話ではありません。
 
・そうやっていき、果たして明日のゲームは面白いのか。
 それは誰にも分からないけれど
 何が面白いかを決めるのは、作る人にとっても自分であるはずです。



・その3「ゲームが売れないの謎」
 PSP、DSと新ハードが投入され、次世代機の話題も出ているというのに
 どうもゲーム業界盛り上がっていないらしい。なぜだろう。というお話。
 いやいやこれも良いです。面白いです。すごいぞ編集部。

・様々な面から見解が書かれていますが
 明確なこれ、というものはなく複合要素によるものなのでしょう。
 世間の気分ともいいますか。


・なぜゲームが売れていないらしいのか。
 へたれなゲーマーたる私としては
 ゲームが出過ぎ多すぎでどれが良いのかさっぱりわからず
 それだけに流れも早く、一度乗り遅れたら容易についていけないから、
 なのではないかと説を立ててみます。
 

ファミ通クロスレビューを見てみると
 毎週お勧めソフトが各方々毎1、2本ほど挙げられています。
 よし、だいたいこの辺りをあとは自分の過去の経験と好みから選べばよいのだな、
 として半年くらい経って世間の評価を見てみると、違う。

・そこで10点満点中7点6点位の全く眼中になかったものが良いとされていて
 自分が買った全員8点のゲームは全く話題になっていない。
 なんだなんだいったいどうしたことなのだ。

・よし今度はと、あらゆるゲーム雑誌からゲーム情報サイト、2chまで見て回ってみてみれば
 情報を追うだけで精一杯、ゲームをこなしている時間はない、なんとか消化しなければ、
 攻略本と攻略サイトの言うがまま、それでも足りないPARを使ってでも、ゲームを終わらせ、
 なんとか世間についていかなければ。


・ゲームマニアでこれです。
 周りにあわせて遊んでいるゲーム好きのひとにすれば
 それこそ続編か、なんだか知らないけれど話題になっているらしいゲームを買ってみる、
 そう、映画や小説と同じです。

・つまり、最期まで遊ばせてまた遊びたいと思わせる程度の質にあるゲームが増えたから、
 あるいは『ポケモン』のように売り手の技術も上がって
 ゲームをするひとは経年で増えて、ゲーム需要時間は増えているものの
 ゲーム総体での所要時間が増えているので、結果としてゲームの売れる頭数が減る、と。

・多くのゲームをするひとにとって、ひとつのゲームに使う時間とは
 エンディングまでの長さではなく、そのゲームに飽きるまでの長さです。
 数分で終わるゲームを飽きずに長く遊ぶ、何十時間のRPGを1度クリアしてしまいこむ。
 同じではないけれど、要する時間は同じ。

・ひとつのゲームに飽きるまでが、長くなっているから売れなくなっているのでは。
 やりこみゲーム、オンラインゲーム、どこでもできる携帯アプリ。
 ゲームをつくるのにかかる手間が増えるごとに、ゲーム単体の価値を高めるために、
 結果としてゲーム作品の寿命が伸びて、だからゲームが売れない。


・以上、根拠なしに書いてみました。
 そもそもハード寿命が5年周期において
 1年やそこらの物差で売れる売れないをいっても仕方がないようにも思いますが
 けれどそれが経済というものだからしかたがない。「ゲーム批評」は業界紙ですから。 
 



・前号で触れるのを忘れていましたが、巻末の「ゲーム書評」どなたが書いているのか。
 書評たるからには記名したほうが良いのでは。

・ちなみに今回の「探偵神宮寺三郎DETECTIVE FILE」(ISBN:4757211368)は
 アマゾンのレビューに同感で、微妙なでき。
 寺田克也さんのファンとしてははずせない、といえばそうなのですが
 スタッフインタビューやキャラクター、作品紹介が少なすぎる、など文句をいいたい所もあり。
 全作品フローチャートでページを埋めるなよう、といいたいけどこれは便利だし
 杉浦善夫さん(http://www.big.or.jp/~yoshio/)はともかく
 ほかの二人は言われなかったら区別付かないなとか
 そういえば『BUSIN』ゼロでないほうのキャラクターデザインは寺田さんでなく
 RACJIN(http://www.racjin.co.jp/top.html)のデザイナーらしいが区別付かないなとか。

・寺田ファンには 『BUSIN0』キャラクター&ワールドガイダンス」(ISBN:4757718527)も
 おすすめです。目立つ変形本のあれです。これもアマゾンレビューに同意しておきます。 



・今回の「ゲーム批評」は総じて良い内容で素晴らしいできでした。
 あえて言えばソフト批評最初の3つが「いかがなものか」といえる内容です。
 「ダンジョンで路頭に迷う」とは新しい日本語ですことよ。

・巻末の『FF12』出ませんでしたすいませんの土下座などネタもしっかり配して
 かなり良い感じにまわっているようです。
 これが女帝と呼ばれる編集長の力なのか。今後も期待しております。