リアルなグラフィックの未来

 「ゲーム屋ケンちゃん」10月6日 http://ikd.txt-nifty.com/game/2004/10/post_2.html

・定かではない「ゲームの本質」でなく、リアルなグラフィックにも、
 いやそれにこそ可能性がある。
 ゲームでしか楽しめないものこそ、ゲームに求められているもので
 それは素晴らしい映像にも可能性がある、というもの。
 ゲーム開発者としての意見です。

・私はゲームをするひとなのですが、グラフィックはきれいなほうがいいです。
 売り上げはどうでもいいです。
 好きなゲームの続編、あるいはその会社、または開発チームが
 次を作れることを願っい、高いにこしたことはないとは思います。

・ゲームは面白ければいいのです。
 面白さとは何か。
 きれいなグラフィック、すごいグラフィックと駄目なグラフィックならすごい方がいいです。
 その通り。
 でも面白くなければ駄目。
 
・完成したとき、発売されたあと、
 とても傲慢な言い方ですが
 私が面白いと思えば、それはいいゲーム。
 つくったひとがどうであろうが、そしてグラフィックがどうだろうが関係ありません。
 その面白いと思う基準はなにか。
 それは言葉にならない、言葉にしにくいものでしょう。
 ひとつひとつのゲームごとに違うものかもしれないし、
 何度でも遊べるとか、長く遊べるとか、話が好きだからとか、絵がきれいだからとか
 ひとそれぞれ。
 古くても新しくても、マニア向けでも一般向けでも、
 その人が面白いかと思うかが全て。

・開発者は誰に対してゲームをつくっているのか。
 私にたいしてつくっているわけではありません。
 だから、ゲームの面白さは遊ぶ人の数だけある。
 
・どこに向けて作ったら良いのかわからないから
 ゲームが売れないといわれるのでしょう。
 でも、ゲームは面白いです。昔のゲームも面白いです。
 過去の美化がプラスされる昔のゲームに対しても、今のゲームも面白いとおもいます。
 
・それは常に向上を続けてきた、グラフィックのおかげであり、
 テトリスのような新しいゲームであり、
 より良いものを作ろうという開発者の皆さんによるものでしょう。
 プレイヤーは自分が面白いと思ったものを買って、落胆して、あるいは喜んで、
 そして次のゲームを買っているだけです。