ゲーム世界のお約束


・10月19日にご紹介した「ひぐらしのなく頃に」。
 (http://d.hatena.ne.jp/kodamatsukimi/20041019
 公式サイトに設置されたネタバレ掲示板では
 謎の解明について様々に議論されています。
 完成途中ミステリーノベルだからこその推理する楽しさ。
 読んでいてとても面白いのですが
 そこで目に付いたのは「ミステリーのお約束」という言葉です。

・それはミステリー作品に共通する暗黙の規則。
 例えば必ず犯人にたどり着くためのヒントが文中に隠されていること。
 真相がそれまでの文章に対して必然性を持つように見えること。


・この「お約束」がミステリーの面白さ。
 現実、リアルの世界において私たちにヒントが示されることはありません。
 また、現実の様であるけど本当に現実世界と同じなのか、
 ファンタジー要素があるのではないだろうか、
 主観、視点の違いによるまやかし、思い込み、あるいは妄想。
 作者がミスリードを誘う罠も同時に仕掛けられています。



・MSRkbさんのサイト「NGM」(http://ngm.web.infoseek.co.jp/)で
 「ゲームを終わらせるということ」について書かれています。

NGM 11月2日 「ゲームを終わらせるということ」 
 http://ngm.web.infoseek.co.jp/2004_11_01_archive.html#109939023492195634

  そんな、「なかなか終わりが見えない」「終わらない」ゲームの中で、
 プレイヤーが自主的に「ゲームを終わらせる」というのはどういうことか、
 というのをぼんやり考えているのだ。
  もちろん多くの場合は、十分楽しんだしここらへんでいいか、とか、
 難しすぎてこれ以上は無理、とか、
 あるいはただなんとなく飽きて、コントローラを放り出し、
 テレビなりモニタなりの前から立ち去る(そしてソフトはしまわれる)というのが、
 「プレイヤーがゲームを終わらせる」ということだ。
 それでぜんぜん問題はない。

  ただ、なんだろう、もう少し能動的に、且つスマートに、
 ゲームの側ではなくプレイヤーの側から、
 「ゲームを終わらせる」という行為ができないのだろうか、
 できるとすればそれはどのような形においてだろうか、
 ということを考えるのだ。
              (一部改行して引用しました)

・ゲームが終わりになる、ということはどの時点を指すのか。
 人により、また遊ぶゲームにより様々です。

・それはゲーム以外にも言えること。
 小説や映画でも、読み終えた、一度見たから「終わり」というものではありません。
 好きだから面白いから何度でも見返す、とはまた別に
 区切りがあるとすれば、それは自分の中でその作品を消化できた、理解できた、
 胸に落ちた状態。

・そしてゲームについてもそうです。
 エンディングまで到達した時点ではなく
 このゲームはこういうゲームなのだな、と把握した状態。
 そのゲームが解けたとき。

・そこで、その人にとってそのゲームの価値が決まります。
 面白ければ何度でも繰り返し遊ぶ。
 つまらなければ、例え中途半端な状態であろうとも遊ぶのを止める。
 購入価格と中古買取価格を考えて棚にスペースを取らせてあげるか決める。


・「ひぐらしのなく頃に」はノベルであってゲームではありません。
 このゲームの終わりは読み終えたとき。
 けれどもまだ未完。
 まだ終われません。謎も残っています。 
 全ての謎に解答が成された時点で、本作のミステリーノベルとしての価値は決まりますが
 現時点で終わっていないゲーム、遊んでいる途中のゲームであるこの作品は
 自分の中で確信できる解答が作られるまで「終わらない」のです。
 そこが面白く、独特です。



・ミステリーにはどんな作品舞台であっても成立するためのお約束があります。
 作るのも解くのも、そしてそこに描かれる登場人物も
 ひとであるからには
 現実世界の常識を土台にしていなければ成り立たないのです。

・ゲームにはゲームとして成立するためのお約束があります。


・それがわかりやすいのが
 現実を模す事、リアリティと、
 ゲームであること、
 2つの要素が並び立つシミュレーションゲーム
 この現実世界の当たり前のこと、常識である事柄と
 仮想世界であるゲーム世界の常識との兼ね合い。

・現実で出来得ないことにゲームとしての意味があるなら
 フィクション、虚構世界であるゲームには現実とは違った面白さが必要です。
 リアルにこだわるほどに、ゲームとしての面白さは表現しにくい。
 ゲームとしての面白さに寄れば現実らしさがなくなる。
 現実的であることは、圧倒的に饒舌で既知の重要な構成要素と成り得ます。

・多様で奥深い現実世界の一部分を切り出してゲームとすることは
 ゲームとはどのようなものなのか、ということに
 とても解りやすい手がかりです。

・例えばドライブゲームスポーツゲーム
 現実世界の魅力ある説得力をどのようにゲームの面白さに変えているか。


・そして
 プレイヤーの介在するシステム、
 プレイヤーが遊ぶ世界の構成規則。
 ゲーム世界のお約束を見つけ出すことがゲームの面白さの大きなひとつです。
 
・そして目的です。
 現実の中のゲーム世界。
 ゲームを終わらせて現実にかえる区切りは、その世界を自分のものにすること、
 それが何であるのか理解することにあります。
 

・これもあらゆるゲーム、例えばノベル、小説にもいえることですが
 長くなりそう。

・というわけでまた次回。
 「我が竜を見よ」という格好の題材を元に
 ゲーム世界を表現する方法について書いてみる未定。
 

関連;7月22日 きまりごとをみつける世界 http://d.hatena.ne.jp/kodamatsukimi/20040722