頭を使うゲーム

・前回引用した発熱地帯http://amanoudume.s41.xrea.com/)の記事に
 以下のように書かれています。

 選択肢の1つも存在しないこのノベルゲームが、
 今までの人生でボクがもっとも推理したゲーム、というのもなかなか面白い事実です。
 「推理」をゲームシステムにうまく組み込んだ例は疑うべくもなく「逆転裁判」ですが、
 正直いうと、ボクは遊んでいる間、あまり頭を悩ました記憶がないんですよね。
 「頭を使った」のは確かなんですが、「推理」という程のことは体験した覚えがない。
 逆に、ゲームシステムから「推理」そのもの、
 いやゲームシステムそのものさえ無くしてしまった「ひぐらし」のほうが
 純然と「推理」を楽しんでいます。
     (http://amanoudume.s41.xrea.com/cgi-bin/mt/archives/000266.html

アドベンチャーゲーム、ノベルゲームでプレイヤーが考える要素は
 目の前の障害を取り除く選択肢を選ぶ時です。
 けれども
 アドベンチャーゲームの難易度(http://d.hatena.ne.jp/kodamatsukimi/20040605#p2
 アドベンチャーゲーム」の難易度 続き(http://d.hatena.ne.jp/kodamatsukimi/20040619#p2
 として書いたように
 選択肢を選ぶということが、必ずしも頭を使っているとはいえません。
 そして何よりそれが面白さにつながっているか、というと、どうでしょうか。


・なぜ選択肢があるのか。
 それは障害であって、それを乗り越えたときの開放感を楽しむためのもの、
 という考え方もあります。
 しかし、それは違う。
 頭を使って問題を解くことが楽しいから、それをゲームで実現させる手段として
 選択肢があるのです。


・頭を使い、問題を解くのは楽しい。それは「ひぐらし」を遊べばわかります。

・けれども、「ひぐらし」以外のアドベンチャーゲーム、ノベルゲームは
 頭を使っているでしょうか。
 また、もし「ひぐらし」が完全完結した後で、はじめて遊ぶならば
 「解」の前に、頭を使って考えるでしょうか。

・ゲームは頭を使わない(http://d.hatena.ne.jp/kodamatsukimi/20041019#p2)。
 ミステリー小説でも途中で読む手を止めて真相を考えてみるより
 そのまま一気に探偵の名解答を読むカタルシスを得ることを選ぶひとのほうが多い。
 頭を使おうと思わないひとの方が多いのは残念です。



・頭を使って楽しむゲームも多数あります。
 それは対戦ゲーム。
 カードゲーム、テーブルゲームボードゲーム
 テレビゲームでも「桃鉄」「いたスト」では勝つために、頭を使います。
 将棋でも麻雀でも勝とうと思えば頭を使わなければ勝てません。


・ゲームとは「誰かと決まったルールのもとで競い合うこと」。
 けれどもノベルゲームは誰とも競っていません。
 しいて言えばコンピューターとのゲームルールでの戦い。
 正しい選択肢はどれか。そのゲームのルールから正解を見つけ出すゲーム。
 しかし、ノベルゲームの選択肢に、「競い合う」ほどの意味づけはできません。
 すなわち頭を使う必要も無い。

アドベンチャーゲーム、「逆転裁判」でも
 考えても必ずしも答えがわからない問題だから
 考えれば必ず答えがわかる問題ではないから
 頭を使う必要が無い。


・もちろん対戦でないものが全て頭を使わないものではありません。
 A.B.さんの記事内にMPにおける資源管理として例に挙がっているように
 ゲームはさまざまな場面において頭を使う場面があります。
 例えば「やり込み」プレイは、頭を使わず計画を立てずにできるものではない。

・けれども、頭を使わずとも多くのゲームはクリアできる、
 障害を越えてエンディングで開放感を味わうことができるようになっている。


・頭を使わなければ何をするかといえば、それは頭を使わないプレイ、作業です。

・作業。
 ゲームにおいてマイナスイメージをもつこの単語は
 要は、クリアするためにこなさなければならない障害のこと。
 レベル上げの作業。
 選択肢総当りの作業。
 ノベルゲームでも、読んでいて面白くなければそれは作業。

・作業とは、頭を使いたくないひとにも、クリアしてもらうための手段です。
 多くのひとはゲームで頭を使おうとは思わないし
 難しくて解けない謎があってはクリアできないので満足できないから
 頭を使わない代わりに、作業をしてもらって、クリアしてもらう。
 満足してもらう。
 それが多くの1人用ゲームではないでしょうか。


・ゲームが作業であるならば、それが面白くないならば
 なぜ遊ぶ必要があるのでしょうか。
 障害を乗り越えた時の開放感を味わうために、面白くない作業をする。
 そういうゲームもあっても良い。
 けれど、作業している間は頭を使っておらず、だから面白くありません。


・面白いノベルを読んでいるときは、頭は使っていなくとも
 それで良いのです。なぜなら面白いのだから。
 STGや対戦格闘なども同様です。
 頭は使っていない、けれども面白い。

・その理由は置くとして、言えることは、
 これらのゲームを作業と感じて遊ぶことはない、ということ。



・逆に頭を使う対戦ゲームに作業と呼べるものなどありません。
 誰かと勝負することは、できの悪いゲーム、
 対戦のための適正なゲームルールが用意されていないゲームでも
 そのルールの上で平等で、だから相手より頭を使わなければ勝てません。


・ゲームの面白さとは、だれかと競い合う楽しさです。
 頭を使わない、やらなければならないからこなしている作業は
 誰とも競っていない。ぞれとも自分の我慢の限界への挑戦でしょうか。