『FF12』はRPGとしてどうあるか

kodamatsukimi2006-03-12



・今年度末に置けるゲーム好き大多数にとって期待の星は
 いよいよ発売迫ってファミ通でも40点、
 いわずと知れた有名RPGシリーズ最新作『ファイナルファンタジー12FF12)』であります。

・この『FF12』は単に「ドラクエと並ぶFF」の最新作というだけではなく
 『タクティクスオウガ(Tオウガ)』や『ベイグラントストーリー』など
 マニア絶賛向きゲームを製作してきた松野泰己さんを旗頭とする製作チーム、
 その最新作でもある、という意味でも期待高い。
 かの名作SRPG『Tオウガ』製作メンバーが作るRPG。一体それはどのようになるものか。


『ライドウ』は『女神転生』だ


・さて今月前半において私のぶらぶらする手が赴く所は
 その昔、『ドラゴンクエストドラクエ)』『FF』と並んで3大RPG
 と称されたこともあったような『メガテン』ことアトラス『女神転生』シリーズ一亜流、
 『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団(ライドウ)』(ASIN:B000A85PL6)、
 この辺りかな、であります。

・『ライドウ』はこれはもう、あれである。変わっていない。
 名前変えても細かい所幾ら変えても中身『メガテン』。20年前そのまま。
 『ドラクエ』同様変わらないことに価値を置く、非常に古典的なRPGのそれです。


RPGの歴史、正確細かい点は専門家にお任せでありますが
 良く知られて私程度が知っている歴史でありますと
 テーブルトークRPGTRPG)、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』、『ウィザードリィ』、
 そしてそれに『ウルティマ』を加えたものが『ドラクエ』であるらしく
 RPGと言えばつまり『ドラクエ』のようなものを指すのであるから
 結局今此の方日本で言うRPGの元祖というものは『ドラクエ』なのか、といって
 その前の『ウィザードリィ(ウィズ)』、今も遊べるので遊んでみると
 何だか『ドラクエ』と余り変わりがなくなくない、とも見えたり。
 ダンジョンが「3Dダンジョン」であるところ以外。フィールドマップの方が見やすい。

・要は、まず小説がある。冒険小説である。
 ここで、主人公になってああしたいこうしたい、がゲームブック
 大勢でこのお話の世界で冒険してみたい、がTRPG
 それをコンピューターで遊べるようにしたのがコンピュータRPGであるということ。
 お話を語るため作るための演出装置の一環。


・『ウィズ』も『ドラクエ』も、そういう路線の延長上にあって
 この『ライドウ』も、『ドラクエ』とは違うけれど『ウィズ』に連なるRPGであり
 主人公キャラクターの成長目安「レベル値」が
 世界事象あらゆる全てに絶対価値尺度として当てられる点を持って
 『ウィズ』直系RPGとみなして可。

・20年変わらぬ仕組み。
 敵を倒してレベルを上げ、敵を仲魔にして敵と戦い、仲魔を合成してより強くなる。
 その繰返し。単調。
 だがそれで良い。それが面白いのだから。

・それを面倒と感じ興味を持てなければ面白くはない。そういうものであって
 なぜならそれがRPGというゲームなのだからRPGすべからくかくあるそうである。
 そういう禅問答を繰り返さないと楽しめないのだとしたら
 そろそろRPG引退の時かなと春先に秋風。


『天下人』は普通だ


・『ライドウ』と一緒にもうひとつ時間掛かりそうで
 『FF12』に間に合わない予感感じつつも買ったのは、セガの『天下人』(ASIN:B000E0XN7I)。
 なんでありますか、『三国志大戦』風の仕組みを戦国時代に仕立て風らしい。
 それは期待。

・買ってきて早速立ち上げてみると
 共同開発クレジットにシェイド(http://www.shade.jp/index.html)の名が。
 セガ内製ではないのですか。シェイドは悪いメーカーではないけれど共同制作なのかかかか、
 隠しているわけではなくパッケージに書いてあるのだからきちんと読めという話。


・『天下人』は普通に良く出来たゲームです。戦国合戦SLG
 『戦国無双2』で武将ごと軍勢を大将の立場で指図するもの、
 と思っていただければよろしい。

・幕間のデモこそ流石セガというべき素薔薇しい感性炸裂、
 『龍が如く』『シェンムー』のように独特味わい深い。
 良くある西洋ファンタジーでないだけましか。
 見ていてその外れ様を笑うようにしか楽しめないのは
 歪んでいるのがセガなのかそれをせせら笑いながらも買い続けることに、
 もはや違いのわかる奴と特権意識すら感じるこちらか分らなくなる感覚。

・ゲームとして特徴は薄い。普通。凄く普通。
 それというのは、このゲーム、いままで延々作られて来た形式。
 KOEI歴史SLG信長の野望』『三国志』合戦パートのそれ。
 さらにそのアレンジの『決戦』あるいは『三国無双エンパイアーズ』。
 遊んでいないで言いますと『決戦3』(http://www.gamecity.ne.jp/kessen3/)など
 かなり近い見た目でございます。


・歴史SLGと『決戦』そして『天下人』の違いは大きい。
 まずその1。例えば有名な「桶狭間の戦い」。
 「おけはざま」と打って一度で変換される程度に有名である、
 織田信長が少数で大軍勢の今川義元を奇襲して勝ったという歴史的故事。
 それをゲームでどう再現するか問題。

・集数で多数を奇襲して勝利。
 アクションゲーム『戦国無双』ならまったく問題なしいつものことと
 プレイヤーキャラクターがひとりいれば相手何十万人いようとも逆転可能。
 けれど歴史シミュレーションゲームという看板では困る。
 少数で多数に勝てる場合のシミュレーションをどのようにつけたらよろしいか。

・何しろ相手は事実その通りの事が起こったらしい事であるから
 それをもとにシミュレートしなければシミュレーションゲームの名が廃る。
 いや別段廃れても売れれば良いのだけれども
 多数の今川勢に信長が絶対に勝てないというゲームであったら
 リアルでなくなってしまうのだ。顧客にとって。
 ここは少し微妙なところではありますが、そういう非現実的なゲーム処理は嫌われる、
 と一般的に見て良い、とする。

・それでSLGはこの問題をどう料理するかというと
 歴史イベントとして端折ってみたり、お約束というゲーム内ルールで処理。
 『天下人』では遊撃の一部隊が挑発すると敵ほぼ全軍が強制的におびき寄せられる。
 孤立した敵本陣突撃して大将を倒せば勝ち。
 その後どう見ても脱出出来そうにないがそれは見なかったことにする。


・歴史SLGは現実を模倣するものではない。
 歴史を自由に好きなように仮想体験することにある。
 何がなんだろうともプレイヤー陣営は勝てなければならない。
 逆にその対象敵陣営にその場で乗り換えたらば、やはり勝てなければならないのだ。
 このゲームにおいては自分の好きなように結果が変えられることが求めているのだから。

・自分の良いようになる戦闘。
 必ず勝てるまで繰り返して強くなっておくことが許される勝負。
 その繰返しで強くなり、仲間を集めてまた強くなる。それを味わうのが面白い。
 その繰返し作業が面白い。
 
・『天下人』は古典的RPG同様、コンピュータ相手で確実に勝てることを楽しむ合戦SLG
 目に見えないゲームのお約束決まりごとこそが敵。その制限の低さこそ出来の良さ。
 絶賛するほどの出来ではないが貶すほどのものでもない、
 ありものの合戦SLGの枠を出ない、普通に良く出来たSLGであります。
 シェイドはいかにも普通に良く出来たゲーム、というのが多い会社であることよ。


心に余裕がない人は楽しめないPCSLG


・合戦SLGだけでもそれなりに面白いことを『天下人』は証明しているのですが
 先の違いその2、として見れば
 歴史SLGと呼ばれるものは、もう少し上のジャンルと言えましょう。
 上というは誤解あるならば広いと。

・その違いは、合戦以外があるとこと。
 戦闘など戦争など政治の一手段である、というそれ。
 戦の勝敗は戦場に付く前に決まっている、というあれ。
 そしてまたいざ戦うならば
 技術力生産力に優れた方が勝つ。それが戦争である。というこれ。

・実際の戦争の勝ち負けはどうだかは存じ上げませんが、そういうが良く見えるのが
 外国製SLGのそれであります。
 
以下GAME Watchレビュー
 『Civilization4』http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20051215/civ4_01.htm
 『Crusader Kings』http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20050127/celtjp.htm
 『Victoria』http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20040105/victoria.htm

・これらでは大雑把に、勢力間で外交手段決裂軍事力比べとなった際、
 その勝ち負けを決めるのは、文化発展度合いと国力の高低。



・ここで余談。
 大学生であった昔、ひまな夏休みの1日、
 友人と歴史SLGで対戦したことがあります。
 タイトルは『チンギスハーン・蒼き狼と白き牝鹿4』(ファンサイト「激動ユーラシア」http://homepage2.nifty.com/Kircheis/
 チンギスハーンの世界帝国を扱った当時光栄の歴史SLG
 東は源頼朝鎌倉幕府、西は十字軍英雄イングランドリチャード一世で開始。
 初めて中央アジアでぶつかるまで10時間ほど。暇人。
 
・けれど実際ぶつかり合ってみるとあまり面白くない。
 人間同士の対戦であるから、
 それまでのコンピュータ操り軍勢との戦いよりも面白いかと思ったが違う。
 戦場での敵を倒す操作技術は重要性が低い。
 個別の戦闘勝敗は使える軍種類で決まり
 その個別戦闘と同じことを他方の生産力が尽きるまで繰り返す、
 それがそのシミュレート結果であったから。


・チンギスハーンがモンゴル高原から出てきて僅か数代、
 東は日本の博多湾、西は東ヨーロッパまで責め込むという
 時代背景をシミュレートしたゲームなわけでありますが
 なぜモンゴル軍がそれほど強かったか、の理由に
 その騎馬兵の性能をゲーム的な理由としている。

・世界史の知識は持ち合わせていないので実際はどうであるかは置いて
 十字軍として各国共同で西ヨーロッパとアラブが戦争していたような所へ
 モンゴルから出てきた田舎ものが地の利ある連中に勝つ。
 モンゴルの国力は知れている。高原で牧畜が産業の殆ど。
 現代風に考えれば、そんなに広範囲に戦争始めたら補給戦が延びまくる、
 いやもとい補給するような物資があるのか、
 それてとも家族ぐるみで移動したのか牧畜出来ない所はどうしたのかと果てしなく謎。
 けれど実際モンゴルは世界帝国を築いてしまったのだから、
 そのような現実をシミュレートしなければいけない。

・そういうわけでモンゴル軍率いる蒙古騎兵が戦場では圧倒的に強く、
 ちなみに次点は日本の武士ですが、
 東は日本、東南アジア、中国大陸全土を占めたあちらと
 西はロシアの一部を含む全ヨーロッパにアラビアの全てを押さえたこのかた、
 どちらも無尽蔵の生産力を持つ双方がその軍勢先端をぶつけ合った時、
 局所的には必ず蒙古騎兵と有能武将もつ東が勝つ。
 が1回負けてあたら優秀な武将を失ったとて
 西もイスカンダルだかアレクサンダーだかを上回る超大国を生産基盤に持つ
 世界最強国王獅子心王リチャード一世武力98である。負けを認めるはずがない。


・延々勝負が付かなそうであることは一戦して判ったので我々はそこでそのゲームを止め
 『パワプロ』で勝負を付けることにしたのであった。
 負けた。もう一戦。買った。なにもう一戦。負けた。もちろんもう一戦。負けた。
 ええい勝ち逃げは許さぬもう一戦。夏休み終わるまで果てしなく続く。


・実際チンギスハーンの時代、日本の鎌倉時代辺りに
 世界が真っ二つに分かれて中央アジアで激突したらどうなっていただろう。
 多分同じ様に面倒になって適当なところで手を打ったでありましょう。
 互いに最後の1人になるまで磨り潰し続けたりは絶対にない。

・合戦の勝ち負けは文化の高低と生産力で決まる。同時に
 文化絶対値が低く世界が充分に広ければ、
 生産力はそれに見合うだけ充分なほど大きくなりえない。
 『ビクトリア』などでも同様。
 ひとが一生に成し得る事業は極東の島国統一で精一杯。
 現代、さらに未来に文明がこの地球で充分に成長した時もやはり
 この地球全てを押さえるだけが、我々人間が可能とする文明の
 今の所の文明絶対値から期待される限界。
 それを乗り越えていくには超光速世界への技術、
 光年単位の世界スケールに圧されない非人間的精神が必要なのであって
 それはいまのところSFの中に夢見る内である。
 生きているうちに月へ行って見たいものである。


三国志大戦』は『VF2』である


・『天下人』はつまらなくない『ライドウ』も駄目ではないと
 ぶつぶつ遊んでいる片手間に、いよいよようやくこの4日に発売された
 『三国志大戦』攻略本 (ISBN:475772697X)を読む。
 素晴らしい出来だ。
 これを見つつ所持カードを広げ脳内で遊んでいる方が悪いけれど面白い。
 同書に詳しく解説されている特設ムービー(http://www.famitsu.com/sp/s_taisen/)など見ると
 辛抱たまらずお金握り締めて深夜ゲームセンターにこのキーボード放り出して
 即座出撃かけたい気分。見ているだけでも素晴らしい。
 これほど面白いゲームがあるのに知らないひとが多いというのは実に残念無念。


・『ビクトリア』や『天下人』をジャンル分けするならば
 SLGの中で特にRTSリアルタイムストラテジー)と言われる中に入りましょう。
 けれどこれは、コマンド選択するとき時間が止まるので
 単にターン性のような古典システムは廃しましたよというに過ぎず
 いわゆるRTSといわれて思い起こされるは日本で全く根付いていない、
 PCマウスキーボードで遊ぶ『エイジオブ』シリーズ『スタークラフト』等のそれら。

・これらがこちらに根付かないのはつまり、『三国志大戦』が
 未だ一部でしか受け入れられないのと同じことなのかもしれない。
 遊び手の多くが勝敗が自分の思い通りにならないSLGに慣れていない。というと複雑玄妙。
 STGやアクション、RPGSLGの、コンピュータ相手にそのお約束を読み取って
 自分が打ち返しやすい球を壁に向かって撃つかというゲーム。それと対人戦ゲームは違う。
 RTSも『三国志大戦』も対人に競い合うゲームであり
 判りやすいのが対戦格闘ゲームとしてみる見方。


・『三国志大戦』は『バーチャファイター2』である。
 そうして見て頂きたい。

・『三国志大戦』において、武将カードを集める過程は
 強くなるため覚えなければならない技コマンドを暗記する過程。
 無理しなくとも遊んでいるうちに覚える。カードも遊んでいるうちに集まる。
 その有効効率良い使い方の幅もそれぞれ。
 ただ技を覚えて基本技術を身につけただけでは
 コンピュータには勝てても対人には勝てない。技を上手く使わなければ。
 何より相手がいる。相手に合わせるだけでなく相手の虚を付き実を付き崩して懸からねば
 相手を負かさなければ、自分は勝てないのだ。

・そのバランスは偶然の面はあるにせよ非常に良く取れている。
 最上位の戦いでも嵌めなく嵌りなく一方的にならず理不尽で無い理由がある。
 だから見ていても楽しい。遊んでいれば勿論比較にならない。
 カード資産、デッキ構成、だけでなく操作技術戦術こそが重要なゲーム。
 アーケードの対戦ゲームとして新しいながら実に美しい。


・歴戦の『三国志大戦』プレイヤーは、ただそれに何十万とお金をかけます。
 普通のゲームが\10,000で2本3本と買えるのに、ひとつに何十万。
 1ゲーム10分弱で\300.高い高い高いです。確かに社会人でもなければ高い。

・けれどしかしそれでも何十万とつぎ込むに躊躇しないのは
 カードなどとっくに集め終えても止めないのは
 それに見合うだけ面白いから。何も見返りなく名声得られるわけでもない。
 ただ1回遊ぶのに\300は高くないからに他ならない。

・『三国志大戦』はカードが排出されるゲームであるだけに
 どうしてもメーカー搾り取り傾向騙された間抜けプレイヤーどもどもに見える構図です。
 その通り。帰ってこないお金をゲーム機にいれるのは騙されているのだ。
 それがゲームなのです。
 かつて『VF2』に入れ込むあまり筐体ごと何十万かけて買うひとがいました。
 サターンでもそれなりのものが遊べるのに。それは騙されているのだ。
 それだけの価値があると騙されているのです。

・そして騙されて見えていない私から見れば、それは全く当然至極、
 『三国志大戦』は何十万つぎ込む価値あるゲームに見えるのです。
 つぎこまないひとが言うなよとつぎ込んだ方々は石を投げましょう。



・『三国志大戦』と『天下人』を比較するとその特徴は明確。
 「対コンピュータ」であるか「対人」か。
 両者戦力が平等か。

・どちらも合戦SLG。『三国志大戦』がRTSと異なるのは
 カードゲームであって両者が全く横一線同条件下で対戦するわけではない点。
 そこがチェスや将棋との違い。完全平等でない。
 だが、そこがまた面白さであるのであることは
 その駒が「三国志」という物語のキャラクターに仮託されている点も含め
 物語を語るためにゲームがあるゲ−ムでなく
 ゲームの色付けに「三国志」が載っているゲームであることがわかります。
 
SLGでありながら優れた対人対戦ツールである。
 カードゲームを模してSRPGのようにキャラクターを駒とすることで
 RTSともまったく違う広がりがある。
 マウスキーボードでなくカード直接操作という分りやすさ。
 『三国志大戦』はまったくもって、幅広い魅力を持つ斬新かつ奥深く遊べる傑作である。



FFT』は『FFT』である


・『FF12』に備え、先月先々月まで『FF』の過去作品『5』『6』を
 取り出してみたりしていたのですが
 いよいよ当月到って遊ばなければと出して来ながら
 どう考えても遊ぶ時間ないと眺めているのが『ファイナルファンタジータクティクスFFT)』。

・『FFT』は最初に触れた此度の『FF12』製作チームによるゲーム。
 最初、今は亡きクエストという会社で『伝説のオウガバトル』というRTSSRPGを製作、
 次にSRPGの典型『Tオウガ』を製作してスクウェアに移籍、
 次に、『FF5』などに見られる「ジョブ」「アビリティ」システムを
 『Tオウガ』に混ぜ合わせたようなのものとして製作したのが『FFT』であります。

・このゲーム、その移籍経緯がユーザーから見て
 金に動かされて『FF』スクウェアごときの軍門に下った、というように見えた、
 というように見えたというのは誰が言ったのかよく分らないですが
 少なくともそういう雰囲気は有ったのは未来に捏造されたかどうかは不明ながら
 記憶にあるので
 当時の関係者はそれに否定の必要を感じなかったのでありましょう。
 『FFT』はそれなりに売れたのだし。
 そしてその売上に相応しい、『FFT』は優れたゲームであるのです。



・『伝説のオウガバトル』はRTSのようなSRPG
 前々回の『半熟英雄』のように、いくつかの部隊を戦場に散らして
 こちらの城を取られないよう相手の城をとる戦い。ある意味合戦SLG
 コンピューターとの戦略的戦闘シミュレーションは技術、生産力で決まる、
 だから文化ユニット性能と生産力ユニット数値で勝敗が決まるのであって
 その運用にも意味があるか、を探るゲームと見る。

SFCの結構初期に発売されたゲームで見た目MODO7拡大縮小、
 『マジカルチェイス』と聞いて飛びつく程度のマニアしか聞いたことがないメーカーが
 意外にも良く出来たソフトを出したものよが一般的な見方。
 のわりに『Tオウガ』も含めかなり注目を浴びたのは
 その演出デザインが「大人向け」、嫌な言い方するならば「違いのわかる人向け」であり
 今までの任天堂流に対し効果的に働いたからか、と。
 ゲームにおいて本当に「大人」が遊んで楽しめる世界観見た目デザイン物語演出というものは
 少なくともSFC当時珍しかったのは間違いなし。


SRPGの文法形式は、敵に対して見方が弱い状態で戦闘が始まる、というもの。
 でありながら勝つ、のはなぜならプレイヤーが操作しているから、でなく
 味方の方が実は性能的に優秀だから。
 最初の数字の合計は少なくとも、その戦闘中に見込まれる成長量を見込めば
 味方側の方が勝たねばおかしいようになっているのである。

・そのアレンジとして『ファイアーエムブレム』の科しているルールが全員倒されないこと。
 数十のユニットがぶつかり合い、戦場あと残るは全て敵の骸ばかり。
 損害率ゼロの圧倒的勝利が最初から最期まで延々と続くと言う
 スーパーとウルトラ64が頭に連ねて付きそうなほど滅茶苦茶に
 『エムブレム』のプレイヤー軍勢は強いのである。
 そしてまたそのルールを無視すると非常に簡単にもなる。面白いバランスの取り方です。

・『Tオウガ』は正攻法。
 こちらの強さに合わせて敵固体は大体同じくらいの強さとなるように調整され
 マップは見た目の高低差でごまかしてあるもののせまく設定されている。
 それが工夫で、『エムブレム』のように圧倒的に強さに差があるわけではない双方が
 狭い陣地内に配置された短期決戦。一手毎が重要な緊張感。
 一対一はそれほど差が無いながら数に勝る敵をいつの間にか上回る我が軍勢。
 自分はもしかしてしなくとも名将なのではあるまいか、
 と最期の1回勝った時に思わせれば勝ち。『Tオウガ』はそこが絶妙に上手い。
 トレーニングなしでもギリギリ一杯進んでいけるバランス。素晴らしい。



・『FFT』は『Tオウガ』を『FF』風にアレンジしている。

・『FF』はRPGである。『FF』は『ドラクエ』のようなRPGである。
 範『ドラクエ』が芸風。
 ファミコン時代は他にこれといってアピールポイントがなかったので目立たない。
 つまり超大作RPGですよという部分。社運賭けました製作費幾らですよ云々。
 まぜならRPGとは全てが大体劣化した模倣か同等にお金を使った倣いであったのだから。

SFC時代になってもうひとつセールストークが使えるようになりました。
 それは見た目。
 超大作。お金と時間を注ぎ込み。ところが『ドラクエ』はそうでなく
 こだわりの作風の方に行っている横、
 それをまっとう見た目をきれいにする方向に普通に行って
 結果として目立ったのがSFCでの『FF』である。
 他はそろそろ付いていけない。拡大再生産に自転車車輪が回らない。

・PSになり『ドラクエ』がさらに使える容量増えたことに応じて
 細部のこだわりを追求する間に
 『FF』は至極まっとう増えた容量をまた見た目に使って完全に『ドラクエ』を追い抜いた。
 看板ブランドとしては並び立った。

・越えようがない。中身は同じなのだから。
 こだわるところ、お金と時間を使った超大作RPGとして
 その使いどころが違うだけなのだ。


・つまり『FF』は『ドラクエ』と同じであり、やはり古典的RPGなのです。
 お話を物語るのにゲームをいう仕組みを使ったゲーム。
 ゲームという部分がうまく使えず、お話を物語る部分に邪魔であるならば
 ゲームである必要は全くない。
 それは『ドラクエ』も同じ事で、関連書籍等に広がる『ドラクエ』世界観を用いたものは
 間違いなく『ドラクエ』でありながら間違いなくゲームではない。

・ゲームの『ドラクエ』にとって、ゲームであることがどれだけ重要であるかは
 少なくとも『8』だけでは明確なことは見えない。
 その世界表現が3Dであること、製作者の思い描いた世界であることが
 『8』で求められたものならば
 そのゲームである程度も答えは同じところにあって余人の手の届く範囲ならず。
 『9』でも見えないかもしれないしいつまでもそうかもしれない。
 それが「古典」となったRPGドラゴンクエスト』というゲームであるのだ。


SRPGはゲームである。『Tオウガ』はゲームである。
 将棋のように対戦格闘のように『三国志大戦』のように、
 歴史SLGや『天下人』や『ライドウ』や古典的RPGや『ドラクエ』と違い、
 ゲームのうえにいろいろ物が載っているゲームだ。
 『FF』から引っ張ってきたのはアビリティやジョブなどの戦闘のバリエーション。
 『天下人』が『三国志大戦』から引っ張ってきたものと同じように
 それをどう表現するかの幅。『FFT』ではそれだけである。

・『FFT』はパーティメンバーが『Tオウガ』の10人から半数の5人に減って
 個々は敵より強くなっている。
 そういうアレンジのゲーム。『Tオウガ』で、もしこちらがRPGのキャラクターのように
 様々な能力を使い分ける超人的性能キャラクターであるとき
 伝統SRPGシステムはどう働くか。

・ 『Tオウガ』のように一手ごとを確かめるゲームでなく
 確実に勝つために、自分の好むがままの結果が得られるように、
 成長させていくことができるRPGの方によりすり合わせたゲーム。
 そこが『Tオウガ』を好む、焼け付くような緊張感を好む
 本格ミステリでなく本格SRPGを好む自らをマニアと持する層にとって
 裏切りと見え、すり寄りと見えたと見る。

・けれど『FFT』は『Tオウガ』でなく『ファイナルファンタジータクティクス』であるのです。
 違うゲーム、同じSRPGでも違うゲームであるのだ。


FF12』はどうであるか

SRPGで対人対戦は可能だろうか。
 どれも駄目。SRPGは多くのSLG同様、そういうように出来ていないようです。

SLGとは、コンピュータに映った自分に向かって攻撃するゲーム、のこと。
 RPGとは、楽しみたいのは自分の思い通りに運ぶ筋書き過程はどうでも良い結果が全て、
 むしろ結果を選択しておいて、その過程を見て、楽しむゲーム。
 対し、勝つか負けるかに重要性を置かない、結果を選択するのでなく、
 その過程を楽しむゲームが対戦ゲームである。

・平等な条件で勝負し負けて、理不尽と怒る事は起こるできない。
 選択しておいた結果と違う、自分が見たかった結果と違うと。
 対戦ゲームが好まれないのはそこです。
 繰返し作業、強くなる仮定に楽しさを見出せないひとがいるのと同様に
 そういうゲームが受け入れられない、興味が持てない好きでないひと、
 必ず結果が自分の好きなように振り分けられることをゲームというものに求めたいひとも
 いるからである。


RPGとはお話を語るためにゲームを使った物のひとつを呼ぶようになったもの。
 その逆にゲームにお話を載せたようにするゲームもある。
 この方向からコンピューター相手の単調さに変化を付けられるのではないか。
 と期待する辺りが、つまりマニアの『FF12』に対する期待。

・『ドラクエ』結構。古典的RPG結構。だが、そうでないRPGも見たい。
 将棋のように相手とこちらが平等で勝つか負けるか分らないゲームはRPGにはもちろん
 SRPGにも許されなかったが、SLGの一部には許される。その条件は「互いが平等である時」。
 逆に言えばそれを製作者が任意に用意することを許されるのがSLGに対するRPGなのだ。

RPGSLGの間。SRPGアクションRPGとは違った新しいRPGがあるのではないか、
 それを期待できるとしたらSRPGで優れた手腕を発揮している作り手による今度の『FF』に
 それを期待できるのではないか。
 過剰に期待してはいないけれども、そういうほどにだけは、期待している現状であります。