『世界樹の迷宮2』と『バンガイオー魂』

kodamatsukimi2008-04-10



・ところで『悠久の車輪』の現状最大問題点は
 全国対戦モードで対戦相手が見つからないことなのです。
 回線の調子以上に、遊んでいるひとが少ないのだ。
 遊んでいるひとの総数が少ないままだと面白いゲームでも楽しめなくなる。
 これぞ21世紀のゲームにおける真実なんである。


・『三国志大戦』だと対戦相手が時間内に見つからなかったということは
 これまで2000回くらいで1度しか起こったことがございません。
 しかしこれは、思えば凄いことである。
 丁度折り良く日本のどこかの誰かが、自分と同じくしてお金を入れなければならない。
 さらにその相手が同じくらいのゲーム内ランクでなければつながらない。
 それでいて相手がいないということが殆どない。
 偶然という言葉で表したくなるほど有り得なく思えるけれど
 遊ぶひとの多さが、その有り得なさを解決してくれているのである。

・『悠久の車輪』で相手が見つからないのは、つまり普及台数が違うからなのだろう。
 タイトーのアーケードカード対戦型ゲームの前作、
 『アクエリアンエイジオルタナティブ』(http://aquarian-ac.net/index.html)は
 遊んだことないのですけれども、相当に不振だったらしい。
 やはり見た目か。『悠久の車輪』もたいして変わりませんか。
 お金を使うゲームだけに固定客獲得して軌道に乗せるのは大変そうだ。

スタンドアローン、それ自体で完結しているゲームなら
 こういうゲームの中身に関係ない気苦労はいらないのである。
 1度発売されたら終わり。それをどうしようと遊ぶひとの自由。
 けれどゲームも遊びで、やはりみんなで一緒に楽しむ方が当然面白いものなのだ。
 


・さて『世界樹の迷宮2』でありますけれども
 これがまた驚くほど前作と変わらない中身であります。
 公式 http://s2.atlusnet.jp/ ASIN:B0012M7G16
 本当に変わっていない。お話とダンジョンの地形と敵の見た目が変わったくらい。
 使いまわしも極まれりの手抜きゲーム、と投げ捨てたいところなのだけれども
 なんだかんだいっても最期まで遊んでしまう魅力はある。
 遊ぶ前の想像におおよそ外れない出来ではある。
 『1』の時点で充分良く出来ていたから
 まったく変わっていなくても、『1』と同じ程度だけは楽しめるわけである。

・微妙に変わっているのが、スキル取得条件が最初からわかるようになっていること。
 前作最期まで回復役の職業メディックが、全体回復スキルも属性耐性スキルも
 覚え方がわからなくて苦労した身からすれば大変ありがたい変更である。
 でもまあ、先がわかり過ぎて驚きがないというのも強調されているのだが。
 (08/4/14追記:『1』でも
 「未取得スキルにカーソルを合わせて決定ボタンを押すことで、取得に必要な条件は確認できる」
 とのこと。ですね。最期どころか今に到るまで気付きませんでした。
 コメントでのご指摘ありがとうございます。)


・『1』と変わってないからこそ同じ程度は楽しめる。
 多少の改善がなされていても、目新しさがない分だけ『2』は『1』より劣る。
 遊んでいて楽しさが少ない。もう少し前作を程よく忘れて入ればよかったけれども
 割とすぐ出た続編である上に、見た目も同じなので飽きを誘発。
 それが『世界樹の迷宮2』であります。

・出来の良さ、良し悪しをいうならば『1』を受けて作った『2』の方が良いわけだ。
 けれど面白さはそうでない。
 『1』を始めて遊んだとき、攻略本を見ながらではなく
 手探りでどんなゲームなのか、このスキルの使い勝手は、この敵に対する手段は、
 そうすればこのダンジョンを攻略して行けるのか、
 と探求しているときに勝るものは『2』にはない。

・さらにいうなら昔、初めて遊んだロールプレイングゲーム
 『世界樹1』を初めて遊ぶ面白さは劣るのである。
 出来の良さを振り返って見るなら後から遊んだ『世界樹』の方がもちろん良いのに。


・ゲームの面白さ、楽しみ方は
 そのゲームが何によってどのように作られているかを知っていく、解いて得る楽しさと
 気付いて行きながら、それで遊んでいく楽しさの2つある。

世界樹の迷宮に足を踏み入れて、一歩ごと、進むたびに周囲を見渡し隠し通路を探し
 地図を書き込み作っていく。
 今いる迷宮を自分で作っているわけではない。
 既に作られているものを見つけて、知っていく面白さ。
 それが、初めて遊ぶときの発見、探求の楽しさ。

・けれどRPGの楽しさというのは、新しいものを見つけていく遊び、探求だけではない。
 ゲームの中で迷宮を探索している自分は
 そのゲームについて知ろうとしているのでなく
 ただ、先に進めるようになるという結果へ続く過程を楽しんで遊んでいるだけなのだ。 
 その、ゲーム内にいる優れた冒険者という役割を演じること自体が楽しいのであり
 そこに意味があり、価値があってだから無為な作業ではなく
 みづからを、想像した物語の中に置いて楽しめるのである。

・既にあるものを知っていくだけでなく
 そのゲーム内状況という過程自体に意味を見出し創っていくこともできる。
 それがRPGの楽しみ方であり、面白さであるから
 例え既に、先がどうなるかやどのようにすれば効率良いかを知っているゲームでも
 であればこそそれなりに、それをこなすこと自体を楽しめるのである。
 『1』の感触をまだ忘れていないうちに、『世界樹の迷宮2』を遊ぶときのように。




・話し変わってもうひとつ。
 『バンガイオー魂』は、シューティングゲームすなわちアクションゲームというより
 パズルゲーム。ある意味でトレジャーらしい名品。
 公式サイト http://www.esp-web.co.jp/products/bangai-o/ ASIN:B001385CLK

・前作『爆裂無敵バンガイオー』は、以前書いたように(http://d.hatena.ne.jp/kodamatsukimi/20050107
 要は「全方位弾をいつどこで撃つかだけのゲーム」、でありました。
 だけ、なのだけれども、アクションゲームとしてすこぶる楽しい。
 画面全てを覆いつくす自弾幕。あらゆる敵に勝つ番外最強の破壊王である自機。
 この世界において勝つのは常に自分である。
 敵はただただ己の前に粉砕し尽くすだけ、なのに、それがそれでも楽しいのだ。


・本作『魂(スピリッツ)』は、そういう前作から大きく変えてきています。
 攻撃手段が複数用意されていて、それぞれに長所短所が設定されている。
 すなわち前作の全方位弾のように、それさえ撃っていれば良いという万能武器がないのだ。
 全方位に無敵の武器がないのである。
 様々な武装を敵の配置に合わせて使い分ける必要があり
 加えて今度は、敵も数で破壊されるために突っ込んでくるわけではなく
 全方位に攻撃できないこちらの武装にあわせて全方位から攻めてくる。

・1ステージは短いので何度も繰返し試せる。
 クリアできたらより短時間かつ華麗に高得点を狙って繰り返せる。
 最強ゆえに、ひたすら破壊しつつ地獄の果てへと疾走する前作と異なり
 様々な状況下で万能戦機たる自機機動をどこまで昇華させ得るのか、という
 このゲームが本来既に持っていながら発揮しきれていなかった奥深さを
 より掘り下げる構成となっております。

・つまりよりマニア向け。
 ステージエディットもあってどこまでも遊び続けられる。
 アクションゲームとしての挙動周りはさすがトレジャーである。
 DSで『バンガイオー』を出すというから
 また市場目当ての『ガンスパ』のような拡大していない再生産ですかと思ったら違う。
 今度のトレジャーは本物だ。『バンガイオー魂』は前作を踏まえて傑作である。



・パズルゲームというものは、解法を見出したらそれで終わりである。
 次のとき解き方を覚えてさえいれば、いてはいけない規則もないゆえ
 初めてその問題を解いたときの苦労を味わう必要はなく、味わう事はできない。

・であれば単純な問題において、最適解を得て実行し得たときこそが
 そのパズルゲームというものの楽しさが終わるときでもある。
 ゆえにだからこそ、答えを知ることだけ、
 それを知ったかぶりすることだけで楽しさを完結させてしまうのではなく
 何度でも楽しめるため
 答えを実行する過程の操作もゲームにおいては楽しさにできて、するのであり
 答えが解っているのにどうしても答えられないようにできているクイズは
 ゲームにならないのである。良くないのだ。

・問題を見て、既に自分以外の未知により作られているそれを見て解くことは
 その仕組み構造について知ることである。それで知る楽しみだ。
 しかしクイズゲームというものはそれだけではない。
 答えを知っているクイズでも解く過程を実行することに
 それを楽しむことに、意味と価値を付け創造して
 楽しむことができるものなのである。
 上手く操るというテレビゲームだからこそのアクションゲームという楽しさもある。
 しかしそもそも、答えを知っていても、それに答える過程自体が問われ
 競うことができ、楽しむことができて、ゲームになり得るのである。




・『悠久の車輪』は可動開始1ヶ月、まだまだどのようなゲームであるのか
 皆手探りの段階であります。
 例えば、その過程は攻略Wikiへの情報集積という形で楽しむことができます。
 このカードの性能はこうで、このシナリオの内容はこうで
 だからこれを解くにはこうすれば良いのではないか、
 いやこうするとより効率的で強いのではないか。

・製作者以外の誰もがまだ答えを知っていない問題を解く過程、見つけていく楽しみ。
 探求するもの同士が解っていない問題を使って、競い遊ぶところからは
 既知にない未知の解法も見出される。創りだされる。
 それが面白さです。


・ゲームの中には、それを知っていることが
 解くこと、勝つことには関係のない情報もあります。
 それはゲームにとって不要だろうか。ゲームを遊ぶのに邪魔なものだろうか。

・アイテムに機能だけでなく数字や絵や名前が付いていることは
 識別の覚えやすさだけのため。
 パーティメンバーのキャラクターに自分で名前をつけることで湧く愛着は
 思い込みである。
 カードの絵やキャラクターネームの語源について情報を共有することは
 ゲームを解くこと、全てを破壊する強さを得るためには不要である。


・けれどゲームで楽しむためには必要なのだ。
 なぜそのゲームについて知る必要があるのか。
 それは知っていなければならないからではない。

・ゲームの目的は結果ではなく過程である。
 誰もがより良い結果という目標を求めるとしても
 それは過程にも良し悪しという基準と判定があり
 良いほうを辿ることでこそ
 正しい答えにより良くたどり着けるという良さが正しさである規則が
 ゲームという競争道具の規則であり、それこそがゲームの出来の良し悪しである、
 という参加者遊び手全体の了解に立脚されているからこそなのだ。


・ゲームの楽しさとは、それで遊ぶこと自体にある。
 あるいは同じ条件下で競い合う。あるいは異なる条件下で協力しあう。
 答えを見つけること。それが目的ではなく、その過程と
 その過程を行うこと自体がゲームであり、楽しさなのである。