ああ われもなりたし ハードメーカー その1


・先週(4/2)発売のファミ通は、通巻800号であるとかで
 創刊号が付録についています。

・当時の内容はもちろん、広告まで忠実に再現しており
 背表紙の「スーパーマリオブラザーズ2」だとか
 見開きのスクウェアの「キングスナイト」などなど、懐かしい内容。


・本誌の方もいろいろ特集が組まれていましたが
 中でも注目なのがPSの立ち上げ秘話。

・全体の内容はSCE(ソニーコンピューターエンターテイメント)の
 佐伯氏に話を聞いたものを、まとめたもので
 それほど目新しいものではないのですが、一点、
 ナムコがPS立ち上げ時、自社ハードを開発していた、
 という点が驚きでした。

ナムコもコンシューマーハードを発売しようとしていたとは。
 驚きです。


・主な家庭用ゲーム機のハードメーカーは、
 任天堂セガ、NECとハドソン、バンダイソニーマイクロソフト
 SNKなどなど。

バンダイはハードメーカーだったっけ?と、忘れられそうですが
 ワンダースワンはもちろん、
 ピピンアットマークとか、プレイディアとか、アルカディアとか、
 RX−78(GANDAM)とか、スーパービジョン8000とか、
 TV−JACKシリーズとか、光速船など、
 実に古くからさまざまなゲーム機を出していたりします。

・もっともバンダイはおもちゃメーカー。いわゆるゲーム機というより
 テレビを使ったおもちゃも含まれているわけで、
 と一応フォローしておきます。
 ゲーマー的にはどうでもいいメーカーですね。(すごい暴論だなあ。)


・ご存知のように最初に天下をとったのが
 ’83の任天堂ファミリーコンピューター。 
 任天堂花札などを作っているメーカーだったわけですが、
 様々なおもちゃから、ゲーム&ウォッチなどをへて
 一躍他の玩具メーカーをさしおき、家庭用ゲームでトップに立ったのです。
 ぱちぱち。

・ちなみに今も任天堂は、花札、トランプ、百人一首などの
 カードゲームはもちろん、将棋、囲碁、麻雀牌なども製作しています。
 テレビゲーム以外にも忍び寄る任天堂の魔の手!なのです。 
 参考  http://www.nintendo.co.jp/n09/index.html


・で、その任天堂にしつこく追いすがろうとした、かどうかはわかりませんが
 セガもゲーム機を出していました。SG−1000。
 機械の型番みたいな名前ですね。

セガはアーケード、つまりゲームセンターでゲームを製作していました。
 もっともそれはセガに限ったことでなく、任天堂ドンキーコングなどを
 アーケードで出しています。

・さらに言うなら、アーケード市場を作ったのは
 タイトーの「スペースインベーダー」。
 任天堂も「スペースフィーバー」という「よく似た」ゲームを
 出していたりしたのです。


セガの力は当時それほどなく、
 ナムコタイトーなどのアーケードゲームの雄といえるメーカーも
 ハードを作ることなく、ファミコンは「家庭用ゲーム」という市場を
 1台で作り上げました。その勝因はもちろん多岐にわたりますが、
 強力なライバルがいなかったこと、ハード設計が優れていたこと、
 優れたビジネスモデルを構築したこと、などがあるでしょう。

・技術的に先行していたはずの海外では、有名な「アタリショック」により
 市場が一時的に崩壊しており
 任天堂のNES(ニンテンドーエンターテイメントシステム、ファミコンの外国名
         読み方、ネス マザー2の主人公の名前でもあります)
 の邪魔をするものはいませんでした。
 (このあたりの動向については様々な見方があるようです
  参考;アタリショックウィキペディア
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AF

・国内では先のバンダイや、トミー、エポック社などのおもちゃメーカーが
 同様のゲーム機を出していましたが、アーケードのゼビウスなどを
 高いレベルで移植できたのはファミコンのみ。
 他が悪かったのではなく、ファミコンだけが「おもちゃ」としては
 突出して優れた性能を持っていたのです。

任天堂ゲーム&ウォッチでは自らソフトを開発していましたが
 他のメーカー、ずばりナムコの「ゼビウス」などのソフトが目的だったと
 思われますが、早くも発売の翌年からライセンシーソフトとして
 ハドソンの「ロードランナー」(開発はブローダーバンドですが)や、
 ナムコの「ゼビウス」「マッピー」「パックマン」などを発売しています。
 さらに流通面も結びつきの強い玩具問屋グループ「初心会」を
 一次問屋とすることで、強力な市場コントロールを行いました。

・もちろん、これらの施策は自社の優れたソフトがあってのこと。
 自らの優れた開発力と、見事な経営戦略でファミコンを勝利させたのです。


・ハードーメーカー任天堂は異常に儲けまくります。
 社員一人当たりの売り上げが1億以上となった時もあったとか。
 他のメーカーがソフトを発売するたびに
 その何割かを持っていかれるシステムを作り上げ、
 数千円のソフトが100万本単位で売れるわけですから、儲かるわけ。
 ハードメーカーは儲かる。誰もが思ったはずですが。

・しかしセガやおもちゃメーカー(これはファミコンとは違う市場を狙ったものでしょう)
 を除いて、ハードを発売するメーカーは、なかなか現れませんでした。
 なぜなのか?タイトーナムコバンダイなどのメーカーには
 その力があったと思われるのですが。
 わかりません。


・’87、ハドソンとNECの子会社NECHE(ホームエレクトロニクス)が
 PCエンジンを発売しました。
 ’85のセガマーク3と並び3種のハードが揃うことに。

セガはこのころアーケード市場で絶頂期を迎えていました。
 「ハングオン」「スペースハリアー」「アウトラン」などの大型体感ゲーム
 大ヒット。「ファンタジーゾーン」もこの頃です。
 ’87にマスターシステム
 そして’88にセガマーク5ことメガドライブを発売。


・次々に第二の家庭用ゲームの覇者を狙ってハードが発売されましたが
 その内容は残念ながら、ファミコンの牙城をまったく揺るがすものでは
 ありませんでした。ソフトが追いつかなかったのです。

・NECはハードメーカーであり、頼みはハドソンのソフト。
 しかしハドソンはファミコン初期から活躍していたものの
 果たしてどれだけの開発力があったのか?
 ハドソンのファミコンでのソフト発売リストをご覧ください。
 ハドソン公式サイトより http://www.hudson.co.jp/gamenavi/gamedb/index.cgi

・このなかで、ハドソンのオリジナルタイトル(自社開発)であり、
 今も名の残るようなソフトがどれだけあるでしょうか。
 いまだにしつこくシリーズを出し続けるボンバーマン桃鉄の他には
 「スターソルジャー」と「迷宮組曲」くらいのもの。
 ハドソンはその名前ほどには実力のないメーカーと言えるでしょう。


・一方でセガも、アーケードこそ絶好調なものの、家庭用機は別。
 常に先端の技術を駆使して製作されるア−ケードのゲームは
 容易に移植できず、さりとて非アーケードソフトの開発には
 ハードを出していたにもかかわらず、力をいれていたとは言えない状態。

セガのゲームとは「いままでにないゲーム」であり、
 それはアーケードでこそ発揮されるものだった、といえるでしょう。


ドラクエ3、スーパーマリオ3などファミコンの性能を存分に生かした
 完成度の高いソフトが発売された’88当時、他のハードには勝ち目は
 少しもありませんでした。

・むしろハドソン、NECとセガは無謀な挑戦をしていたと言え、
 他のメーカーもまた、自社ハードを出す機ではない、
 と考えていたのでしょう。
 
 
 
・また話がそれて長くなってしまいました。ナムコの話がしたかったのに。
 残念ながらまた次回。
 「塊魂」で遊びながら、いつになるかわからない
 次の機会をお待ちください。
 
 かたまり だ ま しーい。ごろごろごろごろ。