「アドベンチャーゲーム」の難易度 続き

・6/5(http://d.hatena.ne.jp/kodamatsukimi/20040605#p2)の続きです。


・「メトロイド」はアクションアドベンチャー
 「プレイヤーが主体的に関与する謎解き要素をゲーム性の主とするシステム」、
 という私が勝手にでっち上げた定義にあてはまるゲームです。
 なぜ「メトロイド」はマニア向けなのか。
 それはその難易度に一因があるといえるでしょう。
 難しいのです。



任天堂のゲームは万人向けでありながら、決して簡単ではありません。
 ただ漫然とボタンを押しているだけではクリアできない、ということです。
 
・例えば「スーパーマリオブラザーズ」。
 2の難しさは有名ですが、3も、そして文句なしの名作の初代も
 初回プレイで難なくクリアできるようなゲームではありません。
 何度も繰り返しプレイすることで上達し
 やがてはだれもがクリアできるようになる、
 絶妙のバランスをもったアクションゲームです。

 
・例えば「ゼルダの伝説」。
 2作目の「リンクの冒険」はややシステムが異なりますが
 基本的には、様々なアイテムを駆使し、ダンジョンの謎を解いていく
 アクションアドベンチャー
 戦闘やレベルアップは重要ではなく、いかに局面にあった対応を取れるか、
 プレイヤーの知恵が試される仕掛。
 「ゼルダ文法」とでも言うべき、「お約束」を理解できれば
 スムーズに謎が解けるようになります。


・「メトロイド」もまた「ゼルダ」と同じく
 ダンジョンの謎解きがゲーム性の主であるゲーム。
 そして「ゼルダ」以上に難しい。
 やはり慣れるほどに解法が目に見えてくるデザインです。
 ここが怪しい、きっとここに何かあるに違いない、
 そこに答えがあるゲーム。


任天堂のゲームが難しいのに、難しく感じさせず、
 万人向けのイメージを与えているのは
 よく出来ているから。無駄がないから。
 面白さがどこからくるかわかっているから。

・ただ、それでも「メトロイド」が難しいのは
 初代からの伝統もあるでしょうし
 大人向け、海外向けのデザインを意図してなされている、
 ということもあるでしょう。
 「カービィ」より「メトロイド」の方が簡単では、だれもが困ります。 
 

 
アドベンチャーゲームの欠点は、「行きづまる」ということ。
 行きづまるとプレイヤーはどうしていいかわかりません。


・前回の「逆転裁判」のような純然たるアドベンチャーゲームならば
 とにかく考えられる限りの手をうちます。
 いわゆるコマンド総当り。
 それでも駄目なら、2回話しかけることが条件かも。
 また総当り。
 
・アクションアドベンチャーであれば
 行ける限りのところをくまなくまわり
 見落としはないか、試していないことはないか、
 何もない壁にむかってダッシュしたり
 何もない空間にジャンプしてみたり。


・それは面白いのか。


・面白いと思う人もいれば、
 そんな作業のどこが面白いのか、ゲーム以外にも面白いことはいくらでもある、
 と投げ出す人もいるでしょう。

・同じゲームでも、行きづまるかどうかは各プレイヤー次第。
 正解にたどり着けるかどうか。
 ゲームの目的上、答えはわざとわかりにくいように、
 でもわかるように隠されています。
 そのさじ加減。

・プレイする意欲を失わせるほど難しくてもいけないし
 何も考えずにいつの間にか通過してしまうようではゲームにならない。



アドベンチャーゲームの難易度設定は難しい。


・推理ゲームならば、論理的帰結によって正しく唯一の考えに基づけば
 誰もがそのコマンドを選ぶように、プレイヤーを誘導できているか。
 そもそも製作者はそこまで考えてゲームを作っていないのではないか、
 とプレイヤー様が裏読みしてさしあげなければならないかもしれません。


・アクションアドベンチャーならば
 この現実世界ではありえないようなステージを使って
 なぜかそこに回答があることを、理不尽に感じさせることなく
 適度に探索させるよう誘導した上で、答えを配置する必要があります。
 


・アドベンチャー要素、謎解き要素をプレイヤーに考えてもらうゲーム。
 小説や映画のように、何もしなくてもやがて回答が示されるわけでなく
 プレイヤーが主体的に関与する必要があります。
 
・そこが面白いのです。ゲーム性です。
 自分で答えを見つけることができる。
 名探偵を演じることができる。
伝説の探索者として世界を救うことができる。



・誰もが楽しめるアドベンチャーゲーム
 誰もが適度に悩み、正解を見つけだす楽しさを味わえるゲーム。
 残念ながらそれはとても難しくいことですが
 製作者はよりいっそうの努力を。
 そしてプレイヤーも優れたゲームを正しく評価することで
 より良いものが作られることに寄与したいと思います。