『ポケットモンスター』と『モンスターハンター』


・せんだって(http://d.hatena.ne.jp/kodamatsukimi/20060313)書いたように
 カプコンの今や新たな看板作品『モンスターハンター』シリーズを遊んでいなかった、
 ので遊んでみました。
 もちろんPSPの『ポータブル』(ASIN:B000G3G3CU)。
 もちろんオフラインのみ。
 世間さまがいよいよ『ポケモン』もWifiでありネットにコネクトでゲットだぜ、と
 叫んでいるのをしりめ、ネットにつながず引きこもり。
 ネット引きこもり。いや現実引きこもり。いやゲーム引きこもり、か。



・『ポケモン』は評判になって後から買いまして、無駄に時間だけはあったあのころに
 『赤』をてしてしと遊びました。
 もちろん通信しなかった。なぜなら小学生に知り合いいなかった。

・このゲームは、ゲームボーイというファミコンより器小さい機械の中に作られたRPG
 特徴は、プレイヤー操るキャラクターは能力成長しないこと。
 敵としてでてくるポケモンに対し、手持ちのポケモンを戦わせて勝ち、
 倒したポケモンを「ゲット」して、手持ちの駒として使うところ。

・敵として出てくるやつを捕まえてそのまま自分で使える。
 また、『女神転生』などと違っていたのはポケモンが成長するところ。
 先に進んでいくほど強いやつがでてくるので常に取り替えていくのでなく
 いろいろ特徴、必殺技と弱点強調された敵種類に手持ちのやつらが対応できるよう
 組み合わせてあてていくところが、このゲームのゲームであるところであります。


・それでつまりそれは、ある程度までは成長する武器を敵にあわせて付け替え進むRPG
 なのですが、狭い中でのもうひと工夫として
 その成長する武器を、集める要素、ここをわかりやすく訴えているところがあげられます。
 すなわち、RPGを遊んでいて、手に入ったアイテムに所持総量制限がないならば
 不要になったものでもなんとなくひとつずつ残して飾ってしまう、あれ。
 図鑑。コレクト。コレクター。
 アイテムコンプレートなんて大それた「やりこみ」をする気はないのだけれども
 もしかして。もしかすれば。できたらいいな。こんなにすごく集めたぜ、という
 収集の楽しみ。

・それに通信で互いにそれを交換しあえるようにしたのが『ポケモン』です。
 RPGか。RPGだ。
 なるほど、今見てみれば当たり前に当たり前であるけれども
 それだけにわかりやすく絞って、見た目とかの量でなく
 ちまちま自分の集めて育てた実績を眺めて楽しむことに
 ゲームの楽しさを置いている点、『ドラクエ』とかのRPGでないRPGであるものが
 それすなわち『ポケモン』のようなRPGであるところであるのである。



・『モンスターハンターポータブル』をオフラインで遊んで、
 以前『ファンタシースターオンライン』をオフラインでのみ、遊んだのと同じく
 楽しめなかった。当然だ。

・ハンター、狩人、狩り。モンスターを探し捕えるゲーム。
 違うところはアクションRPGであるところで
 いわゆる恐竜と呼ばれる種の外見をしているモンスターが襲いかかって来るのをかわし
 サッと華麗にかわすというより、動きを覚えて先読みしてよけて
 こちらの振り回す武器攻撃を的確に当てていくアクション要素と
 倒した獲物から肉とか骨とか皮とか剥いで、焼いて食べたり加工し武器にして
 それで武装することで、戦力を増大させるRPGてき部分との割合が
 同程度であるようなアクションRPGであります。

・アクションゲームほどシビアでなく、RPGほど力押しも利かないけれど
 武器を整えなけらば即座にお帰り、攻撃を当てられなければいつまでも倒せない。


・それでつまりそれは、敵を時間掛けて数倒していればその内成長して強くなる、が
 より効率よく成長させたいならば
 そのゲームの決まりごとを遊び手自身が知っていくことで回っていく種のRPG
 そのアイテムはどこで手に入りやすいか。あの敵を楽に倒すにはどうすれば良いか。
 ゲームのルールでなく、そのなかにある設定の数々を知っているほど有利になる
 その知識を集めてデータを隅々塗りつぶしていくというゲームです。
 いわゆる「やりこみ」ゲーム。容量やりがい抜群。君といつまでも果てしなく。 


・しかしそれでは作業である。だがそれがいい、自己満足でそれで良い、
 つまり遊んでいる自分がそれ、その過程を楽しめているならば
 それで良いのであるけれど
 結果として、その成果を自己満足するとき自慢するとき
 自分で積み上げてきた過程の結果が『ポケモン』ほどには
 『モンスターハンター』はわかりやすくないのが違い。
 数ではないから。見えない知識だから。効率化技術だから。
 だからその成果発表会がオンライン。みんなで集まり協力しての狩り。
 その相手を倒す武器を持っているのがすごいというよりも
 より効率よく倒すための方法を知っていることが凄い。
 だからこそ、それを真似されないためのアクションRPGなのである。


・と思う。たぶん。予想。オフラインしか遊んでいないひとのしったかぶり。
 せんせいこのサイトに書かれていることはみんなしったかのうそばっかりです。





・このRPGふたつを遊んで、オンラインにつなげるのにつながないRPGとして遊んでみると
 終わらないRPGであるかのように見えます。
 ここで終わりというのがない。ここまで遊べば良いがない。
 ゲームのルールが許す範囲でどこまでも成長していく。拡大していく。
 結果のないその過程を比べあうゲームであるとみえる。


・けれど、終わりのあるゲームというほうが特別なのではないか。
 ワードナを倒してもムラサマブレード手に入れても冒険者は出てこない。
 2週目ボスを最凶難度で倒せたとしても、スコアがカンストするまで終わらない。
 エンディングを見たら、ゲームは終わってしまうのではなく
 それはとりあえず、そのゲームに勝ったということを示すにすぎないのだ。
 そのゲームルールの中で、ある程度効率良く立ち回れるようになったに過ぎないのだ。


・しかしそれだけでもない。ゲームにはルールでなく中身もある。
 カードゲームやテーブルゲームはルールだけがあり、その下で遊ぶことで
 結果を目指すのでなく、過程を、作り上げて行き楽しむ。
 例えばRPGには話や舞台が用意されている。それは過程が作り上げるのでなく
 作られているのを眺めたり、携わったりする過程を楽しむ。それが中身。

AVGは一周目のように二度目は楽しめない。一度結末を見て知っていることは
 そのゲームに勝ったということと決定的に違い、
 むしろ喜んで負けたと思うほど、楽しく感じられる。
 用意された中身から作りだす楽しさ。

ワードナを効率よく倒せるようになる過程の作った結果でなく
 倒せるようになるまでの過程にあった中身が楽しかったのだ。
 ラストボスにたどり着くまでに重ねた工夫が楽しさなのだ。
 話を味わい、決まりがどのように置かれてゲームを形作っているかの結果に
 感心することだけがゲームを楽しむことではない。


・ゲームとは、過程を楽しむものか。結果から見て全体を振り返り眺め味わうものか。
 もちろんその両方。
 けれどそれは、エンディングのない、終わりのないゲームを駄目にするとは
 まったく違うこと。

・ゲームは、決められた決まりの下で計算機と戦うことだけでなく
 決まりのなかで自分の限界と戦うことだけでもなく
 その過程で積み上げた結果を楽しむことと、過程をより効率良く工夫して楽しむこと
 その両輪の結果と過程で味わう中身、
 その結果と過程で誰かと協力すること、
 その結果と過程で誰かと比べ戦うこと、
 ひとり楽しむことと共に、誰かとともにつながって遊ぶことにも広がっている。



・一方でこうも言える。けれどゲームは終わらなければならないはず。
 なぜなら、いつまでもひとつが果てしなく上塗りされていくだけで
 全てを充足させられないということと
 いつまでもひとつが果てしなくあっては新しいものが生まれないから。

・エンディングを見ること、そのゲームの中を塗りつぶし埋め尽くして
 端の限界まで来て終わる。自己完結的。多くのゲームはそう。
 けれど対戦の道具としてゲームがあったり、共に楽しむ場としてある場合は
 その理屈ではゲームが終わらないように見える。
 ゲームの楽しむ中身はルールさえあれば終わりなくつくられるように見える。
 しかし実際みて、オンラインでなくとも対戦ゲームも協力ゲームも終わっているのは
 相手がいなくなるから。
 オンラインでも相手がいなければ誰ともつながらないから。


・ひとりで遊ぶゲームは、終わりたいところで終える。
 エンディングを見たら満足する。『ポケモン』を周りの誰よりも集めたら終わる。

・オンラインで引き伸ばされて終わらないように見えても終わる。
 用意された中身、話とか舞台とか成長限度などは
 いくら継ぎ足し入れ替えても有限であるけれど
 そこを場として、そのゲームルールを協力または競うことの道具として使うならば
 いつまでも中身は作られて、楽しめて、終わらない。
 けれど場として道具として使えなくなったら
 自分がそこにある中身に満足していても終わりなのだ。

・ゲームの楽しさはどこにあるか。そのゲーム構造のどこがそれを担当しているか。
 それで大きく分けられる。けれど、その両方を兼ね備えたものもある。
 良い悪いということと、楽しめたかどうかは違い、
 また今楽しめるか、これからも楽しめるかどうかとも違う。
 ゲームは終わって消えていくものもあるし、いつまでも残るものもあるけれど
 そこにある差は出来の良し悪しだけではない。






・このサイトを書いているひとがゲームを楽しむ方法は
 結果を見て、そのつくりのかたちを見て感心している風を装っている、
 このサイトの文章からもわかるように、中身を見ないでみている。
 誰かがそこでどのように遊んだかは見ずに
 自分が眺めてどのように見えたかだけを書いている。


・ここでやや蛇足ぎみに引くと
 『ポケモン』『モンハン』と比べて『リンダキューブ』を置くとどうだろう。
 中身。ゲームの中身。ルールでなくその中身も、ゲームではまた問われてしまう。
 その用意された中身を楽しめるかどうかは、ひとによって違う。
 また中身はルールと違い消耗する。AVGのそれのように。
 またこうも言える。おなじ作りのゲームが並べば、より古い方、あるいは新しい方、
 どちらを良いものとすべきであるか。
 思いいれは過去を美しく。感じる心は構造の無駄のなさを。
 それで良いけれどそれでは良くない。


・そういう風にしてつまり、だから、
 オンラインRPGでオフラインから出てこないで引きこもるのである。
 XBOX360がないている。DSのWifiコネクタが泣いている。
 ゲームの楽しみ方はひとそれぞれとうそぶく前にまず
 どういう楽しみ方があるかとみてみるのもまた興味深いことであることよ、と
 ここに書き連ねてみる効用こそ、まこと正しきことであることよ、と。