ゲームの積

kodamatsukimi2007-01-09



・新年明けましておめでとうございます。
 はい、もう明けてしばらく経つのに、これと言って書くこと特にないので
 適当に思いつくままキーボードカタカタで行かせて頂きます今回は。
 年の初めからこんなで良いのか。まあ今年もこんなものでございます。
 お暇なときに流し読みしていただければ丁度。
 そんな感じで本年もはじまりはじまり。



・昨年末に去年のまとめを書いておりまして、使ったお金を計算してみました。
 ゲームに。趣味代。本代とかも含みます。
 それで、金額意外に少なかったのがゲーム攻略本の類。
 新刊では『FF12』のアルティマニア3冊と『三国志大戦』を3種の計6冊のみ。

・数は多いのです。中古です。ブックオフに入ったらまずゲーム攻略本コーナーへ。
 それがゲーマーのたしなみ。といって沢山安く買うので積みあがり。
 買っていないゲームのものであっても問題なく
 同じゲームで何冊も出ていても、さらりめくって良さそうであれば何冊も買うので
 その数積んでいるゲーム本数どころでない。小説類は場所のために時期をずらしてでも
 出ないことが確実なものを除けば必ず文庫で買うようにしている努力も意味はなし。
 年末実家に山と読み終わった本は持って帰るのですが
 ゲームの本を持って帰ってもしかたない。ということで
 遊びもしない、遊ぶ予定もないゲームの本が狭い部屋に山となしてるのであります。


・片付けつつ思いました。果たしてこれをどうしようというのだろうか、自分。
 ひとつ取り出してめくってみます。読みふけります。
 遊んだことがないゲームであっても何百と解き何千と種類をこなしていれば
 だいたいどのような感じであろうかということがわかったような気になれて
 それでそれなりに楽しめてしまっている自分に気付きます。

・ゲームを遊ぶのが面倒だ。
 解かなければならないことが面倒だ。
 勝てないので楽しめないもにお金を払うのは無駄なことだ。
 そういうものに満足するため時間を費やすことは意味のないことだ。



・新しいゲーム、発売日が来るのを今やと楽しみにしていたゲームを始めるとき、
 そしてそれが楽しめるゲームであるほどゲームは楽しいのであります。
 しかし世の中あるひとから見れば、そういうようなばかりでもなくて
 特にこれといって遊びたいものがないので
 世間で評判のひとつを選んで手にとってきたとかの時であると
 遊ぶのが面倒であったりします。

・なら遊ぶなよ。それって遊びじゃないでしょう。
 遊ぶことに使う時間があるならしたいこと、好きなことをまずする方が良くて
 面倒と感じることを、しなければならないことをすることは違う。



・ゲームは、遊んでいるとわかりますけれども
 勝つ結果に向けて積み上げていく過程の楽しさであります。
 対戦ゲームの勝敗や、オンラインで協力しあって話を進めることが目的ではなく
 その過程の楽しさです。

・1人で遊ぶときでもそうで、そのゲームをより良くわかって工夫して、解く。勝つ。
 そのわかる過程、工夫する過程が楽しく、それがあるからこそ良い結果が嬉しい。


・『クイズマジックアカデミー』はクイズゲーム
 オンライン全国対戦によって同じ問題を誰かと一緒に解くことが楽しいゲームです。
 オフラインだとそれまでのクイズゲームと何も変わらない。
 画面がいかに仰々しく褒め称えてくれてもオンラインのそれより良くない。
 なぜならクイズゲームとは、答えを知っているか否かでしかなく
 なんの工夫もしようがないからです。ゲーム側もできるだけ問題を多くするしかない。

・なぜ問題を多くするのか。同じ問題が出てしまうと
 答えを知っていることが確実になってしまい、
 知っているかでなく覚えているか、というクイズゲームとは別のものになるから。
 この問題が出たらこの答えだ、と覚えている方が勝つゲーム。
 それで楽しいのか、という問題。
 ファミ通で連載されているブルボン小林さんのコラムでも取り上げられておりました。


・『アイドルマスター』でより良くアイドルを高性能に育てるには
 アドベンチャーパートとゲーム用語では分類されるアイドルとのイベント会話で
 正しい受け答え選択肢を選ぶ必要があります。
 毎朝の挨拶や試合前の会話はどの選択が正解か決まっていないのですが
 イベント会話では正しい答えはひとつのみ。
 正しいことはひとつなので、良い結果を得るための唯一の答えは
 その選択肢という問題の答えを知っておくことです。

・知っているほうが勝つ。知っているほうが正しい。それがゲームである。
 しかしけれど、ゲームは勝つという結果への過程における工夫が楽しくなければ
 面倒であり、しなけらばならないものになってしまうのではないか。
 何度も繰り返してより良く知り、正解に近づいていく過程こそが楽しさではないか。

・『ダビスタ』で最強の馬を作る方法がただひとつ、唯一の正解があったらどうか。
 けれどクイズゲームには唯一の正解しかあってはいけないのだ。



・ゲームを楽しんでいる過程は、その新しいゲームについて知っていく楽しさです。
 キャラクター、お話、背景、造形、音楽、設定、美術、ゲームルールの妙。
 より良くその中身を知り、それを自分の物として自身の中で展開し
 こうすれば上手くいくのではないか、と操作して
 それが思ったとおりとそれ以上の結果を挙げた時の喜び。
 操るゲーム、解くゲーム、読み解くゲーム、読み進めて知るゲームのどれでも
 その中身をを知ってそれを広げ、コントローラーもゲーム機も通さず
 頭の中でその知っていることを、操り、操作し、展開するだけにも
 ゲームの楽しさはある。


・ゲームはしなけらばならないことではなくて、好きですること。
 遊びたいから遊ぶものだ。勝ちたいから解きたいからでなく
 より良く知りたいからという結果ではなく、知る過程とわかる結果に楽しさがある。


・『マジックアカデミー』で問題を覚えていて、答えを知っていて
 同じ問題が出たとき素早く答えて正解し、勝利することは楽しいゲームか。
 もちろんそう。覚えていたから解けたのではなく
 知っていたから答えたのだ。そのゲームについてより良く知っていた方が勝つ。
 答えを知っていることへの過程が楽しいゲームであるから
 『マジックアカデミー』は良い仕組みの楽しいゲームであるのである。

・『アイドルマスター』でイベント会話の受け答えを知っていなければならないか。
 ならない、とするならば何のために。勝つために。しかし
 勝つためになら知っている必要はあるが、ゲームを楽しむ過程には十分ではない。
 常に正しく勝利し続ける遊び方はもちろん正しい。それが楽しいのだから。
 けれど、しなければならないのでなく、したいからするのであれば
 正しくある必要はなくて、知っていく過程を楽しめれば価値ある勝ちである。



・山と積んだゲーム攻略本。新刊で買わず、持ってもいないものでも買うのは
 エンディングを見るために見ないからなのです。
 ゲームを遊び、ゲームを解いて、初めて本を開く。
 解けて、そのゲームについて知っていたはず知ったはずであるのに
 沢山知らないことが書いてある。知っていることも違うように書いてある。

・それで知ることができる。
 ゲームの仕組みは、ゲームの攻略本の数以上にある。
 ひとつのゲームに何冊も書かれていて
 メーカー資料を写しただけの情報でしかない本を除けば
 それを解こうとしたひとによる見方の分だけそれらの本はあり
 そしてそれ以上にゲームというもの見ることが出来る。

・正解することはひとつでも、そこにたどり着く過程はひとつである必要はなく
 そこに無駄はあっても正解はない。
 ゲームを解くためにではなくゲームで楽しむためにその本は使うことが出来る。
 わかった気になっているものに知らないことを教えてくれ
 ひとつだけ上の知ったような気持ちには、使いこなせていなくともさせてくれる。


・そして何よりゲームの優れていることは
 その多くが知っているだけでは勝てないこと。
 このサイトを書いているひとのように知ったかぶるでは
 楽しめるけれどより多くを知ることはできない。
 知ろうとしないものはそれ以上に楽しめない。楽しんだ以上に知ることはない。

・勝つために、解くために、工夫すること。
 答えを知っていることや、お金と時間をつぎ込んで楽しんでも工夫しないことには
 結果はついてこない。
 ああ正しい。正しいとも。
 いくらレートの高いカード(http://www.wikihouse.com/sangokushi/index.php?%B6%E2%C1%AC%A5%EC%A1%BC%A5%C8
 有っても下手なら勝てない。なんて正しいのだ。


・もとい。
 だからゲームは面白い。
 そこに、楽しめて、知らないものがまだあることを知っているから。
 回りくどく言わないと、触ればわかる。
 操作してみればわかる。それだけで知らないゲームの面白さは知ることができるから。
 それを思い出させてくれるから。