ネットを通じたゲームの正しい遊び方について


・このサイトは基本的にネタバレ禁止である。
 というのはなぜかといいますと
 クリアしていないのにしたふりをしてわかったようなことを書くのに、
 クリアしていないと知らないことを書かなければならないのは都合が悪いから。
 ではなくてですね、
 もちろんまだ遊んでいない方に興味を削がないための努力であります。


・まあ、それは良いのですが
 これを書いているひともネタバレにあうのが嫌だからでもある。
 嫌だからって、普通生活している中で
 今遊んでいるゲームでまだ遊んでいない部分について
 事細かに教えてくれるようなひとが身近にいるならば
 それくらい話が通じるひとがいることの方をこそ喜ぶべき、
 というのが子供のころと違うところ。大人は普通、ゲームをあまり遊びません。
 パチンコとかより余程面白いと思うけれども、こればかりは好き好きであります。

・だからして現在、ネタバレにあってしまう状況というのは雑誌記事かネット。
 しかしこれらの良いところは進んで自ら見に行かない限り、あう恐れはないところ。
 けれど雑誌ならばおおよそ危険そうな辺りに見当付くけれども
 ネットでは別の話から、直接的でなくとも知りたくなかったことが
 こぼれ落ちたのに気付いてしまうことがある。
 向こうにも悪気はなく、こちらにもその気がなくとも起こりうる。
 よって絶対を期すためには
 クリアするまでどんなに行き詰ろうとも進行不可能となるバグに違いないと信じて
 「ソフト名 攻略」とgoogleらないのはもちろん、
 あらゆるサイトを見ることすらまかりならん、のでございます。

・それがゲームの正しい遊び方。ひとに頼らない。
 そうすることこそ、そのゲームを最高に楽しむ方法であるはずと。



・例えば先日の『世界樹の迷宮』ででもです。
 ここの更新はしてもネットは見て回らず、『大戦DS』でWi-Fiにつないでもネットは見ず、
 という進行で3週間ほど過ごしたわけであります。

・しかし。こういう記事(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20070219#p1)を
 見たりするとです。
 いやいやそこはそうすべきだなるほどそういうあれもあるかいえいえわたくしの場合はですねえ、
 と色々書きたくなるわけである。当然。もちろん当然。
 そういうのはとても凄く楽しいのだ。
 これは誰でも深く同意していただけると思います。凄く楽しい。書きたい。
 でもそれも、ストーリー進行上のではなくとも、ネタバレである。


・このゲームは凄く面白いよ、なぜならここがこういうふうに面白いからだ、
 というのも
 自己満足として書いてもちろん楽しいのだけれども
 おそらく普通に言って、自分がそういうのばかり書いていてこそわかると言うけれども
 ひとさまのそういう内容を見ても、へえへえそうですねそういう見方もありますね、
 以上ではない。
 読んでいてつまらないのではないが
 自己の経験に照らして楽しめる内容では、あまりないことが多い。

・ゲームについて語る、というのは、昔ネットのなかったころ
 あそこはここでああしてこうで、いいやそこはおれはこうしてああしてああだった、
 とかとかして喧々諤々遊んだ過程を照らしあっていたものであって
 しかし今はネタバレ恐れてそういう風が、できなくなってしまっているという
 遊ぶ楽しみ方の退化である。

・ネタバレ避けて、独力で全てを解くことが最高である。けれどそうすると
 クリアしたと自分が思うまで、誰ともその楽しみを共遊できないではないか。



・ネットがなかったころ、どのようにネタバレを避けていたのか。
 思いだすならば、避けていたわけではなかったのかもしれない。

・誰が最期のボスか、誰が犯人なのかという情報に実は価値などない。
 それはいずれ誰もが知ることができるからで
 情報伝達効率が遅くなるほど誰よりも早く知っている意味もなくなるゆえに
 ネットがあるからこそ逆に価値を得てきた情報であったのではないか。

・だから例えば、裏技として口コミを伝って紹介されていたような例は
 今で言うネタバレと異なり、行き詰まりつつある現状を変えるための
 新しい遊び方に関する時期を捉えた工夫提案たるもので
 それであればこそ伝える価値あるものとして
 ゆえに伝わってきたものであったのではなかったか。
 雑誌にものらず、ネットも携帯もメールもないのに誰もが知っていた情報とは。



・ただ一片通り指示通りに、手を引かれるままクリアして
 それでわかった気になっているような身には 
 やり込みと呼ばれる遊び方は畏怖である。
 ただただ恐れ、畏まるつまり、わが身の浅薄さに恥じ入るばかりであるのである。
 このゲームはそういうゲームだったのでありましたか。衝撃。というように見直す。
 しかしそれでも、実際そのように深く遊ぼうともせず
 ただ知っただけで、知ったかのようにしている分は同じなのではないか。
 やはりしったかぶっているだけではないか。

・世界一早く走れるひとがしか
 さらにより早く走るための方法を知っているわけではないらしい。
 しかし凡百たるわが身は想像するのである。
 世界一そのゲームをより深く知り、また上手く遊べるひとに
 ただそうできるという結果を知り、その過程の方法を見ただけで
 わかった気になっていることは
 同じこととはもちろんいえない上に、同じものが見えているとも言えないはず。
 上手く遊べなければ見えない世界があるはずだ。と。


・Old Game Mesuem「NEVER SAY NEVER」http://extendead.web.fc2.com/iroiro/ogm/ogm200301.html
 さてここでこういうものを引っ張ってくるわけである。
 「本当のことを知るために。諦めてはならない。」

・ゲームについてわかるためには、どこまでわかればわかったと言えるか、
 翻せば、どのような遊び方が正しいゲームの楽しみ方なのだろうか。
 もちろんゲームについてわかったような気になることが必要なのではない。
 楽しめればそれで良い、いや良いとか悪いとかではなく
 ゲームとは遊んで楽しいかどうかでしかない、ということなのですれども
 けれど、より良くそのゲームを楽しみたいのならば、どのようにして楽しむべきか。
 ゲームをどのようにクリアすればもっともそのゲームを楽しめるか、
 という話なのであります。


・さらにいうとまた違う。

 「本当のこと」には、できることなら自力でたどり着きたいものだ。
 当然のことだが、他人が発見したり、作り上げたりしたものを教えられるよりも、
 自分の力で見つけ、作り上げるほうが楽しいに決まっている。

 まったくその通りであるけれど、オンラインゲームではそうではない。
 ネットを通して対戦した動画を見て、ネットの掲示板で感想を述べ合うゲーム、
 ネットを通して協力してしか敵を倒せないゲームでは
 自力だけでたどり着くことはできない。



・ゲームを遊ぶにはどうしたらよいのだろうか。
 しかしところが結局、何も変わっているわけではないのである。

・好きなように遊べば良いのだ。
 独力で遊びたいならばそうすれば良い。
 ネットで情報を交換したいのならばそうすれば良い。
 そのゲームについて本当に知りたいのなら、より便利になった情報共有道具を用いて
 皆と共にそのゲームに挑めば良いのである。
 そうするべきなのだ。
 ネタバレが怖くてネットを見れないのは
 自分が知ったかぶっていることを知られる、いや知るのが怖いからである。
 けれどネットは、見たくなければ見ないで済むものであるのだから。


・自分の中で完結されていたそのゲームについての形、枠が
 ネットで共有することで取り離され壊されてしまうことは恐るべきことである。
 知らないでいて済んでいたことを、知らなかったことを知らしめられるのは恐ろしい。 
 だからそのご利用は計画的に。

・けれど本当にそのゲームを楽しみたいのならば、いや違う、
 そのゲームを本当に知りたいのならば
 ネットで共遊することは、今や避けて通れないのかもしれない。