ゲームの無駄設定

kodamatsukimi2007-05-14



・『ペルソナ3』が全然終わらないので書くことがない。

・このゲーム、特徴として、後どのくらいでエンディングが見れるかが
 大体判る仕組みなのですが
 まあまだクリアしていないので、で、あろうと思われる、で、ありますなのですが
 仕事終わって1日のすべきことして、ようやく後は寝るだけの段になって
 初めてゲーム機に向かえる社会人のゲーマーには
 これまことありがたい仕様であります。

・けれど、残りどれくらいかおおむね判る、ゆえに
 まだまだこれまでの何倍もかかりそうであるのか、と気がくじかれ
 止めてしまったという話も見聞きするのでもあるところ。ううむ、むべなるかな。
 昔、ディスク3枚組『FF7』の、1枚目で面白いけれど長すぎて諦めた、
 というような話を思い出すそれだ。

・まあそういうについてはクリアしてから書くことに致しまして
 そんなわけで、もうしばらく、多分2週間くらいは他に手が付かないのですが
 それではあんまり間が空きすぎである。
 ので、今回は何か適当に思いつくまま書くことに。いつも思いつくままなのだけど。




・『フロントミッションワールドヒストリカ(ISBN:4840236631)』を読んでいます。
 読み中。とても一息に読めるものでない。
 読むものでなく、ぱらぱらあちこちめくって楽しむもの。
 フルカラー560ページ、お値段五千円、厚さ4センチで凶器に使用可能の極悪仕様。

・旧スクウェアの近未来を舞台にした戦争シミュレーション『フロントミッション』。
 ナンバー『5』までとオンライン、携帯アプリ版まで含めて網羅する設定資料集。
 書かれている内容は
 舞台背景となる国家組織の機構や成り立ちについてであるとか
 主から端までの登場するキャラクターが物語に立つ位置、
 登場する兵器のゲーム画面では確認できない仕様などなど。

・シリーズの、エンディングを見るためのゲーム攻略本ではなく
 そこで描かれた架空世界の設定。そこで起こった事件で作られた歴史の説明。
 時代は2000年から2100年、歩行型ロボット兵器が戦場で用いられてはいても
 それ以外はそれほどゲームの外にある現代と違うものでなく
 地続きに存在し得るもの、としての執拗な説明の数々。
 書かれていることは、未来の歴史だから全てが嘘ではなく
 そしてゲームの中ではおおよそ真実である。


・本当に無駄知識であります。凄くどうでも良いことが延々書かれている。
 学校の勉強なんか社会に出て何の役にも立たない、という意見がありますけれど
 この本の無意味さに比べれば、いやはやまだまだ。
 興味のないひとが読まされたら電話帳とどちらが苦痛か、という域かもしれない。

・現実には何の関係もないし
 現実で『フロントミッション』というゲームを遊ぶのにも必要ではない知識。
 これを読んでいなくともゲームは楽しめたしエンディングは見れたのである。
 何のためにこのゲーム本はあるのか。いや実に無意味だ。

・しかしだが当然、だがそれが良い、のであります。
 そういう無意味なことに何千円も出し
 百科事典のよりも明らかに重要でなさそうな知識で少ない脳容量をさらに浪費する。
 これぞ設定萌え。ゲームへ無駄に時間費やして、さらに重ねる無意味の楽しさよ。



・ゲームというものは、他の娯楽に比べてなかなか時間がかかるもの。
 電源入れて、1ゲーム終えるのに10分かからない、というものはほとんどない。
 多くは一度に1時間程度、悪ければその間まったく中断不可のものもあるし
 全体積み重ねると、そのゲームを遊んだ、といえる平均時間は
 映画や多くの小説よりおおむね長いと言って良いもの。
 そしてまたその多くは、後どれくらいで終えられるか良く分らない。

・だからいつでも止められてどこでもできるDSが、ゲームを遊ぶことになれていない、
 ゲームに時間を割こうとしてこなかったひと達に受け入れられているのだ、
 という話になるけれども
 それは結局時間つぶし手段のひとつに選ばれて目出度い、ということである。
 後どれくらいで終えられるからゲームを遊んでいるのでなく
 そのゲームを遊びたいから遊んでいるゲーム好きには、違う話なのだ。


・ゲームではなく、本を読んだりネットを見たりするとき、そこに要求する楽しさは
 何か自分の知らないこととか、ものの見かたを知ることにある。
 何かためになること、学校の勉強のように将来何かの役に立てるためでなく
 時間つぶしでもなく、自分以外の誰かに一方的でも触れることで
 つながっていると感じることで、自分の価値をそこに置くことができる気がする、それ。

・ゲームも暇つぶしの娯楽としてあるだけでなく、そういうものとしてあることもある。
 求めたい気持ちが当然浮かぶ。面白いのだから。
 それは、脳みそいまさら一時的トレーニングした気になるゲーム、とかではなく
 そこに人間のように描かれているキャラクターであり、現実にあるような舞台であり
 起こりえて、得て欲しいような話である。

STGで、ただ飛んでくる弾を避けるということにも、意味があったほうが良い。
 数字データだけでなく、キャラクターがいて舞台があって
 実際にある車や兵器や場所やひとを、より有るように存在させることにも
 それはただ問題集で最適の答えを探している作業ではなく
 何か新しいことを知るための意味ある遊びであると、感じられるために。


・ゲームの中に出てこないことにも、説明が付与されているということは
 見えないところまで作っているのだから無意味であり無駄のように見えます。
 しかし物事には無駄が必要なのだ。

・それは誰にとってもそれが無駄かは、誰にも判断できないから、とかではなく
 ゲームを楽しんで、意味なく無意味に遊んでいるということにするためで
 それが何かの役に立つからしているわけではなく、ただ楽しいから、
 暇つぶしで遊んでいるため、と言うためである。
 誰かにそれを説明する必要が無いなら自分に弁解する必要もない。
 よってだからこそ、こういう無駄な本を
 ゲームを遊ばないで読んでいるのても、楽しく感じられるのだ。

PSPの『FFT』は、もしベントスタッフが本出すならそのために遊ぶ、必要があるのである。



・設定だけを集めた本を読むというのは、ゲームと違う楽しさのそれであります。
 そこで説明されている世界を知っていて、そこで遊んだことがあるからこそ、
 いや、そこでは本に説明されているようなことは感じ取れなかった、ということが
 現実で百科事典を見たりネットの情報を眺めたりすることとの違い。
 後付でも架空の世界はどこまでも創造されてしまえることの楽しさ。
 それが、ゲームを終えてから読む、その世界の解説、後付け設定の面白さ。


・これはゲームだけでなく、架空世界を持つもの、つまり現実以外が舞台であるもの、
 現実でも過去や舞台が未来のものであれば、全部にあり、言えること。
 例えば
  現実現在にあるもの起こっていることも、全てを知ることは出来ないのだから
  おおよそ何でもかんでも後付で何とでもそれが真実であると言えるし
  そう信じることは誰にも許されているのが、世界設定資料集の決まりである。
  絶対は絶対ないと絶対いえない程度に、あらゆることを否定することは出来ない。
  特にそれが過去や未来、現在今のことでないならば。
 というような感じになんとでも言える。


・けれど特にゲームでは、言葉を転がしているだけでも
 描かれていた世界を眺めるなら面白がれるものなのだ。
 それは、ゲームは同じ多人数製作の表現作品の中でも、操作できることから
 作られている世界が同じでも見るひとごとに、その見え方がそれぞれ違うからである。
 解釈でなく、眼に映るそれ自体が異なる。
 真実はふたつ以上、起こる事実が異なるゲームも多い。

・また、ゲームは最期まで観なくとも、解ったふりができるものでもある。
 途中で止める自由、難しかったからエンディングは見ていなくとも、
 つまり誰もが最期まで見れる保証がないゆえに
 誰にもそのゲームを解釈することが可能であり、自由であり、つまり真実が異なる。

・であるがゆえに、ゲーム設定というものは中々に面白いものなのだ。
 多数のひとが様々に見て、解釈開陳するのを眺める楽しさ、というよりは
 見えないところに仕込まれていた無駄が明らかになるとき
 自分がどのようにそれを見ていたかとの差異が、面白いのである。



・ゲームは時間がかかるので、大体どのようなゲームなのか入り口だけ遊んで
 後は設定資料集をめくって楽しむことも許されるのである。
 それは、攻略本を片手に、その通りに遊んでエンディングを見ても
 自力で苦労しながら必死に解いたことと、その価値が同じなように。
 そのふたつは同時にできないのだから、比べようがないゆえに。

・同人STGの『東方』シリーズ設定資料集『東方求聞史紀ISBN:4758010633)』など
 大変良くできていて素晴らしい。
 そのゲームをどのように楽しむべきか、来た弾を避ければ良いのだ。
 キャラクターの幕間デモなんか見る必要はないし
 背景や音楽にこめられた設定の意味づけを追う必要はない。
 けれどそういう無駄が必要なのである。
 なぜならゲームは暇つぶしで遊んでいるのと同時に
 遊びたくて遊んでいるのだから。


・世のゲーム好きには設定好きというひとたちもいるのである。
 メーカーは、もう使わない設定ならどんどん公開していただきたい。
 そのゲームはもう売れなくとも、そのゲームを作っていたデータを見ているだけのことに
 ゲームより高いお金を払うひと達もいたりするのだから。
 攻略本はエンディングを見るためにあり
 設定資料集はそのゲームをより楽しむためにあるのである。