ゲームはリアルをこえるものである


・上に関連して続き。

・いきなり長めに引用します。
 Chaotics(http://www1.ocn.ne.jp/~hkoba/index.html)の『グリムグリモア』感想より。

 ゲームがつまらないわけではなくて、これはRTSというジャンルに
 自分が合っていないということなのだろう。
 戦況が少しずつしか変えられず、
 気がついたときには被害を免れないといった場面が出てくるのが受け付けにくいらしい。
 
 それを防ぐためには、敵がどう行動してくるかを前もって知っておく必要があります。
 しかし敵の布陣は隠されているので知ることは出来ず、
 ということは何度か失敗して調べよとの勧めなのだろうけれども、
 そうやって下調べをして対処を確立させた上で遊ぶゲームなのかどうかが悩みの種でした。
 
 敵の得意戦法はキャラクターからある程度察しがつく。
 また、主人公は魔法使い見習いから出発して修行中の身である。
 ならば、予習は場面から与えられる情報からの推察に留めておき、
 その場その場で慌てふためきながら何とか乗り切る、
 それがこの駆け出し魔女っ子リレ・ブラウにふさわしい振る舞い方ではないだろうか。

 そう思うと、各ユニットの特性や属性間の有利不利といった基本を越えてまで、
 各ステージを攻略する気力は湧いてきませんでした。
 そして、そういう遊び方と、このゲームパートの特に終盤の、
 よく言えばしっかりした構成とは、相容れないものと感じたのでした。
        5/19日記 http://www1.ocn.ne.jp/~hkoba/diary/gd0705.html

 長すぎ。すみません。
 少し不思議なのは『カオスシード』は良いのに『グリムグリモア』が駄目なところ。
 『カオスシード』もRTSだと思うのだけれども。
 本題とは関係ないのですが、私は『カオスシード』の面白さがわからないです。
 アクションとしてもシミュレーションとしても、どちらでも面白くない。
 全体として魅力的な作品ではあるのですが。


・さらにつづけて引用である。失踪外人ルー&シー/逆転裁判4(ネタバレあり)より。

 だいたいのゲームにおいてゲームオーバーのペナルティって要するに
 「ある地点まで戻ってもう一回やり直しなさい」ってことなんだけど、
 アクションゲームなら同じ場面の繰り返しでも瞬間瞬間の戦いだから問題なく楽しめるし、
 RPGならば得た経験値やアイテムを失ってしまった代わりに
 先の展開に関する知識を得た状態で再挑戦するわけだから
 プレイ内容は変わってくるはずなので、やはり楽しめる。
 しかし、逆転裁判4の場合は同じ文章をもう一回読まされるだけ。 
 これはどうなんだろうな。
            http://d.hatena.ne.jp/lu-and-cy/20070704/saibanfour

・さて、シミュレーションゲームとはリアルタイムでなくターン制であり
 リアルタイムのものだけRTSと区別されるのは
 先に書いたように、囲碁将棋麻雀トランプでもなんでも、ターン制だからこそ
 それらは面白いからであります。
 既にわかっている情報から、自分に有利な展開になるように操作する。
 待っている間にも、することがないわけではないのである。


・けれどコンピューター相手だとまた別なのである。
 なるほどコンピューターは頭が悪いわけではない。
 麻雀トランプはともかく、チェス囲碁オセロ将棋では創造者側が足元にも及ばない。
 しかし将棋だとあれほど強いのに、多くのゲームでコンピューターは強くない。
 それは手加減しているのではないか。
 対戦格闘で超反応瞬殺されてみれば、やつらの実力は明瞭なのではなかろうか。
 そうかもしれない。コンピューターは強すぎてはいけない。
 絶対に倒せない固さ、絶対に避けられない攻撃はあってはいけない。
 そしてまた、人間様より早く動いてはいけない。
 先を見通して立ち回ってはいけないのである。
 兄より優れた弟、ひとより優れた計算機なぞ存在しないのである。


・テレビゲームは操作することができる。それが大きな特徴だけれど
 その操作技術を競うゲームは、その技術が平均より上手いひとでなければ
 長い目で見ると楽しめないのではなかろうか、ということが言える。
 勝負ならば、半分以上は勝てないと面白くないからだ。
 1回ごと負けたときに面白いわけではないが
 明らかに相手のほうが上手いならば諦めるより仕方がないし
 同じ程度ならば物事に絶対はないと思える。 
 しかし相手がコンピューターならば、半分ではなく1度でも負けると面白くない。
 なぜだろう。


・それは、コンピューターがある一定の上手さ強さの基準から揺るがないからである。
 いつも同じ様に強く弱く優秀で馬鹿である。でなければならないからだ。
 その基準より上なら勝てる。下なら負ける。
 これだと負けたときには、必ず明らかに相手のほうが上手いのだから諦めるしかない。
 必ず相手の強さは同じだから、自分が強くなれない限りいつまででも勝てないから。
 そして強くなること、そのゲームをある一定以上上手くなることに
 どれだけのひとが努めようとするだろうか。
 最初からできるひとを除けば多くにおいて殆どいない。
 ゲームは操作した結果が良くならなければ面白くないのである。



・ゲームの中ではセーブできる。その時その状態にいつでも戻ることが出来る。
 しかも未来の記憶を持ったまま。


・上手い下手を置いて、アクションゲームやSTGにおいて
 初めて遊んだときに、いきなり全ステージクリアできてしまったら
 それは簡単すぎる、駄目なゲームということになる。
 どんなに遊んでいる間は面白くとも。
 少しずつ先に進めるようになり、対応できるようになり、攻略していく過程を
 それが単に先を知っているかどうかであることを解っていても
 自分が上手くなっていると思えることが、そのゲームを長く楽しむために必要だからだ。


アドベンチャーゲームRPGで、2回目を遊ぶ気にならなくとも
 つまり最初の1回でクリアできても、面白いものはいくらでもある、と思える。
 とても面白かったギャグマンガは2回目以降最初ほど笑えないのと同じように。
 それは上手くなることが、ゲームを楽しむためにあまり必要でないからだ。
 つまり、先を知っていることが、ゲームの面白さに寄与しないのである。


・両方ある。
 ゲームというものは、未来がわかっていて過去に戻れる。
 ゲームの中での話はそうでなくとも、外の自分はわかっている。
 必ずそうだ。これをどうゲームの面白さに結び付けるべきか。
 ノベルゲームのメタ要素とかではなく。

・ターン制のシミュレーションゲームにおいて、コンピューターにしてみれば
 敵は次に自分がどうするかを既に知っているのである。
 敵がこうしてきたとき自分が必ずそうしてしまうことを知っているのだ。
 だからこそゲームを遊んでいる側は、過去の自分を未来の経験を元に書き換えることで
 リアルを、現在を変えることが出来る。
 それが操作する面白さ、意のまま「にも」できる面白さ、ゲームの面白さであり
 対人戦及びリアルタイムシミュレーションにおける、
 不確定な未来から確実に導けない過去という構造にない面白さである。
 
・そしてだからこそ逆に、リアルタイムであること、リアルであることに意味がある。
 誰も未来を、確実に知らない。それがRTSの面白さである。