『真・女神転生 STRANGE JOURNEY』

kodamatsukimi2009-10-31


 公式サイト http://megamisj.atlusnet.jp/ ASIN:B000E9PIYK

・その昔、日本の三大RPGといえば「ドラクエ」「FF」と「メガテン」である。
 と言われていたころがありました。ような気がするのですが
 ところで今ならばどうなのだろう。
 とするならあれもこれもと紛糾、決着つかないのは確定的に明らかであり
 物事とは秩序から混沌へと流れるの法則。昔ほど簡単にいろいろ割り切れない。
 けれど現在「メガテン」が、かつてのその座から
 滑り落ちていることには誰も異論のないところかもしれません。
 誰も異論ないのにかもしれないもないですが。



・「メガテン」こと『女神転生』シリーズもやはり十数年遊んでいるわけですが
 三大なんたらとかはともかくとして
 当時からして「ドラクエ」と区別され得るものとされていた特徴を挙げてみますと
 第一に、よくある中世ヨーロッパふうとかでなく
 いわゆるひとつのサイバーパンク的なふいんきの現代近傍未来が舞台であったこと。
 第二に、戦う相手の敵を交渉次第で寝返らせてこちらの手駒として使えること。
 そしてそれらの敵がみな様々な神話伝説から採られた背景のある、
 強力な魅力持つキャラクターであるところ。

・第一の現代舞台RPGであることは
 ファンタジーふうのそれに比べ、誰を敵として用意するのかが
 たぶん宗教怖いとかでなく発想として難しいというRPG形式上の問題からか
 この現代現在も未だそれなり独自性となっています。人も動物、動物愛護も宗教です。
 相対評価ではあるけれどたいしたもの。

・そして第二の敵を味方にできる、というのは「メガテン」独自でなく
 RPGというみんなで敵と戦って冒険する形式を思いついた時点からありまして
 コンピューターゲームになる以前の紙にメモして会話で楽しむRPGという形式で
 当然とっくの昔に実現されておりました。
 がしかしこれも現代舞台RPGの未だに少ないと同じく
 敵が味方として使えるゲームを作るのは、味方は味方敵は敵として作るより
 面倒なのでかかどうかととんとまったく存じございませんのですが
 とにかくRPGの歴史暦であるところのドラクエ暦における『5』の1992年までは、
 まだそうされていなかったので、「メガテン」を支える心強い柱でありました。
 『ウィザードリィ』は『シナリオ3』まで。『4』以降日本では空気。


・ところがご存じの通り、1996年に発売された『ポケットモンスター』が
 この「メガテン独自」の後者をかなりに上書きしてしまった。
 なぜ「メガテン」が「ポケモン」に完敗したか。
 いや『デビルチルドレン』以外では戦っていないと思いますが、
 それは「メガテン」が「FF」と同じく「ドラクエでないRPG」であったのに対して
 「ポケモン」は「ドラクエのようなRPG」につぎめなく、
 「対人対戦」「交換」という新しい遊びの枠をひろげてくっつけたという違いにある。

・結果、1人用RPGとしても明らかに、簡単に言って出来の良さが違うものとなりました。
 かえりみて今からすればなぜ「メガテンごとき」が
 RPGを代表されるような言われ方をしていたのか不思議なほどであります。
 敵を味方として使えることのどこが特別なのかと。
 『ポケモン』を世代的に遊んでいないと『メガテン』が特別にみえるのかと。


・もちろん「メガテン」はそれで消えてしまうことなく
 さらに十余年経って現在も生き延びています。
 確かに「ポケモン」ほど広く受け入れられるものではなかったけれど
 だからといってただ先行者利益に甘んじているだけのものでもなかった。

・その理由として第一に、現代舞台のファンタジーである分別を忘れなかったこと。
 ライトとダーク、ロウとカオスに正義を分別し
 一神教唯一神すら敵として倒すも可なりという、多神教の土壌ならではのお話は
 現代というところだからできるものであり、でしかできないことをきちんと行った。
 第二に、その舞台に立つ伝説級の個性に見合うと認められるだけの
 悪魔絵師金子一馬さんのキャラクターデザインがあったこと。
 造形の良し悪しは受容文化と時節に適するか次第であるかもしれませんが
 結果として「メガテン」は、神を冠して名に負けず、
 現在まで認められてきたのです。


・しかし「メガテン」は「ドラクエ」「FF」と並ぶものではない。
 その理由は「ポケモン」がそこに置き換わったからではない。
 敵を味方部隊として使えるという特徴が特別でなくなったからではない。
 「メガテン」には、舞台にあって敵味方の部隊同士が戦い会うを描く場面が
 その舞台の魅力を支えていなかった。足を引っ張っていただけだった。
 つまりRPGというジャンルのゲームとして、出来がよろしくなかった。
 PSで遊んだ『ペルソナ1』やSFCで遊ぶ『旧約女神転生』は苦痛。駄目。

・「ドラクエ」だって初めのころは現在遊んで褒められるようなものでない。
 昔はどれもこれもそんなもので良かったのかもしれない。
 けれどだからといって、それが正しいことではない。あたりまえです。
 「メガテン」は昔、「ポケモン」と違って
 出てくる敵を皆味方として使えるというアイデアを充分に楽しめる舞台を
 用意できていなかった、尖った個性の光る作品でしかなかった。
 これが「メガテン」シリーズの印象でした。



・しかし製作のアトラスは心入れ替えました。
 バグをマサカドがたたりのせいにするのは止めましょう。
 本作ではその昔、『女神転生』を遊んでいてこうあるべきと補完していたものを
 そのままに見せてくれます。

・『世界樹の迷宮』っぽい。
 DSの上下2つの画面から情報を同時に参照できる装置効果を良く活かしています。
 ダンジョン探索では目に見える景色と地図とを常に比べて示し
 戦闘場面では豊富な敵情報を確かめつつ戦うことができる。
 これは攻防両面で耐属性が重要なつくりにぴったり。
 『ソウルハッカーズ』で大変お世話になったギボアイズが残念なことになるほど便利。
 しかし12年前ならともかく「ギボアイズ」がどういう意味か通じるのだろうか。
 百太郎は30年前だしな。

・メニュー画面の悪魔合体時など、画面の狭さゆえに表示すべき情報が足りないことや
 並び変えなどが十分に行えない不備はありますが
 戦闘時の情報表示仕組みはこれまでの「メガテン」と比較しても最高。
 戦闘後ごとメニュー画面開いて回復するのが面倒であるところなど改善の余地はあるし
 テレビ画面ならまたそれなりに工夫のしようはあるだろうから
 これで完璧完成です、とまではいかなくとも
 DSとして現段階充分な、これまでの積み重ね活かされた良い仕事です。
 また悪魔絵も小さい画面としてはかなりの美麗さ。
 今年1月に出た『デビルサバイバー』とはえらい違い。


・何より格段の進歩を昔と比べて感じるのが遊び心地そのもの。
 いわゆるひとつのバランス調整。
 雑魚戦でも理不尽ではない程度の適度な緊張感を維持。
 ボス戦では最初、常識的にどうこうするまでもなく無理そうな相手であるのに、
 何度かの調査プレイを重ね、耐属性を工夫していくと、その段階で得られる戦力内で
 確実に勝てるようにできている。
 複数の仲魔を相手の攻撃パターン移行で使い分ける。攻略しているって感じが快感。
 そしてその繰り返しを、多数の敵キャラクターを味方にできる仕組みという
 複雑な条件下のどこにおいても終始楽しむことが出来る。

・それを作りだしているのは単純なことです。
 「ただ弱い敵」を除き、「ただ強い敵」を除き、
 どこにおいてもどれをとってもいつでもどこでも常に、
 強過ぎず弱すぎないそれぞれ全ての力関係の調節。
 使えないスキルをなくし弱過ぎる仲魔をなくし、
 便利ではあっても強過ぎはしない程度に全体の関係を調整すること。

・バランス調整、というあいまい形のないものを
 敵と味方の区別がないという多様な条件下で区別を付けつつ
 大きく差が付かないよう整然とドミノ牌のごとく順列だて並べる手間で実現している。
 「メガテン」なのに「ドラクエ」みたいな良い出来です。




・本作題名は『真・女神転生 STRANGE JOURNEY』。
 「真女神」シリーズであるけれど『4』と数字は付くかない。
 「メガテン」シリーズも他の名が通ったシリーズと同じく
 様々な派生で生き残りを掛けた手探りを続けていて
 『魔神転生』とか『アバタールチューナー』とかこれまでいろいろありましたが
 今のところ「真女神」系と「デビルサマナー」系と「ペルソナ」系、
 そしてその他と分けられるもよう。
 「デビルサマナー」と「ペルソナ」は
 もう「女神転生」という字が付いていない、一人立ち果たした成功例です。

・「真女神」系はこの2つの元となった昔からの『女神転生』を引き継いだもの。
 お話の面みると、悪魔合体が人間の手になく、終末的壮大な構成であるのが特徴。
 自然とシリアスな雰囲気であり、本作の主人公など七三分けもりりしい大人。
 ゲームとして比較しての特徴は、つまりもともとの「メガテン」らしさ。
 敵悪魔を勧誘して味方に出来、合体させて新たな悪魔を作れるという要素のみで
 ゲームが出来ているところ。

・『真女神2』まではヒロイン的キャラクターもいたのですが
 そういう路線は他2系統が担当するようになり
 これまで同様、主人公には設定上の名前がなく作中ひとこともしゃべらないだけでなく
 周囲との関係上からもキャラクターというものが極力薄い。
 造魔も剣合体もヴィクトルもフィレモンもニャルラトホテプもない、
 もともと悪魔が投影していた世界各地の神話の集合、
 つまり悪魔のキャラクターだけで、できているのが「真女神」系。
 某ニャル子さん同様神に性別はありません。元天使長殿においてもまたしかり。

三身合体がなかったりレベルアップ時のスキル取得やステータス振り分けがなかったり
 『真女神3』を象徴していた「龍と獣の眼光」プレスターンバトルも
 『デビルサバイバー』同様のゆるさにくなるなど、
 一応それなりに特徴はありますが、共通するのはシンプルさ。単に純。
 「真女神」の「メガテン」の、何が面白いかを多様な要素をなくして取りだしたもの。
 それが「真女神」シリーズ中の、本作における特徴です。


・先に書いたように、DSというゲーム機のなかでその特徴はとても良くできています。
 けれど不満点もある。
 「真女神」という名を冠し「メガテン」シリーズの真なる芯を追及、実現せしめた点は
 とても褒められて良いところではありますが
 真を追及するだけに止まり、新なる真ではない。

・例えば、悪魔と会話し交渉して仲魔にする仕組みは
 未だ変わらずこれで良かったのだろうか。
 デビルサマナーならともかく深刻な舞台に立つ高位の悪魔すら
 迎合する意見を容易に疑わない思慮のなさは違和感あるところ。

・また「メガテン」というゲームを成り立たせる根幹として
 レベルという指標が強さを直接に支配しているのですが
 これが「真女神」のシンプルさを成り立たす背骨であるとしても
 悪魔合体に蓋するものとしてこれを使い続けることに、検討あって良いのでは。



・主人公たち侵入者は、死すとも諦め知らぬ限り、死の水際の記憶を保持したまま
 何度も立ちあがる人間である。
 かならず解答は用意されていなければならないよう、彼らに作られたのだから
 神は観測することしかできない。
 操作することで、用意された選択肢からどれかを選らぶことしかできないのと同じく。

・そういう「真女神」らしさを変わらず保ち
 そしてそれをゲームとして遊んでいて楽しいものに仕上がっている本作は
 「メガテン」シリーズでも屈指の良い作品です。
 けれどそれは奇妙でも未知なるものでもなく
 これまで来た道のまんなかを辿ってみたものに過ぎなかったかもしれない。
 神も悪魔も人の手の上にある「メガテン」の尖った個性はない。


・今後ともよろしくと何度言われようとも、使えなければ削除する。
 来るべき『真女神4』が、今までと変わらずに
 たゆまず良くなり続けた先にあるものと期待しております。
 ううむ思慮浅く高慢で偉そうだ。さすが1人用ゲーム内の神。