『世界樹の迷宮3』

kodamatsukimi2010-06-17


 公式サイト http://sq3.atlusnet.jp/ ASIN:B003DKKPQI


・DSで始まったシリーズ作品なのにもう3作目である。
 『世界樹』の特徴は、まずひとつこの発売間隔にあると思うのです。
 

・感想は、「もう3作目」であって「また出たのか」ではない。
 クリアまでのにかかる時間、買ったお値段分に値する量が
 別段他のRPGと比較して短い少ないわけではないのですが、
 おなかにたまる大作感みたいなものはあまりない。

・不足は感じないけれどまたかの感が少ない、この味わいというのは
 飽きのこない味である、というそうですかと答えたい言い方の他に、
 3作出てもそれぞれがそれほど変わっていない、というところもある。
 『世界樹の迷宮2』は『1』に比べるとVer.1.1みたいなものであり
 『3』はVer.1.5みたいなものである。
 実際のところ、中身は確かに違うけれど「同じゲーム」であるとして問題ない程度。


・『3』になって変わったところはどこかといいますと
 選べる職業が一新、みためも変わり、スキル系列も当然変わって
 さらにサブクラス制の導入で成長経路がさらに多彩、という感じである。
 こまかいところでは敵の見た目や名前やアイテムの値段や名前も変わっている。

・ばっとみ、回復役職業がない。よくスキルをみるとモンクがそれらしい。
 モンクといえば『FF』でいう武道家役、チャクラで精神集中して自己回復であって
 仲間回復というのは違うような気がするような。ツボでも素早く押して回るのか。
 それに以前も書いたけれど「モンク(Monk)」とは修道僧のことらしいですよ、
 ニッポンRPGではこうなんだ、といわれたらそうなのかもしれませんが。 

・あとシノビが良い。ボス敵戦ではあんまり役に立たない代わり雑魚敵戦で大活躍。
 『天外魔境2』の赤影三角鳥寄せとか胴締め静乱れ斬を思い出す味わいです。
 攻撃系魔法使いは召喚系職が増えてボス戦対応をようやく果たしたのが進歩。
 パッケージでセンターを張っているプリンスプリンセスも
 雑魚戦の活躍はもちろんクイックオーダーが強くて、上手い間接職。
 ただけちつけるなら、ステータス画面で名前より職業が目立つのはよろしくない。


・そんな感じで職業一新効果は大、スキル構成頭の中で表にしてにやにやできます。
 しかれども、確かに職業スキル関係はわりとあたらしくなったような気もしますが
 実際問題、することはそんなにかわっていない気もする。
 確かに『世界樹1』から『2』への変化に比べれば大きく変わったけれど
 他のゲームが『1』から『2』へ変わったほどには、みためも含めて変わっていない。

・しかしけれども、Ver1.1はいまひとつだったけれど
 Ver.1.5はそれなりに楽しめたのである。
 発売感覚とか職業や敵の見た目変化量とか、さまざまな材料の違い離れ具合が
 『2』で近過ぎ『3』でほど良かった、ということなのではなかろうか。




・もうひとつの感想として、
 『世界樹の迷宮』はひとつの街の、ひとつの迷宮をえんえんもぐっていく
 『ウィザードリィ』のようなゲームである、という見方について。
 先の「飽きのこない味」というのにも関係するようなしないような。

・これは『エルミナージュ2』のどこが魅力なのかと思ったか、にも関連するのですが
 例として、最近遊んでいたSTGである『ケツイ』と比較してみたい。


・『ケツイ』は何が楽しいのだろうか。

・『世界樹』のようなRPG
 ゲームを進める過程で得られる情報から、どのようなつくりをしているのかを推測し
 どのように能力上昇素材を配分すれば、もっとも手間なく効率良く強くなって
 より良く解けるのか、
 というように解くことを遊ぶ。

・『ケツイ』のようなSTG
 漫然と、その場の勢いにまかせて、敵群に突っ込むだけの繰り返しの日々から
 日々の積み重ねでそのうち勝手に手が覚えて
 徐々に少しづつ日進月歩で上達していくようが楽しいのである。遊びなのだ。


・遊んでいるときに頭を使っていないわけではない。
 RPGにおいて、アイテム効果や呪文の必要コストから
 ボス敵の攻撃パターンを解析して精緻に体系化する行為が常に必要ないに同様、
 STGでも、多くとも数種に限られる最適解を一度の情報から推論することが、
 遊びではないというだけなのである。

・単純に言って、RPGのゲーム部分、すなわちSLGに近いようなものの楽しみ方と
 ACTのそれとの違いでもあります。


STGの自機は、たいていのRPGと違ってその初めから世界最強である。
 草一本、星の残骸ひとかけら残ることなくなった地に時に、
 果てることなく永久に飛び、尽きることなく無限に弾を放ち、
 最後に待つボス敵が画面を埋め尽くさんとばかり弾薔薇撒くとも、
 一切の傷被ることなく。
 操者の指折れ、気挫けるまで墜ちることはない。
 故に工夫など無用。
 絶対の強者は唯、その強さを惜しむことなく発揮すれば、
 唯、それだけで良く世界はその前にひれ伏すのである。
 
・そこが、って書いていて自分でもどこだか良くわかりませんがとにかくそこが、
 STGの、典型的STGにしてその傑作である『ケツイ』の楽しいところ。
 敵を落とすその行為にどういう物語があるかは知らないが
 それを求めているのでなく、ただ自らの最強を極みを究めようとしているのである。
 簡単に言うと「敵弾避けて弾撃っていることが楽しく行える」のだ。


・『ウィザードリィ』風ゲームというのは
 つまりSLG的な、わかりやすくいうとボードゲームとかカードゲームとかで言う時の
 ゲームという言葉にある意味での、ゲームとして解き勝つための工夫、
 そういう軟弱惰弱な要素を成るべくに切り捨て
 叩き潰して切り落とす行為に没頭するところのみを
 RPGと呼ばれるゲームの仕組みから、
 部分的に切り取って楽しんでいる遊びなのではなかろうか。
 STGが物語とか舞台背景とかを意識的に無視したところで存在するように。

・その成立から想像するなら、
 元はテーブルトークRPGにおいて成立していた多人数ゲームであったたものを
 技術上の制約から無理やり計算機相手の1人用ゲームに仕立て直した結果が
 元のゲームの面白さの一部分を拡大しながらも
 変容して独自の魅力を持って成功した、
 というようなことが言えるかもしれないけれど
 それが『ウィザードリィ』の魅力ではない。


・『ウィザードリィ』を受けてRPGは、
 修得可能スキルや能力成長度合いで表現される職業のありかたや、
 絵と台詞と立ち位置で表現される、登場人物や獲得できるアイテムや出現する敵や
 ダンジョンなどのみためやそこで聴こえる音楽から受け取れる空想世界設定。
 ロールプレイングゲームだから、
 そこで演じられる迷宮探索をなりわいとする冒険者という役割を演じて
 その世界に関わる関われること。
 そしてロールプレイングするゲームだから
 お金が溜まったらどの装備をいつ買おうか、
 どのスキルをどんな順序で誰に修得させようか、
 どんな職業で、なんて名前をつけて、キャラクターを作りだそうか、
 ボス敵に負けたら次はどうやって勝つか、
 レベルを上げて装備揃えてあのスキルをとって、とゲームを解いていくところ。
 そういう楽しさを、元のゲームから変容させて獲得している。


・『ウィザードリィ』と、『ウィザードリィ』風と、そうは呼ばれないRPGとには
 そこに出来不出来の高低があるのではなく
 作られた時期が違い、遊ばれた時期が違うのであり
 遊んだひとが違い、遊ばれた時が異なるだけでしかないのではないか。

・『世界樹1』と『世界樹3』は「同じゲーム」である。
 『ウィザードリィ1』から『3』はもちろん「同じゲーム」である。
 では同じでないためには、どれだけ変えれば同じでなくなるのか。
 

・ゲームで今や大事は間隔である。
 どのゲーム機向けに、いつ、いくらで、どのような売り方で作るか。
 そして、これまでのゲームと同種あるいはその部分を変容させて、
 どの程度同じゲームでなくしつつ
 できるだけ同じゲームを遊んだひとにも遊んだことのないひとにも楽しめる、
 その間隔は、どの程度採れば良いのか。


・そして、そういう見方でもゲームの面白さは獲得される。
 個人的には、そう思うのであります。