キングダムズオブアマラー:レコニング


キングダムズ オブ アマラー:レコニング - PS3 キングダムズ オブ アマラー:レコニング - Xbox360


「Amarlur」は固有名詞、
「reckoning」は「勘定書」「清算」「報い」。


ここのところの懐古すなわち昔は良かった調ゲーマーの懸案は、
手間を掛けた超大作より
20年前でもありそうな携帯スマートフォン向け小作品のほうが
お金稼いでいることである。
どうしてこうなった。


本作『アマラー』も含まれる、
いわゆる「オープンワールド」なRPG
手間掛けた大規模ゲームの典型。
この形式の特徴は、冒険の舞台がすごく広いこと。
そしてそこに住んでいるひとたちも多く、
多いだけでなく、状況応じて多彩な台詞を喋り様々に行動する。
それらの台詞には音声もついている。
「ここは何々の村です」とだけ表示すれば良かった昔のRPGと比べ、
その手間は、なんというべきか、
ここまでして本当に採算取れるのかと余計な心配してしまうくらい。
もっと他に手間かける部分あるのでなかろうか良くわからないけれど。


けれど、その膨大な無駄、
遊んでいて一瞬で通り過ぎ記憶に残らず何の役にも立たない、
それらが作る雰囲気づくりが、この種の作品の肝なのである。
必要なのである。売りなのである。
そういうように価値見出され、作られているわけです。
けれどしかし、そう褒め称えるのは全体からみれば少数、
その他大多数は20年前のゲームで充分であるのが、冒頭の通り現実。
本作の開発会社「38 Studios」は経営難で倒産、続編絶望。
「レコニング」の体現ではないけれども。




どういうゲームかといいますと、
やはり海の向こう産『ライオットアクト』を思い出す作品。
ジャンプで障害物跳び越えながら地図上真一文字に突き進み、
雑魚敵無視して標的ボス敵唯1人へ飛び掛かり、
蹴る斬る蹴る斬る蹴る斬る、体勢立て直す前に蹴り斬り倒す。
ライオットアクト』でそうだったように
建物飛び越えるくらい跳躍したり車より速く走ったりはできませんが
気分は同じ。
標的に近づいたら隠密しながら忍び寄り、
背後からぐさーもできます。Z指定。


標的さんが倒されるべき敵としてロックオンされる理由を
RPGらしく、いろいろなお話で説明してくれます。
仕事だからとか悪人だからとか、お金とか怨恨とかいろいろ。
けれどゲームとして、することは変わらない。
主人公が正義の地上代行者なのか私利私欲で動く悪人か
操作しているひとの操り人形かは、標的さんには関係ないのである。
どこか遠くの主人公の選択により照準ロックされたが最後。
「ゲームシステム」により常にマップに居場所が表示されてしまい
あとはいつ殺し屋、でなくて主人公が突然飛びかかってくるか
怯えて待つ日々しか残されていないのである。


RPGなのでいろいろ能力があるわけです。
採取技能とか調合錬金交渉鍵明け、索敵隠密戦闘技能。
また、必ずしも倒すことだけが解決でなく
会話したり買い物したりお使いしたりで終わる話もあります。
全体としては、そういう冒険を積み重ね、
このアマラーでは各人に定められた運命の輪から
解き放たれた稀有な存在である主人公は、
善行悪行を覆う自由の先に何を見出すのか、というお話。
海の向こう産らしい一神教表現も異国情緒で目新しく
売りどおり舞台も大きく構えられていて結構です。
RPGだけど「『ライオットアクト』のような」のように
戦闘が適度にアクション風味なのは単調にならないので良いし、
冒険をこなしていくだけなら簡単なので、
気軽に英雄気取れるのも楽しい。
絵柄が、
例えばフロムソフトウェアの『デモンズソウル』『ダークソウル』、
あるいは『モンスターハンター』などカプコン産のそれらと比べて
アメリカ産らしいバタ臭さがあるところはクセ。
もう少し武器の使い分けにこだわりあっても良かったかもですが
アクションでなくRPGだから仕方のないところか。
『エルダースクロール』との違いも差別化の個性であり、
けちのつけるところ少ない良作。けれど続編はありません。




オープンワールド」なRPGというのは
定義を誰が決めたわけでもなく、
既にあるゲームを後付けで分類しただけなのですが
作りとしては、「オンラインRPG」を1人用にしたようなもの。
TRPGが『ウィザードリィ』になって、
それと『ウルティマ』から『ドラクエ』ができて、
SRPGと意識して差別化したり『ポケモン』で交換したりしつつ、
FF7』あたりから見た目が3Dになって、
国内としては『ファンタシースターオンライン』『FF11』、
モンスターハンター』でオンラインRPGが根付く。
そういうRPGの最近年版、従来になかった版が「オープンワールド」。


ほんの十数年前、
RPGはいずれ皆なんでもかんでもオンライン化するのではないか、
というなことが言われていました。
今では到底信じがたいですが、本当にそう心配されていたのです。
いま『ドラクエ』も3Dな見た目になって、
オンラインRPGでネットを通じてみんなで遊ぶRPGになった。
TRPGだってボイスチャットの閾が下がりオンライン化するご時世。
ではオンラインRPGの次は何なのか。


アクションゲームとの行き来、SRPGとの絡み。
見た目をきれいに、3Dかつ細密、音声をつけて豪華に。
お話の展開や取りえる手段の種類は豊富で
規模は膨大で世界は広大なほうが素晴らしいはず。
現実味あるほど、リアルであるほど凄いはず。
そういうように出来上がってきて
1人用だったRPGが、TRPGのころの大勢で遊ぶゲームを
ゲーム機上で実現させるオンライン化も
その流れを推し進める先にちょうど合った。


そしてとりあえずその次が、
オンラインRPGで培った広い舞台作りの手法を
1人用RPGへと作り変えた「オープンワールド」のようである。
1人用RPGでも、RPGでなくアクションでもなんでも、
遊べる舞台がすごく広いことは、昔から共通してある価値。
それこそ主人公様としての威光行き渡らないほど広大でも良いはず。
広ければ広いほど出来ることは繰り返しかもしれなくとも増えて
可能性とか自由とかは相応に拡大し、夢見られる。
けれど一概にゲームの舞台範囲が
ただ大きく広いことだけを追求しなかったのは、
手間とか技術からとかでなく、
最終ステージをクリアしたら1面にループするより
エンディングが表示されてセーブできてクリアしたと認められて
その上でコンティニューを希望できる形式のほうが
ゲームとしては、楽しいから、嬉しいからである。


また「オープンワールド」形式の今のところの特徴は
なぜかみな一人旅であること。
なぜオンラインRPGのころのように仲間と一緒に冒険しないのか。
他の大抵全部のオフラインRPGのころのように
仲間との協力戦力役割分担が楽しめないのか。
現状は『モンスターハンター』が
オフラインでしか遊べないのと同じなのでなかろうか。
「オンラインRPGが一人を操作していたから」なのか。手抜きである。
あとは多人数中の一人を操作するのと
みかけの現実との広さの相違が合わないから、だからとかかしら。
あるいは、そうして差別化を追うと
オープンワールド」が何にも新しくないどころか
見た目はともかくゲームとしては従来以下と言われかねないからか。




ロールプレイングゲームは役割を演じる遊び。
なんでもかんでもあれもこれも現実もRPG
実際は現実をゲームと思い切れないのは、
それが違うと感じられるものだからであり
「遊び」というものをどう受け止めるかにもよる。
その世界の多くの事柄が、自身の手になる介入によってのみ稼動する
一定枠内での全能感もRPGにある。
用意された対応でなく、現実と変わらない向こうにいる誰かとの
協調とか協力とか共有とか競争とかの関係の妙味を
その役割と場合によってごとに調整するのも、RPGにはある。
現実との違いは、現実をゲームとするなら、
能力値が可視化されて可変自由度が高いところくらいでないか。


RPGの最初はゲームブックで、TRPGになり
それがテレビゲーム化されて
やがてオンラインゲームになって、ならないものもある。
進歩しつつ分かれて、どの段階も現在にもある。
見た目は大切。でもゲームとして不便ではこまる。
現実もゲームであるかのようである。でもゲームと思うには厳しい。
ゲームは現実と比べて、何でもできるようになることはできないし
ゲームは制限が、ルールがあるところでの競いあいでの
勝ち負けがある遊びなのだから面白いのだ。
どんなことも、どんなルールにも対応できる遊び道具たろうと
夢見る前に
まずひとつのルールに対して万全のゲームであるべきで
それすら劣っていると見なされ
携帯無料ゲームにあるいは負けているこのごろなんである。