『ファイアーエムブレム』と『ベルウィックサーガ』


任天堂インテリジェントシステムズの看板RPGファイアーエムブレム』シリーズ。
 その内容は、初心者向けとは思えません。
 難しい。
 何度でも試行錯誤を繰り返し、あるいは攻略本を参照してようやくクリアできる難しさ。
 


任天堂ゲームは全年齢向けであっても、その多くは簡単なわけではない。
 けれど理不尽に難しいわけでもない。
 繰り返すごとに確実に上達する手ごたえが得られ、いつかはクリアできる、と思わせる。
 
・クリアして終わらせることが目的でなく、その繰り返しの過程が目的であり、面白い。
 繰り返す過程が面白くなければならない。
 ただ、一度通り過ぎるためのゲームを構築するのではなく
 何度でも楽しめるゲーム、短くとも深く、それゆえに長く遊べるゲーム。
 それが任天堂ほどに、出来ているメーカーはありません。



・『エムブレム』もそういう枠の中にある。
 確かに難しい。けれど、行き詰ることはありません。
 そこが従来の「難しい」AVGSLGとの違い。
 唯一つの解法しかなく、それを見つけられなければクリアできないゲームではない。


・キャラクターを成長させればクリアできる。
 シリーズ最高難易度『トラキア』においても壊れた武器で幾らでも経験値稼ぎができる。
 そしてもちろん、稼ぎも、レベルアップ時のパラメーターの吟味をしなくとも
 重要キャラクターを仲間にできなくとも、あるいはミスして全員が生き残らなくとも
 クリアはできる。

・クリアの仕方に対する幅の広さ。
 その初見、ガチガチ詰め将棋の様相を呈するかのようでありながら
 実際その懐の深さ、自由度の高さはとても大きい。

・どのようにクリアするかは自由。
 最初に見える壁は高くとも、それを越える方法は様々に用意されている。
 だからこそ、繰り返しの中に発見があり、上達して、それが面白いから
 難しくとも、クリアできるのです。

・クリアするためにあるのではなく、クリアする過程。
 そこが面白い。それを繰り返すのが面白い。
 当たり前です。
 けれど、当たり前を当前にすることの難しさは
 誰もが当前感じる当たり前のことでございますことよ。





・『エムブレム』はシリーズを重ねる過程で、外伝的な2作目を除き大きな変更はなく
 より深く長く繰り返し遊べるよう洗練されてきました。

・初め書き換え専用として発売された『トラキア』は、その流れの頂点。
 噛み締めるほどに味わえる作品ですが、入り口は狭い。
 その販売方法もそういう志向に合わせて採られた措置であったでしょう。

・行き詰まったわけではなく、入り口を広げるため
 GBAに発売の場を移して、特に『烈火の剣』からは初心者向けの工夫が見られます。
 (参照;樹の上の秘密基地。http://www.1101.com/nintendo/fire_emblem/01.html


・『エムブレム』は隙なく奥深く完成されたゲーム。
 最新作『蒼炎の軌跡』(ASIN:B0002OVBLQ)は「安心」と言い表すにふさわしい構え。
 いつもの『エムブレム』。
 よりきれいな場所で、いつもの『エムブレム』が楽しめる安心感。

・繰り返し遊ぶことに面白さを置くことについて、任天堂ほど信頼できるブランドはなく
 そしてそれを、また、裏切らない作品です。


・確かに飽きます。同じことを繰り返し続けることに、大人は特に、飽きないことはない。
 けれど違うのは
 それは遊べばかつて味わったように、いつものように面白いものであるということです。

・初めての新しさ。
 繰り返しの毎日に倦みて日常でないところに求めるもの。
 そういう価値もあり
 一方で、いつもいつまでも変わらない、解っているからこその楽しさもまたあって
 それだけではないけれど、そのように価値を求める立ち方もある。
 ゲームはやらなければならないものではないのだから。





・『蒼炎』と並び発売された『ティアリングサーガシリーズ ベルウィックサーガ』(ASIN:B0007P51MU)は
 『エムブレム』ではない。
 少なくとも『ティアリングサーガ』と、つながりはそのお話だけです。



・テレビゲーム、ビデオゲームというものが考えられたとき
 戦争ゲームというジャンルはその最初期からあったものでしょう。
 戦争ごっこという曖昧でなく勝ち負けのはっきりした非日常の魅力、
 数値に落とし込んで処理できる、ゲームにしやすさ。

・模擬現実、SLGの中でWarsimulationは様々に形作られています。
 戦争のどのような面白さをシミュレートするか。
 ロボットに美女が載って戦場を征き、銀河をまたに掛けて規模の大きい世界に酔ったり
 あるいは過去の現実に材をとり、戦争指揮官としてのロールプレイを味わってみたり。
 『ゲームボーイウォーズ』シリーズのごっこ遊びであるという演出、
 兵士を生産して戦場に送りこむ行為の、模擬現実としての見せ方。
 どれもが実に面白いです。


・その中で、『エムブレム』などのSRPGと呼びならされるジャンルが採るのは
 例えば「水滸伝」や「真田十勇士」、軍談講談ものにある、
 西側横文字で言えばヒロイックファンタジー英雄伝説としての戦争ごっこです。

・わずかな限られた個性が、あるいは時代を動かさないまでも、揺らし輝いていく伝奇物語。
 実際の歴史を動かすのは、絶対多数の民意なのか独裁者が指の一振りなのか、
 定まらず、だからこそ判官びいきのそこに仮想の英雄が生まれ得る。


・現実から生産要素を切り落とし
 将棋やチェスの駒に人、物を落とし込むことで
 成長要素を持たせ、ロールプレイをも演出して
 作られた戦争シミュレーションゲーム

・実にゲーム向きの仕組みです。
 生産よりも成長。生産という仕組みの複雑さと調整の難しさを扱わなくて良いこと。
 背景にお話を語り、包括する世界観を作りだすのに適していること。
 操作する対象が軍団指揮官に限られているという見せやすさと分りやすさ。

・仕組みが単純明快であること。 



・『エムブレム』も、その土台となる仕組みはできるだけ単純化されています。
 足し算引き算で与えるダメージ数値が容易に計算可能。戦場構成と敵配置は固定。
 敵軍を操るコンピューターの思考程度が問題とならないようにまで
 確定的に構成されている。実に上手い。

・その上で、命中、回避の確率だけを争わせるのが『エムブレム』。
 多種多様に用意されたスキルやキャラクターのバリエーションは
 ゲームを複雑にするのではなく、採るべき手段を増やすためのもの。
 無作為に見られる成長の幅も、マップの構造ですら
 製作者の手の内にあるかのような手ごたえは、『ドラクエ』などと並ぶ
 まさに名作としての手触りです。 



・『ベルウィック』は土台の簡易堅牢、
 システムの違いを内包したマップ構成の上手さは同じです。
 違うのはどの無作為、ランダムの幅の取り方。

・手傷、移動距離の攻撃力変換、武器破壊程度の違いといったシステムの積み上げは
 『トラキア』から先への複雑化への発展を思わせますが
 何より同時ターンシステムからくる見通しの狭さこそが印象的です。


・キャラクターの素早さによって行動順が決まる、
 『タクティクスオウガ』のウェイトターン等と違い
 プレイヤーターンでどの駒でも動かせる仕組み。
 従来『エムブレム』の定石、釣りだしての各個撃破など、同じようにはいかない。

・敵行動原理は同じだが、同条件下に複数のユニットが当った場合、
 どのユニットが行動するかは無作為である。
 敵が強くなったとか賢くなったのではなく、採りうる未来の可能性に幅が広がったゲーム。


・特に序盤で意識させられる命中率の低さも
 このランダムの幅、見通しの狭さを印象付けます。
 突然壊れる武器。不意打ちにミスの後の反撃の怖さ。成長させての力押しも絶対ではない。

・難しい。けれど繰り返すことで答えは見えてきます。
 先が見えにくいからこそ、それを見切ったとき、我が手にした時の達成感は
 『エムブレム』とまた違う感慨があります。



・生産システムを持つ戦争SLGの調整が難しいのは
 何より最適解を導く計算式を計算機に与えるのが困難であるからです。
 その中で『ゲームボーイウォーズ』は条件付けてのまとめかたが実に上手い。
 
・そして、生産でなく成長要素で単純化したSRPG
 敵の思考式は単純でも、その組み合わせで
 スキルなど不確定要素の飾りに頼らず奥深さを表現でき
 計算機と最適化されたプレイヤー手まで内包して、それが極まっているのが
 『エムブレム』や『タクティクスオウガ』に感じる製作者という神の介在、
 奥深さ上手さです。
 (参照;ULTIMAGARDEN(http://ultimagarden.net/)より
 ティアリングサーガ「ノーセーブノーダメージクリア」http://ultimagarden.net/ultima/novel.cgi?3=103085582258=&page=0


・『ベルウイック』は違う。見せ方が違う。
 同じことを繰り返す中で最適解を容易に見通せないための工夫がある。

・批判されているように、繰り返し遊んでいくこと自体の面白さを
 表現できているとはいえません。
 けれど『エムブレム』、『オウガ』ともまた違う
 戦術SRPGとしての新しい見せ方を提示した作品。
 さらなる洗練と開花の先に
 『エムブレム』でない、新しい『ティアリング』が確かに見える作品です。