当世ゲーマー事情徒然


・21世紀。一口に「ゲーム」と申しましても様々あるのでございます。
 PS2NDS。携帯アプリ。アーケードゲーム。PCアダルトゲーム。

 結局、盛り上がるのはファミコンスーファミ話だったり、
 『バーチャファイター2』全盛期のゲーセンの話だったりする。
 それはそれで楽しいんだけど、何だかなぁ。
 
 そういえば「ゲーマーの最先端がイメージできなくなった」
 「ゲームは発展から拡散に向かい、ついには雲散霧消するのでは」みたいな意見を
 複数のサイトで見かけたような気がする(※)が、
 確かにゲーマー個人の実感としてもそれはある。
 みんなそれぞれコアな何かは持っているけど、それがクロスしない。
 ゲーマー同士が孤立し、ゲームが個々人の中で完結しているようにも思える。
  9bit confusion(http://gmk.9bit.org/note/20051112-jirou.htm)より

・「ゲーマー最先端」。
 こかた今年のゲーム売上リスト(11月13日まで)。
 マルガの湖畔 http://homepage3.nifty.com/TAKU64/rank2005.htm
 さあ最先端はどこだ。

・ご家庭で『グランツーリスモ4』『ウイニングイレブン』『nintendogs』。
 街へ出て『三国志大戦』『ムシキング』『バーチャファイター5』。
 その隣でアダルトメンツにお子様も混じり、タバコ片手にメダルゲームも大盛況。
 一方秋葉原では『アイドルマスター』『Fate/stay night』に同人ゲーム。
 ネットオンライン。『ラグナログオンライン』『FF11』『リネージュ2』でRMT
 それとも一周回って「ファミコンミニ」がお手軽路線で最先端、
 いやいやもっと面倒、
 「カジュアゲーム」(参照;http://d.hatena.ne.jp/hally/20041117)で充分です。


・これら全てを遊んでいるひとは、今や、自ら持して「ゲーマー」の中にすらいない。
 時間が足りない。方向が違いすぎる、だから興味が持てない。
 あまりに「先端」が広がりすぎて、多様に広がりすぎて
 『マリオ』『ドラクエ』を遊んでいれば皆と話が通じた昔とは違うのだ。





・「大好きなゲームの話をするのは、大好きなゲームを遊ぶのと同じくらい楽しい」。
 『ゲームの話をしよう』 (ISBN:4757710941)の巻頭言。
 まったくその通りです。

・けれど今、
 「大好きなゲームの話をするのは、大好きなゲームを遊ぶのよりも楽しい」。
 そうなっているように、自分を「普通のゲーマー」と持するひとには見えるのです。

・それはゲームが多様になったから、
 誰も追いつけなくなるほど広がってしまったことによる諦めと割り切りの他にも
 ゲームを楽しむ作法も変わってきた、ということによりましょう。



・「ゲームの楽しさ」。
 大勢で遊ぶだけで大概のゲームは楽しい。楽しさを共有するからより楽しい。
 ひとりで遊んでも楽しい。
 アクションや「音ゲー」のリズムに乗る楽しさ。
 パズルゲームやシミュレーションゲームの発想、思考する楽しさ。
 レースゲームやSTGの試行錯誤してより良い答えを追う楽しさ。

・抑圧と開放、そういう原理的快感だけでなく
 そのゲームに乗って、理解して、攻略していく楽しさはどのゲームにもある。
 それは言葉にするのは難しい、攻略本を読んでも解らない、けれど
 ゲームを一度遊べば、誰にでも感じられることなのだ。


・「ゲームの面白さ」。
 ゲームの「どこが」「なぜ」面白いのだろう、そもそもゲームとは何だろう。
 このゲームのシステムはどうだこれとくらべてどうだだからあれはどうなのだ。
 そうして、ゲームというものはこういうものだ、という答えを出していく。

・けれどそれで面白いのは長弁説の当人と一部だけ、
 見ているこちらは、
 ゲームでないから面白くない。ゲームの楽しさがないではないか。


・ゲームの楽しさを語るのは、実は結構難しい。
 『スペースチャンネル5』の楽しさを言葉で説明するのは難しい。
 遊べばすぐわかる。話をする同士が遊んだことがあれば頷きあえる。
 理解しあえてそれがすごく楽しい。けれど
 なぜ面白いのかを、それを知らないひと言葉で説明することは
 なぜかこんなにも難しい。
 こういうシステムであれがもとになってこうだからこうなのだ、といわれても
 それは興味あるひとにあるいは面白くとも、楽しくはない。



・面白さをゲームの仕組みで語ろうとすると
 「従来と比較して何が新しいか」「全体の調整は取れているか」
 この2つしかありません。


・ゲームは常に新しくなる。
 ゲーム製作者は常に次の、そのまた次へ
 まだ誰も見たことのない新しいゲームを追い求める。

・例えばこちら。
 Classic 8-bit/16-bit Topics「テトリスの10年」http://d.hatena.ne.jp/hally/20051126#p1
 パズルゲームではこれは当たり前のこと。

・今年の10月SCEから発売された『マワザ』(ASIN:B000AMCV3W)(http://kyoichi.mods.jp/ps2/soft_05/puz/mawaza.html)。
 ステージクリア、課題クリアのモードしかなく
 エンドレスや対戦がないため深みに欠ける、
 またズケイを壊す目的評価がわかりづらい、など練りこみ不足も感じられますが
 三角をつなぎ合わせて多角形を描いていく過程は実に斬新で面白い。
 課題も理解の助けに充分に考えられていて、リトライ繰返しレスポンスもよく、
 リズムを損ねない丁寧な仕上がりが光る佳作パズルゲーム。

・このゲームは間違いなくファミコンでも、20年以上前のゲーム機でも製作できます。
 けれど20年以上誰も思いつかなかった。
 そしてこれは特別特殊な例でなく、幾らでも無限にあることです。
 575はパターンのひとつでもそこに意味は失われないし
 それを組み合わせていくことに限界はないのだから。


・もうひとつの、それを楽しく遊べるように出来ているか。
 ロードは短くテンポを損ねないか。
 難易度は理不尽に難しくなく、また簡単であり過ぎないようにあるか。
 それを解いていく過程に破綻や無理はないか。


・ゲームの「楽しさ」でなく「面白さ」は、そういうようにできている。


・うむ、これを面白くないというのは難しい。
 なぜならこのサイトの芸風ですからねえ。

閑話休題。ところで閑話休題で『るろうに剣心』をけなすのは心が狭い。
 司馬遼太郎竜馬がゆく』リスペクトとして暖かく見守りましょう。


・けれど、それを作るのは難しい。芸術ではなく工業製品であるのだから。
 まず売れなければならない。
 売れるゲームとは何か。買い手が求めるゲームとは何か。
 良いゲームだ。面白いゲームだ。楽しいゲームだ。それは何だ。ゲームとは何だ。
 アカデミックに考えるにせよ、産業進化理論をぶつにせよ、
 結果を出さなければ、無料のネットでしか拍手は貰えない。


・それを楽しむ側はどうか。
 多様化して追いきれなく広がったゲームというもの。
 言葉では言い表せない伝えられないその価値「楽しさ」。
 そうして選んだ方法は、攻略するゲームの忌避。
 頭を使って思考すること、時間を使って経験を培うことで
 ゲームは理解し解くことが出来る。
 しかしそうするにはゲームは複雑になりすぎて時間が掛かりすぎるのだ。


・今やゲームは多様で複雑。
 単純明快は過去だけに許される美徳。新しさこそ常に新しい最先端の価値。
 あるいは単純さこそ新しい価値なのか。

・ゲームの楽しみ方。大好きなゲームの話をする楽しさを、今、味わうには
 語りにくくかつ複雑なゲームの面白さを介すより
 努力し時間をかけてそのゲームを理解するより
 そのゲームのことについて語るだけであるほうが易くある。
 そのゲームの話、キャラクター、世界観、
 あるいは商品としてのとしての価値だけであっても。


・『マリオ』の攻略法。『ドラクエ』の攻略法。
 『スト2』について話すこと。そのキャラクターについて話すこと。
 『FF7』について。『カノン』について。『ワンダと巨像』について。
 そのゲームについて語ることは、難しい。
 そのゲームがどのようなゲームといったら伝わるか。
 そのゲームの楽しさはどのようにすれば共有できるか。
 それは、そのゲームについて皆が良く知らないほど語りやすいのだ。
 
・深く知る必要はどこにもない。
 すぐに次の新しいという高い価値を持つものが現れるのだから。


・情報誌を読む。より新しく。
 ネットの情報サイトを見る。より新しく。
 フライングが売りの個人運営の情報サイトを見る。
 発売されたらば即座に消化。攻略は共有してすぐ消化。
 Amazonのレビューを見てPlayStation mk2(http://psmk2.net/)を見て
 2chという世間の空気を読み、ファミ通はやはり当てにならないと安心する。
 終了。発売日前に片付くのが望ましい。
 なぜなら次の、次のまた次の新しいゲームが待っているからだ。
 お金も掛からず時間も掛からず皆とゲームの話が出来る、
 すごく楽しく良いことだ。




・現在、ゲームの最先端はどこにあるとも言えないですが
 中心は『ファミ通』にあります。
 発行部数公称80万。
 先のランキングで今年80万本以上売れているのは3作品だけ。

・実際どれくらい売れているのか存じませんが、立ち読みを含めて
 少なくとも毎週何十万人かが、このゲーム雑誌を熱心に読んでいる。
 もちろん『ファミ通』を読んでいなくともゲームを買うひとがいて、その逆もいます。
 けれど、売れるゲームはどこにあるか。
 それは『ファミ通』に攻略情報が載るようなゲームである。それが事実でありましょう。

・「ゲームのココロ」という連載コラムなどを見るに
 本当にファミ通は良くできた雑誌と感を新たにします。
 任天堂は素晴らしい。大人です。
 けれどネットメディアは、まだその作りも使うひとも共に
 『ファミ通』にも劣っています。
 『ファミ通』が騙しているなら、騙されているのは自分なのだ。



・ゲームをするひとはどこにいるのか。
 ゲームは誰がいつ何のために買って遊ぶのか。

・多様です。
 暇つぶしに。ゲームの話を共有するために。同じゲームを繰返しに。

・テレビよりも、誰かとの話についていくためよりも、ひとつのゲームをやり尽くすことよりも
 優先してより多くのゲームを遊ぶべく勤める「ゲーマー」は
 明らかに数の上で「普通」ではない。
 「普通のゲーマー」とは多様に広がったそれぞれの情報を交わして楽しみ、
 そして、他の何にも優先せず、ファミ通の攻略情報と共に数少なくゲームを買うのが
 現実のゲームを楽しむ「普通のゲーマー」であるのでしょう。


・ゲーム消費者、今、ゲームを楽しむ人は、
 ゲームの話をするためであっても
 「ゲーマー」であることに、こだわりを持ってはいない。


・ネットの普及で一億総批評家。
 けれどゲームは楽しむには良くとも語るに向かないものであることが
 いずれ結局ゲームの首を絞めることになるのでしょうか。
 それとも今もう既に。