ゲームの面白さに点数を付ける/『仮面幻影殺人事件』

kodamatsukimi2006-07-27



・ようやくDSライトを買ったのですが、DSの方はどこに行ったのかといいますと
 実家にあるのです。母上が使っているのです。『DSトレーニング』。

・ゲームばかり遊んでいる変人と違って普通のひとでありますので
 もちろんファミコンとプレステがどう違うのかなど知りません。
 ゲームをしないひとが、どうゲームをこなすのかというのは
 ゲーム好きにとって興味深いところ。だからしてDS本体実家に置いて
 経過観察したのですが、わかったことは
 『DSトレーニング』はゲームであるけれどゲームでないということです。

・他も遊んでみようとはしない。
 DSを、子供が遊んでいるファミコンと同じゲーム機の仲間であるとは認識しても
 『DSトレーニング』を半年以上長々続けても
 それでもゲームに興味は持たないのです。別。
 恐らくDSが『DSトレーニング』専用の機械だとしても何も変わらないでしょう。



・DSライトと一緒に買ったのは『Newスーパーマリオ』(ASIN:B0002FQD7C)と
 『仮面幻影殺人事件』(ASIN:B0007L8UAE)。
 どちらも大変良く出来ていて、面白いゲームです。
 で、「面白い」とは何でしょう。 

 (1)楽しい。愉快だ。
 (2)興味をそそる。興味深い。
 (3)こっけいだ。おかしい。
 (4)(多く、打ち消しの語を伴う)心にかなう。好ましい。望ましい。
 (5)景色などが明るく広々とした感じで、気分がはればれとするようだ。明るく目が覚めるようだ。
 (6)心をひかれる。趣が深い。風流だ。
 http://dictionary.www.infoseek.co.jp/より

 言葉は複雑玄妙でございます。


・『マリオ』は、20年前の『スーパーマリオブラザーズ』を
 そのまま今に作り変えたようなゲーム。
 そのまま。『2』でも『3』でも『ワールド』でもなくファミコンのそれ。
 クリアしたステージは戻って遊びなおせる。ボタンを同時押しする必要もない。
 もちろん3Dの広大なステージをうろつく必要もなく
 簡単です。すごくわかりやすい。

・『仮面幻影』は携帯アプリのシリーズアドベンチャー
 http://genkimobile.jp/topics/s_kibukawa/index.html
 をDSで出したもの。
 タッチパネルを活かした謎解きはなく、ごくごく真っ当な探偵ものAVGですが
 構成は実に素晴らしい出来です。これだけ見事なものはなかなかない。


・DSライトは軽くて良い。
 やはり携帯ゲームとの距離感がとれない私は『マリオ』遊ぶと肩こって疲れるのですが
 『仮面幻影』はそうでもない。大概片手で操作できるからです。
 寝そべってだらだら遊べます。初めから最期まで寝そべったまま読み終え。
 こんなゲームはいままでなかった。基本的に片手でボタン押していれば良く
 たまに選択肢を選んであげるだけでクリアできるとは素晴らしい。
 まあ『カルチョビット』とかもそうですけれども。
 『ダビスタ』用片手コントローラーとかありましたね昔。
 『マリオ』も片手で遊べればよいのに。


・携帯アプリはそうです。Wiiのリモコンコントローラーは片手で良し。
 『剣神ドラゴンクエスト』も片手で遊べる。
 となると疲れる。あーだりーかったりーゲームでもするかーと夏バテているのに
 部屋の中でテレビに向かい気持ち良い汗かいていられるほどエアコン効かす無駄金なし。
 『仮面幻影』は片手で出来れば良かったのに、と怠惰思考。
 つまり選択肢なし。それってゲームかなかなかなカナカナカナカナ・・・・・・
 暑い。



・『ひぐらしのなく頃に』や『EVER17』、『ポートピア連続殺人事件』はともかく
 ついでにDC引っ張り出して『es』も遊んで涼む夏の夜には
 アドベンチャーゲームに選択肢は、すなわち「ゲーム性」は必要なのかな、と思います。


・必要です。
 しかしけれど、その選んでいる選択肢には正解があり
 『逆転裁判』のテンポ良い展開も製作者が想定したとおりの演出なのであって
 つまって悩むからこそ正解を見つけたときの開放感があるのはわかるにしても
 そこにしか「ゲーム性」、すなわちゲームにする必要性、
 ゲームの面白さというものはないものなのだろうか、と。

・確かに選択肢を選ぶでなくとも、文を送る決定ボタンを押すところにも
 その場でいつまでも立ち止まってそれまでを振り返り噛み含め味わうところにも
 例えば将棋の途中一場面を見て延々何時間でも遊べるように
 それもゲームの面白さであり、つまり「ゲーム性」であって
 全体を分割して出すゲームで『エルドラゲート』や任天堂ディスクAVGを差し置き
 過去最高の成功を見たことこそ『ひぐらし』の「新しさ」。

・長大なノベルゲームを前後編に分けて売ればどうか。
 その間にあるテレビゲームにない「ゲーム性」はつまり、
 小説のページをめくるを止めた時であり、文字送りをやめて、ふと振り返るそれなのだ。

・いつも正義の文部省が正しい答えを画一的に示してくれたかつての国語のテストと違い
 AVGにある正義は製作者の確立していない演出の上である。 
 選択肢は正解しか選べない、終わりまで端まで作られているがゆえの
 狭さ不自由さを証明するものなのだ。


・寝転がってボタンを押して読み進めるだけにも、それはゲームではないし
 小説をテキストデータにしてDSに表示したのと変わらないし
 では背景の絵があれば、立ち絵があれば、見せ場の一枚絵があれば、BGMがあれば、
 それはゲームであるか。違う。選択肢だ。
 その場面において自分ならこうするという違う未来を選べる選択肢こそがゲームで
 ゲーム性である、のではなく
 その作られた限りある世界がどう出来ているかを理解することこそ
 アドベンチャーゲームのゲーム性である。その表現方法は未だ完全でなく
 ただわかりやすく過ぎない正解を与えることが、今の正解であるけれど。



・とかと、『仮面幻影』遊ぶと色々思うのです。


・ゲームの面白さ、ゲームに感じる「面白さ」とは何か。
 それは私にとってそのゲームへの「興味」である。
 好き嫌いや出来の良し悪しでなく、遊んで楽しく愉快におかしみを感じ心引かれる対象は
 そのゲームがなぜそうなのかそうできているのかどうできているのか他と比べてどうなのか。
 ただ、良く出来ている、それはもちろん大変良いことでめでたく素晴らしく
 尊敬に値することで価値を大いに認めるものであり他人にはそれこそ薦めるけれど
 けれど、興味をそそられるということとは違う。


・『DSトレーニング』はなぜゲームに興味のないひとにも興味を向けさせ、つまり
 面白がらせる事を可能としたのか、ということでなく
 なぜ『Newスーパーマリオ』より『仮面幻影殺人事件』のほうが色々思うのか、
 『大神』と『時のオカリナ』を比べ、『God of War』を素直に褒められないのは
 そのどこが興味深く自分にとって感じられるところなのかこそが興味深く、
 すなわち面白いから。
 だから、ゲームは、新しい方が良い。良く出来ているよりも。

 
・そして、新しいものは、いつでも古くなり続ける。
 ゲームの面白さに点数を付けるならば
 新しいものの方が点数が高くなり
 だからいつまでも、ゲームは面白いのだ。