いまさら『ミスタードリラー』

kodamatsukimi2007-10-05



・なぜか今更『ミスタードリラー』にここのところ嵌まっていた次第。

・年末の大攻勢を控えてか、とくにこれといって
 ゲーム屋さんに並ぶ新作のどれを買ったら良いのかわからない。
 ゲームセンターはお金がかかる。すずしくなってきたし家でもできる。
 ということで、詰みゲームを崩していて、とりあえずGC分類を片すなか
 そういえば『ガチャフォース』について書いてなかったな、
 これ遊びなおして次のお題にしようかな、とか思っていたのでありました。が
 いや『ガチャフォース』が面白くないわけでなく凄く面白いのだけれども
 『ミスタードリラー ドリルランド』(ASIN:B000078JT7)の方が
 なぜかツボに入ったのである。もちろん『ミスタードリラー』も面白いのだ。



  シリーズ公式サイト http://www.horisusumu.com/
  バンダイナムコ ナムコレーベル http://namco-ch.net/index.php


・シリーズの初代はアーケード向けで'99年。
 家庭用機への移植は翌年、PSとDCと、ゲームボーイカラーである。
 えーなんでなななんでGBAでないん。でDCなのよん。
 この当時はそういう時代だったのだなあ。今は昔。カオスである混沌である。


・当時、DC版を遊んで、まあナムコらしい良い味のゲームだけど
 なんというか深みのない、といったら違うけれども
 長い事遊び続けるようなゲームではないな。
 エンディングを見たら終わりというゲームでもないけれど。
 というように思ったのが、ここ数週前までの感想でありました。

・今思うと、確かに間違いではないけれど
 そういうように見えていないで見えた気になって
 見えていないまま遊び終えて並べているゲームも沢山有るのだろう、ということと
 逆に、そうでもなく
 ただ単に昔の『ミスタードリラー』は出来が悪かったのではないか、
 という気持ちで合い半ばなのである。

・ならばDC版出して確かめれば良いのだが、わたくしがしているのは
 ゲームで遊んでいることであって、ゲーム価値の比較検討作業ではないんである。
 といってうやむやにする。ようは面倒なのだなこやつ。
 DCでなければ遊べないゲームで遊びたいのがとりあえずないし。
 むしろN64で『罪と罰』を。



・ゲームの仕組みは、遊んだことがないひとでも、誰かが遊んでいるところとか
 デモ動画をどこかで見たとか、いやゲーム雑誌の画面を見ただけでも
 どんな感じであるかご想像付かれ得ると思われる。そして大体そのとおりである。
 『アルカノイド』と『パズルボブル』と『ぷよぷよ』などと同じ様に
 ひとめで大体どんななのかわかるゲームなのであります。

・自分の真横と真上と真下も掘れる『ロードランナー』。
 『ディグダグ』と違って重力がある中、とにかく下へ掘り進むのが目的。
 くっついている同じ色のブロックはどれかひとつを掘るとまとめて消える。
 下の支えになっている部分が掘られて、または消えることでなくなると落下して
 着地した時4ブロック以上くっついた状態なら消える。
 時間経過でゲージが減少するので適宜アイテムを拾って回復。


・昔のはどうだったかもう覚えていないのだけれど、GC版は実に良い出来。
 アクションゲームとして隅々まで行き届いています。
 ブロックが支えを失って落下するまでのタイムラグ、
 よろけ時間、ジャンプして回避する際の当り判定、
 そしてランダム生成でありながら常に手ごたえ有るステージ生成条件の妙。
 そういった細やかな調整が絶妙。癇に障るところがない。
 失敗原因は明らかに自分の責。ゲームオーバーではリトライを選ばざるをえない。
 無心に掘って掘って掘り進みまくるのがひたすら楽しく
 始めると数時間があっというまに過ぎていくのである。


・実に良いゲームだ。
 ランダム生成だから常に敵配置が違うアドリブ型縦STGのようなものであり
 常に下に動き続けるのは上にボス敵がいるようなものである。
 基本危険から遠ざかるよう下へ向かうのだけど、必要に応じて左右に振れ
 敵弾や邪魔地形をあやしてアイテムを回収する。

・強制スクロールではなく、アイテムは充分に用意されているので急ぐ必要はない。
 崩したブロックが安定するまで待ってから掘り進めた方が生き残れるけれど
 しかし敵弾幕に飛び込むのは、スコアのためではなく
 クリアすることがが遊ぶ目的ではないからだ。
 安全に生きるために遊んでいるわけではない。
 遊ぶ以上、常に最速最短で危険に飛び込まなければならない。
 よって常にタイムアタック
 落ちてくるブロックの趨勢を見終えてから動く安全より
 目の前の危険だけを避け続けることで地獄へ飛び降りる蛮勇に快感を覚える。
 それがアクションゲーム。『ミスタードリラー』の楽しさはそれだ。


 


・良いゲームである、けれど以前感じて
 その後もシリーズに手を触れてこなかった理由はなんなのだろうか。
 
GC版で目に付く欠点は、クリアタイムが記録されないところ。
 記録されるハイスコアはブロック消滅得点を基本として
 残機数、ノーミス、残時間、全アイテム回収についてそれぞれボーナスが付く。
 タイムボーナスと、アイテム回収、ブロック連鎖消し量が対立する形で
 この構造に文句はないのだけれども
 クリア重視とスコア重視、2つのほかに
 短時間クリアという当然ありえる遊び方に対応する気がなぜなかったのだろうか。

・シリーズ最新作、DS本体と同時発売の『ドリルスピリッツ』(ASIN:B0006GASEQ)は
 時間制限がない代わりに手数制限のある「ドリストーン」モードと
 タイムアタックモードが追加されております。
 前者はGC版のアレンジモード「ドルアーガ」「ドリンディ」「ホラーナイト」の
 どれとも違う良い形式で素直に歓迎できるなのけれども
 タイムアタックは話にならない。専用固定ステージのみなのだ。
 全モードの全ステージでタイムアタックができるようにして何がいけないのだ。
 

・けれどそういうことではない。
 DS版の出来が悪いわけではなく、GC版よりステージ数など優れているところも多い。
 けれどやはりGC版の方が明らかに熱中できる。
 ひたすらに最速で何時間もかけおりようと続けてしまえる。
 これはなぜなのか。
 アクションゲームだからテレビの大きい画面であるほうが良いということなのだろうか。
 『バンガイオー』がDSで出るらしいが正直360の方が良かったのに、
 とかそういうことなのだろうか。


・今思うのは、そのゲームを止めて他のゲームを始める区切りにあるもの、
 環境の変化、時間の経過、ゲーム内過程の消化、それらより
 何より一番重要なことは、そのゲームを面白く感じられるか、
 他のどれより遊んでいて楽しいか、ということにある、ということである。
 つまりゲームの良し悪し、遊び終えてしばらく経ってそれを位置づけ、
 並び替えるときの印象評価とは別物なのだ。
 単にその時どんなように遊べたか。
 努力しないでどれだけ大きく強く高く濃く良く、楽しめたか。
 どれだけそのゲームをわかって遊べていたか。


・ゲームの評価は難しい。自分がそれを楽しめるかどうかを見極めることすら難しい。
 『テトリス』に対して『ぷよぷよ』は複雑である。
 連鎖の積み込みを見て取れなければならない分、
 楽しむために必要な努力、または能力が一段高く必要である。
 しかし複雑な分、両者を同じだけ理解しているならば
 解くべくあり遊ぶために利用すべくある要素が多いほど、長く深く楽しめる。
 しかし、理解しなければいけないということではないではないか。
 だがしかし、けれどそうでなければ楽しめないもの。
 それがゲームというものなのだ。



・楽しめたかどうか。たとえそのゲーム要素の入り口部分しか理解していなくとも
 それで面白かったならばそれで良いのである。
 遊び続けてエンディングに失望し、遊び終えた印象がとても悪くとも
 楽しめていたときの面白さは嘘ではない。面白さは一様に拡大し続けるものではない。
 そしていつまでも遊び続けられる、面白いゲームは多分ない。


・それはまたもうひとつ別の言い方ならば、今だから楽しめる、ということでもある。

 というかなー。格闘ゲーム好きな人には悪いけど、やっぱ格闘ゲームって
 「今」に合ってない感じなんだよな。俺の中のイメージでは。
 区切られた狭いフィールドで一対一って、
 今のゲーム機でやるゲームとしてはなんかさびしいと言うか、
 「もうちょっと何かないの」ていう。
 フィールド広くして地形やオブジェクトをアクションに利用できるようにするとかさ。
 格闘ゲームってシンプルすぎるっつーか凝縮されすぎてるっつーか、
 そのストイックさがまた対戦ツールとしての価値を高めている側面もあるのは分かるんだけど、
 ハードの性能上がった今ならもうちょっといろいろ拡張していいんじゃないかと思うんだよな。
 アクションゲームとして。
 ジャンル変わっちゃうじゃねーかとかは置いといて。

   世界の果ての崖っぷちで http://d.hatena.ne.jp/Iron-9/20070913/game

 『テトリス』『ぷよぷよ』『ロードランナー』『パズルボブル』『アルカノイド』、
 そして『ミスタードリラー』は今、そして今後も楽しまれるために、
 どのようにあるべきなのか。
 そういうようにも言える。


・だがしかし。わたくしはゲームを作っているひとではないので
 そういうことで頭を煩わせることなく、面白いと思えるゲームを楽しむのみなのである。
 ゲームを遊ぶひとにとって重要なことは
 ゲームは新しくなり続け、たとえそれが面白くなくなったとしても
 今、確かに『ミスタードリラー』は面白いということなのだ。