パルテナの鏡

新・光神話 パルテナの鏡 - 3DS

3DSではとりあえず「マリオ」を買って遊んで前回感想書いたわけですが
この時期に3DS本体を買った理由としては
むしろこちらの本作品をどんな感じかみてみたい、が
主でメインだったりするのです。
もっとも一番には他にとりあえず遊びたいものがないからで
次には3DSもDSと同じく廉価版が待っても出そうにないからで
メインで主だからといって、最大勢力ではないのですけれども。


その注目する理由というのは
カービィ』や『スマッシュブラザーズ』シリーズを製作した
桜井政博さんが面に立って作られたものであること。
といっても私としては実のところ率直に言いますと
年代世代としては小学校時代に『ポケモン』を遊んだことがないくらいなので
この方の作品にあまりご縁がなかったりする。
ポケモン』くらい著名となれば子供向けとは思っても試してみるし
セガなどのマニアごころくすぐる作品は
対象世代でなくとも遡って手を出したりしてきたりしていたのですが
カービィ』は微妙な枠なんである。
スマブラ』も非オンライン対人対戦アクションゲームであるということが
例えば『桃鉄』よりもさらに一段ハードル高い。
DSの『メテオス』は遊んで、
なるほど「ファミ通」で毎週ゲーム関するコラムを書いているあのひとだ、
言っているだけはあるな、と偉そうにようやく認識したくらい。
書籍にまとめられている版(ISBN:9784757749160)は買ってはいないですが。
ゲームについて話したり書いたりすることと
私にとって面白いゲームを作ってくれるかの関連性は
残念ながらこの30年のところ立証されていると思えないですけれど
この方は任天堂風味に今のところ終始一貫言行一致の希少例と言えましょう。


それで本作。
ゲーム内の女神パルテナさま曰く25年ぶりくらい前、1986年12月に
ファミコンディスクシステムで出た作品に「新・」をつけた題名。
 「旧」のバーチャルコンソール版 http://www.nintendo.co.jp/wii/vc/vc_pk/
おなじくディスクシステム産の初代『メトロイド』が同年8月。
さらに当時から目玉作品だった初代『ゼルダの伝説』も同年2月。
でありながら『ゼルダ』『メトロイド』と違って
以降、続編とか名前冠する作品が出ていない。のになぜ今更。
とはいえ昔を思い起こせば、現在のようにはなんでもシリーズ化するのが
商業利益に適うものでもなかったのではある。
同じく『スマブラ』に登場している当時のゲームとして比較すれば
アイスクライマー』などもなぜかナス、ではなく続編がない。
これはゲームに載せるうわものが
今とは比較にならないほど軽くてよかったからだろうし
ゲーム自体の大きさも小さくてよかったからでもありましょう。
半年で「ドラクエ」の続きが出ていたのが、まさにこの1986年のお話。
旧『パルテナの鏡』は、『アイスクライマー』と比べて
駄目だったわけではなく、『謎の村雨城』よりは良かったけれど
ゼルダ』はもちろん『メトロイド』には及ばなかったゲーム、
というわけなのであります。
いや今回この作品題名が引っ張り出されてきた本当のところは、
当時の出来ばえとか評判とかそういう問題ではないでしょうけれど。
とはいえ昔と違って今は任天堂でも
SFCのころの『F-ZERO』とか『スターフォックス』と違う意味で
キャラクタといううわものに心配らねばならないのは確かではあります。
話がそれているついでに書いておくと、
なぜ「アテナの鏡」でなく「パルテナの鏡」なのだろう。
ゼルダ」「メトロイド」と同じく、単に語感の問題というのが
有力な気がしますけれどもどうか。


それでその旧作品は、わかりやすく言うと、上に登っていく『ロックマン』。
横に跳んでいくマリオと違って、縦穴を登るジャンプミスでの落下撃墜が
メトロイド』と比較しても印象深い作品でしたが
今作は3DSだから3Dのアクションゲーム。
3DS「マリオ」との差別化としては、
弓矢とか撃って敵を打ち落としながら進んでいくシューティング風味。
シューティングげーまーのみなさんが出来ばえ次第で
STGでなくアクションゲームだと銃撃つゲームに対し決められる範囲分野。
特徴はその操作方法。
左手でアナログ入力パッドで移動とダッシュ、Lボタンで攻撃、
右手はタッチパネルで照準合わせ。
ここまでは机上の仕様説明としてみかけまあ良いとして、
カメラ合わせもタッチパネルでスライドする方式なのが独特です。
ポイントで照準、左右へのスライドとスライドと組み合わせたポイントが
見ている方向、視点カメラ移動。
ゲーム内の「地球儀を回すような操作」という説明が言い得て妙。
見えないレールの上を飛んでいく3Dシューティングな前半と
地上に降りて自分の足で駆け回る後半、というように
多くのステージが構成されていて
STG」と「銃のような遠距離武器アクションゲーム」が
組み合わさっていることを意識させるつくり。


遊んでいると思うのは、このカメラ合わせが面倒だ、ということです。
前半のSTG部分は、上司女神パルテナさまが
空中に見えないレールを引いて敷いてくれるだけでなく
どちらを見れば良いか、まで操作してくれるので
画面内を動いて敵弾避け、敵に照準合わせていれば良いのですが
地上に降りる後半部分では、照準合わせの前に
敵がどこにいるか見回して探さなければならない。
左手のアナログ入力スティックを倒した方向に移動するとき
見えている方向は変わらない。
任意照準ロックも、向いている方向後方カメラリセットもない。
レーダーのようなものもないので、敵がすぐ後ろに立っていても見えない。


敵弾を避けるため、STGで言う「切り返し」の理屈で常時左右に動きつつ
視点カメラをぐるぐる回して敵をさがすのが面倒なのである。
ペンをタッチパネル上でスライドさせる操作が独特なのである。
例えばこれ、360コントローラで遊べれば全然快適なのである。
けれどしかし、こういう操作方法になっているのは不備でなく
わざと「そういう操作を楽しむゲーム」として作っているであろうことは
狙撃用の主観ズーム視点や
Rボタンで移動とカメラ操作切り替えができるよう用意されていることで
主張、アピールされている。
左手側に攻撃のLボタンだけでなく組み合わせてダッシュになるL2ボタンや、
右手側のアナログスティックで照準合わせとカメラ移動、
ボタンで特殊アイテムの切り替え使用とカメラロックとカメラリセットが、
できるゲーム機で作った方が操作しやすいのは、
作っているほうだってわかっている。はずである。
なのに、なぜそれを無理やり3DSのひとつの入力スティックとボタンひとつと
タッチパネルだけで遊ばなければならないのか。
PCでのFPS文化におけるキーボードとマウス入力のほうが
まだ右手側にボタンが複数あるだけましといえるくらいであるくらいなのに
けれどあえて、3DSで、右手タッチパネルで遊ぶ3DアクションSTGなのが
このゲームなのである。


まず思うのは任天堂ゲームコントローラー微妙説。
ファミコンは相手がマーク3の折れスティックの時点で問題にならないとして
SFCもPS1から振り返ると持ちがたい。
N64GCは明らかに十字キーと迷走していてまさかの洋物360に大敗北の巻。
Wiiリモコンは、なるほど結構斬新さにおいて確かだけれど
モーションプラスの後付けとかLRボタンにあたるところの押し難さとか
そのゲーム作品の出来ばえぶりと比べるとなんでやねん京都な摩訶不思議。
3DSもXボタン押しづらい。不良品扱いされたPSP□ボタンのほうがまし。
というのは確かに一面において確かだと思うのですが
このゲームが、こういう操作方法であるのとは関係ないことである。
右手にペンを持ってタッチパネルを操作させようとすると
ボタンが押せない、というのは、3DSでなくDSの初めから既に明らかな
欠点というより「仕様」。今更ながらそうなのだ。


それで3Dなアクションゲームを作るにはどうするか。
「マリオ」のようにステージ構成とカメラ追従にこだわりまくって誤魔化す。
これが3DSの「仕様」である。
嫌なら別売りで右手側にアナログ入力装置をつければ良いのである。
DSと3DSで本作のように左手で操作、右手で照準合わせするゲームは
ゲーム機本体を支持する左手の固定ぶりに全てが懸かりすぎるので
製品同梱スタンドに載せてテーブルの上において遊ぶのが
本作では「仕様」である。
携帯ゲーム機。それは携帯電話で遊ぶゲーム機のことであって
京都の任天堂には縁ない話であるのかもしれない。かもしれなくないけど。


ゲーム機の個性は、長らくみためのきれいさであるような気がしていたけれど
専用かつ汎用の操作入力装置、ゲーム機付属コントローラの出来ばえに
そのむかしむかし、テレビゲーム機の一番最初から、みえづらくも在って
ゲームセンターのゲーム機もスマートフォンのアプリケーションの現在も
結局実は変わらず、もちろんぜんぶではないけれど在るのである。
3DSのDSから、みためのきれいさと入力装置の汎用程度径時変化しか
変わらなかったことで浮かび上がって
そういうことを思い出させてくれる操作方法のゲームです。
360の入力装置で遊んだ方が操作しやすいだろう内容を
制限の大きい限られた入力環境の3DS
同梱スタンドで専用環境を構築してまで実現させる。
そういう遊び。テレビゲームにはそういうところもある。
360で「ガンスタ」「銀銃」「斑鳩」が遊べるのは結構なことだが
N64の「罪罰」はやはりN64コントローラであのとき遊んだ思い入れが最上だし
初代「プリンスオブペルシャ」はキーボードキーデジタル入力でこそなのだ。
昔の良かったゲームを思い返していま遊んでも面白く感心するものもあるが
当時の楽しさとそれはまた別のものである。


なんでまた25年前の作品名をいまひっぱりだしてきたのか、
最近の任天堂作品で目に付く「いい性格」のキャラクタ演出とか、
1ステージごとの長さ具合とか、対人対戦を踏まえた武器性能個性とか、
そしてその無理やりな操作方法など、
論点のいろいろにおいて、良く出来ている本作ではありますが
なぜWiiでなく3DSでわざわざ出したのかというと
3DSのためにつくられたゲームだから、でしかない。
こういう独特な操作と使いこなせるようになる楽しさのアクションゲームが
3DSに必要であって、それを達成しているゲーム。
3DSだからこそのゲームには違いない。そういう意味ではあっても。