ドラゴンズクラウン?


ドラゴンズクラウン - PS3 ドラゴンズクラウン - PS Vita




これはあかんやつですわ。


というくらい今月は忙しくて
うんじゅうねん前ファミコンを買ってもらって以来ぶりくらいに
まったくゲームをする暇がなかったので
ドラゴンズクラウン』?
とこのサイト10年目にしてはじめて「?」を使う程度の様子に
内容すでになかばおおかた
すっかりかんかんからからに忘れているのですが
それもそれ。
これもそれもいまのそれもまたつまり
ゲームある生活のそれである。


感想文書いている暇あったらゲームを遊びたいけれど
それ以上に、生活のため暇をつくるため
することしなければならない。
感想書くのも次のまた次のゲームを遊ぶためと思えば悲しいけれど
ひとつのゲームをいつまでも遊び続けるでないのもまた事実。
製作者のインタビューを拝見するに
魂込めされたゲームなのだと伝わってきて嬉しいのですが
実際ゲームを遊んで面白がれる程度とも比例しないのは
過去から既に明らか。
ゲームは工業芸術品であり消費物でもある。
わたしもあなたの止まることない人生の物語もまた然り。



ヴァニラウェアは命がけでゲームを作る会社――クリエイター神谷盛治氏・ロングインタビュー - 4Gamer.net http://www.4gamer.net/games/134/G013480/20130521001/
ドラゴンズクラウン」は自分が一番作りたかったゲーム――ヴァニラウェアの神谷盛治氏に,完成までの道のりを聞く - 4Gamer.nethttp://www.4gamer.net/games/134/G013480/20130726117/





妄言はともかく。
ドラゴンズクラウン』はその特徴的な絵からすぐわかる通り
プリンセスクラウン』とか『朧村正』とかを作った
ヴァニラウェア製ゲーム。
前も書いたように
「プリクラ」はゲームとしてはともかく
主人公グラドリエルのデザインが当時として新しかったし
グリムグリモア』はリアルタイムストラテジーが大いに受けない中
小規模だけれど良くまとまっているし
朧村正』は対戦でないちゃんばらげーとして手ごろな出来ばえ。
と目を引く作品づくりか特徴。
あんまりすごくないし癖も強いけれど
おおむね満たされるなかなか良いゲームを作ってくれるところです。
上のインタビュー記事など読むと
一部のひとがおおよそだいたいそそられる感なかんじがうっすらかんと
伝わるかもしれません。



で今度のこれは、剣と魔法世界のベルトスクロール。
カプコン製『D&D タワーオブドゥームシャドーオーバーミスタラ
の現在版。
オンライン4人協力モードが基本で
盾、斧、投げ、弓、魔法使い2種の6職種。
オフラインでCPU操作の仲間をお供にも遊べるけれど
明らかにわざとNPC人工無能なので
一人旅のほうがむしろ楽しいくらい。
レベルがさくさくあがって力押し可能だけれど
無理押しでなくとも敵の攻撃受けなければ先に進むことは可能。



モンスターハンター』とかとの違いは
3Dでなく「ベルトスクロール」なところ。
攻撃当り判定が画面の手前と奥の前後に広くあり
無敵のローリングダッシュ回避頼りだけではない
2Dアクションとしての広がりが楽しさ。
敵の攻撃挙動とこちらの武器振り回し挙動対決判定を覚えるというより
敵の攻撃を受けない位置からべしべしざくざくするアクションゲーム。
4人で進むと、敵と背景と攻撃が多層に重なり合って迷彩効果抜群。
そういうごちゃごちゃ乱闘乱戦状態が楽しいし
昔と処理落ち程度の違いを楽しむのもわびさびのここち。
いわゆる動きの迫力のようなものは3Dの恐竜に比べるとないけれど
平面の挿絵ような画面もまた、ゲームとしてありなのである。



オンラインで協力が基本だから
戦場バリエーションが少ないのはともかく
敵の種類とかキャラクタの色違いがステータス画面に反映されないとか
Sランクアイテム拾っても嬉しくないとかルーン魔法が悲しいとか
クエストオブD』とか『ボーダーブレイク』とか
あのあたりとくらべてどうなのか、
いろいろ中途半端であるところは免れないようす。
お話の面でも、キャラクタを途中で切り替えられたり
仲間は最初から最後まで連れまわせたりできればとか
好みの分かれるところ。
朧村正』のときに同じく、
ゲームとしてお話との噛合わせが色々惜しい。
駄目ではなくて遊んでいて楽しいし、確かに魂入った作品だけど
わかりやすく欠点いくつもあるいつものヴァニラウェア製ゲーム。



私個人としての感想を申し上げるならば
いよいよオンライン協力はあかんかんじ。
1対1の対人対戦は大好きだけれど協力はだめ。
気をまわす余裕が次第にますますない。
そしてこのゲームを1人旅するなら『朧村正』の方が
そういうよう作ってあるのだから向いているに決まっているのである。
それでも例えば刀振り回すだけでなく
盾、斧、投げ、弓、魔法の手段が用意されているというだけで
あちらになかった魅力がこちらにはあるものもたくさんある。
オンライン協力だけでなく同じ素材で1人用も作って欲しいとも思うし
朧村正』をこちらよりにしてもよいし
リアルタイムストラテジー要素をいれても良いし
TRPG風にお話をひろげても良いのでないかとかと
いくらでも風呂敷は拡がるなかで
ひとつのところにきちんとまとめた作品ではあります。



ゲームというのはまこといろいろあって難しそうで面白い。
作る方にたたず、消費へ専念するにしても
まずどうであるかは遊ばなければわからない。
そして自分が何を面白がれるかがなかなか容易ににわからない。
私は未だにわかりません。
ゲームは、仕組みがそのまま絵と話をのせかえたものでなく
常に何か新しかったり古かったりあっちだったりそっちだったりを
提供しようとしてくれることが、なぜか、多いところが魅力。


欠点はあり失敗があって、迷走してばらばらになって
多くの作品は多くのひとに顧みられることなく埋もれていくけれど
それもいくつかの確実に良く出来た作品を軸に
たまに尖った個性だけを頼りにも
散りが積り、たまに新型ゲーム機の雨降って固まり、
上か下かはともかくもどこかへとは向かっていくさまを眺めるは
確かに興味深く面白く楽しいことです。








 

夏で暑いから値崩れ作品消化期間


ゲームの感想は料理の感想と似ているかもしれない。
「美味しい」と「まずい」、「良く出来ている」と「出来悪い」。
おおよそ多くが共感できる一定の基準ある一方で、
個人の好みとかその日の気分とか思い入れによって
印象が左右されたりもする。


読込待ち時間は短い方が良く、画面みやすくきれいな方が良いけれど、
操作上手さが結果に反映される程度とか
評価高めるため頭をどれくらいひねれば良いかの程度には、
共通する度合いは無いのです。
仲良くみんなで和気藹々とった食事や
暑い日渇いた喉へと落ちる冷たい飲み物がおいしさのように
初めて遊ぶ種類のゲームは、心に割り増しされて残るし
途中どんなに素晴らしくとも最後で味噌つくと、作品全体色褪せる。
人生というゲームもわりとそう。
亡くなる間際に幸せだったと思えれば良い人生というのなら
それまで幸せでも最後絶望するなら駄目な人生だったのか。



話がそれました。
ええと、けれど料理と違うところもあると思うのです。
例えば、過去の作品と同列に比べられるところ、
比べることが出来るところです。


ひとの記憶は曖昧で、深くとも浅くとも磨り減りぼやけて
輪郭あやふやになるけれど
作品自体は料理と違って完全いつも元のまま在り遊ぶことができる。
現在最新作は常に、これまで過去名作全てと比較されうる。


けれどとはいえ大抵は、思い出の中にだけある美しさに
対するだけですまされます。
例えばファミコンの「マリオ」とWii3DSの「マリオ」が
実際のところどんなふうに違うか、検討はしないものである。
マリオギャラクシー」みたいに大きく違うほうが
むしろそうされるものである。
そうしようとしても当時持った思い入れが
そうさせないところありますけれども。


ゲームは遊び道具であって、食べたら消えて無くなる料理とは違う。
購入するとき、どれがより美味しいか、楽しめそうかと比較する際、
材料と調理法が同じような感じでだいたいこのようなであるかと、
過去の名品と実際参照可能であるかないかは大きな違い。
特に、新しいほうを買ってもらわないと
作っているほうが商売していられない仕組みにおいては
なおのことなのである。
むしろその仕組み自体をどうにかしたほうが良いような気もしますが
パチンコとかメダルゲームとか携帯アプリをみると
残念どころかみたくない未来と思われるのでなかったことに。
ひとの記憶力や同時に複数の別物を比較するのが難しい能力は
時にありがたく残念でもある、変えよう無い現実です。




おおやけには『ドラゴンズクラウン』待ちと表する今回今月は、
特にこれといって遊びたいものがなかった、
というわけでなく暑いのであまり気力湧きあがらないので
ワゴン販売商品、つまり普通に売ってははけない作品のみなさんを
いろいろあれこれつまんでいてみたのでありました。


それにしても「ドラゴン」に「クラウン」とか
よくその組合せ先例商品がなかったものです。
またどうでも良いことに
なぜ待っていたそれを遊ばずこの記事を書いているかというと
仕事でいまだに遊び向き合う時間がないので。
一度出遅れたこの際多少はもう気にしない。




ゲームには出来良し悪し関係なく、売れた数というものがあります。
買ってくれるだろうと作った方が予想したより売れないと余る。
自分にとってその商品が値段分満足できるかは
ゲームの場合は実際遊んでみないとわからないのだから
その累積である売れる数とは
何十年売る商売しているひとにも時にわからないものとなるらしい。
中古だとまた話は違って
処分してしまっても再び遊びたくなるかもしれない割合に対して
惜しくなかろうな、という判断の集積結果。
曖昧で不明瞭に厳正な世間の審判を
きちんと受けた結果であるといえなくもないかもしれなくもない。



実際、ワゴン追いやられているもの中にも
「良く出来ているもの」は珍しくなくあるのです。
そして、これはなるほど処分されるもわかるものもあるのが
面白いところでもあります。


例えば『バットマン アーカムシティ』。
WARNER THE BEST バットマン:アーカム・シティ - PS3 バットマン アーカムシティ - Xbox360
バットマンになってアーカムシティに巣くう怪人と戦うアクション。
みためもロード時間も結構。
アーカムシティを例の格好でうろつきまわり
高いところから街見下ろした時の
建物の中からみる大きさと、そこからの景色との調律の妙が素晴らしい
質高い作品ですが
残念ながらここは日本なのでありました。


日本に住んでゲーム周辺を愛する皆さんの
日本ゲームメーカー製に幻滅するゆえに
隣の田圃の海の向こうの良く見える気持ちもわかるのですが、
文化の違い、すなわち
普段読んでいる週刊誌の種類、見ているテレビの番組、流行の話題、
学校で習い交わされる言葉が違う場所で、
そこむけにそこで作られた作品が
ここですんなり胸に落ちるばかりでないのもまた当然なのである。
その違いやよく知られていないと思われるところが
新しい価値と感じられるところもあるのでしょうけれども。



別の種類としては「出来ばえが不安定な作品」というのがあります。
ロード時間とかみためでなく
いったい誰に向けて作っているのか謎な作品。
ある限定された層にしか面白がられないのではなかろうかと
自分はその層でないと思っている大多数に感じられるようなもの。


そういうものにだって、だからでなくとも興味を持つひとも
確かにまったくいないわけではないのかもしれないが、
唯でさえ過去の名作に伍して一定品質達成せねばならないのに
そんなところへ開発配分割いて大丈夫なのかと
余計な心配する次第なのである。
私自身が遊んでみたわけではないので
端から見て思っているだけで本当のところわからないのですが、
商売として難しいのでなかろうか。
結果現在いるところがワゴンの中だからではなくて
そう思わせるものがある種類のゲームも
確かに未だに、多分これからいつまでも存在するのも現実であります。
マーケティングとかいう言葉自体が
多くのひとにはうさんくさい宗教の手管のように見えるのです。



さらに別の区分は、意欲あってもいろいろ残念に終わった作品。
駄目な出来は論外だけれど、一歩引いて全体みて
満遍なく良いとも言い難い微妙な案配に出来上がってしまうことは
日常の支配下に稀でなく良く存在する。
これぞ現実という名前の実態なのである。


名作として評価を得るのに、これらの作品で何が足りなかったのか。
少人数で作るのなら実力、ときっぱり斬って捨て構わないと思いますが
大勢のひとが何ヶ月何年もかかってつつきあげているのを見聞きするに
そう言ってあげるのは酷にも感ずるのであります。
つまり個々人がその能力にかかわらず努力したかどうかもともかく、
出来上がりが名作たりえなかったのは
結局結果から過程を推定しているだけなのであって、
過程がそれを成しているのは、
幾分の一かの運による選択としかいいようないのかもしれません。
いつ誰が遊んでも明確な出来ばえの差は、
原因を思えば不思議になぜかやはりあるのだから。


もっとも同じゲーム製作会社が
続けてそういう残念な感じの作品ばかりだしていると
不思議でなく固定の、どこかまずいところあるのでないか、
組織全体として欠陥があるのでないかと
世評が定まるのもむべなるかなではありましょうが。




微妙ゲームとして挙げられてしまう今回遊んだものに
アスラズラース』というのがありました。
アスラズ ラース - PS3 アスラズ ラース - Xbox360
出しているのはカプコンですが
主に作ったのは、Wiiとかでマンガ『NARUTO』のゲーム版など作っている
サイバーコネクトツーという会社。
インドの神話とかを題材にした
ゴッドオブウォー』とか『ベヨネッタ』とかの
群がる敵を圧倒的な実力で粉砕する1人用アクションゲーム。


敵をたくさん倒して強さを堪能する1人用アクションゲームというと
なんといっても三国と戦国の「無双」シリーズ。
定番作品として多くのひとに受け入れられています。
そして日本の他のゲームはこれに対して
どう違いを出していくかと、いろいろ試してみるわけです。
シャイニングフォースネオ』とか『大神』とか『Shinobi』とか
どれもその違い比較が味わい深い。


本作はお話の演出、テレビ番組風な構成が特徴付け。
カプコンの『ロストプラネット』を広い年代向けに売りたいふうな
エクストルーパーズ』もそんな感じでした。
わかりやすく少年マンガのバトルものなキャラクタ配置、
やや懐かしの「笑える熱血」な作風。
作っているひとたちが、何をつくりたいのか、
どういう層に対して訴えかけたいか伝わってくるような作りです。
場面を細かく区切って、強敵との戦いは演出も派手に用意されて、
マンガ原作作品を作ってきた会社製だからか、
キャラクタのみため配色塗りなど印象的です。


けれどワゴンにおいてある作品。
いつまでも手元においておきたい名作、
折に触れて遊び返したいと思う作品でなく
処分してまあいいかと思われる出来ばえである。
また「ある限定された層にしか面白がられないのではなかろうか」と
多くのひとに思われる、という分類にも
おそらく製作者の意図と違って含まれるような後味。


みためなどの質の部分も、アクションのゲーム部分も
頑張っているけれど
やわやかく言ってお話は微妙に外しているし、
素手で殴ることに新鮮味ない。アクションゲームの意味感じない。
ライバルとか悪の親玉とかは良いキャラクタだと思うのですが、
主人公はほぼ全編白目剥き過ぎ。中身無い。
悪人をぶっとばすのは爽快だけれど、
弱いものいじめみたいのではない。じめっとしたようす。


銃でも武器でもなく拳を武器にすること自体は良くも悪くもないけれど
結果はあまり幅あるものでもない。
過去作品が、間合い自在の刃物付きヨーヨー使ったり
ガンカタしているのは、アクションゲームとしてなぜなのか
間合いのわかりづらい武器で格好良くかつわかりやすく戦うには
どうすれば良いか、そういう段階ですら無いように見える。



というようにしごく残念な出来ばえ。
いろいろぼろぼろけなすところが出てくるのですが
箸にも棒にもかからないというほどでもなく、良いところもある。
それだけに苦しい。無念。残念。


良い出来だけれど売れないのもわかるものとか
なぜこんなものが成り立っているのかよくわからないものに比べて
こういう残念な作品は困る。もったいないのである。
ちゃんと有能な技術だか技能だか知らないけれど
例えば任天堂の偉いひとが作ってくれれば良いゲームになったろうに、
とか思えてしまう罪である。
良く出来ていて面白いものは遊び終えて満たしてくれるのだから
こういう困った作品が一番やっかいなのだ。


ええいもうどうしてくれようか、自分がゲーム製作者だったら
わかっている悪いところを直し良いものを作るのに、と思うのである。
良く出来ているんだから上物だけ載せ変えれば良いのに、と
印象に残るものもある。
けれど良くきれいに作り直されていたら、
悪いところがないからわからなくて困らないし
印象に残らないのでもなかろうか。


こちとらゲームを作る側に回る予定は今後一切なく
良いゲームは面白いと書いて、困ったゲームには愚痴るのみなである。
ゲームの楽しさは確かに個々人のその時々気分次第なのだが
安心して良いことに、比較して明らかに不満点あるこういうゲームも
なくならないと思われるので
常に現状その分野作品へと駄目な作例を提示してくれ
競争と向上を促してくれる。
みているだけのほうにはまことわかりやすくありがたい。
どうしようもなく駄目なゲームはなくて良いが
いろいろ課題を示唆してくれる作品は
ワゴンにならあっても良いのではないか。
新品で買ってしまった時のわずかばかりの救済にも
作る側に現実みてもらうためにも。


ただし私の手元に用意されるのは
面白いと思えるものだけで一向に構いませんのでお構いなくお願いいたしますです。



 

真女神転生4

真・女神転生IV (2013年5月23日発売) - 3DS

アトラス倒産。
 ITmedia ニュース http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1306/27/news117.html
倒産ではないしアトラスでもなく
インなんとかさん粉飾決算は腹黒どころか普通に犯罪で
汚いさすがネット関係の虚業会社きたない、
とかそういう細かいことはいいんである。
新作を発売日に新品で買った以上に出来ることはないのです。
どこの誰が作ろうと面白ければ良いのであります。
今回も一ヶ月と少し、二周半ほど充分楽しませていただきました。
さすがに『ソウルハッカーズ』続けて遊んだので
悪魔合体は当分いらない感じではありますけれども。




伝統の女神転生シリーズ最新作。
ドラクエ9』とか『マザー3』のように携帯ゲーム機に移って登場。
手元の小さな画面に収まるみためであり
『FF』シリーズのように「無駄に手間をかけている」と
私に書かれたりしないけれど、寂しくはあります。
東京マップは東京のひとでないとわからない貧相さで
通行できないのも違和感ありあり。
昔は良かった、ような気がするようなそうでもないようなですが
でもあまり変わってないか。
手間暇かけて広大な立体舞台をつくれば良いものでもないし
ゲームとしての規模が保てればみための大きさは許されるけれど
残念には感じます。


PS2で10年前の2003年発売『真女神3』。
4年前の2009年にDSで出た外伝扱いの前作『ストレンジジャーニー』。
それぞれの流れを受けたつくり。
デビルサマナー」「ペルソナ」「デビルサバイバー」と
「真」のつくシリーズの違いは
多分お話の壮大さにあるのだと思われます。
悪魔がいて魔法があるのだから
人間に良いように利用されているだけでなく
悪魔のみなさま側におかれましても
人間を良いよう利用しようとするのも当然なはず、というお話。


娯楽作品分類としてはSFのようなものであり
現代風の東京などを舞台に悪魔が暴れて核戦争で人類瀕死。
そんな中で、見ているだけのわれわれと同じく
波乱万丈の大冒険眺めるを好むトリックスターの思惑とか
いろいろあって主人公はその舞台ふらふらさまようのである。
絶対の神が定める秩序に従うのか、
這い寄る混沌の誘惑に流されるのか、
どちらも選ばないのか選べないのか、
果たして人類の行末如何に。
主体性のない私にはみていることしかできない壮大なお話です。


その希有壮大な意気込みはとても買われるけれども
結果としてできあがったお話筋書き満足度合いはまちまち。
別段『女神転生』だけがどうこうでなく
選択肢を選んでお話が分岐するゲームのだいたいにおいて言えることで
「どれも選ばない」も含めて、
選びたい選択肢がない場合のもどかしさ。
選んだ選択肢が何であったか忘れさせてくれない堅実さであり
曖昧な舞台役者たちの態と世界創造者が掌の広さに限りあることとと。


他の表現手段、小説とかマンガとか映画とか絵画とかTRPGとかだと
行間や幕間や画面の外に省略され描かれていないところまで
ゲームの場合みえていなくてはならないからかも知れない。
見えている範囲は行けることが価値に成り得る事もあるくらいである。
といように擁護したくもなるけれど
実際のところ壮大すなわち素材が何でもありすぎて
見ているほうが想像する範囲に収拾付かないようである。
新皇も何を恨んでいるのかさっぱりである。
といって、こじんまりでもきっちり首尾一貫しているのでは
26年にも渡って広げてきた風呂敷に見合わないのだ。
ざっくり見ているこちらに余地を投げかけても良いかもしれないけれど
その場合はシリーズ個々のつながり弱さが残念。
外伝の『ストレンジジャーニー』はあれで良かったのだし
今作も説明過剰でなくスルメな味わい。
みためふくめてもう一歩全体像が惜しかったという印象であります。




シリーズ続編であるゲームとして変わったところは
メニュー画面が開けるならどこでもセーブでき
悪魔合体もできるようになったこと。
そして主人公が戦闘不能になっても即全滅とならず
仲魔が頑張ってくれるようになったこと。
既存作における人間パートナーみなさまの立場なし。


メニュー画面でセーブロード仲魔造成まで出来るとなると
あとは買い物も出来れば「街」や「拠点」の必要がなくなります。
管理するバロウズちゃんは無茶苦茶優秀で
固定敵のいる直前ではかならず警告、
言葉の通じない悪魔とは通訳、自動弱点選択戦闘機能搭載、
主人公の経験値増幅までと、なんでもかんでもいたせりつくせり。
悪魔合体のスキル継承も含めて過去最高性能。
検索合体も今までのゲームの外にあった攻略本は
なんだったんだってな便利さです。世界が狭く感じるくらいに。
いやさ、ここまでしてくれるとなるとでは、今度次逆に言わば、
なぜいままではこうでなかったのか、
なぜ買い物はメニュー画面でできないのか、と思うわけなのです。
なんでなんだぜ。
もうバロウズちゃんさえいれば誰も何もいらなくなくないんでないか。
バロウズアプリに『真女神転生4』を入れれば完結するのはないか。


ゲームにおいてセーブがいつでも出来るわけではないのはなぜか。
例えば、なぜ本作においても戦闘中やイベント中はセーブできないか。
ひとつには詰まりの防止。
どんな手段を取ろうとも敗北が確実な状態で
セーブしてしまうとまずいから。
何がまずいかというと、「ふりだしに戻る」は楽しくないことが多く
楽しかった思い出になることもあるけれど
その場合は「ふりだしに戻る」理由に理不尽さを感じさせる要件を
わずかも満たしてはいけなくなってしまうからである。
ミスはある。なくとも二度目なら対処できる場合もある。
それを解いていくのが、
戦闘を繰り返す種のRPGと分類されるゲームというものの多くに見られる
ゲームと呼ばれる部分だからして。


他には、そういうものだと思っている、というより
思ってみないからではなかろうか。
なぜ敵を倒すとレベルが上がって強くなって
事件を解決できるようになるのか。
それがゲームというものだからである。
ゲームは娯楽であって暇つぶしであり
人生と同じく意味を求めても答えは無い。だからなのでは。


バロウズちゃんがいても、敵として悪魔が出現してくれなければ
主人公は生きていけないのである。
同様にその世界は、さまざまな理由で、
主人公に「ここは豊島区の村です」と何問われようと答えることとかで
生きているひとたちで出来ているのだ。だってゲームだし。
いやゲームとしての部分を問題にしているのでしょう
メニューとかセーブとか。


そういうわけで今回は主人公に呪殺耐性必須でなくなっただけ
ゲームとして拡がったのである。
いままでも出来だけれど、今回に出来るようになったのだ。
どこでもセーブできるようになったのです。
携帯ゲーム機だからだろうか、きっかけは何であるかを
存じ上げないけれども
大切なのは出来るけれど出来るようにしていないことの中から
何に気付いてどれを選んでゲームを、
ゲームのみためやそこに載せるお話を作っていくかである。


秩序や混沌、光と闇、賢さ愚かしさというような尺度だけで
測りきれるなら簡単だけれど、
喜ばしいことに、ものごと世の中そう単純でもない。
全体の収拾帰結を、みているほうの手でも広げられるように閉じるのは
容易なことではないけれど
そこが面白いのだし、興味深く見ているこちらも楽しいはずである。
RPGというのは大体すでに充分わりと良く出来上がっていながら
まだまだ味わい応えある代物であると感じさせてくれる
良いゲームでした。

デビルサマナーソウルハッカーズ

デビルサマナー ソウルハッカーズ - 3DS

今週『真女神転生4』が発売されるというのに
なぜか今月は去年8月に発売された
3DS版『ソウルハッカーズ』を遊んでいたのだった。
最初のセガサターン版は1997年。15年以上前。
それでもそれなりに内容覚えていて
その一方、はてこの悪魔は一度仲魔にしただろうかと
数時間内外前のことが思い出せない。
メッセージ速度と音量調整がないほかは
戦闘周りの処理がはやくなっているらしいのですが
Bボタンダッシュとは指が合わなくてレオン自工3Fが抜けられない。
いろいろ自分の劣化が困ったもの。駄目駄目であります。




女神転生』シリーズも様々に枝分かれして
いまさら15年前のこの作品がその流れにおいて
どういう位置にあるのか意味ないことでありますが
RPGの遊び方が変わり続けた先の途中にある今から見て
改めておおざっぱに言うと
進行上の鍵となるアイテムを手に入れて先の展開を思案するとか
進行により戦力などに新たな要素が加味されて用途を妄想するとか
おつかいの過程の背景奥行きも贅沢に深くて
きれいになった、と思うことです。
ひとつの迷宮にもぐって出てくれば新たな展開が待っている、が
その迷宮にも見かけの進みようがいろいろ取り揃えられている。
レベルひとつ上がることが大きな前進であったものに対し
様々な評価が過程の道しるべとして楽しませる。


この変化は、攻略情報を手に取りやすくなったからでなく
RPGは、一本道のおつかい手法に反する自由度の高さが
面白さに比例するという誤解とも関係なく
ゲームのなかでRPGと呼ばれる手段が遊ばれ重ねられてきたことで
それがだいたいどんな感じかが蓄積されて
わずかな手がかりから広がりを見えやすくなくなった、
遊んでいるこちらの変化にある。
もちろんゲーム側もきれいになっているとは思いますが。
相身互い。目的は違っても目指すところは同じです。


キャラクタの絵があって音声がついて背景が描き込まれて
ゲームを解く手段の多様さとは関係なく
同じ素材からつながり見出し、昔で言えば過剰な深読みを普通にして
ゲームを解くのでなく、様子を眺めるようになった。
ゲームをクリアするのならば時間をかければ良いのである。
では、その時間遊んでいるひとをできるだけ楽しませ続けることが
ゲームの品質。絵で音で話で、こまかな操作応対や待ち時間とらが。
解くために手をとめていろいろ試すようではなく
いろいろみて周っているうちに見えてくる方が偉いのだ。


理不尽だと感じる難しさや、誰でも楽しめ、奥深く多様にも遊べるのは
良いことである。
そうして遊んでいるうちに、遊ぶ方もゲームのほうも
いろいろ変わってきたものである。
ドラクエ』がなぜいまさらも
あれだけ昔から変わっていないのに面白いのか。
ペルソナ3』が従来に対しあの長さで何を変えてみせたか。
そうして少しずつだか着実にだかいつのまにかだかに、
15年たてばそれだけに良くなっていて、感心しました。






もうひとつ、ゲームとは関係ないところで本作面白かったのは
パラダイムX」。


1998年1月に発売された攻略本のスタッフインタビューに
こういうように書いてあります。

―― パラダイムXには素朴な疑問があるんですけど。遊ぶ側は、3Dゲームをプレーする際に、画面のなかには自分の想像力頼みで入り込むんです。でも、パラダイムXをやってる人がモニターを見てやってるという設定だとしたら、そんなに誰もが入り込めるものなのかな、って。ヒ卜ミが最初に「わあ」って見まわしますよね、見回せんのか?と。ここにも道があるから行こうよ、っていいますよね。道があるから行こうといって行けるのか?って。

金子 3Dゲームに慣れ親しんでいる人だと、そういう風に不満に思うかもしれないですけど……。

手元にも本ありますけれど
攻略サイトhttp://bmky.net/data/sh/)にテキストがありましたので
せっかくなので複写貼り付け。
サイト作成者さまには
いつぞや年賀状まで頂いておきながらご無沙汰しております。
ご覧のかたにはせっかくなのでインタビュー全文ご覧いただけると
15年の月日がいろいろ味わい深いです。
著作権は限りなく透明に近いブラック。い、引用やから……(震え声)


続き。
パラダイム(paradigm)」という言葉は
パラダイムシフト」で「みかたが変わる」という意味。
ウィッキペディアのお堅い解説によると

次の二つの特徴を持つ業績の事。
その業績は、他の対立競争する科学研究活動を棄てて、それを支持しようとする特に熱心なグループを集めるほど、前例のないユニークさを持っている。
その業績を中心として再構成された研究グループに解決すべきあらゆる種類の問題を提示してくれる。

1997年に作られて、上のスタッフインタビューにもあるように
そこから「2、3年先」をイメージして
この名前を冠せられてゲームに作られた「パラダイムX」。


では2012年と2013年現在の「パラダイムX」はどういうものだろうか。


VRバーチャルリアリティ Virtual Reality 仮想現実)の表現は
15年でなく確かに25年前くらいには現在と変わらない
ゲームの中に五感入り込んで「見回せる」ものになって欲しい想、
が既にありました。
むしろ21世紀にもなって未だに
想像の枠がそこにあるのが驚きというべきか。
オンラインゲームが思ったより思った通りだったというべきか。


けれどところが身近な現在では、マニトゥチップなくとも
一部の多くのひとは携帯機器を通して仮想現実に没入している現実。
いやいやあんなのは仮想現実でなく現実であって
本来の仮想現実は
AR(オーグメンテッドリアリティAugmented Reality 拡張現実)みたいなのだ、
みたいな論もあります。
仮想現実(二次元)のほうがが現実(三次元)より上等とか
バンダイナムコ任天堂はどちらが大正義なのかとかとか。


でも『ソウルハッカーズ』で
主人公の台詞が、音声ないころそのままにないままなので
ネミッサとヒトミが一人二役音声付一人芝居しているのを
眺めてみていて思ったのです。
パラダイムX」の外にもARと同じく仲魔は存在している。
合体素材に何かをすると召喚できなくなるが
悪魔全書登録して召喚資格を証明すれば
マグネタイトと引き換えにヴィクトルが召喚できるようにしてくれる。
神話と伝説に発生した悪魔は
女神転生』だけにも既に何十年存在している。
マグネタイトがなくとも
パラダイムX」というネット上のどこかの場所には
ソウルハッカーズ』というゲームの中でしかたどりつけなくとも
1997年の想像は現実に充分存在している。
1997年に現在が正しく想像できないように
現在から何十年か先は正しく想像はできないけれど
想像はできるし
女神転生』も仲魔も覚えていれば存在できるし
もっと身近にあると想像もできる。
正しく想像できないから想像外に日々面白がれる。
それまではこれまででも日々楽しめる。
ゲームも進歩していないししているし
良くなっているし変わっていないけれど
万全諸手に良くなるかはともかく、変わるのは間違いなく、楽しみです。
とりあえず『真女神転生4』を遊ぶとしよう。

 











 

思い出深いゲーム


今回は前年末に書いていたように
過去の思い出深い作品を振り返ってみたいの回。
過去ばかり振り返って現在とこれからをみないようではこまるけれど
遊び終えたときの感慨記録ではあっても
それを現在に活かしている記録では
このサイトまったくできていないので
こういう機会も必要と思うわけなのです。


選ぶ基準は、「現在」思い出深い作品。
遊んだことは覚えていても、良い出来でも、
現在たった今すぐ思い出せなければ駄目。
好みともまた違う。とっておいて何度も遊び返したいとも違う。
ゲームの歴史を体系だてて意義ある画期的な作品であるかとも違う。
今どのようにそのゲームを面白かったと思っているかどうか。
これまでに遊んだ他のゲームとの比較の中で。


いつもとの違いは、遊び終えたときの感想ではなく
現在現時点でその作品をどう思っているかの一覧であること。
つまり未来の現在において常に更新されるので
別ページを建て、そのとき現在にあわせて随時書き換えていくもの。
他との比較なので点数もつけてみる。
ただ、ゲームの面白さは出来の良し悪しではなく
遊ぶひとの好みとか過去に遊んだゲームとの比較とか
その時の気分によって感じられるもの。
付いた点数が他のかたにとって目安になるかは判断できません。


またいきなり過去の全てを網羅した完成一覧表を用意するのは
困難ですので
更新することが思いつかないときとかに
随時加筆修正を行っていきたいと思っています。思ってはいます。
分類とか内容もあとからどんどん変わります。予定です。


 http://d.hatena.ne.jp/kodamatsukimi/00000001

キングダムズオブアマラー:レコニング


キングダムズ オブ アマラー:レコニング - PS3 キングダムズ オブ アマラー:レコニング - Xbox360


「Amarlur」は固有名詞、
「reckoning」は「勘定書」「清算」「報い」。


ここのところの懐古すなわち昔は良かった調ゲーマーの懸案は、
手間を掛けた超大作より
20年前でもありそうな携帯スマートフォン向け小作品のほうが
お金稼いでいることである。
どうしてこうなった。


本作『アマラー』も含まれる、
いわゆる「オープンワールド」なRPG
手間掛けた大規模ゲームの典型。
この形式の特徴は、冒険の舞台がすごく広いこと。
そしてそこに住んでいるひとたちも多く、
多いだけでなく、状況応じて多彩な台詞を喋り様々に行動する。
それらの台詞には音声もついている。
「ここは何々の村です」とだけ表示すれば良かった昔のRPGと比べ、
その手間は、なんというべきか、
ここまでして本当に採算取れるのかと余計な心配してしまうくらい。
もっと他に手間かける部分あるのでなかろうか良くわからないけれど。


けれど、その膨大な無駄、
遊んでいて一瞬で通り過ぎ記憶に残らず何の役にも立たない、
それらが作る雰囲気づくりが、この種の作品の肝なのである。
必要なのである。売りなのである。
そういうように価値見出され、作られているわけです。
けれどしかし、そう褒め称えるのは全体からみれば少数、
その他大多数は20年前のゲームで充分であるのが、冒頭の通り現実。
本作の開発会社「38 Studios」は経営難で倒産、続編絶望。
「レコニング」の体現ではないけれども。




どういうゲームかといいますと、
やはり海の向こう産『ライオットアクト』を思い出す作品。
ジャンプで障害物跳び越えながら地図上真一文字に突き進み、
雑魚敵無視して標的ボス敵唯1人へ飛び掛かり、
蹴る斬る蹴る斬る蹴る斬る、体勢立て直す前に蹴り斬り倒す。
ライオットアクト』でそうだったように
建物飛び越えるくらい跳躍したり車より速く走ったりはできませんが
気分は同じ。
標的に近づいたら隠密しながら忍び寄り、
背後からぐさーもできます。Z指定。


標的さんが倒されるべき敵としてロックオンされる理由を
RPGらしく、いろいろなお話で説明してくれます。
仕事だからとか悪人だからとか、お金とか怨恨とかいろいろ。
けれどゲームとして、することは変わらない。
主人公が正義の地上代行者なのか私利私欲で動く悪人か
操作しているひとの操り人形かは、標的さんには関係ないのである。
どこか遠くの主人公の選択により照準ロックされたが最後。
「ゲームシステム」により常にマップに居場所が表示されてしまい
あとはいつ殺し屋、でなくて主人公が突然飛びかかってくるか
怯えて待つ日々しか残されていないのである。


RPGなのでいろいろ能力があるわけです。
採取技能とか調合錬金交渉鍵明け、索敵隠密戦闘技能。
また、必ずしも倒すことだけが解決でなく
会話したり買い物したりお使いしたりで終わる話もあります。
全体としては、そういう冒険を積み重ね、
このアマラーでは各人に定められた運命の輪から
解き放たれた稀有な存在である主人公は、
善行悪行を覆う自由の先に何を見出すのか、というお話。
海の向こう産らしい一神教表現も異国情緒で目新しく
売りどおり舞台も大きく構えられていて結構です。
RPGだけど「『ライオットアクト』のような」のように
戦闘が適度にアクション風味なのは単調にならないので良いし、
冒険をこなしていくだけなら簡単なので、
気軽に英雄気取れるのも楽しい。
絵柄が、
例えばフロムソフトウェアの『デモンズソウル』『ダークソウル』、
あるいは『モンスターハンター』などカプコン産のそれらと比べて
アメリカ産らしいバタ臭さがあるところはクセ。
もう少し武器の使い分けにこだわりあっても良かったかもですが
アクションでなくRPGだから仕方のないところか。
『エルダースクロール』との違いも差別化の個性であり、
けちのつけるところ少ない良作。けれど続編はありません。




オープンワールド」なRPGというのは
定義を誰が決めたわけでもなく、
既にあるゲームを後付けで分類しただけなのですが
作りとしては、「オンラインRPG」を1人用にしたようなもの。
TRPGが『ウィザードリィ』になって、
それと『ウルティマ』から『ドラクエ』ができて、
SRPGと意識して差別化したり『ポケモン』で交換したりしつつ、
FF7』あたりから見た目が3Dになって、
国内としては『ファンタシースターオンライン』『FF11』、
モンスターハンター』でオンラインRPGが根付く。
そういうRPGの最近年版、従来になかった版が「オープンワールド」。


ほんの十数年前、
RPGはいずれ皆なんでもかんでもオンライン化するのではないか、
というなことが言われていました。
今では到底信じがたいですが、本当にそう心配されていたのです。
いま『ドラクエ』も3Dな見た目になって、
オンラインRPGでネットを通じてみんなで遊ぶRPGになった。
TRPGだってボイスチャットの閾が下がりオンライン化するご時世。
ではオンラインRPGの次は何なのか。


アクションゲームとの行き来、SRPGとの絡み。
見た目をきれいに、3Dかつ細密、音声をつけて豪華に。
お話の展開や取りえる手段の種類は豊富で
規模は膨大で世界は広大なほうが素晴らしいはず。
現実味あるほど、リアルであるほど凄いはず。
そういうように出来上がってきて
1人用だったRPGが、TRPGのころの大勢で遊ぶゲームを
ゲーム機上で実現させるオンライン化も
その流れを推し進める先にちょうど合った。


そしてとりあえずその次が、
オンラインRPGで培った広い舞台作りの手法を
1人用RPGへと作り変えた「オープンワールド」のようである。
1人用RPGでも、RPGでなくアクションでもなんでも、
遊べる舞台がすごく広いことは、昔から共通してある価値。
それこそ主人公様としての威光行き渡らないほど広大でも良いはず。
広ければ広いほど出来ることは繰り返しかもしれなくとも増えて
可能性とか自由とかは相応に拡大し、夢見られる。
けれど一概にゲームの舞台範囲が
ただ大きく広いことだけを追求しなかったのは、
手間とか技術からとかでなく、
最終ステージをクリアしたら1面にループするより
エンディングが表示されてセーブできてクリアしたと認められて
その上でコンティニューを希望できる形式のほうが
ゲームとしては、楽しいから、嬉しいからである。


また「オープンワールド」形式の今のところの特徴は
なぜかみな一人旅であること。
なぜオンラインRPGのころのように仲間と一緒に冒険しないのか。
他の大抵全部のオフラインRPGのころのように
仲間との協力戦力役割分担が楽しめないのか。
現状は『モンスターハンター』が
オフラインでしか遊べないのと同じなのでなかろうか。
「オンラインRPGが一人を操作していたから」なのか。手抜きである。
あとは多人数中の一人を操作するのと
みかけの現実との広さの相違が合わないから、だからとかかしら。
あるいは、そうして差別化を追うと
オープンワールド」が何にも新しくないどころか
見た目はともかくゲームとしては従来以下と言われかねないからか。




ロールプレイングゲームは役割を演じる遊び。
なんでもかんでもあれもこれも現実もRPG
実際は現実をゲームと思い切れないのは、
それが違うと感じられるものだからであり
「遊び」というものをどう受け止めるかにもよる。
その世界の多くの事柄が、自身の手になる介入によってのみ稼動する
一定枠内での全能感もRPGにある。
用意された対応でなく、現実と変わらない向こうにいる誰かとの
協調とか協力とか共有とか競争とかの関係の妙味を
その役割と場合によってごとに調整するのも、RPGにはある。
現実との違いは、現実をゲームとするなら、
能力値が可視化されて可変自由度が高いところくらいでないか。


RPGの最初はゲームブックで、TRPGになり
それがテレビゲーム化されて
やがてオンラインゲームになって、ならないものもある。
進歩しつつ分かれて、どの段階も現在にもある。
見た目は大切。でもゲームとして不便ではこまる。
現実もゲームであるかのようである。でもゲームと思うには厳しい。
ゲームは現実と比べて、何でもできるようになることはできないし
ゲームは制限が、ルールがあるところでの競いあいでの
勝ち負けがある遊びなのだから面白いのだ。
どんなことも、どんなルールにも対応できる遊び道具たろうと
夢見る前に
まずひとつのルールに対して万全のゲームであるべきで
それすら劣っていると見なされ
携帯無料ゲームにあるいは負けているこのごろなんである。

シヴィライゼーション レボリューション


シヴィライゼーション レボリューション スタンダード - PS3 シヴィライゼーション レボリューション (「戦略ガイドブック」同梱) - Xbox360 シヴィライゼーション レボリューション (「戦略ガイドブック」同梱)

iPhone / iPod touch 版 https://itunes.apple.com/jp/app/civilization-revolution-japanese/id349323484


Civilization』シリーズはパソコン市場で現在5作目まで出ている
アメリカ産人気作品。
その名声はつとに高く
私も以前シリーズ中どれかは忘れたけれど買ったこともあるのですが
持っているノートパソコンでは動かなかったので放置されたのだった。
この『Civilization Revolution』はPC用として作られているそれを
家庭用ゲーム機向けにつくりかえたものらしい。
PC版と比べて省略されているところもあるけれど
なかなか良い感じである、という評判だったので
廉価版が出るのを長々待っていたのですが、いっこうに出ないので
仕方なく買ってきたのである。
そういうわけで発売から4年も経っているのですが
このサイトにはいつものこと。気にしない。




どういうゲームかというと
ナポレオン帝国とかモンゴル帝国とかアレクサンドロス帝国で
世界征服するゲーム。
コーエーの『信長の野望』『三国志』とかの全世界版。
ただ、『信長の野望』が1人用で、
つまり全国制覇できる全能感を楽しむゲームであるのに対し
シヴィライゼーション』は基本的に、
オンラインで対人対戦する用に作られているゲームであるところが
大いに違います。
ターン制なので当てはまらないけれど、遊ばれ方としては
リアルタイムストラテジー」というものと同じ。
歴史シミュレーションゲーム」とは別物です。


Civilization」は「文明」。「Revolution」は「革命」。
ナポレオンとかアレクサンドロスとなって世界征服するのでなく
「フランス文明」「ギリシャ文明」などの担当となって
紀元前何千年前の遥か古代からゲームは開始されます。
国民の数を増やし、文字、青銅鉄器、数学、宗教、政治学などを開発し
都市をつくり、お金を稼いで、軍事力を高め、
現代までに、自文明を世界の覇者にすると勝利。
戦争で他文明を叩き潰すだけでなく
19世紀にかけてのブリテン帝国や20世紀後半のアメリカ合衆国のように
文化、技術、財力いずれかの面で
他を圧倒する境地に立つことでも勝利できます。


「文明をどこよりも早く発展させて国力を高める競争」を
対人対戦コンピュータゲームとしてまとめるところは
さすがに有名長く多数に支持されているだけあって見事なもの。
国民を「人口増加」「技術開発」「生産施設製造」「資金稼ぎ」の
4つに振り分ける。
人口の頭数が多いほど多くのことを同時にできて効率上がる。
技術開発は即利益があるわけではないけれど長い目では絶対不可欠。
軍隊や製造効率を上げる施設の生産は人口と並ぶ国力の源泉であり
資金は軍事力と生産力に即時代替が可能な万能物資。
細かいことは実際ゲームをある程度遊んでみないとわかりづらいですが
「人口」「技術」「軍事力・生産力」「お金」の4つで
文明発展競争をとても上手く表現しています。


リアルタイム、自動で時間経過していくところへ
適宜即時に指示を出していくゲームではなく
ターン制で、都市ごとの作業割り当て、開発製造項目、
軍事ユニットへの行動指示などを出していくことで進行します。
初期は1ターン100年の速さで進みますが
古代から中世、中世から近世、現代へと近づくにつれて
1ターンが10年になり5年になり1年になりと、加速していきます。
とはいってもそのことは、あまり重要でない。
他の文明、プレイヤーより如何に早く先進技術を開発し
国力軍事力を高められるかが重要。
1900年までに戦車を開発して他勢力の騎兵をけちらしたりもできる。
紀元前にモンゴル騎兵が世界を駆け巡ることもできる。




だいたいそういう感じのゲームなのですが
特徴というか、この『シヴィライゼーション』の特異、
「面白い」ところがひとつ。
軍事部隊の強さは、戦車とか騎兵とかの種類、地形効果、
戦闘経験などの総和値で表されるのですが
これが絶対ではないのである。
戦力値が倍、いや3倍あっても負けたりするのである。
何ターン、何百年単位かけて育て上げた虎の子部隊が弱小敵に会って
あっさり戦場の露と消えたりする。


これはちょっとどころでなく驚きである。
戦力値13と12が戦ってだいたい互角、ならまだわかる。
戦力10に戦力30がぶつかって、30が消滅するのだから呆然とする。
信長の野望』だけでなく、他の戦争シミュレーションゲーム
いやRPGとかSRPGとかでもみたことのない処理。
なるほど確かに「現実」ではありえないことではない。
部隊を率いる「武将」「指揮官」の能力が
この文明指導者には見えていないの故だったりするのかもしれない。
しかし戦争競争ゲームにおいてはありえないのではないか、と
そういうつもりでいないと思ったりするのである。


他にもこの種のこととして、
即座に新技術を開発し終えて10ターン近くを稼いだり、
人口を直ちに150%増やしたりする効果などが
ランダムで入手できたりすることらは
歴史シミュレーションゲーム」でお目にかかれないもの。
新技術一番乗りボーナスや資金一定値到達ボーナスなども
効果は大なのですが、
勢力の別なく条件満たせば常に獲得出来るこれらと
同等の効果あるものがランダム入手であることは
全く異なるのである。


ターン制の対人対戦ゲームであるけれど
ターン単位何十手先をみ鎬を削る、将棋やチェスとは違う。
サイコロやルーレットの目、カードの引きなどの
運による触れ幅の間で最善を常に模索する種のゲーム。
モノポリー』とか『桃鉄』とか『カルドセプト』のような
ボードゲームと呼ばれる種の競争ゲームに近いもの。


信長の野望』は1人用の「日本の戦国時代眺めるゲーム」として
心地良いようにつくられています。
一方で対人対戦ゲームが競うことで楽しいのは
平等な立場から同等の試練を経て得る順位ではない。
例えば対戦格闘ゲームでは
通信ラグが一方へ不平等にあることは良くないが
同じ性能の自機同士で操作技術を競うものだけでは面白くない。
ある程度区切りの一勝負内において
参加者全員が納得できる範囲内であれば
戦場は多彩であり、保有戦力も多様であるほうが楽しいのである。
遊んでいても見ていても面白いのである。
初期条件は様々に有利不利すらあり
担当キャラクタや勢力には比較して長所短所生む個性があり
結果を生む過程も最善をつくしてなお運を天に任すくらいに
ゆらぎがあって遊びがあるほうが
対人対戦競技としては、楽しいかは程度によっても、面白いのだ。


シヴィライゼーション」にとって
人間の文明発展の歴史を模した「歴史シミュレーション」は
それを楽しむ主題でな舞台背景であり
「対人対戦ゲーム」の一回ごとを楽しむことのほうが優先される。
そこに運や偶然の要素が適当に手を伸ばすことはむしろ望まれる。
他のプレイヤーができることは、
全て自分もできるわけではないという差、違いが
競争の楽しさをつくるゲーム。
1人用歴史シミュレーション、1人用戦争シミュレーション、
1人用英雄体感ゲームとは、みため似ていてもまったく違う。
1人用モードで遊んでもきちんと遊べますが
楽しさの土台が違うのである。


同じ「鉄道会社経営ゲーム」でも
桃鉄』は対戦ゲームであり『A列車で行こう』は1人用。
信長の野望』は1人用だけれど『シヴィライゼーション』は対戦ゲーム。
運に左右される要素、初期状態での有利不利は
どれだけ許されるか、は
各ゲームごと様々だけれど
何度も遊ぶゲーム、遊び道具であるゲーム作品において
技術と知識と経験がそのまま勝敗に結びつかないことは
対ひととのものでは、必要とされることも確かなのである。




遊んでいてアメリカ産だな、と思うところもあります。
ゲームの処理でなく見た目の処理が優先されて固まったりします。
20年以上の歴史ある作品としては、なんともお粗末。
指示に必要とされる情報の提供も粗雑。
根本的にゲームとしてなっていない。
これが一部からすれば名作なのか、
ばかにされつつもコーエーは良くやっているんだなと
改めて見直す点が多々あります。


それでも確かに『シビライゼーション』は良く出来たゲームである。
ターン制対人対戦文明発展競争のコンピュータゲーム化という
着想の偉大さを、見失わずつなげている。
選んだ背景、人間の文明発展の歴史というのが壮大魅力充分であり
その「ゲーム化」として
「対人対戦ゲーム」として機能しつづけている点でたいしたもの。
その存在の大きさに納得。