シューティングゲームに求められるもの


・今回は前回、前々回と取り上げた『ゲーム批評』の
 ソフト批評、原田勝彦さんによる『グラディウスⅤ』批評について。


・内容をまとめると以下の通り。

 ・高いレベルでまとめられた名作 しかし過去の呪縛も相当強い
  ・努力型STGのひとつの到達点
  ・変わりたくても変われないのか?
  ・家庭用オリジナルの意義

・名作だが過去シリーズの影響が感じられる。
 「グラディウス」の呪縛から逃れられていない。
 というのが2段目までの評価。


・注目は「家庭用オリジナルの意義」。
 長いですが重要なところなので引用します。

 以前から、なぜSTGだけが家庭用でもアーケードのお約束を引きずっているのかが疑問だった。
 クレジット、残機、スコア、その場or途中復活、周回制……
 どれも当たり前のように存在する概念だが、他のジャンルではとっくに捨て去られている。
 例えばレースゲームがいい例だ。
 初代『リッジレーサー』の頃は、いくつかのコースと車があって、
 制限時間内に3周したらそれでおしまいというアーケードスタイルをそのまま家庭用に持ち込んでいた。
 だが今現在、そんな作りのレースゲームがあるかといったら、ない。
 
 (中略)
 
 本作もアーケード移植ではなく家庭用オリジナルなのだから
リッジレーサー』から『リッジレーサーTYPE4』くらいの変化があっても全然悪くない。
 変化させようとした形跡はいくつか見つかる。
 
 (中略)
 
 でも、結局はアーケード的な遊び方しかできない。
 ハイスコアラー以外は1周した時点で「戦いは終わった」と認識し、中古屋に売り飛ばしてしまうだろう。
 もったいない話である。まだまだ手を入れる余地があるはずだ。
 一本道のシングルプレイという意味では、海外FPSの構成から学ぶことも多いいだろう。
 残機やコンティニューをなくしてセーブ機能を追加してもいい。
 スコアだってもう思い切って捨ててもいい。
 点稼ぎがゲーム性になるなんて80年代の幻想にすぎない。
 もっと長いスパンでユーザーを楽しませる発想が必要だ。
              (『ゲーム批評 Vol.59』P111より引用)

 

・家庭用機のシューティングゲーム(以下STG)。
 今年で言えば、旧作移植を除く2DSTGは
 『サイヴァリア2』『式神の城2』『エスプガルーダ』そして『グラディウス5』、
 アーケード移植でないものは『グラディウス5』のみ。

・トレジャー製作、従来のシリーズの要素を上手くまとめた作品、
 レーザーコントロールという新要素を見事作り上げた作品。
 このあたりは様々に語られていますが
 家庭用機オリジナルSTGとしてどうか、というのが観点です。



・まず、なぜ本作は家庭用版だけなのか。
 コナミがアーケード版を出せない理由はないはず。
 本当の所はわかりませんが
 アーケード、家庭用と2度出しするより家庭用のみ1度勝負のほうが
 結局実入りが大きいと判断したからなのでしょう。

・逆にCAVEなどはなぜ家庭用版を出さないのか。
 それは人材、資金など移植の手間が、家庭用版利益より少ないと予想されるから。
 アーケードオリジナルSTGを製作することと
 それを家庭用機に移植することはまったく違う作業である。
 ケイブのような、けして大きくはない会社では採算が取れない。
 一言で言うと、企業の都合が理由なのでありましょう。


・アーケードに置かれるビデオゲーム(プライズ、メダルゲーム以外)は
 1プレイ¥100のような1プレイごと料金を払う形式が基本。
 RPGは合わない、アドベンチャーも合わない。
 シミュレーションなど長時間系は向いていない。が、これはカード化で解決。
 スポーツゲーム(アクションゲーム)、対戦格闘、レースゲーム、ガンアクション、
 パズルゲーム、そしてSTG

アーケードゲームは短時間で区切りがつくシステムであることが条件。 
 1プレイいくら、である以上、
 メーカーでも消費者からでもなく
 アーケードゲームを経営する、というシステムからの絶対の要請です。
 

STGの「アーケード的な遊び方」とはどういうものか。
 STGの目的はエンディングを見ることではありません。
 エンディングまで、ではなくゲームオーバーまでが1プレイ。
 用意された全ステージをクリアしても、2週目が始まるものがほとんど。
 残機を全て失う、あるいはコンティニューのためのお金がなくなるまで
 ゲームは終わりません。
 もちろん多くの人はエンディングまでの途上、後者の理由で席を立つため
 終わらないけども離れるので、経営的には成り立ちます。
 
・終わらないゲーム。
 クリアが目的ではなく、過程が目的であるゲーム。
 スコアが過程の結果、唯一の目標。
 果てしなく彼方のスコアカウンターストップが
 いわば終わらないゲームの目的。
 『スペースインベーダー』('78年)、『ゼビウス』('83)から
 20年何も変わっていない、それが「アーケード的なSTG」。


・なぜ変わっていないのか。
 それは、このシステムがSTGに求められる完成された形だからなのでしょうか。


・レースゲームは変わっている、そう述べられています。
 アーケードのレースゲームと家庭用機の違いは何か。
 これは実は、さほど違いません。
 可稼動筐体の傾き、振動などによる臨場感は確かにアーケードだけのもの。
 しかし、他に何が違うでしょうか。
 挙げられている『リッジ』の例は、レースゲームそのものの進化であって
 アーケードか家庭用かという問題とは別物です。

・レースゲームは何を目的とするか。
 それはタイムと対人との勝負。
 タイムはスコアと類似の要素、終わりなき自分との戦いの結果です。
 客観的、絶対的な目安でネットを介したランキングがあるのもスコアと同様。
 対戦は違います。
 相手との駆け引き。例えコンピュターとの対戦であっても
 ランダムか一定であるSTGの敵機敵弾と違い
 互いに常に直接的に影響を及ぼしあうことで、無限の展開を持ちます。
 
タイムアタック、スコアアタック。1人用モード。
 そして対戦勝負。複数人用モード。
 どちらが、ではなくどちらも違う面白さがあります。
 レースゲームはその双方を持ち
 進化して育成要素も盛り込み、発展してきました。
 そしてそれはアーケードも家庭用も変わりません。


STGをレースゲームと比べると欠けるのが一目瞭然、対戦要素。
 対戦するSTG
 まったく無いわけではありません。
 例えばFPSでは対戦は当たり前ですし
 『ティンクルスタースプライツ』は対戦シューティング。
 (ネオジオネオジオCD、SS、DC ASIN:B00014B0AE
 最近ではグレフの『旋光の輪舞』(http://www.grev.co.jp/ronde/index.html)。
 これは対戦アクションSTG

・しかし、
 FPSは『グラディウス5』にいうSTGとは違うもの、
 少なくともこの批評が意図する上では別ジャンル。


・『ティンクル』は同じフィールドで戦うわけではなく
 『ぷよぷよ』のように左右の1/2画面で個別にSTGをして
 連鎖ならぬ連爆で邪魔要素を相手フィールドに送り込むという形式。
 『ぷよぷよ』が対戦パズルゲームだから『ティンクル』も対戦STGだ、
 と言われるとその通りですが。
 このシステムがこれ1作に終わっていることからも、やや無理のあるシステム。
 『ぷよぷよ』同様、解っている同士で遊ぶと楽しいです。

・『旋光の輪舞』はまだ完成前なので憶測でしかないですが
 「アクションシューティング」というジャンルが示すように
 『アーマードコア』『バーチャロン』系を
 2Dに落とし込んだものなのではないか、と思われます。
 違うかもしれませんけど。楽しみです。


・要は、FPSではないSTGでは対戦は主流ではない。
 アーケード、家庭用関わらず。
 つまりレースゲーム、STGの違いであるこの点からは
 家庭用でこそのSTGの姿は見えてこないのです。


・以上の点からレースゲームの変化例がシューティングにもいえるのか、は
 参考にはなるが、そのまま当てはまるとは言い得ない。
 レースゲームが変化したのは『グランツーリスモ』に代表される、
 圧倒的なバリエーションと育成、コレクション要素。
 『リッジTYPE4』も同じ。
 アーケードでそのゲーム性、どこが面白いのかが本質的に変化したとは思えません。



・最初に挙げた今年のSTGでは
 意図的に2DSTGとジャンルを決めて『エースコンバット5』を除きました。
 『エースコンバット』は一貫して家庭用の3DSTGシリーズです。

・この批評は『グラディウス5』が題。明文されていませんが、
 文中のSTGすなわち2DSTG、を前提としているように読み取れます。
 FPS、ガンSTG、アクションSTG、そして3SSTG。
 これら2DSTGの隣にあるジャンルならばどうなのか。
 これらSTGも「家庭用でもアーケードのお約束を引きずっている」のか。


・『エースコンバット』はスコアが目的のゲームではなく
 シナリオをクリアしてエンディングを見ることが目的のゲーム。
 ガンSTGも同様。
 FPSは対戦が主目的。
 アクションSTGは、括りが大雑把過ぎで一概に言い切れるものではないのですが
 やはり対戦またはクリアが目的。

・逆に言うならば
 スコア、点稼ぎがという「80年代の幻想」、古臭い「ゲーム性」は
 2DSTGだからこそ楽しめるものなのではないか。
 そこにこそ、2DSTGが変わらない理由があるのではないでしょうか。


・アーケード的でないSTGの遊び方とは何か。
 「短時間で区切りがつくシステム」という枷から自由であるSTG
 「クリアではなく過程が目的」の逆、クリアが目的のSTG
 それを2DSTGで実現したものとは、どのようなものか。
 そしてそれは点稼ぎより面白いゲーム性を持っているのか。


・一度クリアしたら終わりではなく、長い時間楽しめるSTG
 それがこの批評の挙げるSTGの変化の目標です。
 素晴らしいゲームなのに1回クリアしたら終わってしまう。
 もったいない話です。同感です。
 しかしそれが2DSTGなのです。

・2DSTGはどこが面白いのか。
 自分が上手くなっていくのが楽しいのです。
 クリアする、エンディングを見る、それは1つの通過点。
 確かにいくらでも他にやるべきこと、遊ぶゲームもある中で
 そこでやめてしまう人も多い。
 しかし、自分自身との戦いは、クリア程度で終わるようにはできていません。

・対戦のように他人が絡むわけではなく、果てしなく遊ぶことはできません。  
 けれど対戦は1つのゲームを他人と共同で「遊ばなければならない」。
 1人で自分自身と戦う、コンピューターの決めたルールの世界で自分を試す、
 シンプルなゲームもあっていいいのです。


・なによりも『グラディウス5』は充分に面白い。
 中古屋に売られるゲーム、価値のないゲームではありません。

シューティングゲームに求められるもの。
 それは完成された、古臭いけれど完璧なゲームシステム。
 そしてその上のバリエーションで展開されるゲームに
 新しさはあまりなくとも
 十分に面白いのです。




・なぜ2Dが3Dに見た目変化することで
 どこが面白いかという点まで変わってしまうのか。
 これはSTGに限らずアクションゲームにもいえること。
 また機会を見て書いてみたいと思います。