ノベルゲームはゲームなのか

・一応ゲームに関するサイトですので強引にゲームに牽強付会我田引水。


・まずはこちらのサイトをご覧ください。

 Try to Star -星に挑め!(http://d.hatena.ne.jp/nyaa1/
  「ひぐらしアドベンチャーゲームの夢を見るか?」
  「ストーリーとゲーム」 http://d.hatena.ne.jp/nyaa1/20041117

 TRPGの知識を活かし、ゲームのルールについて考察されているサイトです。
 未完ですが「RPGってなんだろう?」(http://www.h3.dion.ne.jp/~nyaa/rpgtte/rpgtteindex.html) 
 も興味深いです。


・選択肢のない『ひぐらしのなく頃に』はゲームなのか。

 関連:未完成ミステリーノベル『ひぐらしのなく頃にhttp://d.hatena.ne.jp/kodamatsukimi/20041019


アドベンチャーゲームはゲームです。
 昔ながらの選択肢総当りゲームもゲーム。
 ところでゲームとは何をさすのでしょう。

・ゲームとは「誰かと決まったルールのもとで競い合うこと」。
  (http://d.hatena.ne.jp/kodamatsukimi/20041124
 アドベンチャーゲームとは
 「プレイヤーが主体的に関与する謎解き要素をゲーム性の主とするシステム」。
  (http://d.hatena.ne.jp/kodamatsukimi/20040605#p2
 では『ひぐらし』はゲームか否か。

 ゲームであるためにはルールが必要。この場合は評価のルール。
 それがないなら、ゲームではない。
 メディアの新しい読み物娯楽である。

ゲームとは「ルールがあるもの」と考える。
 ある行為について、『制限』を与え、その結果を『評価』する。
 この『制限と評価』のルールが競技性を生み出し、ゲームとなるのだ。
                (いずれも上記リンクより引用)

・この「評価のルールが競技性を生み出す」という点はとても大きいテーマです。
 多人数で行う場合はまさしくその通り。
 では一人ではどうか。コンピューターと自分の「ひとり」では誰と競うのか。
 それがテレビゲームの他のゲームと違う点。

・プレイヤーは何と競っているのか。
 それはゲームのルールの中で、自分と競っているのです。
 評価するのはコンピューターの中にある評価ルールに沿って自分が行う。

・それでもそれは、ゲームと呼べるでしょう。

・では『ひぐらし』はどうか。誰と競い、誰が評価するのか。
 この点が実に特異です。面白い。


・一般のノベルゲーム、推理要素のないゲームは、ではゲームと呼べるのか。


・『ゲーム批評 vol.59』の「ゲームソフト再批評『Air』」に
 「読み進める自由がプレイヤーにあるからゲームである」という記述がありました。

・また、引用すると

 『ひぐらし』は(ノベル)ゲームゆえの没入感あってこそ、
 成り立っている気がしないでもないのです。
   (発熱地帯「あるいは推理するゲームの究極解?」より
       http://amanoudume.s41.xrea.com/cgi-bin/mt/archives/000266.html

 あなたが開けたドアが、そのドアを開けたせいで事件が起きたとしたら・・・
 それは三人称視点で誰かが開けたときよりも、感じるものは多いだろう。
 そこが重要なゲームだったと思う。シルバー事件はゲームだ。
       (上記 「ストーリーとゲーム」項より)

・紙に書かれた小説ではなく
 画面に文字が映され、若干の背景と効果音、そして文字送りのスピードが作りだす没入間。
 そして読み進める行為、文字送りの選択権がプレイヤーにあること。
 それがノベルゲーム。
 ノベルゲームとして最大効果を挙げるべく整えられた演出方法。

・ノベルゲームのゲームと呼べるのは、その演出からくる没入感である。

・それはゲームなのか。


・他のジャンルと比較してみましょう。
 小説。マンガ。実写映画。アニメ映画。ゲーム。
 同じキャラクターで同じストーリーが流れるときそれは同じものなのか。

・実写はともかくそれ以外全てに展開されているものは多数あります。
 メディアミックスというやつですね。大人の商売です。

・小説は字と表紙絵、挿絵。マンガは絵を主体にコマ割りによる構成。
 映画はコマの大きさが常に一緒である点がマンガに劣るものの他は同じで加えて音楽。
 ではゲーム(ここではテレビゲーム)は。

・ゲームにはコントローラーがあります。そこのスイッチを押してあげると
 それにあわせて映画が変化する。
 でもそれだけではゲームにはなりません。
 DVDの視点変更モードはゲームではない。

・またゲームブックというものもあります。これは小説か、ゲームか。
 その構造は音がないだけで何もノベルゲームと変わらない。
 また複雑なものはテーブルゲームと呼べるものになり
 さらに複雑にすればTRPGになります。これは間違いなくゲーム。
 どこまでがノベルでどこからがゲームでどこからどこがノベルゲームか。



・優れた映画はテーマを表現するためのストーリーを演出します。
 演技で美術で音で歌で。もちろん読み進める、鑑賞の速度も演出の内。
 そして優れた演出とは、
 観客に対して、演出の些事を気にせずストーリーの構成を考えさせず
 そのテーマを演出によって表現すること。

・ゲームの面白さとは何か。
 それは誰かと、
 あるいはルールのなかで自分自身と、
 そしてそのルールを作った製作者との競争の楽しさ。

・ノベルゲームはゲームなのか。
 映画と比較してみると、それは確かにゲームであるように思われます。
 しかしそれは演出による没入感によって得られるものではない。


・「ひぐらし」はゲーム。
 ゲームはルールの下で競うもの。競うためのルールがなければゲームではない。
 という定義に対し
 問題を解くことについて、
 誰かと、自分自身と競っていることが、ゲームである。
 ではそれは推理小説とどう違うのか。
 なるほど、自分自身と競う内には変わりません。
 しかし誰かと競うこと、自分の推理内容を誰かと競うのは
 テレビゲームではないけれど、ゲームです。
 未完成であるがゆえのゲーム性。
 それが未完成ミステリーノベル『ひぐらしのなく頃に』。


・選択肢があってよりゲームに近いはずのノベルゲームはゲームなのか。
 ゲームであるアドベンチャーゲームとノベルゲームはどう違うのか。
 アドベンチャーゲームの定義は
 プレイヤーが主体的に関与する謎解き要素をゲーム性の主とするシステム。

・演出によって表現されたストーリーを味わうだけなら、
 頭を使わないでただ読み進めていくだけなら
 それは「新しい読み物娯楽」。
 ゲームではないのです。
 何も考えずただ物語を味わうだけのどこがゲームなのか。

 


・しかし、あえて言いましょう。
 面白ければそれで良い。ゲームである必要はない。
 私は何も困りません。
 製作者が芸術と思っていても、ゲームと思っていても
 見る人遊ぶ人にとって、その区別は問題ではない。
 自分にとって良いか楽しいか面白いのか為になったか、価値あるものか。
 それだけです。