『ワンダと巨像』

kodamatsukimi2005-11-06



 GAME Watchレビュー http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20051028/wan.htm
 Wired Newsレビュー http://hotwired.goo.ne.jp/news/culture/story/20051028204.html
 ポップ・コラム [No.0439] PS2ワンダと巨像』 http://pop-site.com/column/col043901.htm
ASIN:B00064A8G6


・売上数以上の絶賛評価を受けている作品『ICO』(ASIN:B0002HUCNQ)。
 その製作スタッフによる新作です。

・『ICO』の何が面白かったのか。
 それは「雰囲気」です。
 見せ方が上手い。今までにない。
 ゲームだからと割り切らず、ゲームだからこそ出来る演出表現にこだわった作品。


・PS WORLDクリエイターロングインタビュー(http://www.jp.playstation.com/psworld/game/interview/wander.html)で
 ディレクター上田文人さんは以下のように言われています。

 これは僕自身の考えですが、ゲームには、映画のように複雑な脚本を語るだけの……
 映画でいうモンタージュ技法のような手法がまだ確立されていないと思うんです。
 もし、それをどこかの天才が発明してくれれば
 上手くストーリーを語るゲームが可能でしょう。
 でも、現状では、ストーリーをちょっと見せて、ゲームをちょっとプレイして、
 またストーリーを見せてというやり方しかできない。
 それでは、テレビゲームである意味はあまりないんじゃないかと。
 だったら、シナリオをつくることではなく、世界観をつくるほうに専念して、
 “ディテールに神が宿る”ではないですけど、
 その世界を体験したプレイヤー自身にストーリーをつくってもらうほうが、
 今のテレビゲームには合ってるんじゃないかと思うんですよね

 ちなみにモンタージュ技法とはカットとカットを効果的につなぎ合わせる見せ方。
 映画ではあまりにも当たり前なので説明しつらいですが
 劇の場面転換と、映画のそれとの違い、を考えていただくと良いかと。


・『ICO』はその「ゲーム」である部分だけを見ると
 『プリンスオブペルシャ』であるとか
 『ゼルダの伝説』、『セプテントリオン』などを範に
 丁寧に作られたアクションアドベンチャーゲームであります。

・良く出来ている。
 けれどそれ以上ではない。その独自の演出、
 「世界観へのこだわり」が受け入れられなかったひとにとっては
 アクション要素の薄い面倒なゲームに写ります。



・前々回書いた『東方花映塚』(http://d.hatena.ne.jp/kodamatsukimi/20051022)の製作者、
 ZUNさんは『東方文花帖』(ISBN:4758010374)の中で
 ゲームデザインにおける世界観について述べています。

 (前略)僕が考えるゲームデザインは、そういった世界観を根底にすえて
 ゲームをひとつの世界、作品としてデザインすることだからです。
 つまりすべてのベースには世界観があって、
 その上にゲーム性やシステムが成り立っている、
 映像や音楽が流れ、設定があって、プレイしている感触がある、と考えるわけです。
 だから、いわゆるゲーム性はゲームの中のほんの一部しかないし
 そこにこだわりすぎるとコンピューターゲームとしての意味がなくなってしまう恐れがあります。
 しばしば「ゲームの本質はゲーム性であり、ゲーム性と世界観は別物」
 と言う人たちがいますけれど
 僕はゲーム性と世界観は相反するものではなく、ひとつになっているべきものだと考えます。
 (『東方文花帖』P164より)

・上田さんとはまた違う意味合いです。

・設定、キャラクター、演出、そしてストーリーやテーマは
 「ゲーム」である部分に対してどのようにあるべきなのか。
 『ICO』と『東方』とそして様々なゲームを眺めてみれば答えは明確。
 正解はない。その採り方は様々にあって良い。


・『ICO』の何が面白かったのか。いままでになく新しかったのか。
 それはディテールへのこだわりによって世界観を演出するやりかた。

・宝箱もアイテムもステータス成長もボス敵との戦闘もない。
 なぜかプレイヤーだけがクリアすることが出来るようになっている迷宮のしかけ、
 そこにだけ「ゲーム性」をもたせるという方法。
 シナリオは映画のようでゲームらしくない。
 けれどその見せ方、舞台と俳優演技にこだわることによる雰囲気は
 ゲームだからこそのもの。
 そこが新しい。それが『ICO』という作品。 





・では『ワンダと巨像』はどのようなゲームか。


・その「ゲーム」である部分をとってみると、これがいままでになく斬新で面白い。
 一寸法師のようにこちらに対し圧倒的に巨大な敵。
 こちらの攻撃は蚊が刺すようであり細い針を刺すようであり。
 けれど針も急所に刺されば痛い。
 相手にはりついてひっついてぶらさがって、弱点を探して一撃。

・上記ポップコラムレビューの『アールタイプ』3面巨大戦艦という例えもありますが
 それ以上に弱点だけを突っつけば良いという方法は面白いです。
 巨大なボス敵一撃必殺。
 『ブシドーブレード』『鬼武者』でなく『Shinobi』の殺陣。
 ゲームの仕組みはまったく違いますが、爽快感はそれに近い。


・操作感覚はほぼ『ゼルダ 時のオカリナ』からの流れ。
 違うのはアイテムが剣と弓だけであり
 相手にしがみつき這い登るアクションが重要でフックショットがないこと。

・本当に『ゼルダ』のそれ。
 状況から弱点、攻略法を探して的確に実行。
 気持ち良いアクション。答えが分っていても動かしているだけで楽しい。

・これは『ゼルダ』が『タクト』でやるべきものだったと思いたくなります。
 「タライとホース」集めが面倒という以前に
 見た目しか変わらなかったのが『タクト』の欠点。
 することは『ムジュラ』に満たず新しくない。

・『ワンダ』の巨像との戦いは
 『ゼルダ』新作にして値するアクションの新しい楽しさがあります。
 面白い。素晴らしい。



・そして「世界観をつくりだすディテールへのこだわり」。
 これも終始一貫しています。
 シナリオを見せるのがゲームではなく
 その世界でプレイヤーがキャラクターを操ることから生まれる生み出されるもの。  
 ゲームにしか表現できない世界。
 細部のこだわりが用意されていて、そこで世界を作りだすことを楽しめるゲーム。
 『ICO』以上に簡潔なシナリオ。けれどそこに物語は充分です。


・『ICO』は小説化されるほどの物語を持っていました。
 映画のようにシナリオがありました。それは優れていたけれども
 それが合わない、興味をもてない人にとっては
 価値を持ちにくいゲーム。欠点ではないけれどそういうゲーム。合わないひともいる。

・『ワンダ』は世界観を、自ら作り出せる楽しさがある。
 アクションゲームとして新しく面白い。



・『キラー7』(http://d.hatena.ne.jp/kodamatsukimi/20050614#p1)は「映画のようなゲーム」でした。
 『ICO』は逆です。
 『ゼルダ』のような、従来のゲームにある
 「ゲームをゲームとして成り立たせるためのお約束」に対し
 ゲームとして成り立たせるにそのどれが必要であるか、を考えた結果として
 「ディテールが作りだす世界観」で物語を語るという方法を採ったことこそが
 従来のゲーム文法中での見せ方にこだわった『キラー7』に対する『ICO』の新しさです。


・「映画のようなゲーム」の新しい見せ方。
 それは『ワンダ』でもまだ未完成。
 優れた映画のように初めから終わりまで無駄のないものではない。


・けれどゲームとして、ゲームだからこその面白さを持ったゲーム。
 「その世界を体験したプレイヤー自身にストーリーをつくってもらう」こと。
 それはゲームだからこそできること。

・映画のようなゲーム、けれどゲームでしか出来ないゲーム。
 シナリオに沿う『ICO』の物語に対し
 『ワンダ』は巨像との戦いにこそ物語がある。
 それがアクションゲームの持つ物語を作りだす力。
 ただ単純に動かしているだけで楽しく、その結果もまた価値を持つ。


・ムービーシーンをつなぎ合わせたものを見れば満足できるゲームもあれば
 自分が操作して、作り出した結果にこそ価値があるゲームもある。
 どちらの方法が優れているのでもないけれど
 『ワンダと巨像』は、見るべきではなく、確かに遊ぶべき価値あるゲームです。