古き良き短いRPG『MOTHER3』

kodamatsukimi2006-05-19



公式サイトhttp://www.nintendo.co.jp/n08/a3uj/index.html ASIN:B000093OLW


・『マザー3』は、その道専門家が仕掛けるだけあり
 色々な「ことば」が付いて回るゲームです。
 ほぼ日刊イトイ新聞;ようこそ『MOTHER3』の世界へ!http://www.1101.com/MOTHER3/index.html

・まこと饒舌。
 それで実際のところどうなのかと遊んでみたらば、割と普通。
 予想通り。見た目通り。いかにも任天堂謹製。


・飛び抜けた長所欠点なく、在る枠の中、当然を当たり前に作られております。さすが。
 独自の味付けはそれを「ことば」で語ること、それ自体とはひにくなみかた。 

RPGという既成の枠。今の時代に基準標準、スタンダードのRPG
 非オンライン、「おとなもこどももおねーさんも」遊べるRPGはどのようなものか。
 いまだ「RPGとは『ドラクエ』のようなもの」という曖昧な枠しかないからこそ
 かの任天堂にして作り上げるにも苦労する、世にも珍しい履歴もまた箔です。


・そうして出来上がったその特徴は、携帯ゲーム機GBARPGであること、短いこと。

・まず短い。隅々回った初回一周目でも20時間。
 短時間狙うなら7時間以下(http://www.rta.jp/may2006.html)らしい。
 けれども重厚長大絢爛豪華の『FF12』が後だからか、そして携帯機であるからか
 短いことに不満は感じないです。
 むしろ逆。そこが中途半端。20時間でも長い。もっと短くてよい。
 全体お話進めていって、後半間延びし、バランスよろしくない。針は3本で良いです。

・もっと短くまとまり良くを願うRPG。それが他に例を思いつかない独特なるところ。




・『マザー』は『ドラクエ』のようなRPGです。

・『1』発売当時、RPGすなわち、『3』まで出ていた『ドラゴンクエスト』でした。
 そこで任天堂が作ったRPGとして出てきたのがこれ。

・ファンタジーでなく舞台は現代アメリカ風。
 地に足着いて正統的。正しく大人も遊べるよう、子供のために作られたゲーム。
 「悪」と「大人」を現代に描く、優れて大きく懐深さ見せる作品。


・シリーズの歴史は紆余曲折。
 『1』(FC)発売'89.7.
 『2』(SFC)発売'94.8.
 (N64発売'96.6.)
 (『3』開発中止'00.8. http://www.1101.com/nintendo/nin13/index.htm
 (GBA発売'01.3)
 (GC発売'01.9)
 (『3』開発再開'03.4 http://www.1101.com/MOTHER/index.html
 『1+2』(GBA)発売'03.6.
 『3』(GBA)'06.4.
 (参照;「MOTHER Party」http://www.mother-jp.net/


・『1』は当時にあってこそ。いま遊ぶには粗いゲーム。
 『1』の基礎組みそのまま洗練作り直したものが『2』。
 廉価版も出ているGBA版『1+2』を遊ぶなら『1』は当時の雰囲気懐かしむにとどめ
 『2』のみ遊べばどのようなか分る、という経緯。
 『2』は当時にあって、同年『FF6』、翌年『DQ6』と並び
 「『ドラクエ』のようなRPG」としての一角に位置するひとつです。


・『1』から『2』が5年、『2』から『3』で12年。実に難産。
 一度開発中止になったのは、N64で作っていて完成めどが立たなかったゆえ。
 そしてようやく発売された『3』は2世代戻るGBAにて。
 どうしてそうなったかは上記リンク先、いろいろ書かれていますが
 つまり、『マザー』の枠はGBAで充分だった、
 ということが『1』から『3』、17年かけてようやくに判った、ということになりましょう。
 きれいな画面も3Dならではの表現も不要。NDSですらなくGBAで良い。

・シリーズ最新作を携帯ゲーム機で出す。他に例ないわけではないですが
 テレビの前に座ってじっくり楽しむでなくとも
 十数年前のゲームと同じ楽しさはもう携帯で味わえる。
 そここそ、このゲームに今あるべき場所なのだと。


・もうひとつ違った見方として、こちらも参照。
 NGM+その他の欲望;スクリーンショットだけで決め付ける俺は鯛のおかしら http://d.hatena.ne.jp/msrkb/20060308/mother3SS
 さて、そうしてできた『3』はどうか。



・『3』の特徴として、上記リンク等記事によれば
 『1』『2』の、街から街へ「ロードムービー」伝統RPGのお使いイベント連なり形式から
 ひとつの街を舞台にお話組み立てる方向への転換が挙げられています。

・かつて『ドラクエ』の堀井雄二さんもそういうを作ってみたいと言われておりました。
 それはアドベンチャーゲームのようなRPG
 『ドラクエ』の前、『ウィザードリィ』のようなRPG


・『ウィズ』の舞台はひとつのダンジョンとひとつの街。それが世界の全て。
 であるのに、そういう狭い世界からでも、いやだからこそのなのか、
 今、大作RPGと呼ばれるものに劣らぬ物語が創造され得る。

・製作者によって作られ用意された舞台、脚本、その上で役を演じるのがRPGであるけれど
 画面が美しくなり、様々な表現出来るようになった、
 上記事にいう「なんでもできるぞ」という技術向上による新しさとは、つまり
 遊び手の演技にも手を取り演出付けたくなるもの。

・そうでないものもありますけれど、自覚的にそうして
 演じることでなく、物語の観客に、読み手に遊び手の役割置く仕方を
 叙述形式の一方法として用いるつくりのものもある。


アドベンチャーゲームロールプレイングゲーム。その違い。
 コンピューターRPGという形式においてこれは、どうするべきであったのか。
 何でも出来るようになったとき、遊び手の自由をどこまで認めるべきなのか。

・僅かな設定の他、白と黒の線と記号だけで表現された世界にも
 そこに演じ物語を作り出して楽しむことがゲームでは出来ます。
 出来上がった話をただ見るだけ、たまに出てくる選択肢のときだけに
 その世界へ神のように介入する操作にも、自らの手による唯一の物語は作られ楽しめる。

・どちらでも良い。どちらでなくとも良いのです。
 そのゲームにあわせて、遊び手が楽しむ物語をどのように置くべきか。
 何を見せたいのか表現したいのか楽しませたいのかの作法の違い。
 遊び手は、ただ楽しまさせていただくのみであります。



・『2』は当時の「『ドラクエ』のようなRPG」が技術的要因などから架していた枠、
 街から街へ、次から次へのお使いイベントに
 今から見て、遊んで何も疑問を感じない作りでした。
 『ウィズ』から『ドラクエ』へ、そしてその先への連なりに
 「なんでもできるぞ」という大きな展開果てしなく広がっているように見えた、
 その時ゆえの必然です。

・PS、SS、N64の世代、素人目に分るほど画面が違くきれいになり
 記録媒体CDになって容量増え、絵が動き音が付き声も付く。
 『ウィズ』から『ドラクエ』から見ても、「なんでもできる」ようになって
 そして10年。

RPGは今やどうあるのか。どのようなものがRPGなのか。
 もはや「『ドラクエ』のような」は共通認識ではない。
 むしろ今は「『FF』のような」、でしょうけれども、それで全てではない。 
 見た目にも『FF12』から携帯移植まで幅あり、『FF11』はオンラインであって別物。
 「ストーリー」「演出」をどう扱うかでも色々。
 見ているだけなのか、することありすぎて面倒と投げるのか。


・『マザー3』は、「なんでもできる」ハードで作り始め、形にできず
 画面がテレビか携帯か違いこそあれども結局、
 12年前と同じ様なことしか出来ないゲーム機で作らました。
 良く出来ています。けれど、変わっていない。
 今にして未だ古き良き「『ドラクエ』のようなRPG」。

・言われるままお使いこなし、合い間に襲ってくる敵倒して強くなるその繰返し。 
 ひとつの街を舞台にする。
 宣伝文句はそうですが実際は、在る世界の大きさを小さくしているだけ。
 することは同じです。


・「『ドラクエ』のようなRPG」として、さすがに熟成12年、良く出来ています。
 世界を構成する端々、ものの名、ひとの言葉、ある場、全てあるべき位置にあり
 単純ではありますが、ドラムリール体力メーターの癖を活かした戦闘の組み立て、
 リズムに合わせた入力による連続攻撃などの遊びを載せた上で
 雑魚敵はボタン押しっぱなしで倒せ
 ボス敵はあと一歩かろうじて勝てる戦闘バランス調整の抜かりない仕上げ。
 話の構造もあいもかわらず見事。
 21世紀でも「悪」をしっかり「悪」よわばりし、そして大人は子供扱いします。
 さすが。さすが大人。さすが糸井重里。さすが任天堂


・良く出来ている。でありながらもっと短くて良いと思う、
 その世界でいつまでも遊んでいたいと思えないのは、そこが魅力ないからでなく
 アドベンチャーゲームのようなもの、狭い世界であるからこそ創られる話でなく
 狭い世界で、上質のお話を見ているだけのRPGであるからです。

RPGとは
 『ウィズ』のようにテーブルトークRPGのように脚本を演じ、物語を作りだすか
 『FF』の表面的部分のように、映画のように脚本を選んで、物語を楽しむのか
 『ドラクエ』のようにその中間、
 脚本で管理できる外にも世界が広がり、その世界観に楽しむことで
 物語を自由に創造できないことを補うつくりか。
 そのどれかかそのあいだ。


・『マザー3』の世界は狭い。でありながら全編一本道のお使い。
 その引く手、勧められる道が優れていて
 またそれを妨げないようゲーム部分も良く出来ているから文句ないけれども
 それでも中途半端であるのです。
 そこが完全でない。完全完璧を最上と見る偏狭な私から見れば、無駄が残っている。

・けれど、それを削いで、それをわかって
 そういうゲームそういうRPGとして作り上げたならばおそらく、小品ながら最上の一品。
 狭い世界で手を引くRPG。短く簡潔だけれど完全完璧なRPG
 それは選択肢をなくしたアドベンチャーゲームの隣にありますけれど
 新しい。いままでないRPG。いままでにないゲーム。


・『マザー3』は、そういう新しさを垣間見せてくれる、古くて新しいRPGでありました。