『GAME SIDE』の破綻感想文

kodamatsukimi2006-09-20



・みなさんこんばんは。
 夜もすずしくなり早いところでは稲刈りも始まって柿も色づき始める今日この頃。
 もうすっかりそろそろ秋ですね。秋。さんま。
 相変わらず私は『三国志大戦』しか遊んでおらず書くことないので
 今回は昔を懐かしんで『ゲームサイド』の感想でも書いて間を持たせようかと
 思いましたので書きます。



・『ゲーム批評』が廃刊になって『G-navi(ジーナビ)』(http://www.microgroup.co.jp/g-navi/
 という雑誌に切り替えられたわけですが、ぬるい。
 というと少しばかり違いますけれども、
 同じ様な方向目指しても永遠に交わらずむしろ離れるねじれ関係というおもむき。
 「サボリーマンよゲーセンへ集え」という振りからしてあれ。
 『オトナファミ』(http://www.famitsu.com/blog/otona/)のようなそれ。
 マニア向けでなくライトユーザーな幻でもなく
 これからのまーけてぃんぐターゲットきーわーどは「おとな」である空気の模様。
 『オトナアニメ』という雑誌もあるようだ。
 つまりこれはあれだ。呼び変えによる創発


・なので現在必ず買うゲーム雑誌は『ゲームサイド』(http://www.microgroup.co.jp/gs/
 のみになりました。もと『ユーズドゲームズ』『ユーゲー』から誌名変更。
 略して「ムサイ」。誰が何と言おうとこの呼び方で決まりである。
 というその口は、無才で心の汚い私の心を映して分相応に良い感じ。


・公式ブログとは思えないくだけた内容のブログ(http://d.hatena.ne.jp/gameside/
 を見るにつけても方向性はこちらのよう。

・その方向性とは、旧『ユーゲー』と変わらない方向性。ほうこうせい。
 つまり主に、昔のゲームは良かったといいつつ昔のゲームを大切にしまいこみ
 売り方へ常に文句を言いつつ最近のゲームも買いあさって積み
 最新ハード動向にもやはり文句をつけつつ、結局全部買うひとたち向け。
 趣味はゲーム。親しい友人には勢い込んで語る。けれど
 履歴書にはもちろん書けません。読書とか音楽映画鑑賞。
 しかし読むのはゲーム攻略本とゲーム関連雑誌のみ。

・という人たち向けであるのは全体見ていてどうしてもそうですけれども
 古い固定客相手だけではいけない、常に新規顧客開拓も進めていかなくては、の
 ねじれがにじみ出ている感じでむしろ、
 新規顧客向けの装いを様々に凝らしているけれど
 書いているひとも買って読むひともその多くが旧来のマニアであり
 そしてまた新規読者にも、このおおよそ噛み砕いてあるけれど
 わかるひとにはわからないひとにはわからないことがわからなくなってしまっている
 書き方かんじて、雰囲気を読めるマニアになりたいと志向する向けの構成に
 結果としてなっています。

・しかしそれでよいのではないか。
 それで上手く回ってきたから10年以上も潰れず続いているのではないか。
 と誰に問いかけているのか。か。
 雑誌を毎号買うひとというのは買わないひととどう違うかと問いかけても
 そこにもちろん答えはない。それがあると言わば、ひとそれぞれ機会と縁。



・内容についてのその前に
 なぜここのところ、間を持たせたり話の種にこの雑誌の感想を書いたりを
 していなかったかというと
 ひとつには、新聞を読まなくなった理由と同じといえましょう。

・新聞は、値段からすると良く出来た読み物。定食屋で待つ時間つぶしには
 これほど優れたものはないでございます。
 そしてなんといっても、畳の裏にひいた昔の新聞を眺めるときの、
 というような機会はそれほどないですがとにかく、昔の古くなった内容でも
 暇つぶしとしての価値には丁度良い。むしろ良い。
 しかしけれど、毎日時間をかけて読むようなものではありません。
 なぜなら同じ様なことしか書いていないから。


・『ユーゲー』もそう。『ゲーム批評』もそうでしたけれども
 過去10年分の積もりつもった雑誌の山からふとした暇に取り出して眺めるは
 同じく積んだゲーム山からひとつ取り出しハードを引っ張り出して配線するより
 早い。手軽。
 かつ、お金を出して10年間購買意欲を自身に持続させるような読み物であるそれは
 もちろん寝そべっていようとも立って読んでもかわらずいつも、楽しいもの。
 もちろん新聞よりも。

・そして同じ様なことしか書いていないのも同じ。
 最近の政治経済情勢。このゲームは面白い。
 どちらも今読んでも、その情報が直接将来に役立たなくとも
 既知の記憶に照らし合わせてその価値は自乗され、いま、楽しめる。


・しかしそうした情報は、ある程度自分の中に溜まれば
 それを忘れる端から読み返し思い出すことで反芻繰返すサイクル満たすだけあれば
 それ以上必要ない。
 現在情報と、的中期待確率が50%を越えるであろうことに価値を置ける予定の情報。
 それだけあればあとは既に満ちている内の情報を漉しているだけで回していける。
 いきていける。


・それが理由。新しい情報を共有するところに価値を置かずに
 内にこもって陰々滅々たる有様のひとなど放っておいて
 世間は是非WiiPS3で健全に盛り上がっていただきたい。360も忘れないでください。
 つまりひとそれぞれ。ゲームに対する興味のありかた、面白がり方も各人様々。
 単に飽きた、とは違うのです。


・長い言い訳だ。




・ようやく内容。「VOL.1」はプレイステーション、「2」はゲームキューブ特集。
 ゲーム名作選と題し、現行機種から埋もれている良いゲームの紹介。
 巻頭に独自視点のゲームトピックと、『ユーゲー』からの継続も多いコラムなど連載記事。


・PS特集は10周年という区切りで年代別に当時の情勢と代表作、
 そして各年ごと、あまり売れなかった個性あるゲームをいくつか紹介する形。
 何もかも皆懐かしい。
 けれど紹介されているゲームは殆ど遊んでいないです。奥深い。

・PSは、マニアにとって奥深く手を出し難い領域であります。
 セガサターンの方がどうみてもそちら向けであり
 そして定番の名作と言えるものも確かに多いのですが
 そこからさらに一歩踏み入り、多くのひとが楽しめないつくりにこそ
 価値を置いて楽しさを見出そうとする段階のゲームの楽しみ方からすると
 その層の厚さはSSの比ではない。
 発売本数が多いだけそういう楽しみ方のできるまとも、また多い。
 だから同じ程度の受け入れがたいけれど斬新なつくりを持つゲームであるなら
 SSよりPSから例を引いたほうが楽しみ方としてより、奥深いように見えるといえます。

・見立て見取りの世界。趣味娯楽に価値を与えようとするとどうしてもそうなる。
 誰かが権威者となり、これは埋もれた名品として価値を与えることで皆喜ぶのです。
 それを楽しむのです。何でもそうです。
 これぞ味わい深くこくがあってまろやかな玄妙なる風流。
 実体なし。


GCの方はまだ最近のハードでありまた、定番作品から次の段階の
 「普通に」埋もれた良作を掘り起こしている段階といえましょう。
 売れた作品の次、マニア必携の一本を認定中の段階。入りやすい。
 中古市場は供給数が少ないからか顧客層ゆえか、割と高値安定で
 今はまだ新作ワゴン狙い。
 しかし種類の数も少ないので探す選ぶ楽しみも少ないのが困ります。
 扱いが難しいところ。今回紹介されている各作品は残さず抑えたいものばかりです。



・『ゲームサイド』の作品紹介は、批評とかレビューでなく紹介。
 こういう内容で、遊んで楽しい。面白い。お勧めです。
 そういう構成であって
 良い出来であり、こういう形式構成でこの視点からこの形式に連なる構造であり
 であるからこのように評価できる。そしてこうであるべきであろう、
 とかいう文章よりもそのゲームを遊びたくなるシズルが高い。
 だから、だから面白いとは書いてはいけない。

・そしてマニア向け雑誌、違いのわかる権威からのお勧め情報という価値。
 その両輪で、中古ゲームショップでそのタイトルを見かけた時や
 該当作が背負うブランド価値に対して追い風を吹かせる構造。
 それが読み手の求めるもの。バイヤーズガイド。
 「ゲーム名作編」にしても読み取られ方はそうです。



・やはり無理だ。

・紹介を見て、このゲームは面白そう。今度機会を見て買ってみようと思う。思います。
 そこに価値を感じます。けれど、この雑誌を読んでの感想、面白いと思うのは
 紹介されたゲームを遊んで面白くなかったとして、それが楽しめなかった責任は
 誰に帰するのかによって、ゲーム紹介文は内容が同じでも
 その読み取られ方が変わってくるところ。
 メジャーとマイナーの違い。その境。メジャーもよりメジャーからマクロに見れば
 ミクロにマイナー。相似構造。面白い。

・だから。もうひとつにはこれです。


・やはりゲーム紹介雑誌の感想を書くのは難しい。
 こういう読み方は面白いか。
 面白いとは何かとかしてはいけない。
 それが自身にとって価値があるかで判断してはいけない。
 そういうような物差でしか見れないようではいけない。
 そうでない見方と、またそうではない見方と、そしてそのどれでもない見方とで
 物事を見なければならない、というようにしてはいけない、かどうか。と己に問う。


・無理。
 しかしこれを書いているひとは、これで面白がっているのです。
 だからそれに価値がある。
 けれど価値はひとそれぞれなのだ。
 であるべきなのだ。
 誰にとって。
 もちろん自身にとって。これを読むかた皆それぞれ別々に収束し、発散する。