ゲームを評価することについて


・前回のように、これは面白くない駄目なゲームだだめだめだめだといいつのるのは
 気分がよろしくありません。
 書いていて。そして読んでいただいている方々にもよろしからずよと思います。



・駄目なゲームは駄目である。
 他の誰かとか、それを評価する自分以外の全ての評価に関係なく
 自分が自分に駄目で価値がないと思うこと。
 ゲームは娯楽です。楽しむためにあるものです。



・社会人ゲーマーである身にとって
 やるべきことはやって
 その日自分の好きなように使える時間にすることは
 自分がやるべきことではなく、やりたいこと、好きなこと。

・テレビを見たり本を読んだりネットを見たり、映画を借りてきてみたり。
 何もせずに頭をふやけさせるのも、いつもより長い睡眠時間に代えるのも
 それが自分のやりたいことだからすること。

・そして私はいちおうゲーマー、たぶんじゅうぶんゲーム好き。
 だから私はゲーム機を引っ張り出して、おもむろゲームを遊びます。
 それがもっとも楽しいことだから。


・けれど、
 どんなものにも質の高低と好みのばらつきがあって
 楽しみたいのに楽しめないこともある。

・人生を変えるほどの1冊に出会うこともあれば
 感激のあまり流れるスタッフクレジットに関連情報を求めてみても
 翌日には忘れるようなものもあり、
 そしていらつきを誰もが読むことができるネットに書き連ねたくなるものもある。


・駄目なものを掴んだとき、それに気付いた時。
 そうした時に、それは楽しいことではなく
 見返したくもない無駄で駄目な時間と人生の浪費のように感じます。
 つまらないゲームは、ゲームを遊ぶこと自体をつまらなくする。
 尾を引いて何をするのにも空回りして疲労する。
 会社に行って帰って食べて寝るだけの生活が全部になってしまう。




・どうすればよいのか。
 無駄を省くにはどうすれば良いのか。
 無駄で駄目なものを除いて自分に価値あるもので限りある自分の人生を満たして
 それを価値あるものにするためには。



・良いゲームとは何か。
 それは自分にとって価値あるもの。

・収入に対し、例えば飲食に比してみれば、社会人にとって多くのゲームは高価でありません。
 子供も遊べるように考えられているもの。

・その価値は、時間に対すること。
 掛けた時間分楽しめるか。何度でも楽しめるか。
 周辺関連に、例えば皆と話題を共有して楽しめるものなのか。
 そしてそれだけでなく、その日1日、空いた余暇の時間に満足できるものであるかどうか。

・ゲームの価値を決めるもの。
 私にとってのゲームの評価基準はそこにあります。
 何度でもクリアしていても知っていても、短時間でも実を感じて充たされて、楽しめるもの。


・以前「VIDEOGAME BATON」の項(http://d.hatena.ne.jp/kodamatsukimi/20050623)で挙げた
 よく遊ぶゲーム5つはこれらを満たしています。
 『罪と罰』。クリアするだけなら簡単で、展開にメリハリがあり短時間で満足できる。
 アクションゲームとは自分でないものを操るもどかしさと楽しさです。
 『レイディアントシルバーガン』。良いSTGほど短時間で長く飽きずに遊べるものはない。
 撃つと避ける、非現実の見下ろし戦闘空間のつくる麻薬のような楽しさ。
 『外伝アスカ』。パターンとランダムが綾なすゲームらしいゲーム。
 最善手はあっても、それで勝てるわけではない。運もまた人生ゲームの内。
 『パワースマッシュ』。やることは最初期のビデオゲームと同じ。来た弾を打ち返す。
 やることはひとつ。究極に不自由なゲーム。不自由の中の自由。それが面白さ。
 『大悪司』無駄を省いてゲームとわりきってつくられたルールの中での陣取りゲーム。
 構造は複雑でなく単純を尊びます。そのほうが堅牢で、そして自由であるから。


・何度遊んでも楽しめる。短時間でも満足できる。
 駄目なゲームを遊んだ後にも、いつ遊んでも、何度もでも楽しめるこれらのゲームは
 ゲームに楽しさがあることを思い出させてくれます。
 これは駄目だ、ゲームは駄目だと空回りする自分に、自分が忘れていたことを気付かせてくれる。



・ゲームは面白い。
 小説も面白い。映画も面白い。
 会社の仕事も人生ゲームも一度きり。
 自分に意識があると感じられるということだけは確かに奇跡と呼べる事実であることを
 思い出させてくれる。明日にはそれが消滅してしまうかもしれないことも。
 

・そうして、私は、無駄なものとレッテルを貼って人生に価値を満たそうとして
 無駄を受け入れられなくなる。
 長いゲームを楽しめなくなる。
 わかっている振りをして無視して通り過ぎる。
 『タクティクスオウガ』も『グランディア』も『ドラクエ3』も
 果たして、今の自分が遊んで、心から面白い、素晴らしいゲームといえるだろうか。
 わからない。そのゲームをはじめてあそぶことに二度目はないのだから。



・ゲームは面白い。
 「他の様々な娯楽と比して時間を割く価値がある」、そんなことを考えず
 ただ『東方妖々夢』をなんとなく惰性で立ち上げた先にも、それは確かに感じることができる。
 信じられる。

・けれど、駄目として、無駄として、切り捨てた中にも「面白さ」はあったのではないか。
 なかったのだろうか。
 わからず、振り向いて、空回りする。


・駄目なものは駄目。無駄なものは無駄。価値あることこそ価値があるということ。
 私がゲームに求めているものは
 ゲームが教えてくれた、そしていまも楽しませてくれる「面白さ」とは
 そういうものだけではないということを、知りたいからに他なりません。