歴史物語『蒼天航路』

kodamatsukimi2005-11-14



・'94年から11年、途中何度もの休載をはさみながらも
 先週'05.11.10発売の『モーニング』No.50で『蒼天航路』の連載が完結しました。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/蒼天航路


・『蒼天航路』は横山光輝三国志』と並び立つに相応しい傑作です。

・従来の蜀、劉備主観の三国志像を大きく描き変えたことだけでなく
 現代的、個性的な「立った」キャラクターたちと際立った演出、
 話も画も優れて斬新かつ見事。
 主人公曹操はもちろん、劉備も従来にない見方で魅力的。
 だけでなく呂布や悪役専門の董卓ですら実に格好良い。
 素敵です痺れます憧れます。


曹操は全ての答えが己の中にあるように振舞う全知全能完璧超人。
 若かりし頃は徒党を組んで無頼に暴れていたかと思えば
 官職については苛烈かつ合理的に物事を捌く。評されて曰く「治世の能臣、乱世の奸雄」。
 けれど従来に違うのは、その目的がはっきりと見えていることです。
 武に生きることに喜びを感じるを自分とし
 戦いに勝つことで天命にそれを問うべく生きるのだと。

・一方の劉備も、従来の儒教的徳の高い君主、という像を聖人君子としてではなく
 実務には無能であるが、器の大きい人間的魅力に溢れた大人物、として描かれます。
 その時代指折りの武人と結びつけたのは劉備の人間としての魅力がゆえ。
 それは奇跡ではなく結果が作り出した必然であると。

董卓は澱んだ漢王朝を徹底して破壊しながらも自身に王道を持つ人物であり
 呂布は龍を纏う武神の化身。
 常識的な普通人であることを力とする袁紹
 黄巾党は暴走した宗教団体。
 史実に反せずに見事創り上げた独自解釈の新しい三国世界。一々実に面白い。

・黄巾を吸収しての「魏武の強」、そして「官渡の戦い」の広大な絵図。
 その発想、実に見事素晴しい。
 文武万事全てに対して有能完璧合理革新的で一言で括れない程の才能でありながら
 それでいて、ひととしての魅力も併せ持っている「非常の人、超世の傑」。
 曹操という大人物を本当に描き出せた初めての作品といえるでしょう。




・時代小説、戦国時代や江戸時代だけでなく、今ではない過去を描く物語は
 常に書かれた時代なりの常識様式文化と解釈で描かれます。


吉川英治宮本武蔵』。
 今、井上雄彦バガボンド』として描きなおされている両者は随分異なるもの。

昭和11年から14年に渡って書かれた原作。そしてその70年後に描かれている作品。
 その違いは著者の考え方の違いというよりも、それが書かれる時代の違い。
 今、吉川『武蔵』を読むと武蔵の考え方が容易に理解できません。
 なぜそうするのかの行動理念が
 現在の常識、知っていること考えられる範囲とまったく異なるからです。

・70年、ひとりのひとが生きている間の文化の違いも
 世代が違えば理解は容易でないことなのに
 それが百年、千年と経つと想像もできない。
 時代の作る、ひとの常識の断絶は想像できない程度に大きいのです。


・例えば戦国時代。
 なぜ名将武田信玄が一生を掛けてたかが長野県程度しか領土を増やせなかったのか。
 なぜこんなに狭い日本で何十もの勢力が自治政権を共存させるなどということが出来たのか。
 学生が夏休みに余興で自転車縦断できる程度の狭さです。
 古事記の時代にタケミナカタが出雲から諏訪まで逃げてくるほどの狭さです。
 当時は道が整備されていなかった。けれど馬で駆ければ容易に端から端まで行けたはず。
 まったく不思議、理解の外。

・まして1800年前、しかも隣の国。
 日本では男子は大小となく皆黥面文身す、などとしているころのお話。
 殷周(春秋戦国)秦漢三国晋、南北朝隋唐五代(十国)、宋元明中華民国
 中華人民共和国〜と、亀よ亀よかめさんよ〜の節回しで歌ってしまう始めの時代。
 まったくわかる訳がない。


漢籍通じて中島敦『李稜』、国漢教師の海音寺潮五郎孫子』、そこから司馬遼太郎
 大衆文学と言えば吉川英治、に書かれたのが『三国志』。
 どれも日本語で書かれていること以上に
 登場人物の考え生き方は、その時代の日本人、著者が知っている文化にあるものでしかない。
 北方『三国志』、本宮『天地を喰らう』などは
 知らないなりにいっそそのままと割り切ります。ある意味素敵。


・知らないものは想像できても、ないものを作りだすことは誰にもできることではない。
 それが出来るひとこそが、本当に世界を変えていくのです。


・歴史を作るのは英雄という名の登場人物。
 英雄を創るのはその物語の編まれる時代。
 劉備が善玉、曹操悪玉理論も、『水滸伝』の無理矢理加減も時代が創ればこその物語。

・そこに生きるひと、名も残さず昨日生まれ今日生き明日逝く私。
 世界を変えるべくもない、あらゆるもののクズである残りの9割。 
 けれど、その絶対多数が文化という区切りの時代をつくり
 それが物語を生んで英雄を創る。
 その時代に生きた人しか知れないように。為に英雄も常に生み出される。




・『蒼天航路』は磨いた珠のごとく完璧な作品ではありません。
 連載途中、原作者の李學仁さんが亡くなったことでの混乱や
 史実からしても官渡の戦い以降の曹操を描く難しさもあり
 後半は初期の勢いが失われて、また収拾がついておらず残念な面も多々あります。

曹操の死を持ち物語は完結しました。
 けれど歴史は曹操という稀代の英雄ひとりに作られるのものではない。
 そこからもどこまでも、残る人々によって現在まで続いています。

・著者王欣太さんは言います。1800年曹操の血が自分の中に流れているかもしれない。
 曹操という確かにいた英雄もまた、同じ世界に生きた人間なのだ。


・史実をもとにした歴史物語。
 マンガのキャラクターはけれど実際に在て
 歴史は現在に創られるのです。
 『蒼天航路』があり、だからこそそれを越えていく作品も生まれていくことでしょう。
 それを楽しむことができる時代に生まれたことこそ喜びです。